深夜の内緒話
「……あんまり覗きは関心しないよ、アオバ?」
「っ……」
廊下をすれ違うときに投げられた言葉に、どきりとした。
この世界のアルラウネは眠らない。花がいつだって咲いているように、睡眠の必要のない種族なのだ。
だからこそ私にとって夜の時間は暇であり、散歩をしたり、月光浴をしたりと時間を潰している。
その暇つぶしのひとつとして、大好きな人の寝顔を眺めるというのが最近では追加された。大好きな人というのはもちろん、銀士さんのことだ。
今はアルジェント・ヴァンピールと名乗っている彼……ではなく、彼女と、目の前にいる相手が先ほど行っていた行為のことを思い出しながら、私は言い訳をこぼす。
「別に覗いていたわけでは……その、アルジェさんの部屋から、声が聞こえたので……どんな話をしているのか聞いていただけで……まさか吸血するなんて思ってなかったものですから……」
「くすっ……アオバのえっち」
「え、えっちなことはしてなかったでしょう……!?」
「うん、ただの吸血。でも……見てて、ドキドキしたでしょ?」
「……それ、は」
していなかったといえば、嘘になる。
アイリスさんに縋り付くアルジェさんがかわいくて、なにより吸われているのが私ではないことが羨ましくて、言ってくれなかったことが切なくて。
だから私は逃げるようにその場をあとにして、散歩で心を落ち着けてから戻ってきた。だというのに、部屋に戻る前に出会った彼女に、それをいきなり掘り返された。
「……気づいていて、あんなことをしたんですか」
「覗いてるんだから、見せつけられるくらいは許してよ。それに……きちんと知っておいたほうがいいと思ったんだ」
「…………」
「吸血鬼と付き合うっていうのはそういうことだよ。アルラウネに流れているのは正確には血液じゃないけれど、吸わせて、安定させてあげることはできる。あの子はちょっと遠慮がちな子だから……できるのなら、君の方から言ってあげてほしいかな」
「……それは、そう、なのでしょうけど」
「くすっ。納得いってない顔してる。嫉妬?」
「……もしかしなくても、それも分かっていて言っていますね?」
じろりと睨むと、アイリスさんは余裕の笑みを返してきた。
吸血鬼としての年季は相当なものだと聞いていたけれど、やはり本当に何百年も生きているのだろう。少女のような見た目にそぐわないほど、なにもかも見通すかのような瞳で、彼女はこちらを見る。
……やりづらい人ですね。
少女のような姿でいて、実際はお婆ちゃんなんて言葉では片付けられないほど年上なのだ。
玖音の家にも面倒な手合いは何人かいたけれど、このタイプはあまりいなかった。玖音の人間は基本的に他人に興味がなく、こんなふうにして絡んでくるのは稀だからだ。
真面目に相手をしても勝ち目がないのは分かりきっているので、私はただ溜め息を吐くことで、話を終わらせた。
「……覗いていたことは謝ります」
「別に怒ってないし、寧ろ見てもらってよかったと思ってるよ? アルジェと付き合っていくのがどういうことか、少しは分かっただろうしね」
「そうですね……」
吸血鬼といるということは、血を与えなくてはいけないということ。そうしなければ、吸血鬼は消滅してしまうから。
人間ではないものに転生してしまった以上、それは仕方がないことなのだろう。事実、私もアルラウネに転生したことで変わってしまった事が多くある。
前よりもずっと陽の光が心地よかったり、澄んだ水が美味しいのは、その最もたる部分と言える。最近では、熱いお湯には長く浸かれないという弱点も見つけてしまった。
……難しいでしょうね。
アルジェさんは前世の世界で、玖音の家から失敗作の烙印を押され、切り捨てられた存在だ。
能力の高さに反して異常なまでに自己評価が低いのは、前世でのそういった出来事が大きい。元々高くはなかった自己評価を、更に大きく下げることになってしまった。
彼女は自分が『彼』であった頃から、自分はいらないものだと思って生きてきたのだ。
そんなアルジェさんに、他人を頼るなんてことが上手にできるはずもない。
「やっぱり私の方から、少し強引にでも飲ませてあげるほうがいいんでしょうか……?」
「我慢できなさそうなら、そうしてあげた方がいいと思うよ。今日はもう満足しただろうけど……あんまり長く血を飲まないと本当に消えちゃうからね。ボクも友達が消えるのは、見たくないしね」
少しだけ寂しそうな顔をすると、アイリスさんは廊下の奥へと消えていった。
きっと、彼女の言うことに嘘はない。吸血だって、わざと私に見せつけたのだろう。吸血鬼という生き物がどういうもので、私がなにをしなくてはいけないのか、知らせるために。
「……いつか、アルジェさんに吸わせてあげる日が来るのでしょうか」
そっと自分の首を撫でれば、今はもう無いはずの心臓が跳ねたような感覚がした。
「っ……」
かぁ、と頬が熱くなっているのを自覚する。
先ほどのアルジェさんとアイリスさんの吸血は、まるで恋人同士の情事のように激しく、情熱的で、なにより甘かった。
自分がされるところを想像するだけで体温が上がってきてしまうほどに、期待してしまっている自分がいる。
もはや眠れぬ身体の私は、日が昇るまでずっとその恥ずかしさに悶えることになってしまったのだった。




