憎悪は空より来たりて
「っ……!」
王城から外へ出た僕が見た景色は、明らかな蹂躙であり、明確な襲撃だった。
突然に空から降ってきたものは、ダークエルフ領で見たものとはまた別の害意だったのだ。
「棺桶……!?」
青葉さんが言うとおり。それはなんらかの金属でできた、巨大な棺だった。
無数に降り注いだ棺は家屋を破壊し、王城の壁にさえもいくつか突き刺さっている。
そしてその棺の蓋はすでに開いており、中に入っていたものたちは、城下町の住人たちを容赦なく襲っていた。
「まさか……吸血鬼ですか?」
襲撃者たちは僕と同じように、真っ白な肌と、長い耳を持っていた。
城下町の人々を襲い、その首に牙を立てる彼らの口元には、確かに鋭く尖った牙があった。
紅の瞳は僕よりもずっと狂気じみた光を宿し、夜の町にうごめく。数は無数であり、明らかに軍勢と呼べるほどの規模だった。
明らかに危険となる生き物たちが突然に襲ってきたことで、城下町はとんでもない騒ぎになっていた。反撃の用意を整えることすらできず、人々は襲われて、喰われていく。
「っ……」
ぞわりとした悪寒を得たのは、先日のことを思い出したからだ。
魔大陸で、リシェルさんが治めるダークエルフの集落を襲った人たちは、ダークエルフを狩るためにやってきていた。
そしてその前は吸血鬼を相手にしていたというようなことも言っていて、僕のこともはじめは生け捕りにしようとしていた。
今、目の前にいる正気を失った吸血鬼たちと、ダークエルフ狩りにやってきた彼らとの間に、関係がないとは思えない。
なにより、開いた棺に描かれている紋章は、紛れもなく玖音の家紋だったのだ。
「月桂樹の家紋……まさかこんな忌まわしいものを、この世界で見ることになるとは……」
「青葉さん……」
「……私は今、アルラウネの女王として、プレイアデス王国とは友好関係にあります。友好国の危機を見過ごす訳にはいきませんね」
凛とした声を放つ青葉さんは、完全に戦闘態勢に入っていた。
肌に触れてくる魔力は、明らかに彼女が規格外だと理解できるものだ。
やはり青葉さんも転生者として、僕と同じように大きな力を与えられているらしい。
「月桂樹は私も好きですが、その紋は見たくもありませんでした。それを私の前に晒した罪は……手折る程度では済みませんよ……」
月の光に照らし出されて、彼女の身体を彩る花弁が揺れる。
青葉さんはゆったりとした動作で手を伸ばして、それを無造作に振るった。
ちりん、と頭の鈴が奏でられた瞬間、無数のツタが彼女の手首から伸び、吸血鬼たちを捕縛した。
「吸血鬼は種族的に頑丈だと聞きます。殺すというよりは、壊すつもりでいきますよ……!」
全力を宣言して、青葉さんは力を振るった。
捕縛された吸血鬼たちはツタに振り回され、石造りの床へと叩きつけられる。鈍い音が夜空を彩った。
直接的ではあるものの、明確な暴力。それを幾度も繰り返されれば、いくら吸血鬼とはいえ無事では済まないだろう。けれど、吸血鬼には物理的な捕縛が通じない場合もある。
「青葉さん、吸血鬼は霧になれる人たちもいます……!」
「……そのようですね。いくつか『逃した』感覚がありました。それでは、これでどうでしょう。アルジェさんは、少しだけ鼻を塞いでいてください」
青葉さんは淡々とした様子で、次の手を打つ。
しゅうしゅうという音を立てて、青葉さんの花から濃密な香りが立ち上った。言われていたこともあり、僕は急いで鼻をつまんで嗅覚を遮断した。
霧になってツタの拘束を逃れた吸血鬼たちが、急激にその姿を現して、ばたばたと倒れていく。
その様子を見て、青葉さんは満足そうに頷いた。
「鼻がいい種族のようですからね。香りを扱うのは得意ですよ」
「青葉さん、今のって……」
「魔花、という、この世界に咲く花の中でも強力な花の匂いです。種類によって効果は違うのですが、今回は昏倒……ようは嗅いだだけで意識を失うということですね」
「……アルラウネって凄いんですね」
この世界に来て、いくつかの種族と出会ったけれど、植物系の人ははじめてだ。
アルラウネという種族や、花やツタを使って戦闘するというスタイルは、青葉さんに似合っているといえる。たぶん転生するときに、自分で選んだのだろう。転生者には、それが許されている。
神子さんは僕以外に玖音の家からの転生者には心当たりは無いと言ってたけれど、転生を執り行っている神様の遣いは何人かいるというようなことも言っていた。青葉さんはその別管轄からの転生者なのだろう。
「凄いでしょう。褒めてもいいんですよ。むしろ褒めてください。花は愛でてこそなのですよ?」
「ええと……凄い凄い、さすが青葉さん」
「ふふふ……♪」
青葉さんは上機嫌に、自らの身体を彩る花を揺らして微笑んだ。その間も、ツタを操る手は緩めていない。
彼女はかつて僕の前で花を活けているときも、よく褒めて欲しそうにしていたので、嬉しいのだろう。
そうして青葉さんが吸血鬼たちの相手をしているうちに、王国の軍隊の方も統制を取り戻したらしく、各所で戦闘が発生する音がし始めた。やはり国の首都だけあって、軍人さんたちも優秀ということか。
「それにしても……この襲撃は……?」
「帝国からでしょうね。敵対関係にあるところで、今王国に戦を仕掛けられるのは、帝国だけです」
「……つまり、帝国に、玖音の人間がいるってことですよね?」
「残念ながらそういうことになりますね……はあ、私たちの家はどこにいっても……お恥ずかしい限りです」
ぐりぐりとこめかみを押さえ、青葉さんはげんなりとした声を出す。溜め息はお腹の底からで、喧騒にあってなお大きい。
ちょっと意外だ。青葉さんは玖音の家できちんと居場所があった人間なのに、家に対してかなりの嫌悪感を持っているように見える。
「……? どうかしました?」
「いえ。青葉さんが玖音のことを悪く言うのがちょっと意外で」
「さっきも言ったように、あなたのことを無価値だと断じるような世界を作り上げた家ですよ。お世話になった自覚はあり、自分も無価値にされたくないと思って頑張りはしましたが……好きではありません」
「そういうものですか……?」
「ええ。少なくとも花の価値は、見る人によって違います。私はどんな花でも好きですが……玖音という家は、活けるときに飾るに値しない部分であると思っています。そして同時に、あなたのような美しい花を切ってしまうだなんてとんでもない。ナンセンスと言っていいでしょう。つまりあそこは、私とは芸術性が合わないのです」
ちょきちょきと指でハサミを作り、青葉さんはそう語る。
……こんな顔もできるんですね。
玖音にいた頃の彼女はもっと落ち着いていて、冗談を言ってもどこか余裕のある言葉だったのに、今の彼女はあの頃よりも少しだけ子供っぽく、けれど楽しそうだ。
僕との約束が果たされなかったことを残念に思ったと言っているけれど、やはり彼女も玖音の家と相性が悪かったのかもしれない。その辺りが、転生の理由だろうか。
「……随分と騒がしいのであるな?」
「あら、王様」
「まさかこのようなことになるとは思わなんだ。あれは敵対国の……帝国にいる技術者が、己の造った兵器に刻んでいる紋だ」
「ああ、やっぱり……」
玖音の家紋を指差した王様の言葉を聞いて、僕たちは完全に理解した。
ああして棺に紋を刻んでいるのは、力の誇示に他ならない。
つまり、帝国には本当に玖音の家の関係者がいる。いや、正確には元関係者、か。
「強化吸血鬼兵、とでも言うべきですね。意思を剥奪し、能力の底上げをする……」
「細かいことは後で調べれば良い。それよりも、我が国が首都まで攻め入られたことは余の代が初めてである。これは汚点であり……屈辱でもある。一体どこから現れた?」
「スバルさん、ええと……たぶん相手は、空から来ています」
「空……? なにもないように見えるが」
確かに王様の言うとおり、空には夜空があるだけだ。
けれど、僕はもう知っている。おそらくは玖音の転生者が持ち込んだ、この世界の本来のものとは比べ物にならないほどの『技術』。
飛行船とステルス。それは単なる科学だけでなく、この世界にある魔法や魔具などの技術も使って造られているのだろう。
「目に映らないような状態で、こちらに棺を落としてきているはずです」
「私からもそう見えましたよ、王様。お客様の言うことは正解かと」
「……面倒だな。が、しかし……そこにいるならば、撃ち落とすまでのことだ」
スバルさんはそう言い放ち、腰に下げた剣を抜いた。
夜風に晒された刃は藍色であり、星のような刻印がいくつも施されていた。
どちらかと言うと儀礼的なものに見える、美しい剣。それを天へと掲げ、スバルさんは言葉を紡ぐ。
「星を見せてやろう」
王様という肩書きらしい、凛とした響き。
その声は夜空に通り、確かに星を揺らした。
手にした剣の輝きが、増して行くのだ。
「スバルさん、その剣……」
「魔具、『明城の星剣』。アルジェ。余の側から離れるな」
「ひゃ……!?」
唐突に剣を持つのとは逆の手で肩を抱かれ、思わず声が漏れてしまった。
どういうことかと思って相手を見ると、距離の近くなった王様は天を見据えて、
「余の記憶は正確だ。今この領地に、吸血鬼はアルジェのみ。加えて上空にいるものに、我が領民はいない」
「へ、へ? そ、そうなんですか?」
「うむ、密入国者はしらんがな。……故に余は言おう。我が守護の剣は過たずこれらを撃滅するものである! 対象は我が腕の外にいる全ての吸血鬼と、上空全域!!」
剣の輝きが増し、そしてそれに呼応するようにして、上空の星までもが輝き出した。
この感覚には覚えがある。肌を刺してくる魔力は大気そのものが魔法を使おうとしているようにも感じるもので、明らかに凶悪な力が発揮されようとしている証拠に他ならなかった。
魔大陸で目にした、吸血鬼の王であるムツキさんの扱った力。大地そのものという規格外の魔具。今僕が感じているものは、それの発動に近い。
「星の光を収束し、あらゆるものを裁く、絶対王政の剣。我が城と城下町に、何人も狼藉を働くこと許さぬ」
「ふ、伏せたほうが良さそうですね。これは……凄まじい魔力を感じます」
「そうするがいい、アオバ。……星の裁きよ! 降るが良い!! 愚か者どもに、王の威光を知らしめよ!!」
スバルさんは高らかに謳い上げ、剣を振るった。
罪人の首を落とすかのように縦に振られた剣は、石畳にぶち当たって甲高い音を立てる。
そして、確かに裁きは落とされた。
天空から幾つもの光が降り注ぎ、地上にいる吸血鬼たちを貫いていく。貫かれた吸血鬼たちは一瞬にしてその身体を灰にされた。つまりあれはフェルノートさんが扱うものと同じく、聖の属性を宿した光だ。
光は正確に、敵軍だけを貫いた。壁などを破壊することはあるものの、それらは最終的にはすべて敵だけに襲いかかり、王国の人間たちを害さない。
「……凄い」
「範囲は王城から城下町と限定される、防衛兵装だがな。……なるほど、確かにアルジェの言うとおり、空にいたようだな」
スバルさんの声が響いている間も、天からの裁きは一切の容赦をしなかった。
星の光は上空を薙ぎ払い、上空に姿を隠していた巨大な影を砕いた。
破壊されたことでステルス機能も剥がされたのだろう。巨大な鉄塊が、星空を隠すようにしてその姿を現した。
「無粋な姿で星空を汚すこと無く隠れていたことは褒めてつかわそう。しかし空は星のものであり、その星が見える王城は余のものである。すなわちこの夜空は余の所有物であり、そこに居座り、あまつさえ恵みの雨ではなく災禍を降らせた罪は重い。……散れ」
姿を晒したことによって、より狙いが明確になったのだろう。星の光はもはや全方位から船を食い、砕いた。
最後には船体が膨れ上がり、爆発の華が空に咲く。
「破片が危険ですね……それではこうしましょうか」
砕かれて重力に捕まった飛行船の欠片に対して、青葉さんが動いた。
彼女は飛行船の技術を知っている。だからあれに使われているものが恐らくは鉄などの鉱物であり、残骸が地上に落下すれば危険となることも分かっているからこそ、前に出るのだろう。
どこからともなく――恐らくは身体に咲いている花にでも隠していたのだろうけど――青葉さんは、花の種を取り出す。
「咲き乱れなさい」
言葉が紡がれたと同時に、手のひらで転がされた種が一瞬で成長した。
芽吹いた植物は早回しのようにツタを伸ばし、青葉さんの追加の手足となる。
無数のツタは降ってくる破片に対して、望まれた対処を行った。
青葉さんの操るツタが、残骸が地上へと叩きつけられる前にそれらを受け止め、回収していく。
その動作は落ち着いたものであり、戦闘の慣れを感じさせるものだった。
「青葉さん、随分と荒事に慣れているようですが」
「この世界に来て何度か危険な目にもあいましたからね。慣れてみれば、華道と同じですよ。無駄を削ぐだけですから」
「はあ……そうですか」
なんでもないことのように語る青葉さんだけど、正直に言ってそれは異常なことだ。
玖音の家において、僕はいくらかの剣術などを身に着けさせられたけれど、それは僕の才能を計る意味合いが強かった。
記憶にある限り、青葉さんは早くから華道の才を見出されていた。だから華道にのみ時間を注いでいたはずなので、元の戦闘能力は低いはずだ。
その青葉さんがなんでもないことのように戦闘をこなすのは、やはりそれも玖音の家の人間としての高い才覚のひとつということだろうか。
「モノが違う、ということですね……」
転生してようやく飛び抜けた能力を持った僕と違い、青葉さんは元々が玖音の家に認められるほどの才覚だった。
落ちこぼれの僕と優秀な彼女では、チートの年季が違う。敵わないと思うのは、当たり前かもしれない。
そんなことをぼんやりと考えながら、僕は青葉さんの動きを追っていた。




