お湯に沈むのは
「……アオバさん、ですね。よろしくお願いします。アルジェント・ヴァンピールといいます」
いろいろと思うことはあっても、表情には出さなかった。それは僕の得意分野だ。眉ひとつ動かさず、いつも通りの眠そうな声で、僕は挨拶を済ませることにする。
牢屋で生活する間の暇つぶしに身に付けた地味な特技が、こんな風に役に立つ日がくるとは思わなかった。
「…………」
「……ええと」
僕の演技はいつも通りに完璧だった。そう思う。
自分でもたしかに、表情は動いていなかったのだ。特技と言うくらいなのだから、そこは自信がある。
だというのに、何故僕は今、こんなにも彼女に見つめられているのだろう。
……青葉さん、ですよね。
外見は大きく変わっているというか、そもそも肌や目の色が凄いことになっているけれど、眼の前にいる相手が僕が転生する前の知り合いである、玖音 青葉さんであることは間違いないと思う。
髪の色はそのままだし、トレードマークの鈴もつけていて、彼女が好んでいた派手な和服のように、彼女の身体は無数の花で彩られているし、なにより雰囲気が同じだ。
元々どこか妖しげな魅力を漂わせていた彼女は、アルラウネという種族になったためか、前以上に妖艶な雰囲気とどこか甘い匂いを振りまいて、僕を見つめてくる。
玖音の家の人間は、なにかに異常なほど抜きん出ている。そして青葉さんは、華道という方向性に飛び抜けていた。
いつだって彼女は華とともにあった。その彼女がアルラウネという植物系の種族に転生するのはそう不思議なことではないように思う。むしろ、青葉さんらしいとすら感じる。
ただ、どうして彼女が転生したのかが分からない。
ロリジジイあらため神子さんによると、転生はその世界に魂が合っていなかった人の死後に与えられる、お詫びのようなものらしい。
彼女は僕と違って、玖音の家で認められていた。それでもなお、あの世界と魂が合っていなかったというのだろうか。
「……まるで、蕾のような人ですね」
「あ……」
いつか言われたのと同じ言葉を投げかけられて、どきりとした。
彼女の身体を飾るようにして咲いている華のせいなのか、いつの間にかお風呂の中には甘い匂いが充満している。
嗅覚に触れる香りにくらくらとしながらも、僕は自然と一歩を引いていた。
「……話の腰が折れたな。余は上がる。アルジェ、のんびりとしていけ。今の話はまた、ゆるりとしよう」
「……諦めたわけではないんですね」
「余も本気だからな。しかし、性急だったことは謝罪しよう。アオバ、アルジェは他国からの親善大使の身だ。扱いは丁重に頼む」
「はい、王様。では、花を扱うように丁寧に……いたしましょう」
うやうやしくお辞儀をするアオバさんに手を振って、スバルさんは出ていってしまう。
あとに残された僕たちはどちらともなく顔を見合わせて――
「お久しぶりですね、銀士さん」
――バレるの早すぎません?
「…………」
「あら、銀士さん? 銀士さんってば。ぎーんーじーさーん?」
「……青葉さん、お久しぶりです」
「あ、ほら、やっぱり銀士さんでしたね」
「そうなんですけどね……ええと、今はアルジェと名乗っているので、できればそう呼んでもらえるとありがたいんですが」
銀士という名前は確かに僕の名前ではあるのだけど、転生した今はアルジェント・ヴァンピールと名乗っている。
なにより、今の肉体は一応女性なので、男の名前で呼ばれるとそれはそれで微妙な感じだ。
アオバさんはこちらの反応というか、自分の予想が当たったことに気を良くしたのか、上機嫌に目を細めて頷いた。
「ふふ、分かりました、アルジェさん。随分と可愛くなられましたね……」
「う……これはその、外見は僕が設定したわけではないので、あまり気にしないで貰えると……」
「……相変わらず、花咲く前の蕾のような人です」
よく分からない評価だと思うけど、転生する前にも同じことを言われていたので、彼女の中ではそういう評価で良いのだろう。
青葉さんはころころと鈴を転がすように笑い、僕の隣に腰掛けてきた。
王様が座っていたのとは逆位置に座った彼女は、笑みを崩さずに僕の肩に身を寄せてくる。
「どんな形であれ、こうしてまた、隣に座れる日が来たことは、私にとって価値が有ることです。雪解けのあと、春を待ち望んだ草木が芽吹くような喜びですね」
「……そう、なんですか?」
「ええ。覚えていますか? あなたがまだ、玖音の地下室へと連れて行かれる前は、こうして隣に並んだこともあったことを」
「……そんなこともありましたね」
僕たちの前世である玖音の家は、役に立たないものを認めない。
家に必要ないと判断されれば、その人は死んだものとされ、幽閉されてしまう。
そして僕は、その役立たずの烙印を押されて、死人にされた人間だ。
青葉さんはその後も何度も僕に会いに来てくれた。そしてその前からも、たびたび僕に話しかけてきてくれていた。
「……懐かしいですね」
自然とそんな言葉が漏れることを、僕は嫌だとは思わなかった。
不思議だ。玖音の家紋を見たときは、ひどく動揺したのに。
今、隣りにいる彼女だって、玖音の関係者であることは同じなのに、こうして近くにあって、随分と安心するような気持ちになる。
「……蕾のままではありますが、前よりも柔らかくなりましたね」
「そうですか……?」
「ええ。昔よりもずっと自然体でいるようでなによりです。あの世界で、『ここではないどこかなら咲く』と思った私の気持ちは、間違いではなかったようですね」
「確かに、僕はあの世界には魂が合ってなかったらしいですからね。だけどそれなら、青葉さんはどうして転生を……?」
「簡単なことです。私も、あの世界の土と水が合わなかった。それだけの話ですよ」
「……少なくとも、僕にはそんなふうに見えなかったんですが」
転生をする条件は、魂が世界と合っていないこと。
青葉さんはあの世界で、華道という分野において誰も寄せ付けないほどの実績を収め、玖音の家の人間として認められていた。
その彼女の魂が世界と適合していなかったというのは、少しばかり違和感がある。
僕の言葉に青葉さんは少しだけ、考えるような仕草をした。
ちりんと鈴が転がったような音が浴室に響き、湯気に吸い込まれていく。
湿った静寂の中に消えた音を追うようにして、返答が来た。
「……だって、仕方がないではないですか」
ぷう、と頬を膨らます様子は、いつも着ていた派手な着物にも負けず劣らずに豪奢な見た目にはそぐわない、まるで拗ねた少女のようだった。
「大切な約束をした相手がいなくなってしまう世界なんて……いつか花開くところがみたいと願った蕾が、手折られてしまう世界なんて……私にとって、なんの価値もないのですから」
「え……」
「だから私はあの世界と別れたんです。自らの生命すら、無価値ですからね」
言葉通りだとするなら、青葉さんは僕が死んでしまったことで、自らの生命を絶ってしまったということだろうか。
あの日、座敷牢で交わした約束が果たされなかったなんて、そんな理由で。
桜を見に行こうという、小さな約束で。
「……そんなふうに、浮かない顔をしないでくださいな。今はどちらかが死者というわけではなく、どちらも死者であり、生者なのですから」
「でも……そんなちっぽけなことで……」
「……相変わらず、まるで蕾のように鈍い人です」
「ふえ……きゃ!?」
相手がますますふくれっ面になったと思った瞬間に、足を引っ張られてすっ転んだ。
溺れはしなかったけれど、尻もちをつくような格好になってしまう。違和感のあった足の方を見てみると、そこには緑色のうねうねしたものが巻き付いていた。
「つ、ツタ……?」
「今の私はアルラウネです。これくらいの芸は簡単ですよ。花を活けるように、造作もありません」
「あ、青葉さん……?」
体勢を崩した僕にのしかかるようにして、彼女が身を寄せてきた。
こちらを見下ろす彼女の瞳は、燃えるような紅色。
緑色の頬を朱色に染めて、青葉さんはこちらに言葉を落としてくる。
「どうやらあなたは真剣に言わないと分からないようなので、言っておきます。私はずっと前から……あの世界にいた頃から……あなたのことが……こと、が……」
「……?」
「……きゅう~」
「ひゃあ!?」
ざばん、と水しぶきを撒き散らして、青葉さんが倒れ込んだ。
反射的に抱きとめた身体は熱く、明らかに湯あたりを起こしていると分かる。
「もしかして、アルラウネだから……?」
アルラウネとはつまり、植物系の種族だ。高い熱に弱かったとしても不思議はない。
じゃあなんでお風呂に入ってきたんだろうと思うけれど、彼女は元々は人間なのだ。前世のときのようなつもりで入ってきて、自爆してしまったのだろう。
なにを言いかけたのかは気になるけれど、さすがにそれを気にしている場合ではない。ここで回復魔法をかけたとしても、場所が同じならまたすぐにのぼせてしまう。
取り急ぎ彼女を抱き上げて、僕はお風呂から出ていくことにした。
腕の中の青葉さんは軽く、まるで一輪の花のようだった。




