極めて近く、限りなく遠い場所で
「……う?」
まず驚いたのは、再び目が開いたことだった。
「僕は……リシェルさんの領地で……爆弾を抱えて……」
ゆっくりと思い出してみれば、記憶が段々とはっきりとしてくる。
頭を振るって銀色の髪を揺らしながら身を起こせば、どうやら僕はベッドで眠っていたらしい。
周囲を見渡してみると、そこには見覚えのある景色があった。
「ここは……真っ白な……」
「やっと起きたか、このバカタレ」
聞こえてきたのは、聞き覚えのある、とても懐かしい声。
そう。忘れるはずがない。今日はそんなものにばかり触れている気がする。
テリアちゃんによく似た三人組に出会って、元いた世界に近い技術を目の当たりにして、玖音の家紋を見上げて。
これ以上の驚きはないだろうと、そう思っていたのだけど、どうやらその予想は軽く裏切られてしまったらしい。
「……ロリジジイさん」
懐かしい名前を呼んで、振り返ってみると、そこには確かに声の主がいた。しかも今度は、確かな実体を伴って。
「その呼び方は、相変わらず不服のままなんじゃが……まあよい。起きたのなら、なによりじゃて」
呆れたような声を出すロリジジイさんは、声の割には上機嫌だ。黄色の瞳は淡く細められ、どこか嬉しそうにも見える。
服装は和服に近いけれど、腰から下はかなり短いスカートでほっそりとした太ももを惜しげもなく晒していた。
結わえられた黒髪はかなり長く、ゆらゆらと揺れている。眉の形は特徴的だけれど、アクセントのように愛らしい。
転生したときは声だけだったのに、今度はどういうわけか実体をもって、ロリジジイさんはそこにいた。
「ロリジジイさん……本当にロリだったんですね」
「うっさい。これは生前、私が一番動きやすかった頃の姿を取っておるだけぞ! あと五年もすれば、もう少し大きくなったわい!」
「もう少しってどれくらいですか?」
「……三センチ、くらいかの……」
大して変わらなかった。
つまりロリジジイさんは、本当にロリジジイさんだったらしい。
「ところでロリジジイさん。僕はまた、死んだんですか?」
この状況を見て、まず考えつくのはそこだ。
僕が彼女と出会ったのは、この真っ白な部屋、通称転生ルーム。
ここは死んだ人間が転生する際に手続きをするための部屋だと、確かロリジジイさんから聞いた。
ロリジジイさんの仕事は転生の手続き。つまりもう一度こうして彼女と会えたということは、僕はまたどこかに転生しなくてはいけないのだろうか。
或いは、転生した人間が死んだらもう一度ここへ訪れて、なんらかの代価を支払うとかだろうか。
どれくらいの規模なのかはわからないけど、爆発の中心地点にいたとしたら、死んでいてもおかしくない。
「阿呆。自分の足を見てみい」
「へ?」
彼女の言葉に従って、自分の足元を見るべく、掛けシーツをめくる。
シーツの影に隠れていた部分。本来ならばそこにあるべきものは、いつもの姿とは大きく異なっていた。
真っ白で滑らかな、吸血鬼の足。アルジェント・ヴァンピールとして転生し、付き合いの長くなってきた足は今、うっすらと透けていた。
触れてみれば確かにくすぐったい感触があり、動かそうとおもえば動かせる。
だけど、視界に映る僕の足は確かに、向こう側が透けて見えてしまっていた。どう見ても半透明だった。
「うわ、なんですかこれ」
「ここは神の住まう世界と、それ以外の世界の狭間。もともと神々の許可なくして、存在することがまかりならぬところじゃ」
「ええと、つまりどういうことなんです?」
「私の権限で神々(じょうし)に掛け合って繋ぎ止めてはおるが、長いことここにおると消滅するということじゃ」
なるほど。どうやら、せっかくのベッドだけどのんびりお昼寝というわけにはいかなそうだ。
それはロリジジイさんも分かってるらしく、僕の側に腰掛けると、真剣な顔で言葉を投げかけてくる。
「よいか。お前はいきなり、ここに落ちてきた。向こうの世界でなにがあったか、話してもらうぞ」
「……分かりました」
促されたことに素直に頷いて、僕は転生先の世界であったことを彼女に語ることにする。
まずはダークエルフの領地が襲撃され、そこで僕の前世の家紋を掲げた飛行船を見たこと。
そして、飛行船から投下された爆弾を、少しでも遠くへと運んで、そこで光りに包まれて意識を失ったのだということ。
時間がないのは理解つつも、お互いに理解を得るために、しっかりと話した。
一通りの話が終わったところで、ロリジジイさんは大きく頷いて、
「……なるほどのう」
「ロリジジイさん、なにか知りませんか?」
「……玖音の家から出した転生者は、少なくとも私の管轄からはお主だけじゃ」
「え……?」
「だが、私以外にも転生担当の巫女はおる。そやつらが誰かを転生させたということはあるじゃろうて」
「そうですか……」
だったら、ロリジジイさんが知らなくても無理はないか。
この状況について少しでも手がかりが得られるかと思ったけど、期待通りとはいかなさそうだ。
「……調べることくらいはできるが、私情でデータベースの内容を教えるのは禁止されていてのう」
「やっぱりそういうのって、お役所仕事っぽくなってるんですね……」
「お役所言うな。……だがしかし。お主が今回ここに来たことは、神々から見ても非常にイレギュラーなことでの」
「そうなんですか?」
「うむ。故にその事情を聞くという特例として、お主がこの世界から分解されるのを遅らせておるくらいだからな」
分解という言葉についてはゾッとしないものがあるけれど、どうもこの状況は、転生なんてことを運営している神様たちの方でも予定外のことらしい。
僕の方はなにもしていないので、恐らくはあの爆弾になにか特別な仕込みがなされていたのかもしれない。
あの爆弾の表面には、明らかに異質な呪いの気配があった。つまり単純な科学から生まれた兵器ではなく、なんらかの魔法的な力も持っていたということだ。
単純な爆発ではなく、別の世界へと吹き飛ばす様な呪いが込められていても、不思議ではないかもしれない。
「……あ、じゃあこれ、お話が終われば元の世界に返してもらえるんですか?」
「当たり前じゃろう。本人も私も、まして神すらも意図してないことなのじゃからな。もう充分話も聞いたし、そろそろ返してやるともさ」
ロリジジイさんはそう言うと人差し指を立てて、指揮棒のように振るった。
ぽん、と軽い音が響いて、僕が今まで身を預けていたベッドが消失する。
「ひゃっ……と」
ほんの一瞬驚いたものの、落下は驚く程に緩やか。
スカートの端がふわりと舞いつつも、僕は危なげなく両足で着地した。どうやら半透明の足でも、地に足をつけることはできるらしい。
ロリジジイさんはそんな僕を、頭からつま先までじっくりと眺めて、どこか満足そうに頷いて、
「随分とその身体に慣れたようじゃの」
「ええ。転生してそこそこ時間も経ってきたので」
転生したばかりのころはいつもより低い目線や、女性になったことで主に股間のあたりが心もとない感じだったのだけど、最近はすっかり慣れてしまった。
周りからもアルジェント・ヴァンピールと呼ばれることが、自然だと思えるようになってきた。
それは玖音 銀士としての自分のことを忘れたという意味ではないけれど、悪いことではないように思う。
きっと、ロリジジイさんもそれは同じなのだろう。向けられる視線はどこかあたたかくて、掛けられる言葉も、いつか転生するときに聞いたような優しい響きだった。
「少しは転生して、良かったと思ったか?」
「魂が合うとか合わないとかは未だによく分かりませんが、思い出深いことは結構ありましたよ」
転生して良かったと言っていいのかは、正直なところ分からない。
ただ、転生してからの僕は、時折眠る暇がないくらいにはイベントには事欠かない。
二十年近く生きてきた玖音 銀士という人間として思い出せることよりも、ほんの数ヶ月を生きたアルジェント・ヴァンピールという吸血鬼として思い出せることの方が数が多くて、鮮明なくらいだ。
玖音 銀士として思い出せることで鮮明なのは、時々夢として見ている出来事くらいだろう。
「そうか。それなら、まだ私も仕事をした甲斐があったというもんじゃ」
僕の言葉に満足げに頷いて、ロリジジイさんはこちらに触れた。
触れる手は冷たくて、熱がこもっていない。まるで吸血鬼か、死人のようだ。
「ロリジジイさんの手、冷たいんですね」
「んお? ああ、確かにそうかもしれんのう。体温までは設定しておらんからな……」
設定という言葉を聞く限り、この世界ではある程度、ロリジジイさんのステータスは自由自在なのだろう。さっきも「生前一番動きやすかった姿を取っている」とか言っていたし。
見たところ家具とかも自由自在に出し入れできるようなので、もしかするとこの世界はかなり快適なのかもしれない。
「ロリジジイさん、ちょっと僕のことを元の世界に帰す前にすごいフカフカのベッド出してもらってもいいですか? あとできればあと二度くらい温度下げてもらえると助かるんですけど……」
「お前それ分解されるギリギリまで昼寝する気じゃろ!? 止めんかこの大バカモノ!!」
残念ながら物凄く怒られてしまった。久しぶりに高級ベッドで寝られると思ったのだけど。
「まったく、そういうところは変わらんのう」
「すいません。性分なもので」
「……まあ、良かろ。最後にひとつ、教えておく」
「あ、はい。なんですか?」
「……天橋 神子。それが私の名前じゃ。いつまでも、ロリジジイと呼ぶでない」
「……神子さん、ですね」
「うむ。もうこの世界でも、私の世界でも意味の無くなった名前じゃが……それでも、ロリジジイよりはマシだからの」
どこか不機嫌そうに、けれど嫌な雰囲気ではない声色で、ロリジジイさん、いや、神子さんは自分の名前を教えてくれた。
たった二度目の邂逅なのに、ひどく長く付き合ってきたような気がする。そんな彼女の名前を知れたことが、なんとなく嬉しいような気持ちになる。
渡された名前を噛み締めているうちに、少しずつ、気が遠くなってきた。どうやら、そろそろ時間ということらしい。
「神子さん、僕は……」
「己が思うところを成せ。そのための転生。そのために与えられた力じゃろう。お主が望むなにかを見つけたというのなら、それを行えばよい」
「……そう、ですね」
言われることは、最初に転生するときに聞いたのと同じような言葉。
懐かしいことを思い出すと同時に、僕の身体が光に包まれる。
「……相変わらず、「ええこと言った」みたいな雰囲気が好きな人ですね」
「だから聞こえておるというておるだろうが」
いつかのように、頭をぽこんと叩かれる。
そのことに心の何処かで安堵しながら、僕は自分の意識が溶けることを受け入れた。




