空に銀色、堕つるとき
「……どういうこと、ですか……」
高度を上げて遠ざかっていく飛行船を見上げながら、何度目になるのかも分からない疑問を、僕は呟いた。
疑問に答えをくれる人がいないと分かっていても、それでも口にしなければいられなかった。
……あれは、玖音の家紋です。
月桂樹をモチーフとした、玖音の紋章。
あれを僕が見間違えるはずはない。だって僕はあの家で、産まれたときから暮らしてきたのだから。
あそこに産まれ、不適格だと捨てられて死に、死んだ先で夢のように眠って消えた。
アルジェント・ヴァンピールではない。玖音 銀士の僕が、あの紋章を知らないはずがないのだ。
「アルジェさん、あれのことを知っているのですか?」
「……いえ、分かりません」
分からない。それは嘘ではない。
あれのことを僕は知っている。あの家紋は僕以外の転生者の仕業で、あの三人も、恐らくはテリアちゃんたちも、その中に組み込まれていることも予想できている。
けれど、詳細は分からない。あれがこの世界のどこから来たのかも、玖音の誰が転生したのかも、分からない。
知っていると答えたところで、イザベラさんが納得して、満足してくれるような情報を持っていないのだ。だから僕は、分からないと答えるしかなかった。
なによりも今、僕の胸中にはひどく不安がある。シバさんが去り際に残していった言葉が、頭から離れない。
もうなにも気にしなくてもよくなる。その言葉はまるで、僕が二度とあの家紋に関わることがなくなるという意味に取れる。
そしてそれは、あの飛行船がこのまま高度を上げて空の向こうに消えるという意味ではないだろう。
「アルジェ様……!」
「……っ! リシェルさん!?」
ひどく慌てた様子で、リシェルさんがこちらへと走ってくる。
彼女の衣服は乱れていて、あちこちがぼろぼろだ。やはり、戦っていたのだろう。
そしてリシェルさんに続くようにして、クズハちゃんとフェルノートさんもこちらへとやってくる。
「みんな、無事だったんですね」
「なんとかね……ゼノがムツキさんの領地から人手を連れてきてくれて、消火活動も順調よ」
「……でも、ダークエルフの皆さんが、たくさん連れ去られましたわ……」
クズハちゃんが小さな拳を握りしめて、悔しそうに言葉を落とす。
善戦したといっても、突然の襲撃だったし、襲撃してきたものたちは統制が取れていたのだろう。僕たちが戦った三人もそうだったように。
「……あの鉄の塊を射抜けば……」
「待ってくださいリシェルさん、あれを落とすのは危険です」
「くっ……!」
一瞬だけ剣呑な気配をまとったリシェルさんを言葉で制す。
彼女もそれは分かっているのだろう。あれだけの質量がある物体を領地に落とすのがどういうことか。なによりそうなった場合、連れ去られてしまった人たちは結局助からないことになる。
きっとリシェルさんにとって、これはとても不愉快なことだろう。
そもそも彼女は、自分の領民がさらわれるくらいならと、自分の身を差し出してしまうような人なのだ。
領民を守れなかったという事実が、どれほど悔しいか。僕には想像することすらできない。
「だいたい、なんなのあれは……あんなもの、今まで見たこともなければ、聞いたこともないわよ……鉄は重いものなのに、あんな風に飛ぶなんて……っ!?」
「フェルノートさん、どうしたんですの!?」
「なにか、動いてる……!?」
「えっ……!?」
フェルノートさんが指し示す先。遙か上空と言えるほどに距離が離れた飛行船の下部が、口を開けるようにして開いていた。
そして、暗闇の奥から這い出るようにして、なにかが落とされてきた。
「っ……ごめんなさい、みんな!」
「アルジェさん……!?」
落とされてくるものを見た瞬間、僕は動いていた。
背中から蝙蝠の翼を生やし、飛翔する。蝙蝠化の技能を応用した、荒業とも言える方法だ。
前々からできるだろうとは思っていたことを無意識で行って、僕は一気に上空へと舞い上がる。身体にまとわりつく邪魔っけな大気を振り払うようにして、加速する。
「っ……やっぱり……!」
高度を上げていく飛行船に追いすがるようにして飛翔した先。
落とされてきたものは、予想通りのもの。
陽光を反射する黒色は、自然の多いこの世界の空でいっそ毒々しいほどに異常で、異形といってもいいほどの存在だった。
……爆弾!!
それは間違いなく、地面に触れた瞬間に、凶悪な威力を発揮するもの。
魔法が発達しているこの世界には存在し得ない、技術による大規模破壊のための兵器。
おまけに近くに来てみれば、嫌な気配を肌に感じる。
この世界に来て、何度か感じたことのある、呪いの気配。
「……ブラッドボックスに入れたり、下手に解呪を試みるのも危険かもしれないですね」
これがなんらかの呪いだとしたら、血液の中に溶かし込む技能であるブラッドボックスに収納してしまうのは危ないかもしれない。呪い耐性が高いと言っても、無敵ではないことは今までで実証済みなのだから。
かといって解呪するのも、エルシィさんが使っていたように、解呪されることを条件として別の呪いが発動するという仕込みが行われている可能性もある。
見たところ、呪いはかなり複雑そうで、嫌な気配はまるで爆弾の表面に蜘蛛の巣でも作るかのように張り巡らされている。
「っ……!」
このままこれが地上へ落ちることは見過ごせない。どれくらいの規模の爆発を起こすのかは分からないけれど、僕の身体で一抱えほどある爆弾だ。相当な威力があるはず。
このまま落ちてしまったら、地上にいるみんなが危ないのは明白だ。放っておくことはできない。
そうして考えているうちにも、落とされた爆弾は重力に引っ張られて、地面へとまっしぐらに落ちていく。
考えている暇が無いと判断して、僕は覚悟を決めた。
「ええいっ……!!」
はっきり言って決めたくもない覚悟だ。僕だって死にたくない。痛いのは嫌だし、面倒くさいのも嫌だ。
でも、不思議なことに逃げたいとは思わない。クズハちゃんたちを見捨てるなんてことは、できない。
一抱えほどと評した爆弾は、確かに抱えてみればいっぱいいっぱいだった。
恐らくは落下の衝撃で起爆するものだけど、それはつまり、落下している間の空気抵抗による振動などでは爆発しないということだ。それならば、触れたくらいでは爆発はしない。
「こ……のおおおおおお!!」
自分でも驚くほどに必死になっていることを自覚しながら、僕は爆弾を抱えて加速した。
蝙蝠の羽根を全力で広げ、少しでもダークエルフの領地から離れようとする。
……これは、僕が持ってきてしまった因縁です。
シバさんの口ぶりからして、これは僕の存在を消すために投下されたもの。
玖音の家の転生者が、同じような存在を警戒して、そう指示を出していたのだろう。
つまり僕がいなければ、ダークエルフの領地に爆弾が落とされるなんてことはなかった。人は連れ去られただろうけど、きっとそこで終わっていた。
そうならずに、こんなものが使われる羽目になったのは僕のせいだ。
だからこれは、僕がなんとかしなくてはいけない。
あれだけお世話になったリシェルさんの領地に、旅の道連れとなってくれた人たちに、害が及ばないようにしなくてはいけない。
だって、今僕が抱えているこれはこの世界の問題じゃない。
玖音という、他所の世界から来た者たちが持ち込んだ厄介事に、巻き込みたくない。
考えている間にも景色はどんどん流れて、目に映る物は大陸から海へと変わった。
ここまでくれば、きっとみんなに影響は及ばないだろう。
もはや抱えるというよりは抱きしめるようにしている爆弾の内部からは、時計が時間を刻むかのような音がする。恐らくは衝撃だけでなく、時間でも爆発するのだろう。
「……ごめんなさい、か」
飛び立つときに、みんなに謝罪の言葉を口にしたことを思い出す。
自然と口をついてでたあの言葉。あれはなにに対してだったのだろうか。
そんなことを思った瞬間に、視界が白の光で染まった。
音はなく、景色もない。ただゆるく、風を感じる。
それが爆発のタイムリミットであるという自覚をした瞬間、僕の意識は遠ざかっていった。




