人生設計の落とし穴
「アルジェさん、行きますわよー」
「ええ。お願いします、ブシハちゃん」
お互いに確認をとってから、作業をはじめる。
ブシハちゃんが木に登り、果物を採取。それを地上にいる僕へと落として、僕の方はブラッドボックスにそれを収納するという作業だ。
「はあ、めんどくさい……寝たい……めんどくさい……」
「これが終われば今日のお仕事は終わりですの。頑張りましょう、アルジェさん」
「そうですね……はぁぁ……」
隣のクズハちゃんに励まされつつ、僕は自分の役目をこなしていく。
今日の僕はクズハちゃんと共に領地の外に出て、食材の収集を手伝っていた。
領地の方でも果物や作物といったものをいくらか育ててはいるのだけど、それとは別で、人の手では育てづらいものを調達するための遠出だ。
もちろんぐうたらな僕にとっては苦痛極まりないのだけど、フェルノートさんに怒られるのも望むところでは無いので仕方がない。
……仕事自体は簡単ですしね。
分身が使えるクズハちゃんとふたりなので、作業自体は簡単だ。というより、ほとんど僕は荷物持ちでしかない。ブシハちゃんたちが採ってきたものを、ブラッドボックスに収納しているだけ。
本体であるクズハちゃんもブシハちゃんに仕事を任せて、のんびりとしている感じなので、今日のお仕事はかなり緩めらしい。
時折動物や魔物は見掛けるけれど、基本的には相手から逃げていくし、逃げないものはクズハちゃんたちが軽く追い払ってしまうので、害はない。
そんな感じで総合的に見れば楽な仕事なのだけど、熱帯じみたこの森を歩くのがとにかく面倒くさい。
領地の方はかなり整備されているけれど、一度領地の外に出てしまうと、高い気温と湿度が服を張り付かせる。
喉が乾くようなじりじりとした暑さでは無いけれど、独特の不快感を伴う暑さが元々カケラもないやる気を更に奪っていく。
整備されていない地面を歩くのも面倒だし、心底早く帰りたい。そして三十時間眠りたい。
「暑いですわね……」
クズハちゃんもこの暑さは苦手らしい。そういえば来たときも、耳や尻尾が張り付いて鬱陶しいって言っていたので、気候的にはクズハちゃんとこの土地はあまり合わないのかも知れない。
今も巫女っぽい、見慣れた普段着のスカートをパタパタと揺らして、少しでも湿度から逃れようとしているらしい。
へちゃりと垂れた耳を可愛らしいと思いながら、僕は言葉を作る。
「終わったら温泉にでも入って、ゆっくりしましょう」
「そうですわね。一仕事終えたあとのお風呂は、きっと気持ちが良いはずですわ!」
多少なりとやる気が出たのか、クズハちゃんはブシハちゃんたちにテキパキと指示を飛ばしていく。
ブシハちゃんは思考や身体能力、使える技能に至るまで本体と同一というチート極まりない分身なので、クズハちゃんの与えた仕事を次々に片付けていく。
先日、シリル大金庫で更に分身を出せる数が増えたこともあって作業はかなり捗り、ブラッドボックスの中にいくつもの食材が入れられることとなった。
「そろそろお昼ですわね。休憩にいたしましょう」
「そうですね。ちょうどたくさん採れたので、それをお昼ご飯にしましょうか」
獣ゆえか、クズハちゃんの体内時計は結構正確だ。なにより休憩があるのは大歓迎なので、僕は彼女の提案に素直に頷く。
少しでも暑さから逃れるために手近な木陰に入り、地面から露出した木の根っこをベンチ代わりにして、並んで腰掛ける。
道中で取れた食材のうち、生で食べられる果物類をかじりながら、僕たちは暫く雑談をすることになった。
「クズハちゃんの分身って便利ですよねえ」
「ええ、分身は狐系の獣人なら一般的な技能なのですが、私の分身は母様直伝ですの。自分と同等の能力を持った分身を作れる獣人は、そうはいませんわよ」
やっぱりそこまでのレベルの分身を作成するのはかなりの規格外らしい。
無い胸を誇らしげに張るクズハちゃんを見て、僕はそんなことを考えた。
「分身って、やっぱり獣人でないとできないものなんですか?」
「いえ、一応いろいろな方法で作ることはできますわ。陰陽術、といって、紙を依代……私の分身で言う切り離した尻尾の代わりとして、魔力を込めたりとか。これは分身というより、式神という技になりますが」
「……吸血鬼って分身できませんかね?」
「アルジェさん、今ものすごく楽をしようとしてますわね……?」
その通りすぎるので否定ができなかった。だってその分身技能、使えたらすごい便利だし。
クズハちゃんの分身を見ていると、もうそれだけで吸血鬼ではなく獣人になるべきだったかと思うくらいだ。ロリジジイさんもうちょっと説明してくださいよ。
「吸血鬼が分身を使う、というのはあまり聞いたことはありませんわね……血の契約でなにかを使役する、ということなら、よくあることのようですけれど」
「そうですか……」
「ものすごく残念そうな顔をしますわね……!?」
「いえ、割と本気でできたらいいなと思っていたので……ほら、どうしても眠すぎて動きたくないときとか、毎日ありますし」
「ああ……」
もの凄く納得したような声を出しつつも、クズハちゃんはなぜか半目だ。なにかおかしなことを言っただろうか。
「こ、こほん……いいじゃありませんの。分身技能が使えなくても。人手が必要な場面は、私がやりますわ」
「それはありがたいんですけどね」
毎回クズハちゃんにたくさん動いてもらうのもなんだか申し訳ないし、それではクズハちゃんがいないときに楽ができない。
ここまでの旅路で、一度生み出されたブシハちゃんは本体に与えられた魔力が尽きるまで、本体が眠っていても稼働することは確認済み。正直かなり羨ましい。どうにかして使えるようにならないものだろうか。
「あの、アルジェさん。ひとつ良いですの?」
「あ、はい。なんでしょうか」
悩んでいるところに声をかけられたので、一度思考を中断する。
クズハちゃんは少しだけためらうような雰囲気をしたけれど、それは一瞬。いいですの、と前置きをして、言葉を投げてきた。
「アルジェさん。こういう分身は基本的に、自分で動かすか、自動で動くようにするかになります」
「ええ、はい。クズハちゃんの分身はかなり精密なので勝手に動きますが、そうではないものもある、ということですよね?」
「そういうことですの。そして自動で動く分身は、基本的に作成者以上の知能や、思考を持つことはありませんのよ」
「まあ、そうでしょうね」
技能で造り出される分身はあくまで分身――言ってしまえば、使い手の写し身だ。
鏡の中に映ったものが、本物と同一の見た目になることはあっても、本物以上の美しさを持つことはない。クズハちゃんが言いたいのはそういうことだろう。
「それがどうかしましたか?」
「ええと、ですから……そのう……」
「……?」
「アルジェさんの分身はアルジェさんと同じ思考ですから、アルジェさんと同じように面倒くさがりの可能性が高いですわよ……?」
「……あ」
「やっぱり考えてませんでしたのね……」
「確かに僕の分身は僕に似るわけですから、僕と同じで面倒くさがりでなんの役にも立たない、見ているだけで呆れの溜め息が出るようなダメ分身になりますね」
「そこまで言ってませんわ……!?」
クズハちゃんに言われてようやく気が付いた。
分身が僕と同じ思考を持っているなら、僕と同じようなダメ人間、というよりダメ吸血鬼が量産されてしまう。もちろん役には立たない。むしろ全員でその場で寝転んでお昼寝をはじめてしまうだろう。
「……残念ですが、分身で楽をするというのは諦めたほうがよさそうですね」
「ええ、私もそれがいいと思いますわ……」
最終的に養ってくれる人が見つからなければそういう手段もありかと思っていたので、それが使えなくなったのは残念だけど、仕方がない。
やっぱり僕には養ってくれる人が必要だ。はあ、誰でも良いから養ってくれないかな。
「……あ、そろそろ休憩をはじめて暫くなりますわね。もう少し食材を集めたら、領地に戻りましょう」
「そうですね、夕方までには戻りたいですし……ん……?」
クズハちゃんに促されて立ち上がったところで、嗅覚に不愉快なものが触れた。
鼻の奥がつんとするような、思わず顔をしかめてしまうような臭い。
それはありえないというよりは、ありえてはいけない臭いだった。
この臭いを僕は知っている。けれど、それがここにあるのはありえない。そう思う。
「……アルジェさん、変な臭いがしませんの?」
「そう、ですね。なんだか、鉄の――」
――臭いがします。そう言葉を紡ごうとした瞬間に、衝撃が響いた。
それは地面を強く叩くようなもので、一度ではなく連続だった。
足裏に感じる響きは明らかに自然におきたものではないと分かるもので、不吉な予感がする。
なによりも、その衝撃のあとに漂ってきた臭いが問題だった。
「クズハちゃん、これは……」
「……ええ。これは、火の臭いですわ」
草木が焼かれ、灰が散るときの、独特の香り。
もはやどちらかに促されるまでもなく、僕たちは駆け出していた。




