ダークエルフの住まう地へ
鬼族の侵略から一夜明け、僕たちは改めてダークエルフの領地へと出発していた。
道中の護衛兼案内役としてイザベラさんが同行してくれて、日中の早いうちに移動することができた。
「ここから先に行けばダークエルフの領地となります。あとはリシェリオールさんが案内できるでしょう」
イザベラさんが指し示すのは、森の入り口。
森と言っても王国にあったようなものではなく、どちらかというと熱帯雨林に近い。
見えている植物は葉が大きく、ツルやツタのように細長く巻き付くタイプも数多く見受けられる。
湿度もかなり高いので、手前に行る今の時点で既に蒸し暑い。
「ありがとうございました、イザベラさん」
「いえ。ムツキくんの命令ですから。魔大陸から出ていく際には、また私たちの国にお越しください。安全に出航ができるように取りはからいますし、あと、ムツキくんがゼノさんと個人的な取引をいくらかしたいと言っていました」
「俺ですか。分かりました。商談なら大歓迎です」
魔大陸が危ないところという認識はあるので、安全に出立できるようにしてくれるならありがたい。
ゼノくんとしても商談のチャンスがあるのはありがたいことのはずなので、また寄ることになりそうだ。
「……ところでイザベラさん、暑くないんですの?」
「ええ、慣れていますから」
クズハちゃんの疑問に対して、イザベラさんが軽い調子で応える。
イザベラさんの格好はかなり露出度が低い。手袋もしているので、肌が見えているところと言えば首から上くらいのものだろう。
慣れている、というイザベラさんだけど、慣れているのと暑いのは別問題だ。実際、彼女の額には汗が浮かんでいる。
「イザベラさん、肌を出したくない理由でもあるんですかね?」
「ええと、おそらくおじさま以外には見せたくないのではないかと……」
「リシェリオールさん、そんな事実はありませんので、小さな子に嘘を教えないように」
付き合いの長い人なら分かるかと思って聞いてみたけれど、どうやら本人に聞こえていたらしい。
イザベラさんはやれやれという感じで首を振ると、こちらから一歩を離れた。
案内は終わりと、そういうことらしい。
「それでは、私はこれで。戦後処理などもありますから、早く戻らないといけませんしね」
「……ムツキさんが簡単に撃退してしまったように見えましたが、そういうのあるんですの?」
「復興だけが戦後処理ではありません。あのバカ……失礼。耳の腐ったクソ鬼どもに、政治的な制裁をしなければいけませんからね」
「なんで言い直したほうが酷くなるんですの……!?」
「性分です。正直を美徳としていますから」
性分なら仕方ない。どうもイザベラさんは言葉遣いは丁寧だけど、かなりストレートな性格をしているようだ。
イザベラさんは大きく溜息をついて豊満な胸を揺らすと、面倒くさそうに言葉を続けた。
「魔大陸では強きことが重んじられていますが、すべてをそれで解決する無法地帯ばかりではありません。リシェリオールさんのダークエルフ領と私たちの国のように、協力関係にある国もありますし、条件付きの講和――たとえば金を払わせるとか食料を献上させるとか、そういうことはあります」
「なるほど……」
「ただ、ムツキくんに任せると、あの人はまた「しょうがねえなあ」とか言って手ぬるいので。鬼族にはしっかりと、侵略の代価は高く付くと言うことを覚えて帰ってもらいます。今度こそ、代替わりしてもバカな真似をしないように」
それでは、と言葉を切って、イザベラさんはくるりとこちらに背を向ける。さっぱりした人だけど、ムツキさんのことを大切に想っていることは、なんとなく伝わってきた。
すらりと伸びた背中が見えなくなるまで見送ってから、僕たちはリシェルさんに促されて、森へと足を踏み入れる。
整備されている道なんてあるわけはなく、あったとしても獣道。馬車は僕のブラッドボックスに収納し、馬はゼノくんが引くことになった。
「あ、暑いですわね……耳と尻尾がしおしおになりますわ……」
森に入って開口一番に、クズハちゃんがぐったりとした様子で呟いた。
入り口ですら暑さと湿気を感じていた森だけど、中に入ってみると不快感はより強くなった。
まとわりつく湿った空気と、肌に服が張り付く感覚が気持ち悪い。尻尾とケモ耳という、体毛に覆われたパーツのあるクズハちゃんにはキツいのだろう。
「かなり湿度と気温が高いですね」
「はい。ですが領地には温泉もありますので、そこまでの辛抱ですよ」
「クズハちゃん、領地まで行けばお風呂に入れるそうです」
「そうですの……もうあと一息ですものね。頑張りますわ」
汗や汚れは僕の回復魔法で落とせるのだけど、それは綺麗になるというだけだ。
お風呂に入った方が気分がすっきりするのは本当のことなので、クズハちゃんはその方が嬉しいだろう。
肌に浮かぶ汗を定期的に拭いつつ、ジャングルじみた悪路を進む。
地元人だけあって、リシェルさんはこちらのことを気遣いつつも、さくさくと足を進めていく。
「ねえ、本当にこっちで合ってるの? なんだか景色があまり変わらないようだけど……」
「リシェルさん、道は合ってますか?」
「はい。慣れ親しんでおりますので、ご安心を」
「大丈夫だそうですよ」
フェルノートさんが不安そうに聞くので、そこは翻訳しておいた。
実際、彼女が多少不安に思うのも分からなくはない。けれど、それはただ立場が変わったと言うだけの話だ。
リシェルさんが魔大陸から連れ去られて、共和国にいたときと同じ。
共和国ではリシェルさんが外から来た異分子で、魔大陸では僕たちがその立場になったというだけ。
リシェルさんが共和国でそうしていたように、今僕たちにできることは、土地勘のある人間の案内を信じてついて行くことだろう。
そう納得して、僕はリシェルさんの褐色の背中と、揺れる金の髪を追った。
そこからいくらかの時間、歩を進めて、いい加減眠くなってきた頃。
唐突に開けた場所に出た。
「……ああ。ああ。帰ってきたのですね」
言葉を呟くリシェルさんは前にいるので、表情は分からない。
けれど声の震えから、感情が揺れているのだということくらいは理解できた。
まだ少し遠くに見える領地は、集落と言っていいくらいの規模。
立ち並ぶ家はどれも植物でできていて、行き交う人は褐色の肌をしたダークエルフたち。
中心にあるほかの家よりもふた周りくらい大きい家が、リシェルさんのお屋敷だろうか。
「皆様方。ありがとうございます。ここが私の……ヴァレリア家の領地です」
振り向いた彼女の瞳には、薄く涙が浮かんでいて。
旅の終わりを告げるようにして、透明なしずくがこぼれ落ちた。




