紅の領主
「……そうか。大変だったな。リシェル」
「はい。ですが、この方たちに救われました。おじさま、ご心配をおかけしました」
「いいや、こっちこそあまり力になれなくて悪かったな。ヴァレリアの領地から報告は受けていたし、こっちの人員を何人かそっちの領地に送って手伝わせたり、大陸の方にいる知り合いに声をかけるくらいはしたんだが……」
「いいえ! 力になれないだなんて! 十分すぎます、おじさま!」
リシェルさんがすっかり恐縮した様子で、目の前の青年に頭を下げた。彼がリシェルさんの言う、おじさまらしい。
今、僕たちがいるのはお城の中だ。イザベラさんに連れられて、僕たちは海岸から、人の気配があるところへとやってきた。
小さな城下町と、その中心にあるお城。その奥にある、いわゆる謁見などを行うであろう、玉座のある大部屋に、僕たちは連れてこられた。
玉座に座っている青年は、少しだけ癖のある黒い髪。紅の瞳は明らかに僕と同種のもので、それは彼が吸血鬼であるというなによりの証だ。おじさまと言うには若すぎる見た目だけど、吸血鬼なので実年齢はきっとかなりのものだろう。
恐らくは日光を取り込まないように窓のない部屋で、青年は玉座に座ったまま、こちらを嫌味のない瞳で見渡して、言葉を作った。
「どうやらリシェルが世話になったようだな。客人たち、名前は?」
「アルジェント・ヴァンピールといいます。こっちは友達のクズハちゃん、商人のゼノくん、それとおっぱ……ゼノくんの護衛のフェルノートさんです」
「待ちなさい、なんで私のときだけちょっと間違えてから紹介するの」
「すいません。やらないといけないような気がして……」
「真顔で申し訳無さそうな声出すの止めてくれる!? やらなくていいわよ!!」
「ははは。面白い人たちだな」
「あ、フェルノートさん、ウケましたよ」
「代償として私の尊厳がかなり消費された気がするけどね……!!」
一通り笑った後で、青年はマントの端を揺らして玉座から飛び降りる。
ゆったりとした様子で歩み寄ってきた彼は、一度頷いて、それから言葉を紡いだ。
「ムツキだ。成り行きだが、この土地を治めている。よろしくな」
「ムツキ……って、紅の領主……!?」
「知ってるんですか、ゼノくん?」
「え、ええ、まあ……三人の力のある吸血鬼のひとり……紅の領主と言われている、吸血鬼です」
「つまり、あの生きた災厄――エルシィと同じ、規格外の異常枠ってことよ。私も聞いたことのある相手ね」
「はは。あの金色のワガママ姫さんと同じように扱われるのはかなり抵抗があるけどな」
軽い調子で、ムツキさんは笑った。
共和国で出会った吸血鬼、エルシィさん。あの金色の吸血鬼と同じくらいに強いと言われているのだとしたら、それはチート能力を持って転生した僕に匹敵する、あるいは圧倒できるほどの能力があるということだ。
ただ、ムツキさんにはエルシィさんから感じたような嫌な感覚は微塵もない。優しくて柔らかな表情は寧ろ、安心すらしてしまうようなものだ。
「それに、規格外で言えばそっちの銀髪の子もだろう。日の下を歩く吸血鬼なんて、俺でも見たことがないぞ。知り合いに傘を差せば大丈夫、なんて奴もいるけど、あれは直射日光を浴びると調子を崩すしな」
「え、それってもしかして、サツキさんのことですか?」
「なんだお前。サツキとも知り合いか」
唐突に話題にあがったのは、共和国で出会った、喫茶店を営む風変わりな吸血鬼。
僕ほどではないけど日照耐性がかなり高く、日傘さえあれば日中でも行動できる、サツキさん。顔が広いことは知っていたけど、まさか魔大陸にまで知り合いがいるとは。
「まあ、お前くらい可愛ければサツキが気に入るのも納得だな。あいつは可愛いヤツに目がないからな」
「う……」
共和国にいた頃のことを思い出して、顔が少しだけ熱くなる。
サツキさんが良くしてくれたのは本当だけど、着せ替え人形にされたり、お店を手伝う羽目になったこともある。お陰でかなり恥ずかしい思いをしたこともあるのだ。
思い出してしまったことを気恥ずかしく感じて瞳をそらせば、イザベラさんが不機嫌そうな顔で眉をひそめていた。
「……ムツキくん、浮気ですか?」
「なんでそうなる!? 違うぞ!?」
「そうですね。今のは少し短絡的でした。言い直しましょう。……私の前でよその女に色目を使うとはいい度胸です、あとでボコボコにします」
「なんで言い直した方がひどくなってんだよ! 違うって言ってるだろうが!!」
どうやらムツキさんとイザベラさんはそういう関係らしい。
ムツキさんが慌てて否定すると、イザベラさんはどこか渋い顔をして、
「仕方がありません。この件についてはまた話し合いをしましょう」
「その握った拳をしまってから話し合いって言葉を使うようにしてくれるか?」
「なにを無駄口を叩いてるんですか、さっさと状況の説明をしてあげてください」
「お、お前たまに俺が上司だって忘れてるだろう……ええい、まあいい」
いいんだ、と見ていて思うけど、たぶんあれがいつものテンションなのだろう。リシェルさんが笑っているのがその証拠だ。
ムツキさんは崩された調子を整えるように何度か呼吸を整えると、改めてこちらに向き直って、
「事情は分かったし、リシェルが早く戻りたいのも分かっている。だけど、今は少しだけ問題があってな」
「問題、というと……?」
「ああ、今ちょっと戦時中でな。今日にでも敵軍がうちに攻めてくるだろうから、それが終わるまで待っててくれ」
「はぁ!?」
フェルノートさんが驚くのも無理はない。実際、クズハちゃんやゼノくん、僕も驚いている。
あまりにも軽く放たれた言葉は、「もうすぐ戦争が始まる」という重いものなのだから。
「ちょ、ここ首都でしょう!? 大丈夫なの!?」
「首都って言っても小さい領地だからなあ。攻める気になれば、隣国からその日のうちにここまで来れるぞ」
「あの、町の様子、かなり平和だったんですが……」
ゼノくんの言うとおりだ。ここに来るまでに城下町を通ったけど、町の様子は平和そのものだった。
誰も彼も戦の準備なんてしていなかったし、逃げようとする様子も悲観する様子もなかった。
これで戦争が始まるだなんて言われても、とても信じられない。
「ムツキくんがいますからね。とはいえ、そろそろいい加減に……っと」
「ひゃあっ」
イザベラさんが言葉を紡ぎ終わる前に、地面が大きく揺れた。
地震とは違う。継続的ではなく、ずん、と一度だけ、跳ねるような揺れだ。
「ん。日が沈んで、結界が解除されたか」
「結界、ですの……?」
「日が登っている間は俺が許可したものか、俺の部下が許可しないと領地には入れないように結界が張られていてな。つまり今それがなくなったから、相手がやってくるってことだ。お前らが来たのは、結界の手前だったってことだな」
「では、いい加減避難指示を出しましょうか。必要ないとは思いますが、一応」
「悪いなイザベラ。頼めるか?」
「いつものことですから。お気になさらずいってらっしゃいませ。ただ、ひとつだけ」
「ん、なんだ?」
「今日のご飯はムツキくんの大好きなハンバーグなので、お早いお帰りを」
「そりゃいいな。さっさと片付けて、作るのを手伝うとしよう」
にやりと吸血鬼の牙を見せて微笑むムツキさんにお辞儀をして、イザベラさんが玉座の間を出て行く。
ムツキさんは軽く柔軟運動のようなものをしながら、僕たちに言葉を投げかけた。
「お前たちはどうする? 手伝いはいらないと思うが」
「いらないと思うって……」
「俺一人で片付く、ってことだ」
そう言って笑うムツキさんの顔は自信たっぷりで、ほんの少しだけエルシィさんのことを思い起こさせた。
自分には力がある。その確信が見て取れるような、獰猛な笑みだった。




