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水底へ

 完全に視界が海の中へと沈んだ僕が見たのはまず、魚の群れだった。

 (あじ)に似た姿をした魚の一団が、ピスケス号を包んでいる泡を避けるように通り過ぎていく。

 上を見上げれば、海面から淡く差し込む光がゆっくりと遠ざかっていくのが見えた。


「……とりあえず、潰れたりはしないようですが」

「ええ、息も出来るわね。少なくとも相手に用がある内は、でしょうけど」

「アルジェさん、フェルノートさん、これは何事ですの!?」


 ふたりで状況を整理していたところに、クズハちゃんが船内から飛び出してきた。


「クズハちゃん……ええと。ちょっと問題が起きまして」

「ええ、それは見れば分かりますが……大丈夫なんですの、これは」

「海魔族、という人の仕業らしいんですが……どうも用があるらしくて」

「……海魔族というと、海を住処にしている亜人族ですわね。タコとかイカとか……人魚のような姿のものもいますわ。私たち獣人と同じで、ひと口にはまとめられますが、種族としては多種多様ですの」


 クズハちゃんが説明している間にも、ピスケス号は海底へと引きずり込まれていく。

 どうやっているのかは不明だけど、今は状況を把握することの方が大切だ。

 改めて船の縁から景色を覗いてみれば、広がるのは青色の景色。

 海中の景色そのものは透き通っているけれど、海流が激しいのか、泳いでいる魚たちの動きは早い。

 ピスケス号は泡に包まれているからか影響を受けていないけど、環境的にはかなり厳しそうだ。少なくとも、泡の外に出たいとは思えない。


「……ゼノたちにも説明しないといけないわね。私たちにも分からないことだらけだけど」

「そうですね。リシェルさんとは僕しか話せませんから、後で説明しておきます。船酔いはさっきの僕の魔法で治っているはずなので、そのうち――」

「――どうしたんですか、これは!?」

「ああ、来ましたね」


 噂をすればなんとやら、だ。

 ゼノくんがリシェルさんを伴ってやってきた。

 ちょうど良かったので簡単に状況を説明して、ネグセオーの方にも血の契約によるテレパシーで意思疎通しておく。

 事情を理解したリシェルさんが、褐色の長耳をぴこぴこと動かして、


「海魔族……そういえば魔大陸の近海には、海魔族を統べる女王の居城があると聞いたことがございます」

「海魔族の女王様、ですか」

「はい。問答無用で船を沈めるのではなく、わたくしたちを生け捕りにする理由は不明ですが……魔大陸の近くにまできているのは、確かですね。それだけは、吉報です」


 リシェルさんはそう言って笑顔を作る。

 いつものような微笑みだけど、鈍感な僕でも無理をしていることくらいは読み取れる。

 故郷に帰り着くという旅の目的が、目の前で取り上げられてしまったのだ。動揺しない方がおかしい。


 彼女は今、それを押し殺して状況を把握し、その中でなんとか自分を納得させたのだろう。金色の髪を揺らして頭を下げるリシェルさんは笑ってはいるけれど、残念の感情が確かに見える。


「アルジェ様の身に大事がないようで、安心致しました。まずはお話を聞きましょう」

「……そうですね。何の用かは知りませんが、さっさと済ませて解放してもらいましょう」

「……どうやら、底が見えてきたわね」


 フェルノートさんの言葉を聞いて、全員が海の底へと視線を送る。


 ……町?


 見えてきた景色は、およそ海の底とは思えないものだった。

 整頓された石造りの道に、規則正しく並んだ屋根の群れ。

 道の端々には海藻が明らかに意図的に植えられていて、ゆらゆらと揺らめくことで景観を演出している。

 行き交う人々の多くは全身に鱗があったり、下半身がイカのようであったりと様々だ。恐らくは彼らが海魔族なのだろう。

 地上とは違い、海ということもあるせいか、道を歩む人もいれば泳ぐ人もいる。けれど、こうして見える景色はたしかに町で、明らかに整備が行き届いている。

 僕の隣にいるゼノくんが、信じられないものを見るような目をして口を開いた。


「町並み……こんな深海に……」

「海魔族には女王がいるとは聞いておりましたが、よもやここまで発達しているとは……」

「なんにせよ、終わりが見えてきましたね」


 町並みが見えたということは、そこが海の底ということだ。

 その証拠として、ピスケス号は降下速度を緩め始めている。


「どうかな、お客人。わらわの領域を気に入ってくれたかえ?」


 不意に、後ろから声をかけられた。

 町の様子を眺めることで夢中だった僕は接近に気づかなかったし、それはみんなも同じだったようで、全員が慌てて振り向く。


 いつの間にか、まるで始めからそこに居たとでも言うように。

 青色の肌をした少女が、操舵輪(そうだりん)の前に立っていた。


 僕よりもう少しくらい年上に見える、幼さを残した顔立ちの少女。足は二本で、青色の肌であることを覗けば、ほとんど人間と変わらない見た目をしている。

 波打つのは紫の髪、細められるのは金の瞳。

 細い瞳をくるくると回したかと思うと、彼女は船のあちこちに触れている。

 魚のヒレのように薄い羽衣が揺れて、彼女はころころと笑った。サメのように鋭く尖った牙を晒して、何度も頷く。


「ほうほうほう。これは面白い。壊れていない船、というのははじめてじゃ!」

「あなたは……ええと、さっきの」


 聞き覚えのある楽しげな声。それは間違いなく、僕たちを海の底へと招いた海魔族の女王のもの。

 クイーンを名乗るには小さすぎる少女は、その体躯に似合った慎ましやかな胸を張った。


「そうとも。わらわはクティーラ! この海底都市を統べる女王よ!! ようこそいらっしゃったなお客人! ゆるりとしていぶっ!」


 ぶつけた。

 ふんぞり返りすぎて、後ろにあった操舵輪に後頭部を強打した。

 泡の中にいるせいだろうか。ごん、という打撃音はやけに重く響いた。


「ぶつけた……」

「ぶつけましたわね……」

「ええ、ぶつけたわ」

「……あの、アルジェ様。今のは大丈夫なのでしょうか?」

「ええと……どうでしょう」


 かなり重めの音がしたし、ぶつけた状態のままで固まってしまったので、無事かどうかの判別がつかない。


「ふ……」


 淡く、息をするような言葉が漏れて、相手が戻ってきた。若干の涙を金の瞳に浮かべてつつ、彼女はこちらに手のひらを向け、


「今のはナシだ」

「え?」

「今のはナシ。お客人たちはなにも見なかった、よいな?」

「……ええと、では、改めてどうぞ」


 促すと、相手は頷きをひとつ。一歩を前に踏み、後ろの操舵輪との距離感を何度か確認した。

 ひらひらの羽衣の様子も確かめ、手ぐしで髪を整えて、さらに目元の涙も拭う。

 こほん、と可愛らしく咳払いをして、彼女は改めてふんぞり返った。


「ふははは! よくぞ我が海底都市に足を踏み入れたな、お客人たちよ! 海魔族の女王たる私、クティーラがお前達を歓迎しよう!!」

「はあ……どうも」


 よく分からない子だけど、ものすごく残念そうなのは分かった。

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