本当に求めていたもの
「解ったわ」
「ふぇ?」
止める暇もなかった。
フェルノートさんは短く返事をしながら懐から短剣を抜き、迷わず自分の手首を切り裂いた。
淀みなく、正確な動きだ。まるでお茶でも淹れるように、気軽な動きでの自傷。
そのまま空のティーカップ――予備として持ってきてたのだろう――に、自分の血を注いでいく。僕が呆気に取られているうちに、カップの中にはどんどん血液が溜まって――
「――いやいやいやいやいや。何してるんですか、貴女」
「え、だってアルジェが血を飲みたいって……」
「飲みたいとは言いましたけど、それはちょっと過剰です」
短剣を持っていることは、別段驚くに値しない。
当たり前のように盗賊がうろついている異世界だし、相手を失明させる魔物なんてものもいる。僕なんて吸血鬼だ。そんな世界なら、みんな護身用に何かしら持ってて当然だろう。
ただ、何の疑いや躊躇いもなく、自分の手首を切るのは当然じゃない。
生き物にとって血は大事だ。成人男性で言えば、大体二リットルほど血液を失うと死んでしまう。彼女は女の人だから、致死になる量はもっと少ない。
それに、血は飲む物じゃない。強いていうなら輸血に使うものだろう。
血を失うことは危険だし、血を飲むのは明らかにおかしな人だ。それに対して嫌悪感くらいは持つのが普通だろうに。
「ほら、手を出してください。ああもう、こんなに深く……女の子なんですから、もっと自分を大切にしてくださいよ。痛いの痛いのとんでいけっと」
僕としては彼女に指の先を軽く切ってもらって、滴った分を貰うくらいで良かったのに。ここまでされたら今度はこっちが申し訳ない気持ちになってしまうじゃないか。
回復魔法でちゃちゃっと傷を塞ぐ。技能レベルが高いので、身体が血液を生成する機能を高める効果もある、高位の回復魔法だ。傷ひとつ残さないし、不調にもさせない。
もちろん、格好良い詠唱をしたり、名前をつけたりはしなかった。だって面倒だもん。
フェルノートさんは僕が怪我を治した部分を暫し見つめると、どこかぼうっとした様子で、
「本当に凄い……あ、これ、私の血よ」
「……どーも」
受け取ったカップには結構な量の血が溜まっていた。うん、どう見ても入れすぎ。
さすがにティーカップ一杯の血液を失ったくらいでは死にはしないだろうけど……まったく。
……まあ、勿体無いですしね。
思っていたよりも量が多いけど、元はと言えば僕が求めたものだ。今さら遠慮するのも変だろう。
カップから感じるのは血液特有の鉄に似た香りだ。なのにそれがとても甘く感じられて、喉が異常に渇く。
今まで誤魔化してきた衝動。それが待ってましたとばかりに渦巻いて、抑えが利かなくなっている証拠だ。
「ん……」
人の血を飲むという行為。
とても常識的とは言えないのに、それを自然に行ってしまう。吸血鬼にとっては常識で、僕の身体はこれを待ちに待っていたからだ。
口に含んだ血液は甘く、嗅いでいたときよりもずっと濃密な香りが鼻から脳までを駆け抜けていく。
まだ体温の……命の温かさが残る液体が喉を通って、胃の中に落ちる。お腹の奥、身体の内側から温かさが全身に滲みるような感覚がして、肌が粟立った。
……やば、これクセになっちゃうかも……。
旨味の熟成した干し肉や新鮮なお魚のお刺身よりも、ずっとずっと美味しい。
身体だけじゃなく、心まで満たされていく。幸福感で脳が焼け焦げてしまいそうだ。自然と、息が熱っぽくなる。
「ん、く……は、ぁ……ん……」
最後の一滴まで飲み干して、唇に付いた血液も舐め取る。やっぱり、甘い。
喉の渇きは嘘のようになくなって、気分もスッキリだ。今ならまた、数日くらいぶっ続けで寝られそう。ベッドもあることだし、できれば今すぐそうしたい。
「ふぅ……」
気分が落ち着くと同時に、ブラッドリーディングの能力が発動した。どうやら血を飲んだことで、フェルノートさんの情報を勝手に読み取ってしまったらしい。
技能レベル最大のブラッドリーディングは相手の思考や過去すらも読み取る。さすがにそこまでは失礼だと思ったので、彼女のステータスの情報を取得したところでリーディングを意識的に切った。
発動は自動だけど、どこまでを暴くかは僕の裁量で調節ができるというのは有り難い。プライバシーの侵害にならないし、そもそも相手の過去なんかには興味がないのだから。
ステータスはもう見ちゃったからしょうがないね。ちなみに、彼女のステータスはこんな感じだ。
名前:フェルノート・ライリア
種族:人間
身体能力:バランス
習得技能
剣術6
聖魔法6
魔法剣3
回復魔法4
道具鑑定3
闇属性耐性3
聖属性耐性2
……回復もこなせる魔法剣士って感じですかね。
技能名の横についている数字は技能レベルで、最大値は10だ。僕のいうカンストは、この10のことを指す。
10が最大で剣術技能6というと半端な感じがするけど、短剣を扱う動きはとても手慣れたものだったので、彼女は十分な手練れと考えて良いだろう。
そんなことを考えつつ、僕は彼女にカップを返す。
「ご馳走さまでした」
「じゃあ、お代わりを――」
「――もう充分ですから武器しまってください」
ご馳走さまって言ったでしょーが。
物凄い良い笑顔で短剣の刃先を手首にあてがうフェルノートさんを、今度は手遅れにならないうちに制した。
……なに残念そうな顔してるんですか。すごいヒヤッとしましたよ、今。
「そう……あの、アルジェ」
「なんでしょう?」
「アルジェは、一体何者なの? そこまで回復魔法に長けている魔法使いなんて、聞いたことないわ……国一番の魔法使いにも、私の目は治せなかったのに……」
「……ただの通りすがりの、吸血鬼ですよ」
「きゅ、吸血鬼?」
「ええ、吸血鬼です。珍しいですか?」
「……個体数が少ない種族だから、珍しい、けど。……あの、まだお日様が高いのに、平気なの?」
「むしろ日向ぼっこ大好きですよ。日照耐性って技能が10ありますからね」
「10ぅっ!?」
あ、やっぱり驚かれるんだ。
当然か。国一番の魔法使いでもフェルノートさんの失明は治せなかった。それを僕が治せたということは、国一番の魔法使いさんは回復魔法の技能レベルが10では無かったということになる。技能レベルが最大というのは、相当凄いことなのだろう。
「で、日の下を歩くの吸血鬼だなんて……そんなの、伝説に登場するような存在よ……!?」
「はぁ……でもほら、僕は今実在してますし。吸血鬼でもない限り、血を飲んだりはしないでしょう?」
「確かに吸血鬼か一部の魔物にしか、血を飲む習慣はないけれど……ま、まさか回復魔法も!?」
「はい、それもレベル10ですね」
フェルノートさんは口をぱくぱくさせて、信じられないものを見たという表情をしている。
本当は他にも結構な数の技能がレベル10なのだけど、これは黙っていた方が良さそうだ。話すにしてもおいおいやった方が、相手の混乱が少なくて済むだろう。
「貴女、本当に何者なの……?」
「アルジェント・ヴァンピールですってば。じゃ、そろそろおやすみなさい」
「は? え? ちょ、ちょっとアルジェ!?」
はーシーツがぬくいぬくい。なんか聞こえますけど、今日はもう疲れたので続きは明日にしましょう。
耳元でなにやら叫ぶフェルノートさんを無視して、僕は一週間ぶりのふかふかベッドに潜り込んだ。
……んー、さいっこう♪
美味しいお刺身を食べて、すっごく美味しい血も飲んだ。これでお昼寝をしないなんて、あり得ないよね。
やっと本当に求めていたものを得られた僕は、文字通り夢心地で夢の中へと旅立つのだった。




