深夜、二人だけの時間
「……んぁ」
瞳を開ければ、人工の光があった。
一瞬だけ、ほんの一瞬だけ元の世界に戻ったのかと錯覚するような明るさに目を細めながら、僕は起き上がる。
「あー……寝てましたか」
食事を終えたあと、程よい眠気がやってきたのでそれに甘えてしまった。
身に着けていた装備が外されてベッドに寝かされていたのは、フェルノートさん辺りの気遣いだろう。ベットを運んできたのはゴーレムだろうけど。
周囲を見渡せば、ベッドは全員分配布されたらしく、みんながそれぞれの寝床で寝息を立てているのが見えた。
「……時刻的には、今は夜の遅い時間、なんでしょうね」
造られた光に照らされ、窓がひとつもないこの大金庫では、いまいち時間の感覚が分からない。
それでもこうしてみんなが眠っていることを考えれば、今の時間はおそらく――
「――そうね。感覚的にでよければだけど、今は深夜よ」
「……フェルノートさん、起きてたんですか?」
「ちゃんと寝てたわよ。目が覚めただけ」
フェルノートさんはむくりと起き上がって、こちらに軽く手を振ってくる。
お風呂のときにも見た、髪を降ろした姿の相手に、僕は問いかけた。
「時間、分かるんですか?」
「大まかに、だけどね。騎士時代に鍛えた体内時計よ。信用しなさい」
ふふん、と誇らしげにフェルノートさんが胸を張った。やっぱり大きい。
彼女は髪をいつものように結わえると、ベッドから降りた。
そのまま僕のベッドまでやってきて、こちらへと手を伸ばしてくる。
「起きたもの同士で、お茶でも飲まない?」
断る理由がなかったので、素直に手を取った。
テーブルまで導かれて、そこに座る。
てきぱきとお茶の準備をするフェルノートさんは、王国で何度も見たものだ。
つい数ヶ月前のことなのに、どこか懐かしくて、安心する光景。
「……なによ?」
「いえ。なんだか懐かしいと思ってしまって」
「奇遇ね。私もそう思ってたわ」
見慣れた光景を眺めているうちに、お茶の用意が終わった。
カップに注がれた液体に映るのは、銀髪の美少女。
紅茶のような香りに誘われるように手に取って傾ければ、懐かしい味だった。
「これって……」
「家から持ち出してきたのよ。高いんだからね?」
「……フェルノートさんは、僕を追って、わざわざ旅をしてきたんですよね?」
「そうよ。別れの挨拶もせずに出ていった相手に、説教するためにね」
それはサクラノミヤでも聞いたことだ。
それだけの為に生まれた国を出てきたことは、正直驚いた。
真面目というか、思い立ったら一直線なところがあるとは思っていたけど、まさかここまでするとは思わなかった。
そうして彼女が言う通りに、サクラノミヤではかなり説教をされたのだけど、それはもう終わった話なので置いておこう。今聞きたいのは、別のことだ。
「……どうして、ですか?」
「どうしてって、なにが?」
「いえ、どうして国を出てまで追ってきたのかなって。こうして会えたから良かったですけど、僕がどこに行くのかも分からなかったのに」
疑問に対して返ってきたのは、言葉ではなく瞳。
紫と金の二色の目がまんまるになって、僕を捉えてる。やがてそれは呆れの形になって、
「あのね……ふつう、あれだけ一緒にいれば情だって起きるわよ。少なくとも、黙って出ていかれて腹立たしかったり、心配する程度にはね」
「……それだけ?」
「それだけじゃないわ。それで、十分なの」
フェルノートさんは溜め息を吐いて、カップを傾ける。
若干乱暴にカップを置いて、彼女はこちらを見つめてきた。
「私は、アルジェが心配だったし、置いて行かれたことが腹立たしかったのよ。それこそ、あの精霊と同じで……寂しいと思ったの」
「あ……」
「貴女を拾って、貴女に目を治してもらって、一緒に暮らして、まあ貴女はいつもめちゃくちゃだったけど……それでも、楽しいと思えたのよ」
「……そう、ですか」
「だから、今度は離れないし、守るわ。そう決めたの。……もちろん、貴女をまともにするって目的もあるしね」
笑みで言葉を終えて、フェルノートさんは椅子に深く座る。
フェルノートさん自身が決めたことなら、僕に止める理由はない。
真っ直ぐな視線がどこか気恥ずかしくて目を逸らしつつ、僕はお茶を飲み干す。
空のカップをテーブルに置くと、それはすぐに下げられた。
「お代わりは?」
「いえ、もう大丈夫です」
「そう。それじゃあ、こっちは?」
立ち上がったフェルノートさんが、僕の前までやってくる。
するりと伸びてきたのは、彼女の手。
伸ばされてきた手はこちらを撫でるのではなく、手首を見せる形で止まった。
「っ……!」
行動の意図を理解した瞬間に、急激な渇きを感じた。
「……吸血。しばらく飲んでないんでしょう? 吸う?」
「あ……」
ごくり。自然と喉が鳴る。
フェルノートさんの言うとおり、共和国でアイリスさんの血を飲んで以降、僕は吸血をしていない。
それはあの時に――無理やり気味に――しっかり飲まされて吸血衝動が来ていないのもあるけれど、一番の理由は別のことだ。
思い出すのは、蜜の村レンシアでエルシィさんに吸血されたときのこと。
今思い出しても、背筋がぞわりとする、あの感覚。
エルシィさんは、「吸血鬼が血を吸ったとき、相手に与えているのは、自分がもっとも強く望むものだ」と言っていた。
そして彼女のそれは、快楽だった。
「っ……!」
だったら僕が、相手に与えるのはなんなのだろう。
転生してから今まで、明確に牙を立てて吸血したことは一度しかない。王国の森で、クロムちゃんという傭兵を相手にしたときだけだ。
あのとき、クロムちゃんの様子は少し変だった。それはおそらく、僕の吸血が彼女になにかを与えたということだったのだろう。
僕が欲しがっているものと言えば、お昼寝と、養ってくれる人。
その気持ちは相手にどんな影響を及ぼすのだろう。
差し出されてきたフェルノートさんの手首は、とても剣を扱えるとは思えないような、ほっそりとしたものだ。
目の前の細く白い肌に牙を立てたら、どれくらい気持ちがいいのだろうか。
けれど、それをしてしまったら、フェルノートさんがどうなってしまうのかが、分からない。
あのとき、エルシィさんに言われたとおり。僕には自分のことなんて、なんにも分からないんだ。
沸き上がってきた吸血衝動から逃れるように、僕は顔を背けた。
「どうしたの?」
「すみません、フェルノートさん。前のように手首を切って、それでもらえませんか?」
「……やっぱり、あの吸血姫にされたこと、気にしてるの?」
「……はい」
隠す意味はないと思ったので、素直に頷いた。
そもそもフェルノートさんは、王国にいるときはそうしてくれていた。自分の手首を切って、溢れた血をティーカップに注いでくれていたのだ。
今、そうせずに直接手を差し出してきたということは、彼女はそれを分かっていて、確かめたということだろう。
「アルジェ。気にしなくていいわよ」
「……なにが、ですか?」
「吸血鬼がどういうものかは、私も知っているもの。騎士時代に戦ったこともあれば、直接血を吸われたこともある」
「……そうなんですか?」
「ええ。だから直接吸われることがどういうことなのかは知っているの。それでも、飲ませて良いと思ったから、こうしてるのよ」
色違いの瞳に宿るのは、固い決意と、信頼。
それくらいは、僕にも分かる。自分のことは分からなくても、相手がなにを思っているかは、ここまでされて、言われれば、理解できる。
「言ったでしょう。今度は離れないって」
差し出した手を少しも引くことなく、フェルノートさんは笑みで断言する。
そんな風に信じられても、僕には返せるものなんてなにもないのに。
僕はいつだって、ぐうたらで、面倒くさがりで、何の役にも立たない存在だ。
そんな僕に、真っ直ぐな信頼なんて向けられても、なんにもできないのに。
「……頑固な人ですね」
「そうね。おかげで出世できなかったのよ」
そう言って笑うフェルノートさんの目に、嫌味はない。
あるのはどこまでも真っ直ぐに、こちらを見つめる優しい視線。
そんな彼女に、今の僕が返せるとしたら――
「――じゃあ、頂きますね」
ゆっくりと顔を寄せ、彼女の肌に牙を触れさせる。
ぷつりと肉を穿つ感触が、脳の奥まで響いた。




