ノー地獄、イエスおっぱい
「……ん、にゃ?」
驚いたことに、目が開いた。
あのまま吸血衝動で死んでしまうのかと思っていたけれど、こうして意識が戻ったということは、なんとか生きているらしい。
喉の渇きはあるものの、意識を失う前とは比べ物にならないくらいに楽だ。気分的にも落ち着いている。
一度眠ったことで、衝動が少し収まったのかな?
「あ、ベッドぬくい……」
おまけにどういうわけか、僕ってばベッドに寝かされているじゃないですか。
しかも廃墟にあったようなボロベッドではなく、ふかふかのちゃんとしたベッドだ。嗚呼、なんて柔らかくて暖かいんだろう……ベッドちゃん愛してる。寂しかったよう。恋しかったよう。
「はー……将来はベッドちゃんみたく優しく包み込んでくれる人と結婚したい。もちろん、三食昼寝おやつ付きで」
「な、なかなか斬新な将来設計ね……?」
聞こえてきたのは女性の声。話し掛けられて無視するわけにもいかないので、僕はベッドに沈めかけた身体を起こした。
あまり物が見当たらない、簡素な部屋。声の主は僕が眠っていたベッドから離れたところで、木製の椅子に腰掛けている。温かみのある茶色い髪の女性だった。
「気が付いた?」
「ええ、はい……ええと……貴女が助けてくれたんですか、オッドアイボインさん」
「オッドアイボイン!?」
「あ、すいません。ボインオッドアイの方が良かったですか?」
「そうじゃないわよ!? 逆にしてほしいんじゃなくてね!?」
どうしてみんな、僕が呼ぶと不服そうにするんだろう。ちゃんと特徴を捉えて呼んでるのに。
二色の眼に、大きな胸。これはもうオッドアイボインで決まりでしょ? まだ名前を名乗られていないのだから、相手が「自分が呼ばれた」と解るような呼び方をしないと会話が不便じゃないか。
「た、確かに倒れていた貴女をここまで運んできたのは私よ。あと、私にはフェルノート・ライリアという名前があるから、できればそう呼んで貰えるかしら……?」
「わかりました。僕はアルジェント・ヴァンピールです。アルジェで結構ですよ、フェルノートさん」
フェルノートさんは心底安心したように大きく息を吐くと、椅子から立ち上がった。特徴的な胸が、動きに合わせてたゆんっと揺れる。
どうやらお茶を淹れようとしてくれているらしい。でも……。
「……?」
何か、おかしい。
フェルノートさんの動きは淀みがなく、確かなものだ。椅子の側にあるテーブルの上に広げられたお茶を淹れるための道具を扱う動きは、かなり手慣れていると解るもの。
それなのにどこか、なにかがズレている。そう感じてしまう不自然さが、彼女の動きにはあった。
暫く観察を続けて、お茶が入る頃にようやく違和感の正体を見付けた。
……この人、手元を一切見ずにお茶を淹れてますね。
普通、なにかをするときというのは自分の手元を見るものだ。それが慣れ親しんだ動きでも、人は手を使うとき、自然と視線を指先に送る。
それがお茶の用意や料理のように、失敗すれば怪我を得る可能性があることならば尚更だ。
フェルノートさんには、それがなかった。首は常に曲がらずに顔は正面を向いて、視線を下げることなくお茶を淹れていた。
「ほら、飲んで。薬草入りだから、体力の回復に良いわよ」
そう言ってお茶を渡してくる彼女の顔を覗き込んで、彼女の視線が動かない理由を察した。
フェルノートさんの二色の眼は、僕から見て右が紫で、左が金色。つまり左目が紫で、右目が金だ。
その二つの目、どちらともに光が灯っていない。
漫画的な表現で言えば、ハイライトがないというやつだ。明らかに、どちらの目も焦点が合っていない。
「……その目、もしかして見えないんですか?」
「ええ。数年前に、ある魔物と戦ってね……その時に」
だとすれば納得だ。手元に視線を送ろうにも、そもそも視界が開けていなかったのだから。
受け取ったお茶をとりあえず一口飲んでから、僕は続けて質問した。
「治せないんですか? 魔法とか、薬で」
「自分でも試したし、高名な医者や魔法使いに頼んではみたのだけど……どれもダメだったわ」
「はぁ……そうですか」
魔法では治せない、失明。
それって、僕の回復魔法でも無理なのかな?
技能ポイントは限界まで振ってある。彼女や高名な魔法使いとやらがどれくらい回復魔法に長けていたのかは解らないけれど、それらに負けないくらいに僕の魔法は強力なはずだ。
「すいません、ちょっと、もう少し近寄ってくれます?」
「え、ええ……?」
「失礼しますね」
フェルノートさんが僕の方に顔を寄せてくる。相手は目が見えないので、驚かせないように一声かけてから顔に触れた。
……あ、お肌すべすべ。
女の人の肌だ。今は僕もそうだけど、それでもやっぱり恐縮はしてしまう。丁寧に扱おう。
「えーと……少しの間、目を閉じてもらえますか?」
「……? こう、かしら?」
もしも首尾よく治っていきなり光を見たらビックリさせてしまうかもしれないので、一回瞼を落としてもらう。
……良い人ですね。
見ず知らずの行き倒れを盲目の身で助けるし、今はこうして僕の言うことを素直に聞いてくれるし。
良い人で、助けてくれた。また他人に恩を作りっぱなしになるのはちょっと、いや割りとすごく嫌なので、目の治療でお返しとしたいところだ。
……うまく行くと良いんですけどね。
回復魔法と一口に言っても、傷を治したり、呪いや毒を解いたり、身体の汚れを払ったりといろんな種類がある。
単純な傷ならば傷を治す魔法で解決できる。つまり彼女の眼は、それ以外の原因で光を失っているということになる。
「……見えるようになーれ」
雑な感じだけど、これでも結構な魔力を込めているし、使う回復魔法も選んでいる。
呪いを打ち消す回復魔法……解呪魔法と言った方が良いか。それを、フェルノートさんの瞳にかけた。
「……え」
「どうです?」
「え、あ……ひ、光、光が……」
……成功したっぽいですね。
瞳を閉じても、光は多少抜けてくる。それを認識できるということは、彼女の視覚が戻ったということだ。
「落ち着いて。ゆっくり目を開けてください」
「え、ええ……」
恐る恐る、という感じでフェルノートさんが眼を開ける。
再び僕の視界に現れたオッドアイは、さっきのような暗い色合いではなかった。
光を認識して、僕を認識して、瞳が揺れ動いている。良かった、ちゃんと治っているようだ。やっぱり呪いが原因だったみたいだね。
「見え、る……見えるわ……!」
「そうみたいですね」
「もう何年も見えなくて、諦めてたのに……ありがとう……ありがとう、アルジェ!」
「いえ、助けてもらったお礼ですから」
あっちこっちに貸しを作るとそれが気になって、安心してお昼寝ができなくなる。僕はぐうたらだけど、その辺りはちゃんとしたいタイプなのだ。
フェルノートさんは感極まった様子で僕の手を握ってくる。ちょっと痛いくらいだ。よっぽど嬉しいんだろうな。
具体的に何年くらい見えてなかったのかは解らないけれど、あの淀みのないお茶の淹れ方を見るに結構な年月の間、光を失っていたのだろう。多くの苦労をしてきたのだというのは、なんとなく想像がつく。
「お礼だなんて……そんな、こんなことされたら、私の方がしなければならないくらいよ! なにか、なにかない!? なんでもするわ!」
「きゃんっ!?」
物凄い剣幕で迫られるものだから、少し驚いた。そのまま押し倒されるような形になってしまう。
愛しのベッドは僕を優しく受け止めてくれるけど、この格好はちょっとまずいかもしれない。相手の色違いの瞳は真剣で、だけどこちらを見下ろすものだ。
第三者が見れば、明らかに誤解を生みそうな状況ができてしまっている。たぶんこの状態は、違う意味で「迫られている」ようにしか見えない。
それ以前の理由として、僕の吸血衝動は今のところ落ち着いてくれているとはいえ、お茶を飲んだくらいじゃどうにもならない喉の渇きは残っている。あまり近寄られると、噛みつきたくなってしまう。
彼女のほっそりした首筋を見て「すごく美味しそうですね」なんて感じるくらいには、今の僕は危険人物なのだ。
「あの、ちょっと落ち着いて?」
「あ……ご、ごめんなさい!」
フェルノートさんの肩を軽く押すと、抗うことなく離れてくれた。
……それにしても、どうもビックリすると女の子っぽい声が出ちゃいますね。
また「きゃんっ」て言っちゃった。身体は女の子だから反応としては間違ってはいないのだけど、気分的にはちょっと違和感がある。
気持ち悪いのとは少し違うけど……なんだろ、恥ずかしいっていうか、むず痒いっていうか、そんな感じだ。
「ごめんなさい、その、でも、何かしないと気がすまないわ。こんなの、お礼としては大きすぎるもの」
僕としては、今ので十分なお返しをしたつもりなんだけどな。
あのまま路地裏で倒れたままでいたらたぶん死んでただろうし、暖かいベッドまで提供してもらったのだから。
命を救ってもらったのだから、視力を治すくらいのお礼は返すべきだろう。
だけどどうも、フェルノートさんは納得してくれてはいないご様子。僕の頼み通りに一旦は離れてくれたものの、視線は変わらずに真剣なままだ。
このままだと埒が明かない。というか、僕としては早く綺麗なお布団でお昼寝がしたいのに、そう目の前で真剣な顔されてると寝づらい。
……まあ、そこまで言うなら頼んでみますか。
悩まされてることがあるのは本当なのだ。早く解決しないと、次に大きな衝動が出たときには今度こそ死んでしまう可能性もある。
まったく、吸血鬼がここまでデメリットが大きい種族だなんて聞いてませんよロリジジイさん。今度会ったら責任取って一生養ってくださいよ。
「……変なお願いしても良いですか?」
「ええ、なんでも言って」
「貴女の血を、飲ませてもらえませんか? 小皿一杯くらいで良いので」




