お嬢様は自由人
「なるほど、ここは書庫なのですね」
傍に誰もいないことは知っていても、自然と声をこぼしてしまう。
右を見ても、左を見ても、上を見ても本。ヴァレリアの屋敷にも、ここまでの蔵書はない。立派なものだった。
「失礼いたしますね」
ヴァレリア家の淑女として、きちんと礼と言葉を尽くしてから足を踏み入れる。
扉をくぐると古い紙が持つ独特の匂いが鼻腔をくすぐり、ここが書庫だと強く実感する。
暫しの間、歴史を感じていると、可愛らしい声が聞こえてきた。
「――!」
「あら。ええと……クズハ様ですね」
まだ少し曖昧ではあるものの、この愛らしい狐耳を持った少女のお名前は、クズハ様だ。直接に言葉は通じなくても、アルジェ様から教えていただいている。
黄金色の毛並みは先に行くにつれて茶の色が混ざり、とても美しい色合い。ついつい触りたくなってしまうけど、言葉の通じない相手から急に触れられても怖いと思うので、自制した。
「――! ――!」
クズハ様は必死でこちらになにかを伝えようとしてきてくれる。でも、残念ながらわたくしには相手がなにを言っているのかが理解できない。
……言語が違うというのは、不便なものでございますね。
共和国で使われている言葉と、わたくしたちが使う言葉は違う。
魔大陸のダークエルフは、古代精霊言語というものを使っている。これは遥か過去に滅びた精霊種が使う言語で、エルフとダークエルフはその精霊たちと深く関わっていたという。
もはやわたくしの父や母、祖父母も知らないほど過去のこと。それでも、去っていった精霊たちを忘れないという意味で、ダークエルフは古代精霊言語を大切に扱っている。
そのことはひとりのダークエルフとして誇りには思うけれど、こういう時は不便だ。古代精霊言語が通じるのは、エルフかダークエルフ、或いはそれを知っているごく一部の物好きな御仁のみ。
気遣われていることは分かれども、そのことになにか言葉を返すということができないのは、少しだけ切ない。
「申し訳ありません、どうしても気になってしまって」
通じないとは分かっていても言葉をかけるのは、最低限のマナーというか心意気のようなものだ。
……アルジェ様がいれば、伝えていただけるのですけど。
今、アルジェ様は用事があるらしく、わたくしたちから離れてしまっている。
詳しく説明はされなかったものの、なにか理由があってのことなのは、あの方の表情を見れば分かった。
話す相手がいないのは退屈なので、少し探索というか探検気分で、ここまでを歩いて来た。
古い本の中には古代精霊言語で書かれたものもあるので、それを探してみよう。時間の消費には、丁度いい。
「あら、クズハ様も読書ですか?」
私よりも小さな背丈の少女が、隣に立って本棚に指を這わせる。
やがてそれは私には理解できない言語で書かれたタイトルの本で止まり、抜き取りの動作となった。
ほどよい厚みと表紙に描かれた柔らかなタッチの風景画からして、小説かなにかだろうか。
本を読むのはいいことだ。それに言葉が通じなくても、同じ場所で同じ行動を共有してもらえるということは嬉しく思う。
……共和国語の指南書でもないものでしょうか。
せめて簡単な意思疎通ができれば、お互いの過ごしやすさが変わってくる。アルジェ様のお手間を取らせることも、少しはなくなるだろう。
どうせ暇を潰すなら有益な時間を過ごそう。そう結論付けて、私は本棚の中にある読める文字を拾っていく。
「ふむ……『今日からできる! あの人の心を掴むレシピ』……『最新家具選び』……『精霊との会話が面白いように弾む素敵な言葉百選』……『古き良き遺跡と古代精霊の関係』……雑多でございますね」
少しばかり気になったのは『最新家具選び』だろうか。
本を手を取って裏表紙を見ればこの本を記された年代が記されていて、それは今より五百年ほど前だった。
最新という言葉からは程遠いけれど、時はうつろうものだ。古代精霊言語で書いてある時点で予想はしていたので、驚くことでもない。
五百年前の流行には個人的には興味が湧いたものの、いくらなんでも趣味物すぎる。でも一応確保しておきましょう。
こうして見ていくと、雑多な中にもある程度の傾向がある。それはこの部屋を図書室にしたものの気持ちが見えてくるようで、少しだけ楽しいものだった。
「精霊系と生活系というところですね」
特に古代精霊に関係するものや、それらとの対話や関わり方に関するもの。そして食事や家具など生活に近いものが、蔵書としては多い。
……精霊との暮らし方を、模索していたのでしょうか?
これらの本は、近い位置に置かれていた。
本に触れてみて分かるのは、よく読み込まれているということだ。ざらついた感触は何度も開き、指や机に擦れた証拠。
本を大切にしていないのではない。呼吸をするように開いていたからこその、古紙の感触。それを心地良いと思い、気になったものを取り出してはテーブルに積み上げていく。
「……?」
本を探す私の指は、あるところで止まった。
違和感を得たのは指に当たる感触のせいだ。本ではない、硬い感触がする。
引き抜こうとしてみても、本は動かなかった。見た目こそふつうの本のようだけど、別のなにかなのは間違いない。
そっと押してみると、背表紙がゆっくりと沈む。がこん、という硬質な音が静かな部屋に響いて、滲みていく。
「――!?」
「動くようですね」
クズハ様の言葉の意味は分からないけれど、それが驚きから出たものだということは分かる。
ぎりぎり。ぎりぎり。時計のネジを巻くような音がして、『本棚が動いた』。
いくつかの棚がその身を動かし、あとにはぽっかりと穴が空いたのだ。
「隠し部屋……歯車の組み合わせでしょうか……うーん、ちょっと分かりませんね」
魔力の流れは感じなかったので、古くからある魔法的な隠蔽ではない。
ダークエルフは鉄や歯車といった技術よりも、魔法や精霊を尊ぶ傾向にある。私もそれは同じなので、目の前で起きたことがどういう仕掛けによるものかは理解が及ばない。
それでも、なんらかの理由でこの部屋が隠されているのは間違いない。でなければ、こんなふうに隠す必要が無い。
「……魔力の残滓はありませんが……気を付けて進むといたしましょうか」
魔法によるトラップが仕掛けられているようには感じられない。けれど、単純な罠であれば魔力など感じなくて当たり前だ。
屋内の罠を探るのはあまり得手ではない。せめてこの目を正しく使えるように、明かりを灯そう。
「この指先に、道行きを照らす明かりを――灯りませ」
言葉を紡ぎ、魔力による明かりを生み出す。
あたたかな光が照らし出すのは、石造りで整えられた通路と、奥の階段。
おそらく、地下ではない。ここは中層なので、下層へと続く道だ。
「ふふ。冒険小説のようで、少しだけわくわくしてしまいますね。クズハ様はどうなされますか?」
「――」
「……言葉の意味は分かりませんが、ついてくるということで良さそうですね」
尻尾を揺らしてこちらに歩んでくるクズハ様の瞳は、きらきらと輝いている。
言葉は通じないけれど、それが上機嫌を示しているのはなんとなく理解できた。
「それでは、探検と参りましょうか」
領民たちのことは気がかりだけど、今焦っても仕方がない。
であれば、寄り道ついでに冒険というのも、悪くないはずだ。
お土産話を増やすつもりで、私は隠し通路へと足を踏み入れた。




