桜の匂いを置いて
「では、サツキさん。お世話になりました」
「お世話だなんて。賑やかでよかったですよ。また共和国に来たときは、ぜひぜひお店にきてくださいね」
そう言って、サツキさんはにっこりと笑って優雅に手を振ってくれる。
サクラノミヤに戻って数日をかけて旅支度をして、今日が出立の日だ。
旅支度と言っても、僕はほとんどサツキさんのお店で過ごしていて、ゼノくんに任せっきりだったのだけど。どうやら魔大陸での商売を見据えた仕入れで、数日を費やしたらしい。
「アイリス先輩も来られればよかったんですけどねぇ」
「いやいやフミちゃん、アイリスちゃんを連れてきてはいるんですよ? 時間的に出てこられないだけで」
「アイリスさんは、昨日ちゃんと挨拶しておきましたから」
時刻は朝。傘を差して直射日光を避けるという条件付きで外に出られる吸血鬼であるサツキさんや、完全に日光に耐性がある僕と違い、アイリスさんは出てこれない。
いつも通りに棺桶に入って、サツキさんに背負われた状態だ。
「わふー……寂しくなるんだよ!」
「クロさん。また戻ってきたときは、必ず寄らせていただきますわ」
「わふっ! クロ、いい子で待ってるんだよ!」
クロさんとクズハちゃんは、仲良さそうに別れを惜しんでいる。
同じ獣人同士で感じるものがあったのか、滞在の間に随分と仲良くなったらしい。
「サツキさんもありがとうございましたわ! 教わった技術、きちんと活かさせていただきますの!」
「ふふふ……楽しんでくださいね」
「……なにかあったんですか、クズハちゃん」
「ええ。サツキさんに、服づくりに関して少々ご師事を頂きましたの。和服の補修ももちろん致しますけれど、新しい服も楽しみにしてくださいですの!」
そういえば、メイの従業員さんの服はほとんどがサツキさんの手作りなんだっけ。
クロさんと仲良くなったことも含めて、クズハちゃんは得るものが多かったようだ。
……どんな服を作ってくるんでしょうか。
あまり可愛い服を渡されると困ってしまう。
前はあまりそういったことが気にならなかったのだけど、最近は少し、可愛い服を着るのが落ち着かない。どうしてだろうか。
今着ているメイド服は昔から家で見ていたものだし、スカート丈も長いためかそんなに落ち着かない感じはしないのだけど……。
「アルジェちゃん?」
「あ……なんでしょう、サツキさん」
「ふふ。これをどうぞ」
考え事をしていたところに、不意打ちのように紙箱が渡される。
一体どこから出したのだろうと思うけど、たぶんまた胸芸なのだろう。実際はブラッドボックスから取り出しているらしくて、胸から引っ張りだす動作はただのポーズらしいけど。
「うちのケーキです。今日のおやつに、皆さんでどうぞ」
「ありがとうございます」
今日までの滞在で、サツキさんのケーキの美味しさは十分に知っている。
自然と頬がほころんで受け取っているくらいには、嬉しい餞別だった。
「魔大陸行き、でしたっけ。あそこは私も知り合いが多くて時々足を運ぶんですが、結構物騒なので、気をつけてくださいね」
「その前に、シリル大金庫というところに寄ると聞いています」
シリル大金庫。なんでもゼノくんがそちらに用事があるらしいので、そこを通るルートで海を目指す予定になっている。
シリルというのはこの世界の通貨の名前だ。大金庫と言うくらいなので、銀行だろうか。
詳細は聞いていないというか興味がない。移動は馬車なので、道中はお昼寝ができる。僕にとってはそれで十分だ。
「そうですか。ではでは、良い旅を」
「はい、サツキさん。皆さん、お世話になりました。行ってきます」
ぺこりと頭を下げて、サツキさんたちに背を向ける。背後から重なるように「いってらっしゃい」の声が届いて、そこに追いつくようにしてクズハちゃんが並んできた。
やってきたクズハちゃんは狐の耳をぴこぴこと揺らして、なんだか上機嫌だ。
さっきまで別れを惜しんでいたはずなのに不思議だな、なんて思っているとクズハちゃんは笑みのままで、
「ふふ、成長しましたわね、アルジェさん」
「え? なにがですか?」
「だってアルジェさん、私のときは黙っていなくなったじゃありませんの。聞けばフェルノートさんのときも。それが今回はきちんと挨拶していくので、成長したと思ったのですわ」
言われてから、そのことに気づいた。
さようならでもなく、なにも告げないでもなく、行ってきますと言ってから別れた。
再会の言葉を使っての別れ。それはこの世界に来て、はじめてのことだった。
「……サツキさんのところのケーキは、美味しいですからね」
どこか自分でも言いわけめいていると感じるような言葉が漏れる。
クズハちゃんはくすりと笑うとそれ以上なにも言わずに、紙箱を持っていない方の手を握ってきた。
「さ、行きましょうアルジェさん! もうお三方も、ネグセオーさんも待っていますわよ!」
「……ええ、分かりました」
握られた手を解く理由はない。クズハちゃんに手を引かれるようにして、歩いて行く。
道の向こうを見てみれば大きな馬車があり、フェルノートさんがその側で手を振っていた。
ゼノくんはまだ馬車に荷物を積み込んでいる。リシェルさんはネグセオーのブラッシングをしているようだ。
なにか声をかけようか。そう思ったところで、視界に桜の花びらが飛び込んできた。
両手が塞がっているので捕まえるようなことはしないでいると、桜色は僕の鼻の上にちょこんと乗り、すぐに風にさらわれていく。
約束の残滓のような、桜の香り。
手を振るようにひらひらと舞っていく桜を、僕は見送った。
いつかまたこの香りを感じられるときが来ると良い。そんなことを考えて、前を向く。
もう、出発は目の前だ。
どうもこんばんは、ちょきんぎょ。です。
今回から、きりのいいところではあとがきをつけようかなと思います。
興味ない人はスルーで大丈夫です。
さてさて、今回でサクラノミヤ編はおしまいとなります。いかがでしたでしょうか。
長らく影だけが見えていた、エルシィ様が登場しましたね。予想以上に活躍してくれた気がします。具体的にはようやくアルジェに羞恥心が芽生えたとかそういう意味で。
次回からは新キャラクターである腹ぺこダーエルお嬢様を交え、魔大陸を目指すことになります。食料が保つといいですね?
それではまた次回以降、よろしくお願いいたします。




