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これからのことを

「……ん」


 誰かに名前を呼ばれているような気がして、意識が浮かんだ。


「アルジェ……起きたの?」


 聞き覚えのある声で、名前を呼ばれる。

 どこか陽だまりのような優しい匂いは嗅ぎなれないけれど、不思議と安心した。

 瞳を開けてみれば、その人の顔――ではなく、巨大な重量物がふたつ。


「おっぱ……フェルノートさん。おはようございます」

「待ちなさい、今なにか変なこと言いかけたでしょう」

「気のせいだと思いますよ」


 目を開けていきなり飛び込んできた景色が景色だったのだから、言い間違えそうになるのも仕方ない。ただフェルノートさんが明らかに不機嫌そうな声を出したので、否定しておいた。


 ……膝枕、ですよね。


 後頭部に当たる柔らかさは、地面のように安定感のあるものではなく、ふにゃりと歪曲してこちらを受け止めるようなものだ。

 体温のぬくもりもあるので、膝枕で間違いないだろう。

 フェルノートさんは不機嫌そうにしばらく唸ったあと、溜め息をついた。顔は見えないけれど、追求を諦めてくれたと分かる程度には盛大な溜め息だ。


「……まあ、いいわ。気のせいってことで」

「それはどうも。ところで、ここどこですか?」

「レンシアから少し離れたところよ。騒がれるのも面倒だから、出てきたの」

「そうでしたか」


 周囲、首が回る範囲を見渡してみれば、日が昇っていることくらいは確認できた。朝か、お昼前くらいかな。


「それよりアルジェ、どこか変なところはない? 怪我とか、呪いとか……一応、私の回復魔法は一通り使ったのだけど」

「ええ、大丈夫だと思います」

「ほんとに? あの吸血姫に、なにもされなかった?」

「っ……!」


 言われた言葉に無意識に反応して、跳ね起きようとしてしまう。

 結果として、起きることはできなかった。

 眼前には巨大な障害物がふたつもあるのだ。無理に起きようとすれば――


「――きゃっ」

「うぐっ」


 当然、ぶつかる。

 ぶつかってみるとサツキさんと違って柔らかく、案外個人差が……じゃなくて。


「ご、ごめんなさい、フェルノートさん」


 さすがに今のは気まずいので、改めて離れた。

 フェルノートさんは服を軽く正してから立ち上がる。怒ってはいないようだけど、眉尻を下げた顔は不安げだ。


「アルジェ? ほんとに大丈夫? なにかあるなら、ちゃんと自分で回復魔法使いなさいよ? 貴女なら傷や呪いはそれでなんとかできるでしょう?」

「う……はい」


 フェルノートさんは心配してくれているようだけど、僕が感じているこれは呪いや傷のたぐいではない。

 エルシィさんに肌を晒され、撫でられ、舐められて――血を吸われた。

 そしてそのときに感じたぞわぞわがなんなのかを指摘されて、知ってしまった。


「……だいじょうぶ、ですから」


 なによりもそのことを目の前にいる人に指摘されたという事実に、頬がかっと熱くなる。

 自分の肌が朱色に染まっているのが、感じる熱で理解できてしまうほどだ。色白なのでひどく目立って、みっともないことだろう。

 恥ずかしさから逃れるように視線を逸らしながら、絞り出すように言葉を作るのが精一杯だった。

 


「……そ、そう。それならいいのだけど」


 フェルノートさんが気まずそうに言葉をこぼす。たぶん、気を遣われているのだろう。

 申し訳なくなるけれど、せっかく気を遣ってくれたのに自分からそこに踏み込む気にはなれない。

 話題を変えるために、気恥ずかしさを振り払って僕は質問する。


「あの、フェルノートさん。どうして共和国に?」

「…………」

「ええと……フェルノートさん?」

「あ、え!? な、なに、アルジェ!?」


 気が逸れていたらしく、フェルノートさんは慌ててこちらに言葉を返してくれる。

 理由は不明だけど、様子から判断するにこちらの言葉は聞いていなかったようだ。


「大丈夫ですか?」

「え、ええ。平気よ。ちょっとこう、破壊力が高くて!」

「破壊力……?」

「アルジェがかわ……じゃなくて! ええと、な、なんの話かしら!?」

「あ、はい。フェルノートさん、どうして共和国にいるんですか?」

「……どうしてもなにも、貴女を探しに来たに決まってるでしょうが」

「僕を……?」

「ええ。いきなりいなくなるから……心配したのよ?」


 相手の口調は咎めるようなものだけど、顔はどこか安心しているようにも見える。

 そんなフェルノートさんを見て、浮かんだのは疑問だ。


 ……それだけのために、わざわざ?


 確かに、理由があったとはいえ、僕は彼女に別れの挨拶も無しに出て行ってしまった。

 心配されたり、憤っても仕方がないとは思う。だけどそれだけのことで、国を出てくるのはちょっとやりすぎな気もする。

 まして僕は行き先を告げなかったから、会えるかどうかも分からなかっただろうに。


「ごめんなさい、フェルノートさん」


 いずれにせよ、相手が心配していたことは間違いないのだ。きちんと謝っておくべきだと思い、頭を下げる。

 細く、柔らかいものが髪をかき分ける感触。それが手指だと気付く頃には、もう撫でられていた。

 嫌だとは思わなかったので、素直にされるがままになる。撫でる手付きは優しくて、子供をあやすかのようだった。


「もう、なにも言わずに消えるのはやめてね」

「……はい、分かりました」

「そうよ。今度は許さないんだから。約束よ?」

「分かりました、約束します。……ん? 今度?」

「なによ。ついて行ったらいけないの?」

「……フェルノートさん、僕の目的知ってますよね?」


 僕がこの世界を旅しているのは、「三食昼寝つきで養ってくれる人を探す」という目的があるから。

 フェルノートさんはそのことにかなり否定的だった。それなのに、ついてくるというのだ。

 止めたりお説教ならともかく、これはちょっと予想外の展開だった。

 その予想外を言い出した相手は大きな胸を見せつけるかのように、ふん、と張る。たぶんそんなつもりは無いのだろうけど、身長差もあって目の前の景色はだいぶ凄い。揺れが。


「覚えてるわよ、それくらい。でも、そんな相手そうそう居るわけないでしょう? いつでも諦めてちゃんとした生き方ができるように、ついていって常識を教えてあげるわ!」

「……ええと」


 どうしよう、思考が飛躍してるようにしか見えない。

 意味が理解できないでいるうちに、フェルノートさんが得意げに言葉を続けた。


「アルジェは世間知らずすぎるんだもの。フラフラして、さっきみたいに変なのに絡まれても困るでしょう?」

「……それは、たしかに困りますけど」


 昨夜、エルシィさんは退いてくれたものの、諦めたという雰囲気は微塵もなかった。

 もともと僕を監視していた前科もある。放っておけば、また来るのだろう。

 そのときにフェルノートさんがいてくれるなら、心強いというのが正直な気持ちだ。


 ……拒否しても無理やりついてきそうですしね。


 今しがた、黙っていなくならないと約束をしたばかりでもある。

 理由があったとはいえ、不義理をしたのは僕のほうが先なので、拒否権はないと考えたほういいだろう。

 フェルノートさんは戦力としては十二分だし、旅をする上で困ることもない。


「……分かりました。そういうことなら」

「ええ。よろしくね、アルジェ」


 差し出された手を取ると、細い指が優しく捕まえてきた。

 軽い握手。ある意味では約束の結びとも言えるそれを終えて、フェルノートさんが離れる。ところで、と前置きがあって、それから言葉が紡がれた。


「アルジェ、ゼノに用があったのよね?」

「はい。アルレシャに来る前に随分お世話になったんですけど……そのときの僕はなにも返せるような状況ではなかったので、保留になっていたんです」

「ええ、聞いてるわ。私との話が終わったら手伝ってほしいことがあるって、ゼノが言っていたわ。向こうの馬車にいるはずだから、行きましょうか」


 指し示される方には、確かに一台の馬車が止まっている。

 複数の馬を使って引く設計がしてあると一目で分かるくらい、大きなものだ。そしてよく見ると、馬の一頭には心当たりがあった。


 ……ネグセオーも来てたんですね。


 お互いの状況は分かるので、向こうが戦闘の終了を察して戻ってきて、クズハちゃんが僕の馬だと説明してくれた。そんなところか。

 黒くつぶらな瞳と目が合うと、ネグセオーはぶふぅっ、と鼻息を吐く。無事でなにより、とでも言いたげな雰囲気だ。

 なにか言葉をかけようか。そう思って――


「変態がいますわー!!」


 ――聞きなれた声の悲鳴が響いた。

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