港町アルレシャ
「ここがハナペチャですか」
「アルレシャです。気に入っていただけましたか?」
「中々ですね。風が少ししょっぱいですけど、気持ち良いです」
馬車の荷台の中にいても感じるくらい、濃厚な潮の香り。海のある土地特有の匂いだ。
荷台から見える町並みは異国の港町と行った風情。建物の作りがちょっと古めかしい感じなのがまた、良い感じの雰囲気を出している。観光スポットとしては申し分無さそう。
……食料のことも、ちゃんとロリジジイさんに言っておけば良かったですね。
静かな場所で寝たい放題というのは魅力的だけど、あのままあそこにいたのでは餓死してしまう。
ちょうど乗せてってくれる人も通りかかったので、生まれ故郷を離れることにしたのだけど……中々良いところっぽい。早くどこかでお昼寝がしたいな。
「それじゃあ、僕はこの辺で」
「あ……ちょ、ちょっと待ってください、アルジェさん」
馬車の荷台から降りようとすると、ゼノくんが声をかけてくる。
この数日で呼ばれ慣れたアルジェという名前は、ぶっちゃけかなり適当につけたものだ。
フルネームはアルジェント・ヴァンピール。アルジェントはイタリア語で銀、ヴァンピールはフランス語で吸血鬼という意味だ。
前世の名前を名乗っても良かったのだけど、玖音 銀士って完全に男の名前だもんね。
気分的には男だけど身体的には女なので、それっぽい名前にしておきましたってことで。
「なんですか?」
「これと、これを」
馬車から降りて荷台の中を探ったゼノくんが渡してきたのは、黒いフードと革袋。
革袋を持ってみると、ジャラッという音がする。結構重いので、中身は金属かな?
「少しですが、旅の資金にしてください」
「あ、お金ですか……良いんですか、商人さんなのに」
その辺り全然考えてなかったので、正直凄く有り難いのだけど……商人にとってお金って、何よりも大事なものなんじゃないだろうか。僕みたいなよくわからないやつに、ホイホイ渡して良いのかな?
「命の恩人ですから。それと、街にいる間はなるべくそのフードを。アルジェさんは凄く目立ちますから、その方が、その……ナンパとかされなくて良いかと」
あー、それは面倒かも。
僕から見た感じ、今の僕の見た目は絶世の美少女と言っても過言ではない。
テリア盗賊団やゼノくんの反応からも、僕が美少女だという評価は間違いではないだろう。
そういう意味では、顔を隠しておくのも重要かもしれない。僕は男には興味はないんです。養ってくれるなら別ですけど。
……ゼノくん、真面目そうだからなー。
こういう人と結婚すると、家業の手伝いがダルそうだ。
おまけにその家業は行商人だから、年取って引退でもしない限り腰を落ち着けるようなことはないだろう。寄生したい対象としてはちょっと外れる。残念。
あと、馬車の荷台の寝心地がいまいちなのもちょっとマイナスかな。
その辺りを差し引いても、ゼノくんが良い人なのは間違いないけど。ここまでしてもらってるわけだし。
「うーん……なんか悪い気がしますね」
「良いんですよ。俺の方こそ、馬をもらってますし」
いえ、あれはテリア盗賊団が残していったものを拾っただけですし。
「やっぱり悪いですよ。でも僕、今は返せるものがないので……今度で良いですか?」
「今度、ですか?」
「はい。今度会った時、ゼノくんが困ってたら僕に助けさせてください」
僕が彼に求めたのは、命を助ける代わりに食事を貰うことだ。
その報酬は既に貰っている。だからここまで連れてきてもらい、服やお金を貰ったことは、僕の中ではあのときの約束とは別件になる。
ゼノくんの中では当然のことでも、その好意に対して何かしらのお返しができないというのは、僕自身がちょっと気持ち悪く感じてしまう。
僕はものぐさだけど、貸し借りはキッチリしたいタイプなのだ。
とはいえ、今の僕は身一つ。身に付けているものすら貰い物という有り様だ。
こういうときに払えるものは、こうした口約束以外に無い。
もちろん、口約束であっても約束は約束。いつかまた出会えたとき、払えるものがあるなら支払おう。そういう気持ちでの、約束。
それを交わして、ここは一旦別れるで良いかな。
「……解りました、そういうことなら」
「ええ。それでは失礼します。ありがとうございました。今度はちゃんと護衛つけた方が良いですよ」
「肝に命じておきます。お元気で、アルジェさん!」
きちんとフードを被り、今度こそ荷台から飛び降りる。
名残惜しさはあったものの振り向くことはせず、僕はササッと人混みの中に入り込んだ。
さてさて、とりあえず……。
「……お昼ご飯でも食べましょうか」
お昼寝も良いですけど、せっかく貰ったお金があるので、ありがたく使わせてもらっちゃおう。お金は使ってこそだよね。




