fragment9
遠くでかさかさと何かがうごめくような音がする。森独特の青々しいような匂いが鼻腔をくすぐる。更には地面を踏みしめたときの湿り気のあるぶにっとした感触。その全てが苦手だ。だが俺の前を行くアゲハはまるで何てことないようにスイスイと先を進んでいく。何でこいつはあんな余裕なンだよ。
「………ッッ!!」
最悪だ。肩にとまったのは大型の蜂型モンスター、《キラービズ》だ。
視界に入る凶悪な黒と黄色の縞々コントラストに、肩を這いまわる不快な感触。
痛みはないと分かっていても、いつ刺されるかわからない恐怖に俺の頭はどうにかなりそうだった。
――つうか、敵除け呪文って、そもそもモンスターを近寄らせないんじゃねェのかよ! 思いっ切り俺にとまってるんだけどォッ!!
それでも何とか物音は立てずに、あくまでゆっくりと前進する。その時間が永遠にも思える程長く感じられる。
アゲハが「リラックスですよ!」というジェスチャーを見せるが、確かにそうだ。
――パニックになったら確実に刺される。冷静に、クールになれ、俺!!
どれだけの時間が経っただろうか。キラービズはようやく俺の肩を離れ、どこかへ飛び去ってくれた。耳元で響いた羽音に生きた心地がしなかったが、ともかく、ようやく、解放されたのだ。
「はあ、はあ。……こんなンが、あとどれだけ続くンだよ? つか、カブトムシ何てどこにも居ねェじゃねェか」
「そうですね。結構歩いたと思うんですけ――待ってください!」
声を潜めながら、アゲハが俺を静止する。
それから目で合図を送ってくる。どうやら向こうを見ろという事らしいが……。
「……! あれ……」
「はい。間違いありません。目的のカブトムシです!」
アゲハが小声で叫んだのとほぼ同じ刻、俺は――
「ふッ――!」
アクティブスキル、《縮地》。TPを消費することで、任意の距離を一瞬で詰める技だ。技の発動の一瞬前、俺はルカに渡された虫取り網で《弱攻撃》モーションに入り、モーション中に縮地に入ることで、少し先の木にとまっていたカブトムシに一瞬で弱攻撃が、即ち虫取り網の一振りが入る。
網の中は目論見通り、ほら、綺麗な赤のカブトムシが――
「ぎゃーーーーッ!!」
網の中で蠢いていたのは、うねうねした気持ちの悪い名状しがたいモノ、
「毛虫、みたいですね……えっと……《コクリナ》って名前のモンスターです」
「何でも良いから、早く何とかしてくれェ!」
「はい! 任せてください」
俺は頭が真っ白になり、刀技奥義《月花散墜》を発動させる。薄紅に発光した虫取り網が空しく虚空を切り続ける。何もないところに、無駄に八連撃を繰り出していると、そのうち毛虫がぽろっと空中に飛び出した。
俺は慌ててバックステップで距離を取るが、アゲハは弧を描く毛虫の軌道を冷静に見極め、火炎放射をぶっ放した。
ぴぎゅ、という消え入るような声と共に、表示されたモンスターのHPバーはゼロになり、グロい虫の体はあっという間に炎の向こうに霧散した。
「ヱイタさん、無茶ですよ。あんなに勢いをつけたら駄目です。《ヘラクレシア》は怖がりなんですから。そ~っと、そ~っとです」
「んなこと言ったって、さっさと捕まえて終わらせてェんだよ!」
「だったら、次からはもっと慎重に行動してください! “急がば回れ”、です」
「…………はい」
アゲハの勢いに押され、俺は反論できず、頷いた。
くそ、この森に来てからというもの、アゲハに頭があがらねェ。これだといつもと立場が逆じゃねェか! 何とか虫を捕まえて、パワーバランスを元に戻さねェと!