fragment4
洞窟内は、予想に反して浅かった。一本道の内部は静寂に染み渡る水音で、時折びくりとさせられるも、特に問題なく先に進めた。
予想に反して冷静についてくるアゲハ。恐らくは暗視スキルを使っているのだろうが、確かそれは魔法使い系のアクティブスキルだ。名前までは知らないが、だがしかし――
「アゲハ、もし持ってんなら懐中電灯的な魔法使ってくんねェか?」
「え、あ、すみません! ヱイタさん、《魔眼》持ってないんですね。……今照らします!」
慌てたように詠唱体勢に入り、何事か呪文を唱えると、途端に前方が仄明るく照らされた。
「わぁ、綺麗です」
アゲハが感嘆の声を上げる。
ぼんやりとした翡翠色の明りが、この場所の名前にもなっている水晶の壁に反射し、きらきらと輝く光景は、確かに現実にはない幻想的なものだった。
「おい、見とれてねェで行くぞ!」
「あ……はい。すみません」
足元が照らされたことにより踏破速度を増した俺達は、あっという間に最奥に辿り着く。
そこは湧水洞になっており、中央には水晶のような巨木が辺りを照らしていた。
「すごいですね、ヱイタさん」
ほぅ、と息を吐くアゲハを無視して、俺は掲示板で噂になっていた、目的のオブジェクトを探すために周りを歩き回る。
だが、
「ヱイタさん、ヱイタさん。折角周りに敵も居ませんし、ちょっとゆっくりして景色を見ませんか?」
くい、と控えめに俺の腕を引き、アゲハはそんなことを提案してきた。
「あァ? さっきも言ったろうが。俺にンな暇ねェよ」
アゲハの手を振り払い、さらに歩き回り、そして、見つけた。目的のもの。
それは湖の傍でひっそりと咲いていた一輪の花。現実には存在しない、まるで機械が寄り集まったような奇怪な葉に、陶器のような質感の花弁。そこに奇妙な存在感を感じると共に、俺はその花を見て、あの時の記憶を想起させられた。
――――――――――――――
「お、おい、何だよこいつ」
「え……え?!」
「な、なあヱイ、タ……」
「―――!? 駄目だ! 逃げろ、ケン――」
「う、ああああああぁああぁああ!!」
―――――――――――――――
「くそッ……」
俺は必死に頭を振り、瞼の裏に映る光景を振り払う。
そう。この花のどこか機械的な形状と存在感は、あの時俺達を襲った“天使”を感じさせやがる。
「くそがァ!」
俺は刀に手を掛け、抜刀し、思い切り花に斬りかかる。
「―――!?」
だが、花弁の上にシステムメッセージ「破壊不能オブジェクト」の文字が浮かび、刀は鋼鉄の壁にぶち当たったような鈍い感触と共に跳ね返される。
刀が俺の手を離れ、床に転がる。
からん、からんと虚しい音が洞穴内に響いた。
「ヱイタさん、何やってるんですか?!」
遠くからアゲハが俺の行動に気付いたのか、驚いた声を上げて駆け寄る。
「あァ? 何って、この花を調べてんだよ」
「やめて下さい。そのお花だって、必死にここに生きているんです!」
「はあ? 何言ってんの、お前? 生きてるとか、電波なこと言ってンじゃねェよ!」
何故かカチンと来た俺は、アゲハに詰め寄るも、アゲハは一歩も退かなかった。
「でも、このお花は一輪でも、頑張って咲いています。私はヱイタさんがそんな花を散らすのは、見たくありません!」
「だから、これはゲームなんだよ! この花はなァ、クリエイターが適当にポリゴンにテクスチャを張りつけただけのハリボテ。作り物なンだよ!」
そして俺は振りかぶりながら思い切り花を踏みつけようとするが、そのたびにガキンと鈍い感触に跳ね返される。
頭に来た俺は、俺が習得している中での最大級の連撃刀技、《月花散墜》を放つ体勢に入る。
納刀して、鯉口から僅かに刀身を抜き出しながら右手をだらりと下げる独特の構え。そして発動前の一瞬に、刀身が薄紅に鈍く光り出す。
「さすがに八連撃も喰らわせれば散るんじゃねェかァ?!」
「だめぇえええええ!!」
悲痛な叫びが響き、俺はそちらに意識を向けるとアゲハが腰に巻いていたポシェットから筒のようなものを取り出すところだった。
「なっ――?!」
それにアゲハが魔力を通したのか、筒はしゅるりと帯を解かれ淡く発光し、その中身を現した。
それは魔法が込められた使い捨てのアイテム、呪文書だ。
同時、システムの補助により、俺は技の発動に入る。
鯉口を切り、俺の意思とは無関係に、一刀目の攻撃の姿勢を取らされる。
だが、一刀目の逆袈裟斬りが花に届かぬうちに、俺の耳に届いた音。
――氷刃咲き乱れよ。
氷結属性の中級魔法。
理解したその刹那、無数の氷剣が俺の足元に殺到し、地面から氷の奔流が俺を包み込む。そのまま俺は氷の棺に閉じ込められてしまった。
冷気が洞窟内に満ち、一層空気が冷え込むのに反して、俺の頭は沸騰しそうな程に熱い。
「な、んのつもりだ、アゲハァ?!」
俺はぎろりとアゲハを睨む。あらゆる呪詛の言葉を吐き、俺を閉じ込めている檻を壊そうと必死にもがく。だが、指一本動かす事叶わない。
「喰い殺すぞァ!!」
視線だけで殺さんばかりの勢いで俺は叫ぶ。
アゲハは悲しそうに一度俺を見た。そして、ゆっくりと首を左右に振ると、足元から蛍火のような淡い光が立ち昇る。
「待て! ログアウトする気かよ!? ここからだせェ!!」
アゲハはやはり何も言わず、その姿は虚空に消えていった。
――泣いて、いたのか?
「クソがッ! 何なんだよ?!」
何も出来ないままどれくらいの時がたったのだろうか。それはとても長い時間に感じられた。ようやく氷が、がらがらと音を立てて崩壊する頃には、俺達の戦闘行為に恐れたのか、観光連中の姿も完全になく、洞窟内に人の姿はなかった。
「……ちっ!」
一人で当り散らしても、聞こえてくるのは動物の鳴き声だけだ。
馬鹿馬鹿しくなり、俺は武器を納め、改めて花を見下ろす。様々な角度から観察してみるも、手掛かりらしきものはない。初め掲示板で花の画像を見た時には、何か手掛かりが掴めんじゃねェかと思ったが、どうやらそう甘くはないらしい。
それにしても、何故アゲハは俺にPK行為を仕掛けてきたのか分からない。追いかけようにも、既にアゲハはゲーム内にいないらしい。
メニュー画面から、インスタント・メッセージをプレイヤーに送る画面に入り、アゲハの名前が灰色になっていることを確認する。白がメッセージ送信可能で、赤が圏外。灰色はゲーム中ではないことを意味する。
これで良い。元々あいつはこの件には無関係なのだ。
そうやって結論をつけながら、俺は花の茎を摘まんで角度を変えながらその在り様を確かめようと――
「こんにちは、お兄ちゃん」
「うわっ?!」
いきなり目の前に現れた玉緑色の……瞳? 俺は驚いて思わずバランスを崩し、尻餅をついてしまう。
「アハハ、ビックリした?」
「……んだァ?」
俺を見てケラケラ笑ってやがるのは、ベレー帽から短髪の浅緋色を覗かせたクソガキだった。
「何の用だよ、クソガキ?」
「ボクずっと見てたけど、お兄ちゃん。お姉ちゃんにカチコチに凍らされてたね~!」
「あァ?! 喰い殺されてェのかァ!?」
「アハハ、まあまあ」
胸倉を掴もうと手を伸ばすも、するりとかわされる。そしてクソガキは、ペラペラと喋り出した。
「ボクは《ルカ》。お兄ちゃんとおんなじに、掲示板でこのお花を見てここに来たんだよ」
「……聞いてねェよ」
「お兄ちゃんもこのお花を見に来たってことは、出会ったんでしょ?」
「……何?」
「ボクもなんだ。ボクの場合、いきなり“アイツ”が現れて、すぐやられちゃったんだ」
「お前、体はなんともねェのか?」
「う~ん。誰にも言わないでね。……ボクはあれ以来、ログアウトが出来なくなってるの」
「……ログアウトが、出来ない? 何言ってんだ、お前?」
訳が分からず困惑する。だが、ルカはそんな俺を無視して話を進める。
「本当のボクの体は、今も病院のベッドで寝てるままだと思うんだ。でもボクは
ゲームから体に戻る事が出来ずに、今もずっとゲームをしてるままなんだよ」
嘘つくんじゃねェよ、とルカを殴ろうと思ったが、思いとどまる。
あいつの……ケンもあんなことになってしまったんだ。ルカの話が嘘だとは、俺は思えなかった。
「“せいかく”に言うと、ログアウトしたら、真っ暗で何も見えないところで目覚めるんだ。体を動かすことも出来なくて、ただ機械みたいな音だけが聞こえるの」
それはつまり、現実のこいつの体は病院に居て、今も昏睡状態ってことじゃねえのか。
……ケンと同じように。
「じゃあお前も、あの天使を探してるのか?」
「うん、そうだよ。お兄ちゃんもそうなんでしょ? お兄ちゃんもログアウト出来ないの?」
ルカが心配そうに尋ねる。
「いや、俺は何ともなってねェ。普通にログアウト出来るし、飯も喰えるし、眠れもする。……まあ学校には行ってねェけどな」
「え、そうなの? お兄ちゃん、“ねとげはいじん”なの?」
「うるせえよ、ほっとけ!」
「じゃあお兄ちゃんのことハイジン兄ちゃんて呼んで良い?」
「良い訳ねェ! それだとアルプスの少女みてェだろうが! 俺の名前は《ヱイタ》だ! 呼ぶならヱイタ様にしやがれ!」
俺がそう突きつけるも、ルカは納得がいかなそうに首を傾げ、
「何かしっくりこないよ。やっぱりお兄ちゃんて呼ぶね」
「つうかお前が俺を何と呼ぼうが関係ねェよ! もう俺とお前が会うことはねェ!」
ちょっと冷たいが、ガキにかまっている暇はない。俺はわざと突き放つように言うも、ルカはまるで堪えた風でもなく、それどころか残念なものを見るように俺を見る始末だ。
「何言ってるのお兄ちゃん? ボクたちは同じ“ひがいしゃ”なんだよ。これから一緒にアイツを探す“なかま”なんだよ」
「はァ? 仲間だァ? いらねェよ。俺は一人でもアイツを探せる」
「あれれ、良いのかな? そんなこと言って?」
もったいぶったようなルカの物言いにいい加減イラついてきた俺は、もう無視して街へ帰ろうと踵を返した。だが、
「ボク、“じゅーよー”なてがかりを持ってるんだけどなあ」
「……何?」
ルカの一言に、俺は思わず足を止めてしまう。
「今なんつッた? 手掛かりだァ?」
再度俺はルカに掴みかかるも、やはりするりとかわされる。
「話せ! あの天使みてェなモンスターについて、何か知ってるんなら話せ!! 奴は一体何なんだ? 今どこにいんだ? アイツを倒せば、俺の親友は目を覚ますのか?」
「まあまあ、そう焦らないでよ。ボクには時間がいっぱいあるから、逃げたりなんかしないよ」
何時の間に後ろに回ったのか、俺は膝の裏をとん、と押され、思わず前につんのめってしまう。
「な、何――」
「明日のこの時間、お兄ちゃんがこの場所に来てくれたら、詳しいことを話すよ。ボクはそろそろ眠くなってきたから、宿屋さんに帰るね~」
「待て!」
俺はやっと掴みかけた手掛かりに手を伸ばすも、ルカは何時の間に手に持っていたのか、横笛を口元に持っていき、徐にメロディーを奏でた。
するとルカの体はふっと、まるでろうそくの炎を吹き消すように、消えてしまった。
「ちッ……転移かよ」
あれは指定の場所へ瞬間移動するアイテム《フェザーフルート》だ。残ったのは、ルカが寄越した一枚のカード。
これは《プロフカード》というもので、プレイヤー名などの個人情報やメッセージなどが書かれている。
アルテニア・オンラインはどんなスキルを以てしても他のプレイヤー名やステータスは知り得ないので、これを贈るということは友好の証という意味合いが含まれるが、俺にとってはそう思えなかった。むしろこれは挑発と受け取れる。
そこには「明日の午後5時に始まりの街の酒場で待ってるよ♪」と記してあった。ついでに記載されていたルカのアドレスにインスタント・メッセージを送ってみるも、どれだけ待とうが返事は返ってこなかった。
俺はカードをぺきりとへし折った。カードはオブジェクト破壊判定が出て、すぐに淡い光となって虚空に溶けて消滅する。
「ざまあみやがれ」
そう吐き捨てて、さらにカードが落ちた辺り、何もない地面をげしげしと踏みつけるも、すぐに虚しくなってやめた。
何にせよ、これが唯一と言って良い手掛かりなのだ。奴を半殺しにしてでも、情報を聞き出してやる。