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◆第七話『彼岸への悲願』

1.


「お兄ちゃん」


 気が付くと目の前に僕の妹、叶が居る。

 夢だ。僕は夢を見ているようだ。

 自分を動かすと同時に自分を遠くから見ているような不思議な感覚があった。


「またお話聞かせて!」


 そうだ、ここは叶の部屋。床には柔らかな絨毯が敷いてあって、僕らはその上にクッションを引いて座ってる。


「いいよ」


 妹を喜ばせようと、僕は快く承諾した。


「今度はどんな話?」

「じゃあお姫様とある少年の話をするよ」

「うん!聞かせて!」


 僕は話を作って聞かせるのが得意だった。


「今からずっと前、姫様と付き人の少年が馬車で――」

「――うん――それで――」

「――――」


 視界が、音が、そして意識さえもが、曖昧になっていく。やがて目の前が真っ白になり、その状態が続くと、場面は次の局面に移行した。


「お兄ちゃん、今日も遊んでくれないの……?」

「だから忙しいんだって……これから塾行かなきゃいけないし……」


 僕は四角い独特の形をしているリュックサックに教材とノートを詰めながら言った。


「もうお話ししてくれないの……?」


 叶が僕の左腕に絡んでくる。


「そういう意味じゃないって……」

「嘘だよ!お兄ちゃん最近全然構ってくれないもん!もうお話ししてくれないんだ!」

「違うって言ってるだろ!」

「痛っ……」


 僕は叶を強引に振りほどこうとして、強く転ばせてしまった。


「あ……ご、ごめ――」

「もういいよ!お兄ちゃんなんて大嫌い!」

「お、おいちょっと――」


 言い切らないうちに叶は走り出し、僕はすぐにその背中を追い掛けた……。


2.


 鳥の囀りが聞こえる。それから窓から差し込んできた日光が、目を刺激している。

 時計を見ると、時計の時針は九時をとうに回っていた。

 僕は身体を起こし、目を押さえて、小さな声でひとりごちる。


「…………まるで捏造じゃないか……」


 頭を掻くと、僕はすぐに部屋を出た。部屋の中から視線を感じたが、それを振り払って浴室に向かう。

 着替えとタオルを用意し、着ていた服を脱いで中に入った。


「ふぅ……」


 頭からシャワーを浴びつつ、眠気を覚ます。段々と身体が火照ってくる。冬の寒さの中で浴びる温かいシャワーは最高だ。僕はそのまま、浴室に暖房が行き渡るのを待った。

 本当は頭を真っ白にしながら待つのが一番なのだが、さっきから今朝の夢のことがぼんやりと頭に残っている。


「…………他にも考えるべきことはあるだろ……」


 僕は頭を切り替えることに努めた。叶の夢を――あの日の夢を――見るのはこれが初めてではない。そろそろ、コントロール出来るようになるべきだ。

 そう思いながらも、簡単にコントロール出来るようなら夢にまで出るようなことはない。叶の存在は、それだけ僕の中で大きかったのだろう。

 結局他のことを考えることが出来ず、気をそらして何も考えないようにするのが精一杯だった。

 暖房が行き渡ってからは、身体を洗うことに集中した。その結果、風呂から上がる頃にはなんとか今朝の夢から頭を切り替えられたわけで。


3.


 僕は考え事をしながら、リビングで軽い朝食を食べていた。

 考えていたのは、主にこれからのことだ。

 正直、僕は幻想戦争(ブレッシングカタストロフィ)と呼ばれるこの争いに興味や関心はある。だが、参加するつもりはさらさら無かった。

 創作として外側から見ているだけならいいが、自分が参加するとなると話は違うし、何よりもこれは実際に起きていることなのだから、外側から見て満足したいなんて考えは悪徳でしかない。

 僕は勝手に巻き込まれて、なし崩し的に命懸けの戦いを強いられたのだ。

 しかし、魔法使いの契約は確かに交わしてしまったのだし、昨晩みたいに、バトルフィールドに引きずり込まれたら、そこから出る為に、(いや)が応でも戦いをせざるを得なくなる。

 一体、僕に何のメリットがあるというのだろう。

 僕には世界規模の話なんて呑み込めないし、世界が滅ぶのは嫌だが、そんな漠然とした理由で命を懸けて戦おうと思うほど、正義感が強くもない。

 そんな僕のような人間が人間側の戦士として選ばれてしまったのは、不運だったとしか言いようがない。僕にとっても、恐らく居るであろう僕らを束ねている存在にとっても。

 ところが、昨晩竜人を倒したことで僕は引き返せなくなってしまった。

 僕は、亜人とはいえ人の形をしたものを――

 ガチャリ。

 閑散としたリビングにドアノブを回す音が響き渡る。

 リリスだ。


「少し早めのブランチ? 優雅ね」

「…………はぁ……」


 僕は目を手で押さえて大きな溜め息をついた。

 最悪のタイミングだ。

 人が真剣に悩んでいる最中なのに、こいつはなんて能天気なのだろう。


「何よ、その反応」

「お前昨夜のこと忘れたのか?」

「覚えてるわよ」


 リリスは何を言いたいのかよく解らないようだった。僕はそのことに余計不機嫌になった。


「昨日竜人を、……その……倒しただろ? お前には慈悲の心が無いのか」

「天使に慈悲の心が無いわけないでしょう」


 彼女の冷淡な答えが気に入らない。


「じゃあなんでそんなに平気そうなんだよ!」


 僕はとうとう机の上を拳で叩きながら叫んでしまった。


「もうあいつは逝っちゃったんだぞ! 僕は……いや、僕『達』は取り返しのつかないことをしてしまったんだ!」

「…………」


 リリスは黙り込んだ。

 しばらく居心地の悪い沈黙が続く。

 そこで先に口を開いたのはリリスだった。


「……私だって残念だとは思ってるわよ」

「じゃあ何であんな作戦提案したんだよ!」


 僕は感情剥き出しのまま発言する。

 リリスはしばらく僕を見詰めると、僕の横に来て、屈み込んで視線を合わせた。そして、僕の眼をしっかりと捕らえると、話を続ける。


「……私はね、パートナーである章に死んで欲しくないの」

「…………」


 こいつ、いきなりなんだ……?

 いきなりそんな真面目な顔されたら、何も言えないじゃないか。


「彼が死ななければ、章が死んでいた。だから私は章が勝つ為なら、どんな作戦だって立てる。章は私のパートナーで、初めて仲良くなった人間だから」

「そう、か……」


 僕はリリスの気持ちがわかって、不思議な気分になった。

 こんなの、ずるいだろ。

 そう思いつつも、段々と自分の怒りが収まっていくのを感じた。

 そんなことよりも、初めて見るリリスの真面目な姿に、魅了されずにはいられないわけで。

 僕が落ち着いたのを見ると、リリスはおもむろに立ち上がる。


「色々考えることはあるでしょうけど、あなたには、戦う理由が必要、そうよね?」


 僕はリリスに圧倒されていた。


「あ、ああ……」


 確かに一言で言えばそうかもしれないが……。


「この戦いに勝利したら、一つ願いが叶うって言ったら、どうする?」

「一つ……願いが……?」


 僕は困惑した。それでもリリスは話を続ける。


「魔法使いに選ばれるのは、はっきりとした、叶えたい願いがある人だけ。章にも、何か叶えたい願いがある筈よ」

「叶えたい……願い……」


 僕はぼんやりと、今朝見た夢を思い出した。


「どんな願いでも、叶うのか……?」

「そう。ただし、最後まで生き残る、それが条件」

「…………」


 だとしたら、答えは一つしかない。


「……思い当たったみたいね」


 リリスはいつもの何処かナルシーな微笑をしながら言う。


「言ってみなさい」

「……なんで言わなきゃいけないんだよ」

「私はあなたの協力者なのよ。教えて当然でしょ?」

「言いにくいことなんだよ」


 彼女は軽く溜め息をついた。


「私が願いの内容を把握しないと叶えられないのよ。それにね」


 彼女は椅子に座って手を組み、話を続けた。


「今後の戦闘にも関わるの」

「……何の関係が?」

「一から説明するとね、あなたは私を通じて天界の魔力を流し込んでいる。そして魔力の流動速度は守護天使と術者の(リンク)によって決まる」

「リンク?」

「一言で言えば、心の繋がりの強さのことよ。だから願いを共有して、共感して戦うことで戦闘能力は上がる」


 リリスの咳払いが入る。


「ロジカルな話するとね、こうなるの。それでも『言えない』って言うなら、私は仕方ないからその時が来るまで待つわよ。こればっかりはどうもならないからね」


 ……さて、どうしたものか。

 リリスは言いにくいなら時が来るまで待つと言ってくれている。

 あの話を、ここでするべきだろうか?

 いや、僕は、リリスにこの話を出来るか……?

 今までのリリスの行動を思い返してみる。

 突然魔導書として現れて、異形を倒すために半ば無理矢理仮契約させた。すると今度は本契約しないと魔力が枯渇して死ぬかもしれないなんて言い出して、本契約の準備をさせて午前三時には契約の儀式だ。そして次はわけのわからない場所で命懸けの戦闘を強いり、なんとか勝利して今に至る。

 でも最初の戦闘で気絶してしまった僕を抱えて部屋まで運んでくれた。

 時に取り残された空間に入ってしまい、困惑していた僕を落ち着かせてくれた。

 腹を貫かれて死にかけた時は我を忘れて本気で心配してくれた。

 不器用で高飛車だけど、いつも一生懸命で、根は優しいのだと思う。


 ――私は章が勝つ為なら、どんな作戦だって立てる。章は私のパートナーで、初めて仲良くなった人間だから


 意外にも、ついさっき言われた言葉が止め(とどめ)だった。


「……全部話さないと駄目か?」


 この質問に意味はない。

 何故なら、訊くまでもなく全部話すつもりだったから。


「……話せるところまででいいわ。……妹さんのことよね?」

「な、なんで知ってるんだ?」


 僕は驚愕した。対照的にリリスは落ち着いている。


「言っておかないと気持ち悪いから言うけど、憑き人のことはある程度調べておくのよ。でも、妹さんのことは深くは調べられなかった。本人の口から聞くべきだと思ったから。……私が知っているのは、妹さんが事故で……」

「…………」


 僕はしばらく口をつぐんだ。

 人の過去を勝手に調べられて、怒ってないと言えば嘘になる。

 真顔だが、悪びれるような態度ではない。きっと彼女は本当に言わないと気持ち悪いから言っただけなのだ。

 それでも、正直に話してくれたことは事実なのだし、深く探ろうとせずに僕の言葉を待ってくれた。

 互いに相殺(そうさい)されたと感じたので、僕は何も咎めずに話を続けた。


「リリスの知ってる通り、妹は交通事故で昏睡状態になってる。これから全部話すよ」


4.


 あの日を思い返して後悔することは、僕にとっての叶への贖罪行為に当たる。

 僕と叶は最初とても仲が良かった。ある日僕が中学受験を受けることになるまでは。

 今朝夢に出たが、あれにはある決定的な間違いがあった。

 僕は叶をすぐに追い掛けようとなんかしなかったのだ。

 塾に行かないと後で親にきつく怒られる。実力テストも近い。

 授業に付いていけなくなるのは当時の僕にとって困るどころの話ではなかった。

 本当は中学受験なんてしたくなかった。

 叶と言えば、まだそういう年頃ではなかったし、親は「女の子は結婚という道があるからまだ良い、だが男は自分で稼げないとやっていけない」とよく話していたから、そもそも叶には僕ほど期待していなかったのかもしれない。

 当時は認めてなかったけど、嫉妬の感情もあったかもしれない。


「なんで僕だけが……」


 そう思った。

 ただそれ以上に、悲しかったんだと思う。自分の時間が奪われていくのが。叶の期待に応えてやれないのが。

 そんな複雑な思いがあったからこそ、僕はあの時、選択肢を間違えたのだと思う。

 僕は迫り来る塾の時間へのプレッシャーに耐えきれず、叶を放って塾へと向かったのだ。

 結局、その後叶のことが心配で勉強に集中出来ず、僕はトイレに行くと言って授業を抜け出し、自分の家まで帰ってきた。

 杞憂であって欲しいと願いながら家の中に入ったが、そこに叶の姿は無く。加えて姉も両親もまだ帰ってきていない。

 僕はすぐに家を飛び出て叶を探し回った。

 叶がこんなことするなんて初めてだったから、何処を探していいのか見当も付かず、ただ闇雲に叶の名前を叫んで走り回った。どんな狭い道にも入っていった。

 そんな時、遠く公園前の道路を渡った先に、とぼとぼと歩いている叶の姿が見えたのだ。


「叶ーー!」


 僕は名前を呼びながら叶の元へ走り出す。


「お兄ちゃん……?」


 叶は立ち止まってきょろきょろと辺りを見回し始める。泣き腫らした顔をしているのがわかった。

 やがて叶がこちらに気付き、一瞬逃げようとして、何故か青い顔をして足を止めた。そしてそのままこちらに向き直ると、こちらに向かって走り出す。


「お兄ちゃんっ!」


 二人の距離はもう目と鼻の先だった。


「叶、ごめ――」


 丁度交差点に出たその時、叶が僕を強く突き飛ばす。


「え……?」


 すると目の前を何かが横切り、叶が視界から消えた。

 一瞬、僕は何が起こったのかよくわからず、真っ直ぐ前を向いたまま呆然自失。

 ただ何を思ったのか、僕は車の先に視線を移した。

 状況を理解するには十分過ぎる情報量。

 血の気が引いた。

 身体中が震え、その場から動けなくなった。

 それからのことは、よく覚えていない。


5.


「僕は最低だよ。自分が原因なのに、結局叶を犠牲にして生き残ってしまった」


 リリスはずっと黙って僕の話に耳を傾けていた。


「それに、ちゃんと謝りたいんだ。構ってやれなくてごめん、って」

「……妹さんを救いたいのね?」

「…………そうだ。どんな手段でもいい」


 自分の命を懸けるだけの価値がある。


「その願い、確かに聞き入れたわ。これからもよろしくね、章」


 そしてリリスは立ち上がり、次の言葉を紡いだ。


「じゃあ今日は一日遊ぶわよ」

「……いや、何故そうなる」

「リンクを高める為よ。それに、今まで色々と忙しかったしね。休息は必要よ。それから……」


 まだあるのか……。


「章の住んでる町のこともよく知っておきたいしね」

「……でも以前、町の様子を見てくるって言って出掛けなかったか?」

「誰もこの町を案内しろとは言ってないでしょ」

「……は?」


 何を言っているんだ、こいつは。


「要するにデートよ」

「…………?」


 しばらく頭の上に疑問符が浮かび、やがてそれが弾けた。


「は!? お前それ言ってる意味解ってる!?」

「解ってるわよ」


 冷静なリリスとは対照的に、僕は慌てふためいていた。

 リリスは人差し指を出し肘を曲げた状態から僕を指差してこう言った。


「博物館がいいわ」

「いやまだ行くと決めた訳じゃ……」

「いいから行くの。どうせ予定も無いんでしょう?」


 ……う。

 それを言われると、厳しい。


「わかったよ行けばいいんだろう行けば!」


 強がってそう言ったものの、内心はかなり昂ってしまっていた。

 次の更新日は未定ですが、必ず金曜日に更新します。

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