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◆第六話『予想と現実』

1.


 僕はリリスの感知を元に、竜人の近くへと歩みを進めた。どうやら、天使には竜人をある程度感知する能力が備わっているらしい。

 遭遇した時のことを考えると、足が竦む。でも、やるしかないのだ。この空間から、脱出するには……。いや、でも……。

 そんな葛藤をしている間、リリスはただ黙っていた。

 励ましの言葉でも、かけてくれないのか。そう思うのは、傲慢だろうか。いや、リリスに期待するだけ、無駄なのかもしれない。しかしそれでも、どこか期待してしまう自分が居た。それくらい追い詰められていたのかもしれない。


「あと50mくらいで遭遇するわよ。しっかりね、章」


 結局、リリスはただ一言、そう告げただけだった。


2.


 ある角を曲がると、僕は広い道の真ん中で竜人と再び対峙した。


「二度現れたか。偶然、というわけではなさそうだが」


 竜人は顎をかきながら言った。


「あら、ただの偶然かもしれないわよ。どちらにしてもあなたには分からないでしょうしね」


 リリスは堂々と白を切った。

 僕はそんなリリスの余裕の態度に少し安心感を覚えた。

 竜人は失笑して話を続けた。


「妙に自信があるようだが、何か作戦でも立てたか?」


 一瞬ギクリとしたが、よく考えてみるとそう判断するのが妥当だった。


「さぁ、どうかしらね」

「……まぁ、いい。これを見てもその余裕の態度が保てるかな?」


 竜人が指を鳴らすと、竜人の分身が大量に物陰から現れた。

 僕たちは完全に包囲されていた。

 顔から冷や汗が滲み出る。それでも、僕はリリスのことを信じていた。


「一つ良い事を教えてやろう。今、この場の全員の口が動いているのが見えるか?つまり、最初に姿を現したのが本体とは限らないということだ。後は自分の目で確かめた方が早いな」


 最初に対峙した竜人の体が霧散する。

 話していたのは分身だったのか……。

 周りの竜人の分身が一斉に剣を構えた。


「章、魔導書の形態に戻るわよ!」


 そう言うとリリスは一瞬で変化(へんげ)した。


「もう逃がしはしないぞ!」


 竜人の分身、そしてどこかに居る筈の本体が一斉にこちらに向かってくる。

 心理的にもっと余裕があったとしても、影を見るほどの猶予は無さそうだった。視界が悪いのもあるが、全方位なんて確認出来ない。

 落ち着け……落ち着け……。

 僕は足音に集中する為に、目を閉じた。


「なるほど。少しは頭が回るようだな……だが」


 身体能力が向上しているのは確かのようだ。遠くの足音までよく聞こえる。

 リリスの言った通り、足音が二つしか聞こえない。

 そう……足音が、二つ。

 ……二つ!?

 どういうことだ!?


 リリスに相談している暇はない。どうにかしないといけないが、一体どうすれば……。

 前なのか?後ろなのか?

 確率は二分の一。

 僕は覚悟を決め、後ろが本体であることに賭けた。


水撃放射(エキルトゥス・アトゥア)!」


 水撃が届いた瞬間、竜人は水の勢いに押されて彼方へと吹っ飛ばされた。

 僕は賭けに勝ったのだ。

 ようやく長かった夜が終わる。

 そう思った砌。


 グサリ。

 あれ?

 腹の辺りが妙に熱い。

 そこに手を触れてみた。

 赤いものがべっとりとくっついている。


「なんだよ……これ……」


 意識がぼんやりとしてきた。

 天使の姿に戻り駆け寄ったリリスの叫び声が遠くなっていく。

 やがて僕の意識は完全に途切れた。


3.


 僕は袋小路の角で目を閉じながらお腹を押さえてうずくまっていた。

 そこに竜人が現れた。


「亡骸くらいは拾ってやろうかと思って来てみたが、まさかまだ生きていたとはな」


 竜人は鞘に収まっていた剣を抜く。


「そのまま死ぬのは辛かろう。介錯くらいはしてやる」


 竜人が迫ってくる。


「わざわざ……介錯しに……来たのか……?」


 彼は僕が喋りだしたのを見て目を丸くした。


「その通りだ。……しかしあの傷でまだ喋れるとは驚きだな。良い根性をしている。その闘志に免じて痛みを感じる暇もなく倒してやる」

「放っておけば死ぬのに、本当にお人好しだ……」


 僕は立ち上がって、腹を押さえていた手を離した。


「気が変わった」

「……!?」


 竜人は後退りしながら驚いている。


「お前、腹の傷はどうした!?」

「直ったよ……リリスの魔法でな。つまりは……」


―――――――――――


 話は気を失った直後に遡る。


「……ら…………きら」


 誰かが僕を呼んでいる。


「……きら…………」


 僕は死んだんじゃなかったのか?


「章!」


 僕ははっとして目が覚めた。


「え……僕……生きて…………なんで……」

「私が回復魔法を使ったのよ」


 回復魔法……そんな便利なものが……。


「……じゃあ何でさっき叫び声を上げながら駆け寄って来たんだ?」

「べ、別にいいでしょ、そんなこと!」


 ……僕は何か焦らせるようなことを言っただろうか?


「でもそれなら最初に剣撃を受けた時にも使ってくれよ。意外と痛かったんだぞ」

「こういう万が一の時に備えてに決まってるでしょう」

「万が一の時……?」

「この魔法は出来れば使わない方がいいのよ……」


 リリスは珍しく項垂れている。


「……使わない方がいいって、どういうことなんだ?」

「一日に一回が限度よ。それ以上使ったら、大変なことになる」


 大変なこととは何か。

 気になったが、あえて訊かなかった。

 聞いたら余計に怖くなる。そう思ったからだった。


「いいかしら?さっきのことは後で説明するから、手短に作戦概要を伝えるわよ。これは時間が勝負なの」


 僕は黙って頷いた。


「まず、奴は私達を探して回っている筈。あなたの生死を確認する為にね」

「明らかに致命傷だったと思うが……」

「いくら戦争を起こしたとはいえ、彼らにもプライドがあるのよ。亡骸くらい看取るつもりでしょうね」


 最終確認というわけか。


「そこであなたはここで、深傷(ふかで)を負っている振りをしなさい」

「……何故?」

「ここは見ての通り袋小路。深傷を負った人間が逃げ込むのはごく自然。それに、ここなら竜人も油断するでしょう。私が魔導書の形態になっても、気にしない筈よ。相手はあなたが深傷を負ったままだと思っているしね」

「それって、竜人を騙すってことか?」

「そうなるわね」


 竜人を騙し討ちにする……。

 それって、わざわざ霊気解放を待ってくれた竜人に対してかなり失礼な気がする。

 これは戦争……命の駆け引きなのだ。一度倒したら、取り返しが付かない。


「これが一番確実な方法よ」


 でも、リリスの言った方法で竜人を仕留めれば、僕は事実上無傷のままこの空間を抜け出せるんだぞ……?

 僕は、一度あいつに殺されかけたんだぞ?

 悔しくないのか?


「……本当にそれしか方法は無いのか……?」

「私は一番確実なプランを提供してるだけ」

「…………」

「そろそろ時間よ。うまくやりなさいね」


 そう言うと、リリスは魔導書の形態に戻った。


4.


 そして今に至る。


「それからずっと考えてたよ。その作戦を飲むかどうかをな。でもお前の言葉を聞いて決心が付いたよ。騙し討ちなんて、やっぱりするべきじゃない。特にお前に対してはな」


 僕の中から不思議と不安が消え、気分が高揚してさえいた。

 目の前の奴は、人を見境なく襲うような怪物でも無ければ、好んで人殺しをするような人でなしでもないのだ。

 今も隙を見せているが、こいつなら攻撃はしてこない。僕はそう信じきっていた。


「…………」


 彼は暫しの沈黙の後、口を開いた。


「……馬鹿な奴だ。だが同時に……誇るべき戦士だ」


 わかりあえたのが、互いに認めあえたのが、とても嬉しかった。


「その言葉、素直に受け取っておくよ」


 彼は、そして恐らく僕も、口許を緩ませていたに違いない。


「はぁ……和やかな雰囲気のところ申し訳ないけど、決着はどう付けるのよ」


 リリスが不機嫌そうに割って入ってきた。彼女の作戦を無視したのだから、不機嫌なのは当然だろう。しかしそれ以前に、彼女は僕らのやり取りに興味が無さそうだった。


「決闘形式……それが相応しいだろう」


 僕が答える前に竜人が答えた。


「中世の上流階級にでもなったつもりかしら?」


 リリスが皮肉を言っているが、二人とも気にしなかった。


「じゃあ場所を変えよう」


 そう僕が提案して、場所を変えることになった。


5.


 まさか再び中学校の校庭に来るとは思わなかった。


「互いに背を向けて二人の距離は50m、私がカウントダウンするから0になったら振り向いて戦闘開始よ。いいわね?」


 僕と竜人は頷いた。


「だがその前に――」


 竜人はお辞儀をした。


「名前を問うてもいいだろうか?」

「名前か……挺水章……それが僕の名前だ」

「私の名前はハサン・コンプソグナトゥスだ」


 僕とハサンはニヤリとした顔で笑った後、互いに背を向けた。


「じゃあカウントダウンするわよ」

「了解」「承知した」


 リリスは魔導書の形態のまま、数字を読み上げた。


「3……」


 カウントダウンが始まると同時に、身体に緊張が走る。


「2……」


 身体が震えているのが自分でもわかる。


「1……」


 でも……やるしかない。


「0」


 僕とハサンが一斉に振り向く。


水撃放射(エキルトゥス・アトゥア)!」

視覚分身(レグナルレポッド・ティアス)!」


 ハサンは初撃をジャンプして避けつつ、二つに分身した。

 奴が近付いてくる。足音は……一つ。

 僕は迷わず足音がする方に照準を向けた。


水撃放射(エキルトゥス・アトゥア)!」


 頭を空にして、僕は水流魔法を撃ち込んだ。

 気が付くといつの間にか、竜人がかなりの近距離まで接近していた。

 彼は咄嗟に水撃を盾で防いだ。そしてまた……膠着状態。だが、僕の水撃の威力にほんの少しずつだが後退していた。

 ……こんな状況だと色々と考えてしまう。

 せっかく何も考えないことにしていたのに。

 ……このまま押し勝ったらどうなる?

 盾は砕け、彼は吹き飛ばされるだろう。

 そしてその衝撃でやがて……。


「!? 章、水流魔法の威力が……」


 どうやら水撃が弱まっているらしい。

 段々と僕の戦う意志が薄れているせいだった。


「章! しっかりして!」


 リリスの声が心に響かない。


「アキラッ!」


 僕ははっとした。ハサンが初めて僕の名前を呼んだからだ。


「俺は全力でお前を倒す! だから全力で俺を倒せ!」

「だってそんなことをしたらお前は……」

「全力で戦わない相手を倒してしまった後の俺の気持ちも考えろ!」

「………!」

「それは殺してくれと言っているのと同じだ! 俺はそんなこと絶対に許さないぞアキラァァァァァ!」


 僕は俯いていた顔を上げ、ハサンをしっかりと見つめた。

 そして水撃を放つ腕に全力を込めた。


「うおおおおおおおおお!」


 水流魔法の威力が急激に強まる。

 やがてハサンの盾が少しずつ砕けていく。

 それでも、僕は水撃を弱めなかった。


「ああああああああああ!」


 そして彼の盾は完全に砕け、ハサンはそのままの勢いで吹っ飛ばされ、それを確認した僕は水撃を止めた。

 …………終わった……?

 それから頭が真っ白になり、僕は膝から崩れ落ちた。


「ほら、聞いてあげなさいよ……彼の最期の言葉を」


 リリスの言葉を聞いてすぐに、僕は立ち上がり、ハサンの元へ駆け寄った。

 ……どう見ても戦闘出来る状態ではない。

 それどころか……。


「アキラ……」


 彼は死ぬ間際にもかかわらず、その表情は穏やかだった。


「なんで……笑ってるんだよ……。お前……死ぬんだぞ……?」


 僕はそれとは対照的に、今にも泣き出しそうな酷い顔をしていたに違いなかった。


「それに……何で敵に塩を送るようなこと……」


 視界がぼやけていく。彼の最期の姿をしっかりと目に焼き付け、彼の目を真っ直ぐに見つめる為に僕は何度も目を擦った。


「……勘違いするな。別にお前の為を思って言った訳じゃない……だが……」


 ハサンは少しの間沈黙し、その間僕は、彼の言葉をただひたすらに待った。その時間は、僕にとってとてつもなく長く感じられたが、そのお陰で彼の言葉を正面から受け止める覚悟が出来た。


「お前のような人間に出逢い……倒されるのなら本望かも……な…………」


 それが彼が口にした人生最後の言葉だった。

 少しずつその身体がダイヤモンド・ダストのように煌めきながら霧散していく。

 こんな時、どんな弔いの言葉をかければいいのか、不幸にも僕は知らなかった。


「……お疲れ……ゆっくり休めよな……」


 ハサンが聞いていると信じて、僕はそう告げた。

 これが彼の最期だというのに、僕がやっと口から絞り出したのが、そんなありきたりな言葉だったことが悔しかった。

 ハサンが完全に消える最後の瞬間まで、僕は彼を見守っていた。

 彼は自らの最期に見せたのは、まるで幸せであったかのような、見てて気持ちの良い笑顔だった。

 ついさっきまで、確かにハサンが存在したその場所で、もし天国と地獄があるのなら、天国に行って欲しいと願いながら、僕は手を合わせる。

 一方リリスは天使の姿に戻ると、僕の横で目を瞑っていた。黙祷していたのだと、僕は信じた。

 純粋な沈黙が、辺りを支配している。


「初戦闘お疲れ様。章」


 リリスは何処か気まずそうな笑顔でそう言った。


「もう疲れたでしょう? 早く帰りましょう」

「……リリス、もう少し、ここに居てもいいか?」


 正直、僕はこの場から離れるのが嫌だった。

 彼が居た証が無くなってしまう……そんな気がして。


6.


 バトルフィールド「時に取り残された空間」を抜け、結局家に帰ったのは、午前5時頃だった。

 玄関から入る訳にもいかず、結局リリスに自室の窓まで運んでもらった。

 今回の戦いには色々と疑問点が残るが、精神的にも体力的にも、それを問うだけの余裕は残されていなかった。

 自室に帰るとすぐに、着替えるのも忘れ眠りに落ちていった。

 言い様の無い、これからの未来に対する漠然とした不安を抱えながら。

 それは自分の命の心配かもしれないし、竜人を倒すという行為そのものに対しての罪悪感から来るものかもしれなかった。

 僕は無意識的に、あるいは意識的にか、考えたくなかったのだ、不安の理由を。理由がわかってしまえば、余計に怖くなることが、なんとなく解っていたから。

 後に避けては通れない問題だと知るのに、さして時間はかからなかった。

 次回第七話の更新は、7月13日(金)です。

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