SX70
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授業そっちのけだったせいか、放課後になるのがいつも以上に早く感じられた。
例によって部室に行くと、賀田川&英輔カップルがパソコンの画面を見ながら楽しげに話しているところだった。またデジカメで膨大な数の写真を撮ったのだろう。
二人は部室に入ってきた俺に気付き振り向いた。
「あ、ツヅクさん。ういっす」
「うっいーっす! センパイ!」
「よう。賀田川、これ、頼まれてたやつ」
俺はスクールバッグの中から例のものを取り出し、賀田川に渡した。
「え……おお! なんてこっちゃ! ポラじゃないですかいっ!」
賀田川は俺が渡したポラロイドカメラを持って、天井まで届かんばかりに飛び跳ねて喜んだ。スカートがひらひら舞って、中が見えそうで結局見えてしまった。
もちろん目は逸らした。
ああ、逸らしたとも!
「これ、部長が貸してくれたんすか?」
英輔は言った。
「ん……んや、荒井のカメラ置き場から勝手に拝借した。俺も今使ってるカメラはあいつから借りてるし、まあいいだろ。っつっても、最初はなぜかバラしてあったけど。でも元に戻しといたから。むずそうだったけど、プラモ造る感覚でパチパチってな具合にサクっと復元できたぜ。さっき適当に風景撮ったら、普通に使えたぞ」
軽く言ってみたが、実は分解されているのを見たときは、ああこりゃ駄目かもな、と諦めそうになった。けれどいざ組み立ててみるとその難易度の低さに拍子抜けした。
そのせいで、俺はますます荒井が分解した理由が分からなくなった。俺にだって復元できたのだから、荒井なら楽勝のはずだ。それとも改造しようとしている途中だったのか?
「それ、SX70っすね」
「へえ、そういう名前なのか。俺、ポラのことはよく知らないんだよなぁ」
俺は賀田川が振り回しているポラロイドカメラを改めて見た。
折りたたみ式のカメラで、大きさはさほどではない。食パンをパタンと半分に折ったぐらいである。ボディの一部が茶革で覆われているところがなんとも洒落ている。俺はカメラっていうと無骨な黒いボディしか知らなかったから、これには驚かされた。
「なんか人気らしいっすよ。雑誌とかにも載ってたりしますし。ぶっちゃけ聡里が欲しがってたのもこれなんすよ」
「あ、そうだったのか。そりゃよかったな」
なるほど、それならあの天井に届いて突き破らんばかりの喜び様も頷ける。パンツだって堂々と見せちゃえるってもんだ。
いや、もちろん俺は見ようと思ってみたわけではない。不可抗力だ。不可抗力万歳。
「うっわーい! ありがとうございますセンパイっ! ようし、じゃあ早速……」
「ってちょっとおい、聡里……」
賀田川は椅子に座っている英輔にグイグイ体を寄せ、片手でポラロイドカメラを持って自分達にレンズを向けた。
……いや、俺が撮ってやってもいいんだけど、なんだかそれは二人を邪魔する空気の読めない行為であるような気がして俺は躊躇した。つうか、できれば賀田川にももう少し躊躇してほしいが――
「ほらほらー、もっとくっ付かないと写らないよん」
躊躇する気は全くないらしい。
「ったく……あ、すんませんツヅクさん」
「い、いや、別に気にしてねえけど」
すんげえ気にしてるけど!
「じゃあいっくよーっ! 一億二千万マイナス一億千九百九十九万九千九百九十八は?」
「ええとええと」
パシャ。
……英輔、笑えてねえぞ。
SX70のボディから一枚の写真が出てきた。ポラだからまだ真っ黒だ。賀田川がその写真を持って団扇をあおぐようにヒラヒラ振っている。
――と、部室のドアが静かに開いた。
モコかな、と思ったら、荒井だった。
珍しいな。皆がいる時間にはあまり姿を現さないんだが。
荒井の登場に賀田川と英輔は緊張したのか、急に表情を強張らせた。とくに賀田川はそれが如実に現れていて、いつもの天真爛漫さはどこへやら、今はおろおろと迷子の子供のように不安げだ。
良くないよな……こういうの。どうにかしねえと――
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
突如、けたたましい何かの音が部室に響き渡る。
何か?
何だよ!?
音?
何の音だよ!?
――荒井の絶叫だった。
俺と賀田川と英輔は、驚愕の表情を浮かべてわなわなと震える荒井を呆然と見るしかなかった。荒井は目に涙を浮かべさえしている。
「な、なんだよ荒井」
俺はどうにかそれだけ言った。後輩たちを恐がらせてはいけない。いっそ帰らせちまったほうがいいか?
「なんてこと……なんてことしてんの!?」
荒井は怒鳴った。
俺にとってそれは久しぶりに聞く荒井の声だった。
賀田川と英輔はポカンとしている。二人にとっては間違いなく初めて聞く声だ。二年になってからの荒井は、たまに喋るときがあっても恐ろしく小さな声で呟く程度だった。二人が唖然とするのも無理はない。
「なんてことって……別に何も――」
「それ!」
荒井は賀田川が持っているSX70を指差した。ヒッと驚く賀田川。
「それは何なのよ!」
「何ってポラロイドカメラだけど……ああ、そういうことか。悪かったよ、勝手に借りて」
「馬鹿! あたしはそんなこと言ってんじゃないわよ! あたしはね――」
「ありゃ、なんだろ。写真に数字も浮かび上がってる。あたしと英ちゃんの頭の上に『2』って文字が……』
賀田川が出来上がった写真を見て呟いた。
「2!?」
荒井が悲鳴のような声を上げた。「ちょっと貸して!」
「あ……」
荒井に写真をひったくられて悲しそうな顔をする賀田川。いったい何なんだよこれは。さすがに腹立つぜ。
「おい、荒井。いい加減にしろよ。勝手にカメラ借りたのは悪かったけど、さっきからお前のやってることは意味分かんねえぞ。それとカメラは返すけど、せめてその写真は賀田川にあげてもいいだろ」
俺は言った。
でも俺の言葉は荒井に全く届いていないようだ。荒井は写真を凝視して震えていた。
「そ、そんな……」
荒井の震える手から写真がはらりと床に落ちた。俺はそれを拾い上げて見てみた。
「……2」
満面の笑みを浮かべる賀田川と、馬鹿でかい数字の引き算に頭を悩ませ思案する英輔が顔をくっつけて写っている。
二人の頭の上には、それぞれ『2』という白い文字が浮かび上がっている。
「なんだよこれ。お前ら、頭の上になんか乗っけて写ったのか?」
「い、いや、何も乗せてないっすよ……」
「あたしも……」
「じゃあこりゃあ何だろ」
俺は英輔に写真を渡す。英輔はそれを見て首を傾げる。
「ツヅクさん、これ頭に何か乗っけてるっつうより、何もないところから浮かび上がってる感じがしないすか?」
「ううん、確かにそうだな」
「も、もしかして心霊写真!?」
賀田川が声を上げた。
「んや、そりゃないよ。だって『2』だよ? どんな幽霊だよ」
英輔は呆れたように言う。
「そ、そうだよねっ」
たしかに英輔の言うとおり、幽霊じゃないだろう。でも、幽霊のような不気味さは窺える。それはおそらくその書体のせいだろう。まるで煙のようにゆらめいて『2』と表記されているのだ。
この数字の正体を知っているのはおそらく……いや間違いなく――
「……なあ荒井、この数字は何だよ。知ってんだろ?」
「…………」
「荒井」
「……別に」
「あ?」
「別に、大した意味なんて、ない」
荒井はぼそぼそと言う。無口キャラに戻ってしまった。
「嘘だ。だったらさっきのお前の動揺はどう説明すんだよ。どう考えたって、何かあったって感じだったじゃねえか」
「説明の義務はないわ」
荒井は吐き捨てるように言うと賀田川からSX70を、英輔から出来上がった写真を取り上げ、部室を出て行った。
残された俺たち三人は、どうしていいか分からずしばらく沈黙したままだった。