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一年後

「むーん」

 現像したネガを蛍光灯の光りに透かして眺めているのは、俺の後輩の井戸未田いどまだモコ。何か納得がいかないことがあるのか、低く唸っている。

 ちなみにここは学校の暗室。

 広さは四畳半にも満たないが、棚や洗面台なんかがあるせいで自由に動けるスペースはさらに狭まり二畳ちょっとぐらいだ。ついさっきまで俺とモコがフィルム現像をしていたから、薬品の臭いがこの狭い空間にこもり鼻にツンとくる。

 俺は現像したばかりのネガを乾かすために洗濯ヒモと洗濯バサミでネガを吊るす。

「むむむーん」

 モコは丸椅子に座り、難しい顔をしてネガを睨んでいる。まあ、どんな顔をしようと童顔なんだけど。

 モコ本人は強く否定するに決まってるが、モコはとにかく童顔で、しかも身長は恐ろしく低い。自称150センチだが、俺の目算では140センチ台前半だ。

「どうしたんだよ、お子ちゃま」

 俺は言った。

「私はお子ちゃまなどではありません。こんな哲学者ばりに悩んだ顔をしているというのに、失敬です」

 やっぱ難しい顔してんのはフェイクか……。

「実は写真の出来には満足してんだろ?」

「……ま、まあプリントしてみないと分かりませんけどね」

 そう言うモコの表情からは笑顔が滲み出ていた。ったくコイツは……。

「そういえば部長は来てるのですか?」

「あいつならフィルムを装填してすぐ外に出た」

「そうですか。部長にこないだプリントした写真を見て欲しかったのですが」

「ああ、そりゃあちょっと難しいかもな。もし見せたとしても、これといったアドバイスは貰えないと思うぞ」

「むーん」

「なんなら俺が見てやろうか」

「結構です。どうせ先輩はアドバイスと称して『もっと牛乳を飲め。身長と乳のために』だとか言うに決まってますから」

「俺がいつお前にそんなこと言ったんだ……」

 俺は部屋の隅から丸椅子を引っ張ってきて座った。

「部長って、いつも一人でどっか行っちゃいますよね」

「ああ、そうだなぁ」

「そして寡黙な方です。写真一筋って感じです」

「ん……まあ去年はああじゃなかったけど。むしろ逆っつうか」

「そうなのですか。じゃあなぜ今はあんな孤独な一匹狼みたいになっているのですか?」

「……わかんね」

「先輩、また私を子ども扱いする気ですね。私とて大人の事情を察することぐらいできます」

「あ? 大人の事情? なんだそりゃ」

「私が推察するに、部長は失恋による傷が癒えぬまま、今を生きているのです。はい」

「何を根拠にそんなこと言ってんだか」

「女の勘ですよ。男性である先輩には理解できませぬ」

「あーそうですかい、お子ちゃまは賢いでちゅねー」

「……私はお子ちゃまなどではありません」


       *


 写真部に入って一年が経った。

 気が付けば俺は高校二年生になり、写真部に三人の後輩が入ってきて、先輩やセンパイやツヅクさんなんてふうに呼ばれるようになった。

 あっという間だ。ホント、早いよな。

 ……嫌になるぜ。

 でも、そんなあっという間に過ぎ去った一年間を思い返すと自然と頬が緩みにやけてしまう。

 楽しかった。

 なんだったんだろ、あれは。

 写真と、それに荒井歩。

 写真。

 どうして俺は今まで写真を撮らなかったんだろう。写真は残る。それは俺が求めていたスタイルだった。

 俺が撮る写真はジャンルも何もあったもんじゃない。

 風景? 撮る。

 人物? それも撮る。

 動物? もちろん、撮る。

 なんだって、撮る。

 俺が見たものを、全て残す。

 残せば自分を振り返られる。そこに自分が存在したことを、そこに自分が生きていたことを、そこで自分が動いていたことを思い出せる。手の平からポロポロと落ちていくものを回収できる。

 写真を撮ることで、俺はとても安定した。豚の丸焼きはもうしていない。つうか、そんなことしてる場合じゃねえ。

 写真が、写真が面白くてしょうがねえ。まあ、時間のことは相変わらず気がかりだけど……。

 とにかく、全ては荒井歩のおかげだ。

 荒井歩。

 写真部に入ってまず驚いたのは、部員が荒井一人だったことだった。必然的にヤツは一年生にして部長だった。

 荒井は俺と同じ学年で、入学してすぐに写真部に入部したらしい。

 ――が、写真部は部員が全員卒業し、部員数ゼロの廃部寸前部活だった。荒井は部員を集めようと躍起になったが、少し遅かった。どいつもこいつも入学して間もないというのに既に部活を決めていて、各々の活動に励んでいた。部活動が盛んな学校なのだ。

 ちなみに俺は団体での活動を好まない。活動的ではあるけど、それはほとんどの場合単独行動に限られている。

 ――で。

 そんな荒井の耳に、豚の丸焼き男子――つまり俺の噂が耳に入ったという。……そんなふうに呼ばれてたのか。しかも噂って……知らなかった。

 そんなヤツは暇人だもしかしたら暇人でさらに変人かもしれないけどとにかく部員は必要だ、と失敬極まりないことを考えた荒井は、俺を写真部に入部させた。豚の丸焼き姿の俺を写真に撮ったのはついでだったらしい。

 成り行きで入部し、部員は俺と荒井だけということを知った俺は、当然のことだが色々な意味で緊張した。だが、そんな緊張は無用だった。

 嵐のような女だった。

 いや、太陽と嵐を足して二で割らず足したままにしたような女だった。

 底抜けに明るくて支離滅裂に気まぐれで俺なんかより遥かに活動的だった。写真はもちろんだが、彼女はほかにもう一つ趣味があり、そちらにも力を注いでいるようだった。まあ、その趣味に関しては俺にはちょっと理解できないが……。

 荒井にとって写真はあくまでも表現の手段らしく、俺とはどうもそのスタンスを異にするらしい。とはいえ、写真を撮る仲間として俺を歓迎してくれていたことは確かだった。

 俺は荒井から写真を一から教わった。カメラの使い方から現像の仕方まで。今では一通りのことはこなせるようになった。部員は二人しかいないのに二十人いるんじゃないかと思うほどに、にぎやかで笑いが絶えなかった。

 でも、笑いは耐えた。

 荒井は突然笑わなくなり、ほとんど口を聞かなくなり、表情を消した。

 最初はまたいつもの気まぐれかと思ったけど、そうではなかった。何日経っても荒井は変わらなかった。それは春休み中のことで、まあ新学期が始まればどーにかなんだろ、と俺は暢気に構えていたが、新学期が始まっても荒井は死んだように――いや本当に死んでしまったのかと思うほどに、無表情だった。

 棺の中の死体だってもうちょっと良い顔をしているんじゃないのか。

 部長の荒井がそんな具合だったから、新入部員の勧誘には苦労した。俺は文字だけの素っ気無いビラを用意し、慣れぬビラ配りを敢行した。こんなんで部員なんか来ねえだろ……と半ば諦め捨て鉢になっていたけど、意外にも入部希望者が三人もやって来てくれた。その三人は今現在も部員として活動している。

 そして荒井も、活動している。もちろん部長だ。

 でも荒井は未だに黙秘を続ける犯人のように喋らない。なんだってコイツはこんな無口キャラになっちまったんだよ、と思う。

 その原因についてももちろん考えた。もし俺の気遣い指数ゼロの一言に傷ついてそんな状態になったとしたら、それは一大事だ。けど、そんなことはないだろう。むしろ俺が荒井の気遣い指数ゼロの一言で傷ついていたぐらいだ。

 まあ、気にしてないけど。

 でも、だとするとなんだろう……。

 まさかモコが言っていたように失恋じゃ……そりゃないか。荒井に限って。むしろ失恋させるほうが荒井らしいと思う。

 いずれにせよ、去年の荒井と今の荒井ではまるで別人なのだ。

 ただ、どちらの荒井も写真は撮っていた、撮っている。去年の荒井も、今の荒井も。

 あいつは何を思って、写真を撮っているんだろう。

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