声の大きな伯爵令嬢
ちょっと思いついたネタで、さっぱり読めるものをと思って書いてみました。
特段大きなざまぁや復讐はありません。
「ええっ⁉︎ 婚約者でもない貴族令嬢を親に隠れて連れまわすなんて、そいつ絶対クズじゃない! やめといた方がいいわよ!」
廊下まで響き渡った声に、教室の空気は凍りついた。
秋が近くなってきた頃、アリエッタは王都の貴族学院に編入した。
それまで辺境の祖父母の元にいたのだが、軍人気質の祖父の元で喜々として体を鍛えるアリエッタを見た両親が、娘の将来を心配して呼び戻したのだ。貴族にしてはおっとりとしていて、比較的アリエッタの好きにさせてくれていた両親も、年頃になっても鍛えるのをやめない娘に危機感を持ったようだ。
(別に騎士になるつもりも、貴族令嬢の本分を忘れたわけでもなかったのだけど)
ただ、腹の底から声を出す祖父の号令が好きで、自分もあの天に抜けるような声を出したいと思って鍛えていただけだ。おかげでアリエッタの最大声量は、屋敷の端から端に届きそうなほど大きくなった。
しかし、王都の貴族学院では、そんな大声ははしたないことと言われてしまう。
(うっかり大声を出さないように気を付けないと)
祖父母の広い屋敷では大声でないと聞こえないこともあったため気にしていなかったが、学院では不用意に大声を出してしまわないように気を付けなければならない。
先ほどの編入生紹介でも、努めて声量を下げて自己紹介したほどだ。
(でも、なんだか変な雰囲気の学院ね)
両親からは、王族も通う歴史ある貴族学院で、皆優秀なのだと聞いていたのだが、どうにも空気が変だった。どこかぴりぴりとした緊張感が漂っており、それでいて落ち着きがない。
自己紹介が終わり、教えられた席につくと最初の授業が始まったのだが、最初の授業はよく分からなかった。
アリエッタは辺境から来たばかりのため、多少予習はしてあるものの途中から始まる歴史の授業はさっぱりだった。用意した教科書を捲りながら初回から分からない授業にため息がでる。先生も時折こちらに向けて解説を入れてくれるのだが、何度もさせてしまうのは申し訳ないというものだ。
ふと横を見ると、隣の席の令嬢は教科書を出していなかった。それどころかノートもなく、筆記用具だけを出してうつむいて座っている。
(あら、教科書を忘れてしまったのかしら)
青い顔でうつむいている令嬢に、アリエッタはそっと肩をつついた。
びくっと大袈裟なほどに振るえたあと、令嬢は恐る恐ると言った様子でアリエッタを見た。
「良かったら一緒に見ませんか? 私、来たばかりで授業内容がさっぱりなんです。見せる代わりに多少解説してくれると助かります」
「え?」
アリエッタの提案に、令嬢は驚いたように目を見開いた。
「い、いいの」
「もちろん。困ったときはお互い様。助けあいは大切でしょう?」
アリエッタがにっこりと微笑むと、令嬢は涙を滲ませて嬉しそうに身を寄せた。
二人で並んで教科書を覗き込んでいると、周囲から視線を感じたけれど、編入生が珍しいからかしら、と首を傾げるしかなかった。
隣の席の令嬢はソラー男爵家のリリィ様というらしい。
彼女もあまり歴史は得意ではないようだったが、一生懸命アリエッタに解説してくれたおかげで楽しい授業になった。これは学院で最初のお友達ができるのではと、アリエッタはその後も彼女と楽しくおしゃべりをした。
リリィは自分が男爵令嬢だということを気にしていたが、アリエッタの家は新興の伯爵家だ。数代前は騎士爵だったということもあって、歴史ある貴族家に比べるとずっと社交界での地位は低い。そのことを話すと、リリィは驚きながらもどこかほっとした顔になった。
どうやらここは、貴族学院らしい身分による上下関係がしっかりとあるようだ。
(まあ、ここはいわば社交界の縮図みたいなものだものね。どれだけ平等を謳っていようと、生徒間での線引きはしっかりあるわけか)
祖父母のいる田舎で社交界とは離れて生活していたアリエッタは、改めて身を引き締めた。ここはうっかりするととんでもない地雷を踏みかねない場所だと理解したのだ。
しかし、初日から隣の席の子と友達になれたのだから、学院初日としては良いスタートを切れたのではないだろうか。
アリエッタはリリィとおしゃべりをしながらも、にこにことそんなことを考えていた。
リリィは薄桃色のふわふわとした髪に、大きな紫色の瞳をしていて、女性であるアリエッタからみてもとても可愛らしい令嬢だった。アリエッタと話すことをとても楽しんでくれているのか、にじみ出る喜色が彼女の周りに花を咲かせるようでこちらも思わず笑みを浮かべてしまう。
(こんな可愛い子とお友達になれて、なかなか素敵な初日よね。可愛い子と隣の席なんて、編入生特典かしら)
会話の内容は貴族よりも庶民寄りの話が多いが、男爵家と新興伯爵家の令嬢であればこんなものかもしれない。アリエッタは軍人気質の家に生まれ育ったが、市井の情勢に興味が強かった。
「リリィの髪飾り、綺麗ね。シンプルで普段使いしやすそう。城下で買ったの?」
「え、ええ。お忍びで街歩きした時に贈っていただいて……」
目を伏せつつも、頬は朱色に染まったリリィをみて、アリエッタはピンときた。
「もしかして、婚約者からの贈り物?」
コイバナに食いつくように身を乗り出して聞いたアリエッタに、リリィは恥ずかしそうに首を振った。
「こ、婚約者だなんてとんでもない。これは友人と街歩きしたときに、たまたま目に留まって。私が見てたから贈ってくれただけなの」
「そうなの? でも赤い薔薇の髪飾りなんて、恋人に贈るものよ。きっと相手もそのつもりで贈ってるわ」
「そ、そうかな」
頬を染め、まんざらでもない様子のリリィに、アリエッタは微笑ましく思った。
それに、お忍びの街歩きということは、所謂デートだ。貴族令嬢が男性とデートするには家の当主の許可がいる。つまり、その時点で家に話しは通っていることになるので、婚約まで秒読みといったところだろう。
良かったわね、とそれを伝えると、リリィは何故か少し悲しそうな顔になった。
「どうしたの?」
「えっと、お忍びだから、お父様には内緒で行ったの。だから、まだそんな話にはなってないと思うわ」
「ええっ?」
うつむくように下を向いてしまったリリィに、アリエッタは驚きの声をあげた。
(お忍びって、家の当主にもお忍びってこと? そんなのあり得ない)
そんなことをすれば、相手の令嬢の評判が地に落ちると分かっているはずだ。分かっていてやっているということは、相手はリリィを大切にしていない。
(なんてこと!)
ちょうどその時、教室の入口が少し騒がしくなったけれど、アリエッタの耳にはそんなもの全く気にならなかった。
ぐわりと昂った感情に背を押され、つい口を開く。
「そんなの‼︎ 婚約者でもない貴族令嬢を親に隠れて連れまわすなんて、そいつ絶対クズじゃない! やめといた方がいいわよ!」
田舎育ちの声量は、廊下の端から端に届きそうなほどに響き渡った。
しーんと、水を打ったような静寂がその場を支配した。
(し、しまった……)
目の前のリリィは瞳を大きく見開いて驚いている。言われた内容にもだろうが、なにより令嬢にあるまじき声量に驚いただろう。しかし、アリエッタに固定されていた視線は、不意にその向こう側を見て慌てたように動き出した。
「あ、えっと」
「突然大きな声を出してしまってごめんなさい。でも、やっぱりお相手の方はよくないと思うわ」
「その、違うの。相手の方はちゃんと私のことを考えてくれているのよ。ただ、少し事情があって、今は私たちの関係を公に出来ないの。だから、学院を卒業したら迎えに来てくれると言って下さったわ。優しい方なのよ」
慌てて弁解するように説明してくれたリリィだったが、それは非常に危ない内容だった。なにせ、聞けば聞くほどクズ男の都合のいい話にしか聞こえない。
「もしかして、相手は高位貴族の方なのかしら?」
「えっと、その、そう、かな」
うろうろとアリエッタの背後を気にしながら頷いたリリィ。周囲は驚くほど静まり返っていたが、アリエッタはがしっとリリィの肩を掴むと、言い聞かせるようにゆっくりとした口調で言った。
「身分を笠に着て、脅されているわけではないの?」
「ち、違うわ!」
一瞬どよめいた周囲をよそに、アリエッタはリリィの返答に安心した。
しかし、強制でないにせよ、このままではいけない。
「卒業したらってことは、学院ではずっと隠れてお付き合いをするつもりなの?」
「仕方ないのよ。難しいお立場の上に優しくて誠実な方だから、今も私のために心を痛めていらっしゃるわ。私は彼を支えられるなら待てる」
水の張った紫の瞳がアリエッタを真摯に見つめてくる。その向こうを見ている気もするが、漂い始めた甘い空気を一蹴するようにアリエッタは大きく息を吸った。
せっかく初めて出来たお友達なのだから、ここで目を覚まして欲しい。
「ぜんっぜん誠実じゃないわ」
「アリエッタ……」
「だってそれって当人だけの口約束でしょ? 口では何とでも言えるわ。デートだって、普通は家の当主に話を付けてから連れ出すものよ。じゃなきゃ、何かあったとき。責任の所在が宙に浮いちゃうじゃない」
「そんなこと」
「本人同士がどれだけ思いあっていても、貴族は周囲の了解を得られなきゃ絶対結婚出来ないのよ? 土壇場で駄目でしたってなったとき、傷を負うのは女の方なんだから、予防線は必要よ。大切にしてくれる方なのなら、まずは男爵様に挨拶してもらって、内々にでも話を通してもらうべきよ」
きっぱりと言い切ったアリエッタの声は、教室中によく響いた。
「大丈夫、ちゃんとリリィの将来を考えてくださる方なら、男爵様に挨拶してくださるわ。そこでごねるようなら、正真正銘のクズ男よ!」
「た、確かに……」
再びの静寂の中、アリエッタの勢いに押されたリリィの小さな呟きがやけに響いた。
(はっ、しまった、また)
リリィの内々の話だったのに、アリエッタの大きな声は教室中に響いていた。雑談していたはずの周囲は静まり返り、視線もこちらに集中している。
「ご、ごめんなさい。また声が大きくなり過ぎたわ」
あまりに内輪な話をばら撒いてしまったと、アリエッタは大慌てで謝罪した。
ふと、周囲の視線がアリエッタの背後に集まっていることに気づく。
(ん?)
振り返ると、四人の男子生徒が固まって立っていた。後ろ三人はとても気まずそうな顔でこちらを見ているが、先頭にいるとても煌びやかな格好の生徒は真っ青な顔で硬直していた。
「えっと、どちら様かしら?」
首を傾げたアリエッタに、答えてくれる人は誰もいなかった。
「まさか王太子殿下だったなんて……」
「ごめんなさい。アリエッタを巻き込んでしまったわ」
額に手を当てたアリエッタに、リリィは眉を下げて謝った。
今日、リリィとアリエッタは学院を退学する。
編入して一週間。儚い学院生活だった。
あの後、お付きの三人が引きずるように連れて行った男子生徒の正体を、リリィが恐る恐る教えてくれた。
なんとまあ、驚くことに、リリィがお付き合いしていた相手はこの国の王太子殿下だったらしい。
「王太子殿下って、婚約者いるわよね?」
「ええ……」
「やっぱりクズだったじゃない」
アリエッタの言葉に、リリィは気まずそうに視線を逸らした。
浮気をしていた自覚が芽生えたらしい。
それまでは、殿下から婚約者のことは単なる政略であり、互いに愛はないから問題ないと言われていたらしい。それをそのまま信じてしまうことも問題だが、言う方も言う方である。
王太子殿下の浮気は、同学年の間では公然の秘密と化していたらしいが、校舎の端から端まで届くほどのアリエッタの声量によって、もはや学院中に知れ渡ることになってしまった。
おまけに、噂ではリリィの方が王太子に付きまとっていると言われていたが、実際は王太子の方が、世間知らずの下位の貴族令嬢を道理も通さず扱っていたとバレてしまったため、王太子の人気が急降下した。
本人は真実の愛が云々言っていたらしいが、何をどう見たとしてもただの浮気でしかなく、王家と婚約者の家にこってりと絞られたようだ。
ただ、王家と公爵家の婚約がこの程度の浮気でなくなるわけもなく、王太子が今後婚約者の尻に敷かれるようになるくらいで終わった。ソラー男爵家へも莫大な慰謝料の請求がされるかと思われたが、今回は王太子の教育が目的だったことと、婚約者の令嬢が許してくれたことで助かったようだ。むしろ王太子ごと押し付けたいような雰囲気だったが、王太子は現王家唯一の男子であるため、廃太子なんかも気軽にできない。
実にやっかいな王子だった。
(それをわかっててやってたなら、やっぱりクズなのよね)
目が覚めたリリィは王太子から距離を取り、学院で高位貴族の怒りを買ってしまったことを当主である父に相談したらしい。
事態を察したソラー男爵は、速やかにリリィの退学を決めた。
男爵令嬢であるリリィは必ずしも学院を卒業しなければならないわけではない。文官や研究職を目指していない生徒にとって、学院とは社交の練習場であり、将来の伴侶を探す場である。
王太子と浮気し、公爵令嬢の不興を買ったリリィが学院で得られる縁はもはやない。
こうなれば、さっさと学院は退学して、どこかの金持ちの商人に嫁ぐか、商会で働くか、したほうが家のためだ。
リリィも今回の件ですっかり懲りたらしく、恋愛云々はまっぴらだと大人しく従った。今後は一度領地に帰り、父の方針に従って働くらしい。
「でも、致命的に詰む前に気付けたのは、アリエッタが言ってくれたおかげだから、本当に感謝してるわ。今思えば、私は自分の現状にも気づけずに、恋に酔ってただけだったのよね」
「そうね。考えが甘かったのは否定しないわ。相手ありきのことだから、貴方一人の責任ではないけれど、今後は気を付けないとね。お互いに」
アリエッタの言葉に、二人は互いに苦笑した。
退学するのはリリィだけではない。
アリエッタ自身は今回の醜聞に全く関係がなく、ただ淑女にあるまじき大声を出してしまっただけである。故に、アリエッタの名前は然程広まってはいない。
しかし、騒動の中心である王太子はいまだ健在だ。うっかり王都に居続ければ、いつ何時、王太子から報復されるか分からない。
事の次第を聞いたアリエッタの両親もまた、騒動に対するけじめという名目で速やかにアリエッタの退学を決定した。
もとより辺境ですくすく育ってきた田舎娘だ。王都に未練はない。
今、王太子は謹慎となっており、王家も公爵家との話し合いや醜聞の処理で忙しくしている。今のうちにとっとと王都から逃げてしまおうということだ。
連絡を受けて頭を抱えただろう両親の姿が目に浮かび、アリエッタは申し訳なさでため息をついた。
「ちょっと声が大きかっただけなのに……」
「ちょっと、じゃなかったからじゃないかな」
リリィの言葉に二人で笑い、その淑女らしからぬ笑い声が玄関ホールに響きわたった。




