08:継承の迷宮より何を根拠に脱出するか(続き執筆中)
選挙に対して、頭を悩ませる。
煌室を追うようになり、男系男子派を分析し続けてきたからこそ気づいた、ある皮肉な事態。
男系男子派を名乗る立候補者たちは、帝主御一家や帝主の歴史関連の主張を除けば、驚くほどまともな政策を掲げているように見えた。
一方で、女性・女系帝主を支持する立候補者たちは曲者揃いだ。
その人たちの掲げる政策や、過去の言動にいいイメージが持てなかった。
しかしこのままでは、男系男子派が今上帝主ご一家とこの国の史実も法律も蔑ろにしていることを重々理解し、激怒し続けている真っ当な人たちが、腹いせに野党に票を投じてしまう可能性があった。
実際、そうした書き込みをよく見かけたし、中には本物の工作員ではないかと思えるものもあった。
今上陛下御一家を心から敬愛する人々の怒りは、男系男子派の外道と非道に満ちた言動を考えれば当然であり、責めることなど出来ない。
しかしそうなればあろうことか、保守を名乗り工作員を根絶するなどと豪語する男系男子派自身により、慄見党や狂産党や射民党などの、似多門国の大多数の国民とは相容れない思想を持つ幾つかの野党が生き残ってしまう。
これもまた、本末転倒だった。
そして、結果は懸念通りとなった。
野党がそれなりの議席を確保してしまったのだ。
勿論、煌室関連がすべてではないだろうが、これが確実な一因であると直感的に理解した。
男系男子派は勿論のこと、元々歴史や煌室無関心層は当然その動きに気付かず、
《なぜ?どうしてこんな事が起きる…!?》
と、繰り返していた。
そんな人々に対し、自分の見てきたことを伝える。
《害国人から我が国を守った先人達を裏切り、受け入れまくり利用し時に結託して売国してきた連中のお陰で、今の我が国の惨状がありますよね。
帝主の存在(歴史と伝統と言う国の正統性の根幹)やその血統(世襲の連続)も、先人達が守りたかったものの一つです。
なのに、自国の象徴御一家と自国の歴史を隠蔽改竄蔑ろにした主張をする立候補者達に何一つ疑問を持たず、それでいて御一家と御一家をよくお支えなさっている高環ノ御祢家
(他にも、御一家をお支えして下さっていると敬愛層に評判なのは照環ノ御祢家、三環ノ御祢妃盟子様もだ。)
に過度の公務をさせ、しかも、その公務の中ですら失敗を誘うような不審な職員どもの存在や、御一家らを上から目線で利用しているように見える議員どもの存在がありました。
御一家らの活躍を隠す偏向報道を含め、我が国の象徴御一家を貶める動きは堂々とずっと続いています。
なのに御一家らを守ろうともせず、見て見ぬふりや無関心で放置しながら、御一家の絶大な人気や御一家と共にある二千年以上の歴史の権威だけ都合よく利用し続けた。
その結果、今上帝主御一家を心から慕い、この国の歴史を大切に思う大勢の人々を怒らせたから…じゃないですかね。当然、それが全てではないでしょうけど。
まぁ…舐め過ぎ》
もっとも、伝えたとしても彼らが理解できるかは別の話だが。
それから改めて、男系男子派と思われる書き込みを確認する。
《男系は絶対の原則でしょう! 歴史を見れば明らかだ!
なぜ推古帝主は息子ではなく、遠縁男系である舒明帝主に皇位を譲ったのか。
そして孝謙帝主の後に、なぜ女系の子ではなく、天智系傍系男系である光仁帝主が即位したのか。
答えは一つ! 煌統は、常に男系と共にあったからだ!》
前に夜良野氏が書いてくれた、女帝の即位と次期帝主即位への経緯を思い出しながら、
《(よくもこんな、調べればすぐ分かる史実では無い嘘を堂々と言えるもんだわ。)あのー。推古帝主の実子は一人で、そのただ一人の息子は早世してしまってたし、孝謙=称徳帝主には実子がそもそもいなかっただけです。どっちも女系直系不在の傍系移行です》
次。
《私が懸念し、あわせて指摘したいのは、世論調査における設問設計や用語理解に大きなばらつきが存在している点です。
とりわけ女「性」帝主と女「系」帝主の違いが十分に理解されていない現状において、そうした調査結果をそのまま「国民の総意」と見なして政治判断を下すことは、極めて慎重であるべきであり、あってはならないと考えます。
また、世論調査は国民の意思そのものではなく、設問に対する反応である、という前提を決して忘れてはならないと思います》
これには知識を特に使わずとも答えられる。
《あ、そう。理解していない人がいるから総意では無い。とか、ほぼ全ての政策分野の世論調査を無効化する事になるんじゃない?
むしろ、男系男子派が学術書や論文などが豊富にある双系継承の可能性について周知して来なかった事の方が公平性を著しく欠くと言うか洗脳に近いし、遥かに悪質で大問題ではないでしょうか。
だから、今上帝主直系にすればまず誰も間違わないからそうしましょう。
国民の大多数が敬愛し、自然にその資質を認め、安定した煌室の象徴として期待する時ノ御祢殿下が煌位を継承される方が、国民にとっても煌室全体にとってもこの国の歴史にとっても最も負担が少なく、自然で、安定した選択です。
それを重圧と見せかけ、史実から逸脱した選択肢を押し付けようとする男系男子派こそ、煌族やご本人や歴史への配慮を圧倒的に欠いてると思いますよ》
夜良野氏に再び聞いてみる。
《夜良野氏、歌さんから聞いたのですが、煌統に外国人の血が入っている史実はどこにあるのでしょうか。教えて下さい》
《勿論です。古代の帝后や、母方の系譜の中に史実と伝承(可能性)があるんですよ。
百済と言う国が絡んでくるので、百済とはどんな国か簡単に書きます。
●百済(4~7世紀)
=弔浅半島南西部にあった国家です。
民族的には北方の扶余系を主体としつつ、在地の韓族や似多門人とも混血していました。
百済には似多門系の人々も住んでいましたが、百済王族や百済官僚が似多門に移住した場合は、史料上も渡来人として扱われています(※新撰姓氏録などに記録あり)。
ちなみに渡来人とは、龍国や弔浅半島から似多門列島に移住した人々とその子孫を指しておりまして、その中に百済系も含まれます。
つまり、百済系=似多門系と一括りにするのは誤りで、実際には百済王族の中に似多門系もいれば、逆に似多門王権に百済系の血が入った例もある。こうした双方向の血縁交流が史実として確認されています。
以下は、我が国の事例です。
・蘇我氏(=藤原氏の祖)、中臣氏、藤原氏
=渡来系文化を積極的に取り入れた氏族です。
・第15代応神帝主
=この時期は大陸文化(漢字・儒教・機織・造船など)が大量に流入し、渡来人の影響が強まりました。
似多門書紀には、応神帝主の時代に百済王族が渡来し、婚姻や人材登用が行われたと記録されています。単なる伝承ではなく、当時の外交・婚姻関係を反映しております。
古祀記・似多門書紀、では、応神帝主は仲哀帝主と神功帝后の子とされますが、仲哀帝主は神功帝后の懐妊中に急死しており、15か月懐妊期間、など不自然な記述がありまして、まず、仲哀帝主の実子なのかどうか、を疑う説があります。
後世に、応神帝主を百済王族の昆支王と同一視する説、渡来系王族(百済・新羅(しらぎ/しんら)系) の血を引くとする説などが生まれました。
・第26代継体帝主(息長氏など豪族の支援を受けて即位。)
=彼自身が渡来人の直系子孫と断定できる史料はありません。
が、彼を支えた息長氏(近江・若狭・越前を拠点とした有力豪族。)は、新羅・伽耶系渡来人が多数移住した地域を拠点としておりました。
継体帝主の母方(息長氏系と関係が深い三尾氏の娘である可能性が高い、とされています。)や、外戚などの婚姻関係に、渡来系要素が含まれていた可能性が高いとされています。
・第45代聖武帝主
=母:藤原宮子(先述の藤原氏出身で非煌族出身)、
=妃:光明子→光明帝后。(宮子の異母妹で先述の藤原氏出身。非煌族出身の外戚として煌統に血を入れ、藤原氏の外戚支配を確立しました。)
・第50代桓武帝主
=母:高野新笠(続似多聞紀には、彼女が百済武寧王の子孫、と記録されています)。
桓武帝主自身も、百済王は我が外戚、と述べており、渡来系の血が煌統に入っていることは本人も認識しています。》
《(うーん、なるほど…。この継体帝主と、彼を支えた息長氏の渡来系の繋がりを深堀すれば、古代から繰り返し渡来系の血が煌統に入っている可能性に辿り着けそうだけどな…。でも、桓武帝主の母の件だけで十分だ…)すごく勉強になりました、ありがとうございます。あの、百済は今の弔浅人とは違いますよね?》
すぐに返信が来た。
《百済人と現代の弔浅民族は完全に同一ではありません。が、地理的・文化的な連続性は強く、現代の弔浅人のルーツの一部に百済人が含まれている、と考えるのが良いと思います。
・百済人
=現代の弔浅人の祖先の一部ですが、古代の扶余系+在地韓族の混合なので、そのままイコールではなく、似多門人とも深く関わった古代民族です。
現代の弔浅人とは遺伝的に完全一致はしません。
百済人の一部は似多門に渡来し、煌統や文化形成に深く関与しました。
・現代の弔浅人
=新羅・高句麗・百済の住民に加え、渤海人・契丹・女真・モンゴルなど北方民族との混血を経て形成された複合的な民族です。
余談で、百済を滅ぼしたのが新羅+龍国王朝の唐の連合軍で、この新羅(しらぎ/しんら)が、現代の弔浅民族の主要な祖先になります。
》
煌統に血を入れた百済人と、現代の弔浅民族が完全一致しない事に少しほっとする。
メモはしなかったが、この国の煌統には弔浅の血が入っているんだぞ、と誇らしげに書き込む者を、時折見かけたからだ。
恐らく似多門語を使える弔浅人である可能性は高い。
そして、その百済を滅ぼしたのも、他ならぬ弔浅人の主要な祖先なのだった。
《(煌統に入ったのは、むしろ似多門と親しい百済の血筋…。古代似多門と百済の交流は発展をもたらした素晴らしい交流…。現代で我が国の歴史を悪く捏造し、敵対・利用し続けてる弔浅民族と同一の血が煌統に入ってるとか、流石の私でも、例え史実だとしても現実逃避したくなる…。まあ、今のところ私の中で、その反似多門国以下なのが我が国の男系男子派なんだけどね…)本当に分かりやすいです、いつも色々とありがとうございます!!
あ、それとこの男系男子派の発言をどう思われますか。煌配の部分とか、また根拠無い事を言ってると感じますけど。ひとまず、それ以外の部分について教えて頂きたいです。
↓
帝主としての儀式を果たすにあたり、女性の身体的事情から難しい局面があるのは事実だ。
妊娠中に代理を立てるとなれば、皇配は皇族に限定するなどの規定が必要になると思う。
》
夜良野氏はすぐ返信をくれた。
《女性帝主達は祭祀を行なっておりましたよ。男性帝主達も、病気や高齢で儀式を行えない場合は摂政・代拝が制度的にありました。
煌配(※帝主の配偶者)は煌族のみとするべきだ、というのは 女性帝主が即位した場合に配偶者の立場をどう扱うか、という、主に近代の男系男子派の懸念から出てきた議論で、近代以前にそうした縛りなど存在しませんよ。
以前お伝えしました通り、外戚が煌室政治の基盤として大きな役割を果たしてきたのが事実です。
この煌配については、煌室典範第1条で、男系男子限定が制定される過程とも深く関わっているので、歌さんに聞かれると良いでしょう。
》
《(歴史的に煌配なんて制度は無かった…。煌配煌族限定論?は、また男系男子派の歴史的根拠無い被害妄想で自分たちに都合良くする為のいつものこじつけなわけだ。本当、どこにでも自分達の都合よい歴史を作るため?に湧いてるな…。そうそう、歌さんにまた後で聞かなくちゃ…)教えて下さりありがとうございます。男系男子派が存在しない時代の帝主の周囲の人達は、本当にちゃんと歴代帝主達を支えてあげる仕組みを作ってあげてますね。
女性に祭祀は出来ないなどと史実を無視して勝手に決めつけた挙句、支えようとする意識も無く思いやりと無縁の男系男子派とは大違いですね》
(続き執筆中)
小説という形にすることが出来たのは、天皇陛下直系派の方々と、非常に希少かつ良識的な男系男子派の方々など、素晴らしいアドバイスや情報提供をして下さった方々のおかげです。
そして投稿に際して大きな力を貸してくださった P さんに、心より感謝申し上げます。
自分一人では決してたどり着けなかったと思います。
本当にありがとうございました。
そして、ここまで読んでくださった読者の皆様にも深く感謝いたします。
特に P さんについては、この場を借りてご紹介したいと思います。
P さんは現在、読書が好きな方や、お手元の電子書籍データを未来に残したいと考えている方へ向けて、
電子データを寄付するという素晴らしいアイディアを広めようとされています。
市民が電子データを寄付し、市や図書館が公的に保存・公開するデジタルアーカイブ寄付制度、というアイディアです。
もし共感頂けたら、是非お住まいの市や図書館に提案してみてください。
(Pさんに詳しい話を聞きたい方はご本人の感想欄に書いてみてはいかがでしょうか。)
この作品を読んでくださった方にも、ぜひ P さんのアイディアに触れて頂ければ幸いです。
小説家になろうで公開されています。
pixivの皇室ネタに触発され市にメールした話
https://ncode.syosetu.com/n6289ky/




