94.何もできない自分がもどかしい
今日もデバッグだ。機械の街の続きから作業を始めないと。2日酔いなのか頭がすごく痛い。酒に強くもないのに飲み過ぎた。
「ミゥ、大丈夫? フラフラしてるよ?」
思考がおぼつかないせいで千鳥足みたいな歩き方をしてしまう。スライムを握り締めてイメージを保つ。
「大丈夫です。昨夜会社の飲み会で飲みすぎました」
また嘘を重ねた。フユユさんは特に気にしてないようで笑っています。
「今日は私がデバッグするからミゥは休む?」
「これくらいなら問題ないですよ。本当に大丈夫です。心配かけました」
無理して笑ったものの、どこかぎこちなかったかもしれません。
それからフユユさんと共にデバッグ作業です。スライム投げは彼女に任せて私は魔法やスキルのチェック。機械の国は建物も多く、地味に上れる所も多いのでそういった場所のチェックもかかせない。
作業は順調に進んでいました。珍しくフユユさんはいつもの冗談を言って来ませんでしたが、仕事に集中しているのでしょう。
♪♪♪
崩れかけの鉄の家に乗っているとメールが。バランスを保ちつつ、内容を確認。
課長からでした。
『魔界で進行不能のバグが確認されていると報告が入った。至急修正してもらいたい』
とのこと。魔界、となれば先のエリアですね。熱心に攻略してくれているプレイヤーがいるようです。もしかしたらナツキさんかもしれません。画面を閉じて地面に飛び降りました。
「フユユさん。私は少し先のエリアへ行ってきます。どうにも進行不能バグが発生したようです」
「それは酷いバグだねー。こっちは気にしなくていいよー。行ってらっしゃい~」
フユユさんが笑顔で手を振って見送ってくれました。その笑顔がまた遠い記憶を呼び起こしそうになる。違う、この子とあの子は関係ない。頭を振り払うようにして先へ急いだ。
※魔界※
禍々しく不浄の地へとやってきました。黒く歪んだ大地、血のような川、遠くから聞こえる薄気味悪い叫び声。植物らしきものは全て紫色に枯れていて、木のようなものは妙に蠢いている。
メールに記載されてる位置へと移動。場所は魔王の城周辺のようです。デバッグメニューからワープします。
いかにもおぞましいお城の前にやって来ました。城の前には1人のプレイヤーが立っていました。あれは、ナツキさんではないですね。長い茶髪でコートを身に纏っています。
「お待たせしました。進行できない状態と伺いましたが具体的に伺ってもよろしいですか?」
「はい。ここに来たんですけど城の門が開かなくて」
確かに門が閉まったままですね。近づけば開く仕様だったと思うのでとにかく近くに……。
……?
不意に相手のプレイヤー名が目に入る。
『Mine』
マイン……? いや、ミネ……?
思考が止まった。ミネってまさか……。違う、そんなはずはない。そもそも名前なんて自由に決められる。ローマ字でそう名乗るのも何もおかしな話ではない。それにミネなんて名前はありふれてる。そう言い聞かせて首を振り続ける。
「ミゥ……?」
相手が私の名前を呼んだ。一瞬ドキッとする。
平静を装う。何も知らない振りをして、ただ仕事を全うする。それからお互い会話がなかった。まるで今の私達のようだ。
似てる気もする。でも、記憶の中のあの子と、目の前のプレイヤーが別人すぎて……確かめることすらできない。VRだから声はそのままだというはずなのに、今のあの子の声が分からない。思い出すのは幼かったあの頃の声ばかり。
淡々とバグを修正した。そして門が開く。そのプレイヤーさんは頭を下げた。
「ありがとうございました」
「こちらこそお手数かけしてすみません」
お互い感情のこもらない声をしていた。義務的で社会人としての務めを果たすだけの会話。
そのプレイヤーは先へと進む。振り返りもせず歩いていくので、私も気にせず振り返った。もしかしたらあの子かもしれない。けど私達の道はとっくに違えている。もはやゲームの中ですら会話も成り立たない。だから遠い昔日の記憶に何の意味もないのだから。
※
機械の国に戻るとフユユさんは真面目に仕事をしていました。近くに行くと気付いたようで振り返ってくれます。手をあげて挨拶するとフユユさんが抱き付いて来ます。
「もう、なんですか」
「30分のミゥ成分補充」
少し大人になったと思えばこれですよ。今だけは許しましょう。
「ねぇ、ミゥ」
「なんですか?」
「本当に大丈夫?」
フユユさんが私の目を覗き込んで来る。ただのアバターの目なのに全てを見透かされてるような、そんな気持ちになった。
「大丈夫です」
「そう? さっきよりも具合が悪そう。何かあったでしょ」
この子はどうしてこんなにも勘がいいのか。あるいは隠してるつもりでしたが隠せていなかったのか。どちらにせよ、この事実を話す義理はない。
「何もありません。少し面倒なバグと出くわしただけです」
「嘘。だったらどうして昨日から目を逸らすの?」
意識していたわけではなかった。自分でも気づいていない些細な行動をこの子を見逃していなかったようです。
「フユユさんには関係ありません」
つい、口に出してしまった。それが失言だったと理解するのに数秒と必要なかった。
フユユさんはすごく悲しい顔をして私のそばから離れます。すぐに謝ろうと思いましたが先に彼女が口を開いた。
「ミゥ、あのね。私だと頼りないと思うだろうし、いつも助けてもらってばかりだし、何の力にもならないかもしれないけど……でも、話くらいなら聞けるから……。それしかできないけど……。辛いなら何でも聞くから……。それだけ……」
フユユさんはそう言い残して仕事に戻る。謝ろうとした口が塞がった。ここで謝ればまたこの子を傷つけるのではないかと思って。
この子は前に進んでいる。なのに私が逃げてどうするんだ。口にすべきは謝罪じゃない。その先に無味乾燥な関係になってしまったのを忘れたのか。だから、私は──
「フユユさん。少しだけ時間よろしいですか」
彼女は振り返った。
この鎖を放置してもこの子とは幸せになれない。だから、私が前に進まなければならないんだ。