89.ミゥはどうして沈黙したの?
蔦のアーチをくぐり抜けると柔らかな光が差し込んだ。そこは、庭園の中心にぽっかりと浮かぶ静寂の空間だった。足元には白く光る石のテラス。その周囲には、まるで星屑を撒いたように花が咲き乱れている。
光を宿した空中の葉が、ゆっくりと回転しながら浮遊していて、頭上では蔓植物が天蓋のように編まれ、柔らかく揺れていた。中央にはベンチがひとつ。
そして、その背後には空を映すような湖が、静かに広がっていた。
空中植物庭園の安置ポイント・静寂の湖
石のテラスをフユユさんと仲良く散歩。すると何かを見つけたようでパタパタと走っていきます。
「なにこれ、かわいい!」
湖の近くに大きさが30cmほどの小さくて丸い緑色のモンスターがいます。頭には苗木のようなのがちょこんと生えて、根のような足が少しだけ見え隠れしています。
「あー……おきゃくさま、だ。にゅうか、した。おいしいヤツ、あるよー」
脱力系マスコットのような口調で喋っています。フユユさんは気に入ったのか頭の葉っぱを撫でていました。商品購入の画面が表示されてるのにお構いなしで撫でています。
「この子はハーブのはーちゃんだね。欲しいー」
テイムスキルを使おうとしますが、安置ポイントなので魔法やスキルは使用できません。残念ながらはーちゃんはテイムできないんです。
「ミゥっ! この子を私に頂戴!」
「無茶言わないでくださいよ。この子はただの商人でNPCです」
「だってかわいいー」
葉っぱを何度も撫でていますがそこは頭なのでしょうか? ふわふわ揺れていますが。
「くさ……じゃなくて、ポーション、いる?」
はーちゃんは接客上手なのか定期的に喋るようです。
「じゃあ買おうかなー。はーちゃんのおすすめある?」
「青い星花……あげると、よろこぶかも」
「よし買ったー」
「おー……かいもの、ありがとー」
このNPC、他のに比べて気合入ってる気がします。ともあれ、フユユさんは購入が終わったようで、メニュー画面を閉じました。そして手には青い星花という小さな星型の花を持っています。
「はい、ミゥ。あげる」
使用するとスタミナ回復アップ。地味に役立つアイテム。確かここでしか購入できなかったと思います。ただ、そんなことはどうでもいいんです。
「ミゥ?」
差し出す手には小さな青い花。とても綺麗で見惚れそうになるくらい。
フユユさんは無邪気な顔をしてますが……。
「もしかして花アレルギーとか?」
VRでアレルギーは関係ないでしょう。その花を受け取りました。
「……ありがとうございます」
「ミゥ? どうしてそんなに顔が赤いの?」
……フユユさんはきっと知らないのでしょうね。
ブルースターという花は現実にも存在する。花言葉は幸福な愛、信じ合う心、あなたを守りたい。
意識してるのか、或いは無意識か。それともこのNPCには私達の関係を見抜かれていたのか。この小さな星花はまるでフユユさんに似てる気もします。どこか繊細だけれど、それでも一途に信じてる心がある。私も、あなたを守りたいと思います。大切にしまっておきます。
「お礼に私も花を贈ります」
メニュー画面を開いてピンク色の胡蝶蘭の花を出しました。いくつのも花が連なって羽のように垂れている綺麗な花。
「わー。綺麗~。ミゥ、ありがとー」
やっぱりこの子は何も知らない。でもそれでいい。直接伝えるのは少し恥ずかしいから。
いつかどこかで知ってくれたらそれでいい。
「……ふたり、なかよし。みてて、ほっこり」
はーちゃんには気付かれてるのでしょうか。でもゆらゆら葉っぱを揺らすだけでそれ以上は喋りません。
「買い出しは終わりましたか?」
「多分大丈夫」
らしいので歩き出したらフユユさんは名残惜しそうにはーちゃんを抱きしめてます。ちょっとだけ妬く……。
そのあとフユユさんは私にも抱き付いてきました。
「あの。なんですか?」
「ミゥが妬いてると思ったから」
こういう気持ちには敏感なんですね。だったらいつか、それにも気付くでしょう。
きっと、顔も声も分からなくても私達は通じ合えると、そう願いたいです。
フユユさんは私の手を取って歩き出しました。
「それにしても贅沢だよね。プレイヤー誰もいない」
湖を沿って、時々静かに揺れる水面を眺める。睡蓮が浮かんで流されていて美しい。
フユユさんは立ち止まって湖面を見つめていました。反響する水面には彼女が持つ胡蝶蘭が綺麗に映っている。水に映る彼女はどこを見ているのだろう。私には花を見ているように見えた。
「フユユさんとこうして静かに歩けるのも、今だけなんでしょうね」
難しいマップとはいえ、プレイヤーも増えて攻略する人も増えている。この2人だけの景色も今しか見られない。それが少しだけ寂しくもあった。
私、開発者失格かもしれません。全てのプレイヤーの為に届けたかったゲームも、今ではたった1人のプレイヤーとの時間の方が大切だから。
フユユさんは手を優しく握った。
「このゲームでは、だよ? 新作出たら私がミゥを連れて行ってあげる。それで誰も知らない世界で2人で過ごすの」
「それは付いていくのが大変そうですね」
思わず苦笑する。そうだ。今だけなんて寂しい考えはやめよう。この子とだったら、どんな未来でもきっと楽しくなるだろうから。