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135.この気持ち、今は抑えられる

 今日も仕事でログイン。残り少ないデバッグ作業だけれど、最後までしっかりやり遂げよう。

 広場へくると、いつもの始まりの街は夜の闇に包まれていた。


 けれど、ただの夜ではない。街はハロウィンの魔法にかかったように、あちこちがオレンジ色のかぼちゃランタンや紫の光で幻想的に照らされていた。


 通りには黒猫やコウモリの影が揺れ、窓には魔女のシルエットが浮かんでいる。街灯もオレンジ色の灯りに変わり、ぽつぽつと灯るキャンドルが道端に並んで幻想的な雰囲気を醸し出している。


 出店には、色鮮やかなキャンディや温かい飲み物が並び、プレイヤーたちが楽しそうに笑い合いながらお菓子を交換している。普段の静かな街が、今夜は笑顔とざわめきに満ちている。


 今日からハロウィンイベント開催。時期的には少し早いですが、運営的にも最後の仕事と思って気合を入れてるのでしょう。


 そしてコツコツとゆっくり誰かが近づいて来る足音がします。肩を軽く叩かれて振り返るとフユユさんが私のほっぺを指でつついてきます。また古典的な罠を……。

 あなたが笑顔ならそれでいいです。


「今日もデバッグですよ。とは言っても前にあった夏祭りのイベント同様に今回も街を見て回ります」


 初日というのもあって街には多くのプレイヤーがいる。以前も多かったですが今はその比ではない。渋谷のハロウィンほどではないにしても、通りには多くのプレイヤーが行き交っています。


「つまり、ミゥとデート」


 そういうのを口にするのは相変わらずですね。でも今回のイベント……というより仕事はもう1つ大きな理由がある。


「フユユさんの仕事も今日で終わりですね」


 週2のバイトなので私が異動するよりも先に早く上がる。だから今回で私とフユユさんが一緒に仕事できるのも最後。


「そっか。でも……最後に相応しい仕事だと思うよ。がんばろ?」


 今までならこの別れすらも悲しい気持ちで溢れた。けれど、今は顔を上げられる。あなたを信じるって決めたから。


「えぇ。行きましょう」


 そっと彼女の手を取る。フユユさんは少し驚きながらも笑顔を見せて、指を絡ませてきた。


 街には本当にプレイヤーが多い。プレイヤーだけならともかくテイムモンスターも一緒なので余計です。ブラキオサウルスやフェンリルを連れてる人はそれだけで存在感が大きい。


 まぁでも、それには意味もあるのでしょう。だって、今回のイベントは……。


「ミゥ様! トリックオアトリート!」

「フユユさんっ! トリックオアトリート!」


 近くを通りがかったプレイヤーに声をかけられて、オレンジ色の光を飛ばされます。そして画面には【お菓子を渡しますか?】というコマンドが表示されます。


 イベント期間中には特殊なアクション、『トリックオアトリート』というのが使えて、プレイヤー相手に使うとお菓子を求められます。それで合意を得られると双方にポイントが入り、それでイベントアイテムと交換できるわけです。お菓子は街の屋台などで無料で手に入る仕様です。


 アイテム一覧からキャンディエリアの飴を選んでそのお菓子をプレイヤーに渡しました。フユユさんも特に迷いなく渡してます。プレイヤーさんはお礼を言って手を振りながら去っていくので、何となく返す。


「ミゥ様だ!」

「フユユ~!」

「トリックオアトリート!」

「お菓子を受け取ってください!」


 それから色んなプレイヤーに接近されてはトリックオアトリートされます。バズが過ぎ去ったとはいえ、まだまだ根強いファンがいるようです。


 一瞬で歩くのも困難なほどに囲まれてしまいましたが、慌てることなく1人ずつお菓子を渡していきます。フユユさんも黙って渡していました。


 嵐が過ぎ去るとまた嵐がやってくる。初日から忙しくなったものですね。これではデバッグというよりファンサービス。


 それで半時間ほどしてようやく波が落ち着きます。


「この様子だと一日中こうかもね」


「そうですね」


 軽い言葉をかわして屋台を見て周りながら一緒に歩いていきます。


 以前の私ならフユユさんがプレイヤーにお菓子を渡してるというだけで気持ちが変になったかもしれない。この子もきっとそうだった。でも今は違う。もうそんな弱い私達じゃない。


「おっと! フユユ発見!」


「姉さんやほー」


 通りを歩いてると聞きなれた声がします。向かい側にナツキさんとミネが一緒に歩いてました。


「今日もラブラブデートか? なんつって」


「まぁそんなところです」


 ナツキさんの軽い冗談も適当に流します。


「へー。だったらミゥにトリックオアトリート!」


「じゃあ私はフユユにトリックオアトリートするね」


 2人が仕掛けて来たので事務的にアイテムを渡しました。その淡々とした動作に2人が目を丸くさせながら飴を見つめてます。


「なんか案外あっさりくれたな。フユユなら嫌がると思ったけど」


「ナツキもミネさんも大事な人だからね。はいこれ、ナツキも」


 フユユさんが律儀に手渡ししていました。なので私もミネにクッキーをプレゼントしました。


「なんか姉さんとフユユ、雰囲気変わった?」


「思った。前より大人になったというか?」


 2人が瞬きを繰り返して疑問に思ってます。何があったかは教えません。フユユさんと見つめ合ってこっそり笑う。きっとこの2人なら気付いてるでしょうし。


「ま、何事もなくてよかったよ」


「だね。そうだ、姉さんに報告。向こうの広場にいるジャックオランタンっぽい奴の挙動おかしかったよ」


 それはデバッグ案件ですね。急がないと。


「ミネ、ありがとうございます」


「いいよ。お菓子のお礼」


 それでフユユさんと向かおうとしたとき、近くで喧騒が聞こえます。視線を向けたらどうやらプレイヤーがなにやら言い争ってるように見えました。これは少し落ち着かせないといけませんね。するとフユユさんが私の手を離して歩いて行きます。


「こっちは私が対応する。ミゥは向こう行って」


 一緒に仕事できるのも今日が最後なのに、彼女はどこまでも仕事に真摯だった。なら、私も上司として最後までその責務を全うしましょう。



 ※時間経過※



「ふぅ。これでよし」


 時計塔の時間がおかしな挙動をしていたと報告があったので修正完了。時間はもう18時前だ。


 結局、あれからフユユさんと別れてから一度も合流できず終いだった。プレイヤーやテイムモンスターが多いというのもあって、あちこちでバグ騒動が起こって引っ張りだこ状態。おまけに移動する間にもトリックオアトリートしてくるプレイヤーもいて、本当に大変な一日でした。


 フユユさんとはメッセージでやりとりをして、あっちもあっちで大変だったようです。せっかく最後の仕事なのに一緒にいられたのは最初の半時間くらいだけ。最後くらい情緒の1つでも欲しかったな……。


「おまたせー」


 時計塔の高台で待っているとフユユさんが姿を見せました。どうやら仕事が片付いたようですね。


「いやー、プレイヤーが多いとやっぱり変な人も増えるねー。クレーム対応の大変さを思い知ったよ」


 フユユさんがげっそりした様子で手摺にもたれます。そんな話を聞いて思わず笑う。今までならそんな人を相手するだけでも逃げ出したくなったでしょう。


 なんとなく街を眺める。建物や街灯の光で照らされた夜景はどこか儚く幻想的。プレイヤーも見えるけどその騒がしさはここからだと聞こえない。静かな風だけが吹き続けて、髪を小さく揺らす。


 ふと、思い出してメニュー画面を開きます。それで……。


「「トリックオアトリート」」


 まるで合図してたみたいに同時にアクションを放つ。暗い夜空に淡いオレンジの光が2つ飛んで消えた。どこまでも考えてるのが同じなようで。


 クスッと笑い合ってお菓子を渡し合う。


 フユユさんからバレンタインで渡すようなハート型に包装されたものを受け取ります。中身はチョコ。その場で食べてみた。味は甘くなく、とってもビター。それがなんとなく嬉しかった。


「フユユさん、お仕事お疲れ様でした。あなたがいてくれて本当に助かりました。私だけでは到底できる仕事量ではありませんでしたから」


 恋人とかそういうのを抜きにしてもこの子の頑張りは目を見張るものがあった。もし、私が本当に上の立場ならすぐにでも出世させたいくらいに。


「まるで今生の別れみたいな言い方だね。私はまだログインするし、ミゥだって仕事もう少しあるんでしょ?」


 フユユさんは3段積みされたアイスクリームを頬張りながら語ります。


「はい。来週まではログインすると思います」


「それ以降は平日で会えないんだね」


「えぇ」


 私達は言葉を紡ぐのをやめるようにしてお菓子を食べる。でもその先の言葉は悲しみや不安からではないと思う。もう受け入れたから、ただの確認。それだけです。


「ミゥ、ありがとう。私、ここで仕事してよかった。きっとあのまま何も動かずダラダラとミゥと遊んでたら今みたいにはなれなかったと思う」


「この経験はきっとこの先でも役に立ちます。だからそれを大事にしてください」


「うん」


 時間はもうとっくに18時を過ぎていた。


 けれど、私もフユユさんもログアウトはしなかった。

 そのまま、ただ夜景を静かに見続けて――その瞬間まで、一緒にいた。

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