119.名前呼びは反則
※ホットアイス山脈※
無人島の荒地にある火山エリア。緑は殆どなく岩場ばかりが目立つホットサイド。周囲は海に囲まれていて、これまたデバッグの範囲が広そうです。ギミック解除後のアイスサイドもあるので今日はここで一日が終わりそうですね。
「では仕事を始めましょう。フユ……ちしろちゃんには海側のデバッグをお願いします」
「雨宮さん。今、フユユって言おうとしましたよね?」
「言ってません」
「雨宮さん♪」
フユユさんはからかうように顔を近づけてきます。本当これドキドキする……。
恋人というより、お嫁さんみたいな……。いやいや、何を考えてるんだ私は。
「ちしろちゃん。私は陸地をデバッグします」
「えー。雨宮さん一緒に来ないのー?」
「何度も言いますけど今は目を付けられているんですよ。物理的にも距離を置いた方がいいと思います」
「雨宮さんは私のこと嫌いになったの……?」
「嫌いじゃないです……ちしろちゃん好きです……」
「私も雨宮さんが好き……」
頭がくらくらしてきました。言葉だけでここまでハートを貫かれるならハグをしながら言ったらどうなるのでしょう。キスしたら……。
ダメだダメだ。煩悩に支配されてる。こういう所を周りにも見られてるんです。しっかりしなさい、雨宮海羽。
「休憩にでも合流しましょう」
「またあとでねー」
手を振ってフユユさんと一旦別れます。私も仕事と行きましょう。
道なりに進んで火山口を目指して傾斜地を登る必要があります。そして意外なことにプレイヤーさんがそれなりに攻略してるんですよね。今までの傾向から攻略組は本当少ないし、現在の8エリアに到達してるプレイヤーですら希少でした。
ホットアイス山脈もどちらかというと後半に属するマップですから今までの経験から考えてもプレイヤーがいるというのに驚きです。因みにホットとアイスにギミックが変化しますが、その景色はプレイヤー毎で設定されてます。ですから私はホットサイドの視点ですと、アイスサイドのプレイヤーが海を歩いてるように見えたりします。こういう観点からもバグがあるかもしれない。慎重に仕事をしよう。
ともかくまずはいつものテクスチャチェックから。スライムを岩などに投げます。最近慣れて来たせいか、スライムが自分の手元に戻るように跳ね返りを計算できるようになりました。塵も積もればですかね。
スライムを投げているとプレイヤーさんが近づいて来ました。
「ミゥさんだー。今日はフユユさんと一緒じゃないの?」
まるで挨拶と言わんばかりに軽い口調で聞かれます。おかしいですね……。私とフユユさんって最近は高難易度のマップばかり攻略してるのでそこまで目が付くはずないと思うのですが。平日は仕事で一緒にいるからそのせいなのでしょうか。SNSって怖い……。
「さすがに毎日一緒ではありませんよ」
ほぼ一緒にいる気もしますけれど。
「もしかして喧嘩でもしたの?」
そこまで仲良しって思われてますかー。いやはや、嬉しい反面、周りの目って想像以上に肥えてるんですね……。
「フユユさんと喧嘩なんてしませんよ」
「やっぱり仲良しだね~。お幸せに~」
満面の笑みで手を振って先へ進んで行きました。もう何を言っても無駄な気すら思えてきた……。そして別のプレイヤーが近づいてきます。
「ミゥ様ー。攻略手伝ってくださーい」
「今は無理です」
「つめたーい。でもそこがいいー」
ニコニコと笑顔で去っていきます。
更に別のプレイヤーが慌てて走ってきます。
「ミゥさん! 向こうでフユユちゃんが溺れてるよ!」
「彼女なら問題ないでしょう。気にしなくて平気ですよ」
そして別のプレイヤーがやってきます。
「スライムのお姉さん元気~? お喋りしよー」
「今は忙しいのでまたいつか」
「それは残念~」
……なんですか、これは。今まではスルーされてたのにすごく話しかけられるんですけど。
これもSNSの力なのですか。バズったらこうなるんですか? 無性にフユユさんの所に逃げたくなりました……。
でもそうなると尚更イチャイチャは禁止にしないとまずそうですね……。これでは監視カメラがあちこちにあるようなものです。ナデナデしただけで尾ひれが付いて誤解が生まれそうです。
※時間経過※
プレイヤーからの尋問を軽く受け流してようやく一区切り。なんというかドッと疲れが押し寄せて来ました。でも正直バズったのが今で助かった。ここでまだ最初のマップのデバッグなんてしてたらもっと酷い有様だったでしょう。
ともかく休憩なのでフユユさんに連絡を入れます。
返信来ない……。
海にいるから気づいてないのかも。海を見渡すと遠くでパシャパシャとイルカに乗っているプレイヤーを発見します。
惑星魔法『シューティングスター』
彗星を海に落とすと水飛沫が舞い上がる。フユユさんが気付いたので手を振って合図すると陸地へと戻って来てくれました。
「ちしろちゃん、休憩ですよ」
「お疲れ様です。雨宮さん!」
いつかみたいに敬礼してます。
ともかくプレイヤーがいなさそうな所へ彼女を連れていきましょう。手を掴んで……はダメか……。いや、それくらいなら、いやでも……。
「ミゥ、何してるの……?」
私が手を出しては引っ込めるので本気で心配されたようです。
「あ、いえ。プレイヤーが見てるので移動しようと思って、でも手を繋ぐのもどうかと……」
「雨宮さんはウブだねー」
そう言ってフユユさんが抱き付いて来ようとしますが、周囲にプレイヤーがいます。すぐに察してわざとらしく通り過ぎていきました。
「これは問題だよ……」
「ともかく向こうへ」
火山のある裏手側へ移動します。大きな影になっているので余程物好きなプレイヤーでないと気付かないでしょう。とはいえ油断はできないのでイチャつきは当然控えないとダメです。
「ずっとこのままなんて私死んじゃう……」
「今だけの我慢ですよ」
そうは言っても私も精神的に結構参ってます。ただでさえプレイヤーから探られてるのに、フユユさんと仲良くもできないなんて……。アイドルの恋愛ってこんな感じなのでしょうか……。
「仕方ない。こうなったら言葉攻めでミゥとイチャつくしかない」
この子の執念が恐ろしい。
「ミゥ的には雨宮さんって呼ばれるのと、ミゥって呼ばれるのどっちが好き?」
「どっちもという選択肢しかなくないですか?」
「分かった。じゃあ仕事ではミゥって呼ぶ。プライベートで雨宮さんって呼ぶ」
「普通逆じゃないですか?」
「さすがにゲーム内で本名呼ぶのはテロ行為でしょ。それにミゥを特定されたら社内で大変になるじゃない?」
それもそうでした。フユユさんに呼ばれるのが嬉しくてついうっかりしていました。
「わ、私はちしろって呼ばれても……いい、けど……」
髪をいじりながら照れてるの本当かわいい。やばい、また頭がぼーっとしてきました。
フユユさんに顔を近づけてしまいます。目が合う。
「ちしろちゃん……」
「ミゥ……だめだよ……」
だってもう、理性が……。頭の中がフユユさんでいっぱいになって……。
あと少しで唇が重なりそうな所でフユユさんに肩を掴まれて押し返されます。
「わ、私も我慢してるんだから、ミゥも我慢してっ……!」
はっ。私は一体何を……。
完全に意識がそれだけになっていました。周囲を確認します。どうやらプレイヤーはいませんでした。
私はこのまま理性を保てるのでしょうか……。