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本編07














   本編07













別邸にたどり着くとそこにはいつぞやのようにまたアルベルトがいた。玄関前のポーチで、まるで恨めしそうにすら思えるような様子でのっそりと立ってこちらを見ている。その疲れた顔。


「お前……」


アルベルトは、責めるとでも言えるような目で主人を見た。それで、思い出して荷物を抱えた両手のうちの片手でなんとなく主人は自分の顔を撫でた。


「戻っちゃったじゃない」


ソフィーだけが明るい声を上げた。魚を抱えて小走りに走り、アルベルトの顔をよく見ようと少し前を歩いていた主人を追い越して近寄った。


「どうしちゃったの?また元に戻っちゃったじゃない」

「そのようです」

「あなたもわたしの血を飲んだのでしょ?」


自分より背の低いソフィーにやや屈むようにしながら向き合っていたアルベルトは、ソフィーの話を聞いた後にチラリと主人の方を見て、それからまた視線をソフィーに戻して言った。


「お話を伺いましたか」

「聞いたわ」

「それで、同じことを、ご主人様に?」


笑顔でアルベルトと話していたソフィーはその笑った口を少し閉じるとじっとアルベルトを見上げた。


「ダメだったの?」

「中に入りましょうか」


そっとそう言って彼女の背に手を当てて促した。邸に入りがてらもう一度チラリと主人の方を見た。主人はその視線を無視して、邸の脇の小屋によると魚釣りの道具を片付けた。先に入った2人を追って中に入ると厨の方から物音がする。覗くと流しに2人で並んで魚の処理をしている。ゴリゴリと包丁の背でアルベルトが鱗を落としている。その背中を眺めながら、ダイニングの椅子に座った。


「どうやって食べましょうか」

「いろんな野菜と一緒に煮てしまいたいわ」

「鍋があったかな」


最初頬杖をついてその様子を眺めていた主人は、今度は片腕をその椅子の背に乗せると背中を預けて足を投げ出した。靴の踵が重い音を立てた。


「そうやっていると親子みたいだ」

「……」

「いや、爺さんと孫か」


アルベルトは主人の言葉を全く無視して、厨の戸棚をパタパタと開けては閉める。


「ああ、ありました。これくらいの大きさの鍋でどうでしょうか」

「十分よ」


重そうな鍋を下の棚からよっこらしょと出す様子を見る。昨日のあの若返った様子とは一転して、アルベルトは初老の男に逆戻りしていた。かまどの上にそれを置いた。


「すみませんが、わたしは今日は魚を料理まではしていられません。材料があれば料理はお任せしても大丈夫ですか?」

「できるわ」


調味料のありかとか、野菜はどこにあるか、また、2人のために持ってきたのであろうテーブルの上のバスケットを開いて見せる。パンやワインや肉が入っていた。


「これだけあれば、2、3日は持ちそう」


ソフィーの顔が輝いた。


「すみません。ソフィー様、あの、今日もまたいただきたいものが」

「ああ、それね。ほら、ここにあるわよ」


先ほどからずっと身につけていた血の入った管をソフィーは取り出した。アルベルトはそれを両手でおし頂いた。それから、ずっと無視していた主人に向かってソフィーに頭を下げたままの姿勢で話しかけた。


「ご主人様はそのお姿を誰にもお見せになりませんよう」

「……」


それから姿勢を正すとその管を懐にしまう。


「これはわたくしが責任を持ってお届けします」


そして、そのまま立ち去ろうとしかけた。


「ちょっと待って」


去ろうとするアルベルトをソフィーが呼び止めた。


「ダメだったの?」


アルベルトは振り返りしばらくソフィーを見て、そして、テーブルに叱られた子供のような顔でどかっと座った主人の若々しい様子を見て、小さくため息をついた。それは近くで見ていなくては気づかないほどの小さなため息だった。


「座って話しましょうか。とは言ってもそんなにのんびりはしていられないのですが」


そういってテーブルの方へそっと手を出してソフィーを誘った。テーブルに3人でつくとアルベルトは両手を空に持ち上げて、それを眺めながらしみじみとした声を出した。


「昨日、本当に久しぶりに昔の自分に戻れました」

「うん」

「そして、本当に久しぶりに魔法を使いました。嬉しかった」


いつもは感情をそんなに顔には表さない男が、この時ばかりは少し恍惚とした。


「でも、いただいた量でもったのはほんのわずか1日」

「うん」

「すぐにまた元に戻りました」

「そうね」

「ソフィーさん」

「はい」


アルベルトは真面目な声で、真面目な顔で語りかけた。


「ここに閉じ込められているのは、わたしとご主人様だけではない。もっと人がいるのです」

「どのぐらいいるの?」

「100人にはなりません。でも、少なくはない」

「うん」

「この人たち全員が自分が元に戻るために、元に戻り続けるためにあなたを求めたら、とても足りないのです」

「足りないって、血が?」

「そうです」


半ば、身を乗り出すようにしていたアルベルトはまるでそれを反省したかのように少し身を引いて伏し目がちになった。


「だから、あなたの存在は伏せておいた方がいい」


それからチラリとまた主人を見た。


「そのお姿で皆の前に出ないでください」

「お前は誰にも会わなかったのか?」

「ひどい風邪を引いたようだと言って顔を覆い、できるだけ誰とも話さないようにしたのです。今はもう元に戻りましたから、誰もわたしが一時的に若返っていたなど思わないでしょう」


アルベルトはまた、つとソフィーの方を見る。


「ただ、病に侵されているものにだけは与えてやってもらえませんか。生命が危ういのです」

「この人の、息子さん?」

「はい」

「構わないわ」


ソフィーにお辞儀をすると、アルベルトは立ち上がった。


「行くのか」

「はい」


立ち上がる従者が立ち去るのを主人は玄関まで見送る。邸の外へ出たところで、アルベルトは振り返った。表情と声音が先ほどとは少し違った。


「ややこしいことになりましたな」

「まったくだ」

「わたしが言っていることの本当の意味がわかっておられますか?」

「どういう意味だ?」


アルベルトは傍に立っている主人の片腕をギュッと掴みじっと覗き込むようにその目を見た。


「情を交わされましたな?」

「情?」

「あの娘とです」

「ばっ」


掴まれた腕を振り払い、アルベルトから少し離れた。


「馬鹿か、お前は。そんなことはない」

「なぜ、あの娘はご主人様に血を飲ませたのです?それともご主人様が所望されたのですか?」

「……」

「なんと言われたのですか」


あなたを見たい。本当のあなたの姿を見たい。


その言葉を思い出しながら、何も言えずにただ立っていた。目の前に緑の香りをふんだんに含んだ風景に包まれながら。


「そんなことをしても、何もいいことはありません。何もです」


アルベルトはやれやれというふうに頭を振りながら主人を置いて歩き出す。従者が森の土を踏み締めるとパキパキと乾いた音がなる。しっとりと柔らかい土を踏み締めて、緑の香りの中を離れてゆく。


「クリストフによろしく」

「大丈夫ですよ。このままいけばきっと全快されるでしょう」


主人が声をかけると、アルベルトは半身で振り返り、若々しい姿の主人にそういうと片手を振ってまた歩き出した。


***

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