6話 治療
『泉道高校って学力もバスケ部のレベルも高いんだ。だから私、泉道に入りたい』
中学3年生になったばかりの時の……深瀬の言葉を思い出した。
気づけば俺は体育館に足を運んでいた。
もうすでに練習試合は始まっていて、多くのギャラリーが声を出して応援している。
体育館は二面に区切られていて、前半分のコートでプレイしているのはレギュラーの選手だろうか。
動きが機敏だし、練習試合であっても負けられないという緊張感が伝わってくる。
海星高校の女子バスケ部もそれなりに部員数がいるようだが、泉道高校の女子バスケ部はそれ以上で応援している控えの部員が目立つ。
それだけ、層の厚さを感じる。
後ろ半分のコートは一年生のみでの練習試合が行われているようだ。
そこでプレイしている選手や控えで応援している部員を見渡してみるが……深瀬の姿は見られない。
「おい、何してんだよ」
俺の背後から声がしたので振り返ると、そこにいたのは不機嫌そうな表情をした遠藤だった。
「え、遠藤?なんで学校にいるんだ?」
「浅野が勉強頑張ってるだろうから、弁当作って持ってきてやったんだよ」
そう答えた遠藤は弁当袋を両手で抱えている。
「何でバスケ部の試合なんて見てるんだよ?」
「それは……話題になっていたし……気晴らしに、な」
そうだ、ただの気晴らしだ。
別に、深瀬がいるかもしれないと思っていたわけではない……。
「深瀬ならいないぞ」
「え?」
俺の頭の中を見通しているような発言に驚いた。
「あいつ、バスケ部に入っていないらしい」
「な、なんで、おまえがそんな事を知ってるんだ?」
「その辺にいる泉道の一年生に聞いたんだよ。浅野が呑気に試合を眺めている間にな」
俺が知りたそうな顔をしていたからと、遠藤は言葉を続けた。
こいつは本当に鋭い上に、行動力まである。
「そうか。あいつ、バスケ部に入らなかったんだ……」
「気になるのか?」
「俺は、ただ……」
深瀬がバスケ部に入らなかったのは、もしかしたら俺のことを気にして……。
「いや……何でもない」
今の俺と深瀬は、何でもない他人。
あいつがどんな理由でどんな選択をしても、俺には関係ない。
「それより、おまえ料理とか出来たんだな?少し意外だ」
「失礼な奴だな。これでも一通りの花嫁修業はマスターしてるんだよ」
「花嫁修業って。おまえはいつの時代の人間だよ」
家庭によっては、そういう境遇に置かれることもあるのか?
「まあいいよ。私一人で食べるし……。どっかの誰かはバスケの試合を見るのに熱が入ってるみたいだしな」
「なんだよ。冷たいこと言うなよ」
珍しく遠藤の態度が素っ気ない。
「あ!浅野くん、試合見に来たんだな」
「あ、ああ」
先ほどバスケの練習試合があることを教えてくれた白木が元気よく近づいてくる。
「浅野くん、この後昼飯一緒に食べないか?野球部の皆で食べるんだけど」
「お!モテ男の浅野くんじゃん。一緒に食おうぜ」
白木に続いて、他の野球部員も俺に声を掛けてくれる。
同級生から食事に誘われるなんて……中学の時の俺が知ったら、腰を抜かすに違いない。
彼らのお誘いに面食らっていると、遠藤は俺から距離を取るように歩き出した。
さきほど不機嫌そうに見えたが、俯いている今の彼女の表情を察することはできない。
「ごめん。先約があって、また今度」
元気が有り余っているのか、少ししつこい白木たちの誘いを断った俺は遠藤を追いかけた。
「待てよ遠藤。空き教室行くんだろ?俺も行くよ」
「……いいのかよ?あいつらと一緒じゃなくて……」
「いや、俺があの活発な集団にいるのは場違いだろう。おまえといる方が気楽でいいよ」
マイペースで過ごせる相手や環境が、俺にとって一番理想的だ
「そっか……仕方ねぇから一緒にいてやるか」
「ああ、そうしてくれ」
俺と遠藤は、いつも通り他愛もない話をしながら空き教室へと向かった。
▽▼▽▼
高校生の授業は中学の時よりも科目数が増えて難易度も高い。
中間テスト、期末テスト……俺はしっかりと準備をして緊張感を持って臨んだ。
この学校は成績上位30名の名前が廊下に張り出される。
その順位表に名前を乗せるために、切磋琢磨する生徒も多い。
「浅野くん凄いじゃん!進学コースで4位だぜ!」
スポーツコースに所属している白木が俺の隣で順位表を眺めながら、大きな声で騒いでいる。
多くの人が順位表を見に来ているのだから、目立つ行動は慎んでもらいたいのだが……。
「白木は何位だったんだ?」
「それを聞くのは野暮ってもんだぜ」
胸を張って下から数えた方が早いと発言する白木が少し眩しく見えるのは、なぜだろうか。
「浅野くんも凄いけど、遠藤はやばいな」
「そうだな」
遠藤は特進クラスの順位表で1位の好成績を叩き出していた。
それはつまり、学年で1番の成績だということを意味している。
「浅野、4位なんて凄いじゃんか」
「いや、おまえの方が凄いだろう」
俺の隣にやって来た遠藤は、当然の結果だと豪語する。
「それにしても……俺が4位なんてな……」
「意外か?浅野は勉強毎日頑張ったし、これも当然の結果だろう」
中学の時よりも色々なことに集中できるようになったというか……俺も高校生になって一段と成長できているということだろうか。
「浅野、トイレ行こうぜ」
「行かねぇわ。男女で連れションなんて聞いたことないぞ」
「それなら私たちが前例を作ればいいだろう?」
「わけのわからない事を言ってないで早く行け」
トイレに向かい廊下を歩く遠藤は男子生徒の注目の的になっている。
それだけ目を引くほどの美人で清楚な女子高生なのに、言動は相変わらず不良スタイルのままだ。
「な、なあ、浅野くんって……遠藤と付き合ってないって本当か?」
何度も付き合ってないと色んな奴に説明してきたが、白木もそんなことを聞いてくるので呆れてしまう。
「俺たちが付き合ってないってことは、結構有名な話になってると思うけど?」
「あ、ああ……いや、実はさ。俺、中学の時から……いいなぁって思ってて、さ」
「何が?」
「え、遠藤のこと……」
遠藤がモテるのは知っていた。
しかし、白木の発言を聞いて……いつか遠藤だって俺よりも距離が近い親しい人間ができるかもしれないと、そう思うと……少し心が乱れたような気がした。
▽▼▽▼
「なあ遠藤、好きな奴とかいるか?」
高校生活にも慣れてきて一学期を終了間近に控えた、ある日の日曜日。
俺は自宅で遠藤とTVゲームで遊んでいる。
「なんだよ、恋愛的なやつか?」
「ああ。最近、おまえを紹介してくれって奴が俺によく声を掛けてきて困ってるんだよ」
俺が遠藤と付き合ってないことが周知の事実になった途端に、俺を通じて遠藤とお近付きになろうとする連中が多くなった。
「気があるなら直接私に言いに来いよな。そんな根性無しに興味ねぇな」
容赦がない遠藤は、淡い恋心を持った男子たちの希望を一刀両断する言葉を言い放つ。
「浅野はどうなんだよ?好きな奴できたか?」
「俺は、そういうことは……しばらく考えたくないな」
深瀬のことが好きだった。お互いに気持ちが通じ合っていると思っていた。
しかし、そこから無常の現実が突きつけられるあの絶望を……もう味わいたくはない。
「せっかくモテ男になったのに勿体ねぇな」
「それはおまえの方だろう?もしかしたら言い寄ってくる男の中に好みの奴がいるかもしれないだろうが」
「なんだよ!?そんなに私と誰かを引っ付けたいのかよ!」
ゲームを中断して立ち上がった遠藤の大きな声が部屋に響く。
「いや、別にそうではないが……」
「なら、そんなこと言うな!」
何もそんなに怒らなくても……いつも冷静でマイペースな遠藤らしくもない。
「俺はただ……勉強ができて学校で人気者になったハイスペックなおまえが、俺なんかといるのが……勿体ない気がして……」
俺は遠藤と一緒の時間を過ごせて、なんだかんだ楽しいと思っているが……それはこいつのためには良くないかもしれない。
「私は他の奴より浅野といる方が楽しいからここにいるんだ!悪いか!?」
「わ、悪くねぇよ」
消去法で俺か……。確かにそれも悪くない。
「まあ、俺もおまえといるのが…………って、おい!離せ!」
突然、遠藤は俺の手を強く握りしめてくる。
呼吸が少し乱れる。全身に鳥肌が立つ。
「離せって!」
「離さない」
遠藤の手を振り解こうとするが、こいつは手を離さない。
握ってくる手がとても力強い。っていうか、普通に痛い。
女のくせになんて握力してるんだ、こいつは。
1分以上、遠藤の手を振り払おうと格闘していると、何だか落ち着きを取り戻してきたような気がした。
「落ち着いてきただろう?」
「あ、ああ。なんで?」
「暴露治療ってやつだな」
恐怖にあえて触れることで、少しづつ不安を解消していく治療法……らしい。
「これからは定期的に治療を行っていくからな」
別にそんなことしなくても、女性恐怖症が原因で日常生活で困ることは無いのだがな。
「まったく強引な奴だな」
「じゃあ、手を繋いだ状態でゲームの続きをするか!」
何を張り切っているんだか、遠藤のテンションは高い。
「どうやって片手でゲームするんだよ」
「世の中には縛りプレイって用語があってだな。自ら制限をかけて────」
遠藤が何か説明しているのを尻目に、俺の心臓は少しバクバクしていた。
いや……ドキドキ?バクバク?……どちらかはわからない。
遠藤が握ってくれている手は、とても温かった。