5話 新生活
誤字報告、ありがとうございます。
四月。
新年度になり誰もが期待や不安を抱える中、新たな環境がスタートする。
今日は、海星高校の入学式当日。
「これで……いいのか?なんか、変じゃないか?」
俺は洗面台の鏡の前で、一人そう呟く。
数日前─────
「なあ浅野。この漫画の続きねぇのかよ?読みたいんだけど」
俺のベッドに横たわっている遠藤が、そう問いかけてくる。
「ねぇよ。自分で買いに行け」
初めての一人暮らし。
実家にいた時も一人でいる時間が長かったが、新しい環境での生活に一抹の不安や寂しさが俺の心の隅にはあった。
しかし、それは杞憂だったようだ。
「おまえ毎日、俺の部屋に来るなよ」
「なんでだよ?お互い寂しいもの同士だろ?仲良くしようぜ」
俺が新居に引越してきた初日から、遠藤は毎日のようにここへやってきては羽を伸ばしている。
そのおかげ……と言って良いかは不明だが先ほどの懸念はない。
しかし、俺の心配事はそれだけではなかった。
その事を考えると、自然とため息が出る。
「また、ため息ついてるのかよ。今度は何を悩んでるんだ?」
「いや、もう少しで、学校が始まるな……と思って、な」
高校の入学式を数日後に控えていた俺は憂鬱な気分だった。
「何言ってんだよ?せっかく苦労して海星に受かったのによ」
「そうなんだが……学校に馴染めるか、不安でな」
中学では俺が喧嘩騒動を起こす以前から、この髪色と悪い目つきのせいで周囲から敬遠されていた。
高校でも同じようになるのでは……と、心配にもなる。
「俺、こんな見た目だからな……」
「その悪い目つきはどうにもならないけど、髪の毛は染めればいいだろう?」
「確かに……そうなんだが……」
「何を渋ってるんだよ?」
「死んだ母さんと同じ髪色だし……それに……」
俺がこの髪色で悩んでいた時、深瀬が俺を励ましてくれた……そんな綺麗な思い出も俺の中には、ある。
「それに、なんだよ?」
いや……それも昔の話、だな。
「そうだな。黒く染めるか」
「私が知ってる美容院紹介してやるよ。髪も伸びてるから、ついでにカットもしろよ」
その日、遠藤が予約を取ってくれた美容院に行き、俺は人生で初めて髪を黒く染めた。
変わった自分の容姿に違和感を覚えたが、遠藤が男前になったと称揚してくれるので、俺はあまり気にしないことにしたのだが……。
……というのが、数日前の話。
「やっぱり……違和感しかない……」
見慣れない黒く染まった髪の毛の自分を鏡で見ながら、俺はヘアワックスをつけて髪型を整える。
遠藤にレクチャーしてもらった通りに実行しているのだが……本当にこれでいいのか……?
『浅野は目つき以外、元が良いんだからオシャレしたら絶対に好感度が上がるぞ』
そんな遠藤の言葉を真に受けてこんな事までしているが、俺としては悪目立ちしなければそれで良いのだが……。
いつまでも鏡の前で格闘していると、インターホンが部屋に鳴り響く。
朝っぱらから誰だ……?なんて一瞬思ったが、越してきたばかりの俺の新居を訪ねてくる人物は一人しかいない。
「おはよう遠藤。やっぱり俺の髪型、変じゃない……か……」
訪ねてきたのは遠藤だと思って、玄関の扉を開けたのだが……。
「変じゃねぇよ。バッチリ決まってるぞ」
「えっと……どちら様……?」
「何言ってんだよ?寝ぼけてんのか?」
そこに立っていたのは、黒く美しいロングヘアを春風になびかせて制服をキッチリと着こなしている女性。それはまるで、清楚なお嬢様のような美人だった。
「は?え……遠藤……なのか?」
「おいおい、なに見惚れてるんだよ?」
「おまえ、金髪はどうした!?ピアスは!?」
数日前までの彼女とは別人の姿に、ただ一驚した。
「なんだよその反応は?海星は校則が厳しいらしいからな。もう義務教育じゃないし、停学にならないように気をつけないとな」
「ま、まあ、そうだな」
「いいから早く行こうぜ。初日から遅刻はシャレにならねぇぞ」
「あ、ああ」
俺は鞄を持って、戸締りをして部屋を出る。
「浅野。私たち、高校デビューだな」
「いや……これ、高校デビューっていうのか?」
目立つ格好に容姿を変えて垢抜けた態度を取るのが『高校デビュー』なら、さしずめ俺たちは『逆高校デビュー』とでも言うのか……?
「遠藤……その……似合ってるぞ」
「ふふ。浅野もな」
こうして俺たちの高校生活が始まった。
▽▼▽▼
俺と遠藤は、別々のクラスになった。
海星高校は生徒のレベルに合わせてクラス分けがされているようで、遠藤は1クラスしかない特進コース、俺はその他大勢の進学コースだった。
その他にも、スポーツコースなんてクラスもあるらしい。
この学校は、勉強だけではなく運動部の成績向上にも注力しているようだ。
「昨日の体育凄かったよね。浅野くん、運動神経めっちゃいいじゃん。部活とか入らないの?」
「勉強に集中したくて。部活はいいかな」
俺は無事学校に馴染めている……かどうかは正直わからないが、中学の時のような孤立状態は免れたようだ。
クラスメイトは良い人たちが多く、人付き合いが苦手な俺にも親切に声を掛けてくれる。
「浅野くんってさ……隣のクラスの遠藤さんと付き合ってるの?」
「いや、付き合ってないけど」
不良スタイルを辞めた遠藤は、容姿端麗で頭脳明晰な美女として学内で有名な存在となっている。
それにしても最近、この手の質問が多い。
「浅野。飯食おうぜ」
遠藤は毎日昼休みになると、俺のクラスにやってきては人目もはばからず声を掛けてくる。
こんな光景を見せられると、俺と遠藤が恋人ではないかと勘繰るのも無理はない。
「おい、聞いてるのか?浅野」
「あー、はいはい」
教室で昼食をとっても良いのだが周囲の注目が俺たちに集まるので、いつも人目が少ない場所に移動する。
そして最近見つけた絶好のスポットが、旧校舎にある空き教室。
ここは教員や生徒の出入りも殆どない場所で、俺たちの憩いの場となっている。
「なんか中学の時と違うよな。外見を気にして黒髪に変えた事もあるけど、クラスメイトは普通に俺たちとも話してくれるし」
「やっと同世代の奴らが成長して、私たちの良さに気づき始めたんだよ」
こいつは、どの立場で物を言っているんだか……。
「遠藤。クラスメイトによく、おまえとの仲を聞かれるんだが……」
「へー。それがどうかしたのか?」
「いや、おまえって自分で気づいてないかもしれないが、多くの男子から恋愛対象として見られているんだぞ」
興味ないと言わんばかりに弁当を食べていた遠藤だったが、俺のその言葉に箸を止めた。
「まあ、私は絶世の美女だからな」
それは他人から言ってもらうことで、自分で言うセリフではない……。
「っていうか、モテてるのは浅野も同じだぞ」
「はあ?そんなわけないだろう?」
俺がモテる?
昔から周囲に距離を置かれていた俺が……。
「高校生になるにあたって、浅野は色々変わっただろう?」
高校に入学して変わった事と言えば、髪を染めた事ぐらいだ。
しかし……そんな事で何かが変わったりはしない。
そう、思っていた……今日の放課後までは。
「あの……あ、浅野くん。え、遠藤さんと付き合ってないって本当?」
「あ、ああ。そうだけど」
放課後。
俺はクラスの女子生徒に呼び出されて、体育館裏に来ている。
この場所は告白スポットとして学内で有名だ。
「私と付き合ってください!」
「え……え!?」
なんで、俺なんかと?
俺がそう聞く前に、その女子生徒は得意げに語りだした。
「あ、浅野くんって、運動と勉強も出来て寡黙で……私たち女子の間では人気者なんだよ」
まさか、自分が好感を持たれるような存在になっていようとは……。
俺の悪い目つきでさえも、彼女からすれば眼光鋭くて素敵……だそうだ。
「ごめん。俺、勉強に集中したくて、恋愛とかはちょっと……今はいいかなって思ってる」
「ど、どうしても……ダメですか?」
無難な理由で断りを入れるが、彼女は食い下がらない。
「うん。ごめん」
よく知りもしない人と男女の付き合いをしようと思うほど、俺は肝が据わってない。
その女子生徒は少し悲しそうにしていたが納得してくれたようで、俺はようやく解放された。
……全身から噴き出た汗が止まらなかった。
今も心臓がバクバク跳ねている。
俺はさっきまで目の前にいた、真剣な眼差しで好意を向けてくれた女が……怖かった。
▽▼▽▼
「女が怖い?何言ってんだ?普段から私とこうやって話してるだろうが」
「あ……ああ。そうなんだけど……」
確かにそうだ。今、遠藤は俺の部屋にやってきて目の前でお気楽に過ごしているが、特に緊張したりはしない。
「おまえとは心の距離が近いからかもしれな─────!?」
次の瞬間、俺は全身鳥肌が立った。
「ちょっと、離れろ!」
突然後ろから俺を抱きしめてきた遠藤を振り払って、慌てて距離を取る。
「うわー、これは重傷だな。女性恐怖症ってやつか?」
「知るか!急に抱きついてくるな!」
「なるほどな。深瀬に傷つけられた心が、こんな形でトラウマになるなんてな」
俺のこの症状は深瀬が原因なのか……?
あいつのことは、吹っ切れたと思っていたのに……なんて皮肉なことだ。
「そのうち何とかなるだろう。それよりさ、明日土曜日だからどこかに出掛けねぇか?」
こいつは、他人事だと思って……。まあ、遠藤以外の女子と接点もないし特に困ることは無いか。
「明日は学校の自習室で勉強しようと思ってる」
「はあ?おまえ勉強ばかりしてないか?」
「仕方ないだろう?中間テストも近づいてるし。俺はもともと優秀ではないんだから」
背伸びをして受けたレベルの高い学校だからな。油断した結果、成績不振で留年なんかしたら本末転倒だ。
「チッ、つまんねぇの」
遠藤は面白くなさそうに、そう呟いていた。
▽▼▽▼
翌日、俺は朝から学校の自習室にやってきた。
さすがは進学校といったところだろうか。大勢の生徒たちが、この休みの日に自習室を利用している。
俺も負けじと勉強に集中していると、知らぬ間に時刻は正午になっていた。
3時間程、勉強に没頭していたらしい。
丁度お昼の時間なので、土曜日でもやっている購買へと向かう。
勉強に集中していると、疲れがすぐに溜まる。
しかし同時に達成感もあり、この疲労感は嫌いではない。
「浅野くん!おーい!」
後方から俺を呼ぶ聞き慣れない声がした。
振り向くとユニフォーム姿の男子生徒がこちらに向かってくる。
野球部の部員だろうか?
「久しぶりだな。浅野くん」
「えっと……だれ……?」
「えー!?白木だよ。中学同じだったじゃん!」
白木?名前を聞いてもピンとこない。
「ほら、いつか俺の掃除当番を親切に代わってくれたことあっただろう?」
「そんなことあったような……」
正直、これもあまり記憶にない。
「えっと、俺たちの中学から海星受かったのは俺と遠藤だけって聞いたけど?」
「ああ。俺は野球のスポーツ推薦で入ったんだ。スポーツコースってあるだろう?」
話を聞くと、この学校は甲子園を狙えるような位置にはいないらしいがそれなりの成績を毎年出しているらしい。
「なんか、浅野くん変わったな。髪色も黒くなって」
「あ……ああ」
スポーツコースは俺たち進学コースよりも、授業のレベルが数段緩く設定されていて部活に集中できる環境のようだ。
「おい、白木。そろそろ始まるぞ」
彼と同じユニフォームを着た生徒が、遠くから声を掛けている。
「じゃあな、浅野くん。俺もう行くわ」
「ああ。練習頑張ってな」
「いや、今日の練習はもう終わりなんだ。これから体育館で他校を招いた女子バスケ部の練習試合があってさ。それを見に行くんだ。結構可愛い女子が多いんだぜ」
スポーツ推薦で入ってるんだから、そんなことをする暇があったら昼からも練習しろよ……と思ったが、勿論口には出さない。
「よかったら浅野くんも覗きに来いよ。相手の泉道高校バスケ部の女の子もレベル高いらしいからさ」
泉道高校……バスケ部………。
それを聞いた俺は、真っ先に……深瀬の顔が頭をよぎった。