40話 本音
「春樹は知ってたんだよ。中学時代の遠藤さんのことを」
深瀬が突然妙なことを言い出したので、私は頭に疑問符を浮かべた。
「はあ……?そんなわけねぇだろう……」
「春樹は知ってたよ」
深瀬の表情は真剣そのものだった。
「春樹ね、高校生の時に千田先輩と偶然会ったんだって。その時に先輩から遠藤さんのことを聞いたって」
浅野が……春樹が……千田と偶然会った……?
たしかにそんなことがあったと、春樹の口から昔聞いたことがあった……。
「遠藤さんは春樹と7年も一緒にいたんだよね?そんなに長い時間一緒にいたら、あなたの本心を垣間見る出来事があったんじゃないのかな?」
全身に鳥肌が立った。
…………高校一年生の時……。
…………日記帳……………………!?
私の頭の中で、その時の記憶が脳裏に蘇ってくる。
高校一年生の夏休み……。
初めて春樹を私の家に招いた時に…………千田に会ったと聞いた……。
そして私は少し席を外して……春樹を私の部屋で一人にして……。
「そんな……そんなわけ…………」
それから夏休みが明けて……2学期になった時だった。
春樹の態度が、少し冷たくなったような気がして……。
文化祭の時なんて……私を突き放すようなことまで言ってきた……。
それでも……最後には……春樹は私と一緒にいることを……選んだ。
なんで…………?
「じゃあ……なんで、浅野は……春樹は……ずっと私と一緒に、いたんだよ……?」
「そんなこと、知らないよ。とにかく、私が言いたかったことはそれだけだから」
「なんで…………知っていて………」
目の前が深瀬がこの場を去っていくことにも気が付かないくらい取り乱していた私は、しばらく学校の正門前で一人立ち尽くしていた。
▼▽▼▽
(お母様…………)
お母様が家を出て行ってから、私は歯止めが利かなくなった。
渇いた心が潤いを求めて……認知の歪みを生んでいる。
「なあ遠藤、好きな奴とかいるか?」
「なんだよ、恋愛的なやつか?」
「ああ。最近、おまえを紹介してくれって奴が俺によく声を掛けてきて困ってるんだよ」
深瀬の悪態を肥大化させて暴露して、こいつらの幼馴染の関係をぶち壊した。
その後、高校生になった私と浅野の距離は次第に近づいていき、今では客観的に見ても親友と言ってもいいほどの距離感だろう。
「気があるなら直接私に言いに来いよな。そんな根性無しに興味ねぇな」
そう……私にはおまえがいる。
おまえという玩具が……。
ほかの物なんていらない。
「って、おい!離せ!」
私は浅野の手を強く握る。
「離せって!」
「離さない」
絶対に離さない。
おまえは私の物だ。
「落ち着いてきただろう?」
「あ、ああ。なんで?」
「暴露治療ってやつだな」
浅野が深瀬に裏切られた後、女性恐怖症のような症状が現れたと知りチャンスだと思った。
女が怖いというこいつが、私にだけは恐怖心を感じないようになれば、私は浅野の心の中で特別な存在になれる。
そしたら私の玩具に余計な虫がつくこともないだろう。
「これからは定期的に治療を行っていくからな」
「まったく強引な奴だな」
「じゃあ、手を繋いだ状態でゲームの続きをするか!」
私が浅野という人間を独占している。
そう思うと自然と気分が上がる。
…………って、これだと私も深瀬と同じ穴の狢……か。
でも、今はそんなことどうでもよかった。
心臓の鼓動が少し早い。
私の手を握っている浅野の大きな手が、とても温かった。
▽▼▽▼
高校生になって初めての夏休み。
お父様の言い付けで、私は様々な習い事に駆り出されていた。
学校の勉強とは別に英会話やプログラミング、フラワーアレンジメントなんてものもさせられていた。
電車に乗って教室に通う毎日。
正直面倒だし、その気になればお父様に歯向かって好き勝手に夏休みを過ごすこともできたのだが……。
私は自然にこの状況を受け入れていた。
心が穏やかで、毎日が充実しているような……。
まるで、お母様が私のことを見守ってくれていた時みたいな……。
「最近……浅野に会えていないな……」
私がこんなに穏やかな時間を過ごせているのは、やっぱり……渇いた心を満たしてくれる玩具と出会えたからなのだろう。
「今日の外国語の授業が終わったら、浅野に連絡してみようかな。……………!?」
習い事の教室へ向かうため地元から少し離れた街中を歩いている時だった。
私の視界に一瞬映りこんできた人物に目を奪われた。
「お、お母様!!」
私は無意識に叫んでいた。
人混みの中に消えて行ったその人は見間違えるはずもない……私のお母様だった。
私はその場を駆け出し、人混みをかき分けて、無我夢中でお母様を探した。
息をするのも忘れるぐらい私は全力で走って、お母様の背中を視界に捉えた。
心臓がドキドキと高鳴っている。
目の前のお母様を見て緊張感が高まる。
お母様は知らない男と歩いていて……とても穏やかな表情で微笑んでいた。
私と一緒にいた時は、とても優しいお母様だったけれど……どこかぶっきら棒で遠く見ているようだったから……。
あんな楽しそうなお母様の顔を見たのは初めてだった。
「待って!お母様!」
私に気づくことなく、どこかに行ってしまうお母様を何とか引き留めたい一心だった。
「聖菜……」
こちらを振り返ったお母様はたしかに私の名前を呟いた。
お母様に名前を呼んでもらえた。
もう一度会うことができた。
私はただただ嬉しくて……感動して……満たされて……。
「その子……知っている子かい?」
隣にいる男性がお母様にそう尋ねる。
その人はお母様よりも少し若そうに見える男性で……。
この人が……今のお母様の家族……?
お母様が言っていた……玩具……なのだろうか……。
「いえ……知らないわ」
頭が……真っ白になった。
私に対して一握りの興味も持ち合わせていないのか、お母様は男性の腕を取ってこの場を後にしようとする。
「あ……ま、待って。お母様」
喉奥から必死に絞り出した声をお母様の耳に届ける。
しかし……一瞬こちらを振り返ってくれたお母様の射るような眼差しを目の当たりにして、私は落胆した。
これ以上踏み込んでくるな。
私に近づくな。
おまえなんて知らない。
そう目で訴えてきていることが、怖いほど伝わってきた。
「なんで……お母様……」
玩具を手に入れて、さっきまでの私は程よく満たされていた。
でも……今のお母様の鋭い目つきを目の当たりにして、私の心は急速に渇いてしまった。
習い事のことなんて忘れて自宅に帰り、ベッドの上で布団に包まって心が落ち着くのを待つ。
全身が震えて……渇いた心が殺気立つ。
「なんで……なんで、なんで!!」
ぶつけることができない怒りが、心と体を蝕む。
そんな時、机の隅に埋もれていた日記帳が目に入った。
最近は付けることもなかった日記帳を広げて、私は今日あった出来事を簡潔に書き殴った。
「お母様……お母様のことなんて!あんな奴のことなんて!!」
私を捨てて出て行ったあんな女のことなんて……嫌いだ。
……そう書きたかった。
でも……それは私の本心じゃない。
この日記帳には、今までの私の嘘偽りない本音が綴られてる。
嘘をつくのは言葉だけでいい。
この日記帳だけは私の心を写してくれる鏡だ。
正直にありのままを……。
「寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい─────」
私は静かに、淡々とペンを走らせた。
▼▽▼▽
「遅いぞ、浅野!」
「お、おう。悪い」
あれから数日後。
私は浅野を家に招くことにした。
お母様と会ってから、私の心は不安定だった。
なんとか渇いた心を満たしたくて……心のストレスを発散したくて……。
「ここが私の部屋だ」
私はこの日、玩具である浅野春樹を使って自分の欲求を満たすための行動に出る。
「浅野、なんで来るのが遅かったんだよ?迷ったのか?」
「偶然、千田に会って……少し話してたんだ」
「千田に……?なにか言われたのか?」
「いや、ただ謝ってきただけだ。中学時代のことを」
「そうか……」
千田の名前が浅野の口から出てきたときは一瞬ドキリとしたが、そんなことは些細なことだ。
「中学と言えば、これ覚えてるか?」
「おまえ、それ……屋上の鍵か!?返さなかったのか!?」
「これは合鍵だから返さなくても問題ないだろう?この鍵は私たちの原点だからな」
そう……中学のあの屋上で私と浅野は出会った。
そして現在に至るまで、それなりの関係を継続している。
でも……それも今日で終わりだ。
お菓子を食べて、くだらない話をしているだけなのに……私の心が少しずつ満たされていく。
私は迷っている……?
ここで浅野との……せっかく出会った玩具との関係を終わらせて本当に良いのだろうか……?
「で?どのゲームやるんだよ?これとかどうだ?」
「いや、その前に……部屋散らかりすぎだろう。先に片づけないか?」
「ちょっとトイレに行ってくる。浅野、片づけといて」
「こら!逃げるな!……仕方ない奴だな」
私はトイレを口実に浅野を部屋で一人にした。
真面目なあいつの性格なら、散らかった部屋を片付けてくれるだろう。
わざと散らかしたテーブルの上に、今まで私が裏で画策した行動を記録してある日記帳が仕込んである。
浅野がそれを見つけて中身を読むかどうかは懐疑的だが、私という人間に多少は興味を持っているだろうから可能性は十分にある。
そうなれば…………。
「浅野の奴……どんな顔をするだろうな」
私は異常者。
これまで浅野に対して、あいつの味方のようなポジションを演じてきたが……。
ここでネタバラシをして、すべて終わりだ。
深瀬の悪行を白日の下に晒した時の浅野の表情は最高だった。
そしてこれから……もう一度その表情を、苦痛に歪む顔を拝むことができる。
そう思うと、ドキドキしてワクワクして興奮する……はずなのに……。
今は……心が少しだけ、浮足立つ。
なぜだかはわからないけど……心が少しだけ、痛い。
本当にこの計画を実行してもいいのかと……浅野を一人部屋に残してから、落ち着いて考える。
「ふっ……なにを冷静になってるんだよ。異常者のくせに……。私らしくもない」
そう言い聞かせて、適当に時間を潰したのち、私は浅野が待つ自分の部屋へと戻る。
もしも浅野が日記帳を読んでいたのなら……今頃どんな表情をしているだろうか。
「浅野、片付いたか?」
「………………」
「おーい、浅野?」
「あ?……ああ」
「どうした?ぼーっとして」
「いや……それより遅かったな」
「ちょっとコンビニまで行ってお菓子を追加購入してきたんだ」
私はいつも通りの明るい姿を振舞いながら浅野のことを横目で伺うが……。
特に取り乱しているような様子は見受けられない。
部屋は少し片づけられていて、日記帳が置いてあったテーブルも整頓されている。
(日記帳は読まれなかった、か…………。って、なにをホッとしているんだ?私は……?)
本来ならば浅野の阿鼻叫喚を見ることができなかったと残念に思うところだが……。
なぜか安堵している自分に疑問が生まれる。
浅野が日記帳を読まなかったのなら、こっちから言ってやればいい。
事の顛末を……。
真実を……。
その日記帳を読んでみろと……。
「浅野、このゲームにしよう」
「あ、ああ。……そうだな」
……言えなかった。
この時の私はなにもわかってなかった。
異常者のはずの自分が……常人の側面を持ち合わせているなんて……。
自分の本当の気持ちなんて………知る由もなかった。
▽▼▽▼
それから2学期になってから浅野の様子が少し変わったように感じた。
今まで通り、二人で過ごしている時間があって、何気ない時間に私の心は満たされていた。
でも、そんな浅野の態度が少し冷たいような……。
すぐそこまで迫った文化祭を一緒に回ろうという約束をした。
楽しみだった。
なんというか……私らしくないと思う。
こんな約束をしたぐらいで浮かれている自分がいる。
しかし……最近の浅野の態度は気にかかる。
「文化祭の招待状……か」
ここで私は深瀬の存在を思い出した。
今頃あいつはどうしているだろうか?
あれだけ浅野に執着していただけに、今でも心の底では浅野のことを考え想い続けているのではないかと想像ができる。
「深瀬か……。また面白い展開になるかもな」
幼馴染で大好きだった浅野春樹が通う高校の文化祭の招待状を深瀬が手にすれば、必ずあいつはやってくる。
幼馴染の関係が終わり、あれだけ酷い別れ方をしたんだ。
今さら復縁なんてありえないだろう。
それよりも深瀬の性格を考えると、また新たな揉め事に発展する可能性だってある。
「上手く踊ってくれよ。そして私のための糧となれ、深瀬」
浅野の向かいにある深瀬の自宅のポストに、私は招待状を投函した。
▼▽▼▽
「さっき……深瀬に会ったんだ……」
「深瀬?あいつ来てたのか?」
「ああ。少し話しただけだが……」
文化祭当日。
深瀬は予想通り、浅野に接触してきた。
浅野の表情は……少し暗いように感じる。
「明日の文化祭、もしよかったら……白木と一緒に回ってやってほしいんだけど」
「はあ……?なんだよ……それ……」
「前に言ったけど、あいつ良い奴だからさ……一度話ぐらいしてみたら、と思ってだな」
「なんだよそれ!?一緒に回るって約束したじゃねぇか!」
思わず声を張り上げてしまった。
なんで……こんな展開になるんだ……?
「それは……そうだけど……白木が、おまえと……」
「まさか……深瀬と会ったりするんじゃないだろうな?」
「そんなことはない。あいつとは、もう……」
深瀬を文化祭に来るように仕向けたのは悪手だったのか……。
わからない……浅野の気持ちが……。
「渇いてる……」
心が急速に渇いていく。
もう、この時の私は冷静ではない。
少し前にお母様と会ってから……私はどこかおかしかった。
▼▽▼▽
翌日の文化祭2日目。
浅野と一緒に文化祭を回ると約束をしていた日。
体調不良で浅野が早退したと聞いた。
仮病をつかい私も学校を早退して、浅野の自宅マンションまでやってきた。
「おまえ、文化祭はどうした?」
「私も体調悪いから、早退したんだ」
「嘘つけ、全然元気じゃねぇか」
「何でもいいだろう?心配してきてやったのに」
浅野は思っていたよりも元気そうだった。
「遠藤……昨日は悪かったよ。一緒に回ろうって言ってたのに……その」
「気にすんなよ。文化祭は来年も再来年もあるしな」
この時の私は、なりふり構っていられなかった。
浅野の心が私から離れて行っているような気がして……。
まるでお母様が私の前からいなくなった時のように。
「その、おまえの……本音が、聞きたい……」
私の本音……?
なんだその質問……?
「私の本音……?そうだな。私たちは似てるだろう?だから一緒にいて気が楽なんだよ」
これは嘘じゃない。
浅野といると心が落ち着く。
無限に干からびていく私の心を、おまえは満たしてくれる。
おまえは……最高の玩具だ。
私は浅野にキスをした。
私の玩具が勝手にどこかに行ってしまわないように。
男なんて……結局は性欲には勝てない。
特にお盛んな男子高校生なら尚更だろう。
「俺は昨日……おまえを突き放したんだぞ?」
「関係ねぇな……お互い、寂しい者同士だろう?」
私たちは徐にベッドに腰かける。
そのまま服を脱いて、欲求のままに私は抱かれるだけだ。
これで浅野の中で私という存在は大きく刻まれる。
(男なんて、チョロいな)
どうせこいつも女の裸体を目の当たりにして、猿のように腰をふるだけなんだろう。
そこには当然……愛なんてものはない。
「聖菜……大丈夫か?痛くないか?」
「え……あ、……うん」
浅野は……春樹は、不器用ながら私を抱いた。
自分の本能のまま欲求をぶつけてくることはなく、私のことを……私の体を……私の心を気遣ってくれていた。
「聖菜……ありがとう」
そう言いながら春樹は私の体を優しく包み込んでくれた。
(なんだ、これ……)
なぜだか涙が溢れそうになる。
いや……もうわかっていたんだ。
私自身の本当の気持ちなんて……。
私は誰かに……愛されたかったんだ。