38話 追憶
中学の時に色々あって、幼馴染の志穂と仲違いした俺は聖菜と同じ高校に進学した。
そして迎えた高校一年生の夏休み。
初めて聖菜の自宅を訪問する日。
その行き道で偶然こいつと……千田とばったり出会った。
「あの……浅野。その……中学の時は悪かったよ。あれのせいで、おまえが学校で苦労したんじゃないかと思ってな」
千田が志穂に近づいて暴行を働いたことから、俺はこいつを殴って騒動を起こしてしまったわけなんだが……。
「別にもういいよ。俺もおまえを殴ったし」
話してみると千田は中学の時とは随分と変わっていた。
「俺のせいで深瀬にも迷惑を掛けたからな……よければ俺が謝ってたと伝えといてくれ。今でも仲良いんだろう?」
「え……あー、わかった」
当時、志穂とは絶交していたので俺が千田の伝言を伝えることはなかった。
「あと……おまえには関係ない話だろうけど……」
話は終わったかと思ったが、千田は重い口を開いて俺たちの会話は続く。
「なんだよ?」
「遠藤っていただろう。おまえの学年に……」
「ああ。それがどうした?」
「実は……少し遠藤に上手く使われたような気がしていてな」
志穂に執拗に迫ったのは彼女のアドバイスや指示があったということを千田は語った。
それ以前から遠藤聖菜という少女は常軌を逸している人間だということも聞かされた。
「まあ、浅野も中学卒業して遠藤と関わることなんてないだろうから」
今思えば、千田なりに俺のことを心配していくれていたのかもしれない。
千田視点からすれば、聖菜は志穂のことを陥れようとしているように感じたのだろう。
そして、その志穂と近い距離にいた俺にそのことを伝えてきたということだ。
「ああ……そうだな」
しかし、この時の俺は話半分ぐらいにしか千田の言葉を聞いていなかった。
勿論、俺が聖菜と親しい間柄なんてことも説明しない。
「遅いぞ、浅野!」
「お、おう。悪い」
千田と別れた俺は聖菜の自宅に訪ねて、一緒にお菓子を食べたりくだらない話をしたり。
「浅野、なんで来るのが遅かったんだよ?迷ったのか?」
「偶然、千田に会って……少し話してたんだ」
「千田に……?なにか言われたのか?」
「いや、ただ謝ってきただけだ。中学時代のことを」
「そうか……」
学校や俺の部屋で過ごしている時と変わらない。
いつも通り穏やかで退屈しない……充実した時間だった。
「で?どのゲームやるんだよ?」
「これとかどうだ?」
「いや、その前に……部屋散らかりすぎだろう。先に片づけないか?」
「ちょっとトイレに行ってくる。浅野、片づけといて」
「こら!逃げるな!……仕方ない奴だな」
聖菜は相変わらず活発で明るい。
俺にとって太陽みたいな存在になっていた。
そんな聖菜を見ていると、千田の言っていたことは然程気にならなかったのだが……少しだけ背筋が凍った。
もしも本当に……あいつがそんなことを……。
「なんだこれ?日記帳か?」
グチャグチャに散らかっているローテーブルの上を整理していると、見つけた日記帳。
「あいつ大雑把な性格していると思ってたけど……日記なんて付けてるのか?」
そんな独り言を呟きながら手に取った日記帳が俺は気になって仕方なかった。
千田から妙な話を聞いたからか?
いや、それだけじゃない。
この時の俺は遠藤聖菜という人間をほとんどよく知らなかった。
中学2年生の時からの付き合いになるが、彼女が何を考えているのか時々わからない時がある。
人の日記帳を勝手に覗き見るなんてダメだろう。
それでも俺は漠然と感じている違和感のヒントがこの日記帳にあるような気がして……。
「かなり簡易的に書いているんだな……」
少し緊張しながら日記帳を開くと、短めの文章で簡潔に書かれた記録があった。
最初の日付はもう4年ほど前だから小学校6年生の時のものだ。
その内容は父親に精神科の病院に連れていかれて、この日記帳を書くようになったと綴られていた。
最後のページは中学3年生の夏ごろで終わっている。
「もう今は日記を付けていないのか…………ん?」
最後のページの文章が目に入り、俺は首を傾げた。
『種まきと水やりを計画的に行った結果、ドラマと快感の果てに最高の玩具を手に入れた。』
玩具……?
その言葉が形容している意味がよくわからない。
少しページを遡って、端的に書かれている文章を読んでいく。
深瀬志穂、田宮、辰巳、千田………。
屋敷を出て行った母親。
遠藤聖菜の本当の心情。
一通り目を通した俺は日記帳を閉じて、無心で部屋を片付ける。
「浅野、片付いたか?」
「………………」
「おーい、浅野?」
「あ?……ああ」
「どうした?ぼーっとして」
「いや……それより遅かったな」
「ちょっとコンビニまで行ってお菓子を追加購入してきたんだ」
鼻歌を歌いながらソファに腰掛ける聖菜はいつも通り活発で……明るくて……。
さっき日記帳で読んだことは、何かの間違いなんじゃないかって……。
俺の一番近しい人間は、間違いなくこいつだ。
しかし、今は距離が遠い。
そう感じる。
「浅野、このゲームにしよう」
「あ、ああ。……そうだな」
以前、俺は少し依存体質なんじゃないかと言われたことがある。
遠藤聖菜に依存している……?
いや……違うと思う。
この時すでに、俺はこいつのことが好きだったんだろうな……。
そう思う。
▼▽▼▽
「はあ……朝か……」
スマホを見ると、時刻は午前6時。
今日は大学の講義はないが、俺はベッドから出て身支度を始める。
2日前。聖菜本人の口から中学時代の……過去の話が暴露され、俺たちの関係は終わった。
勿論、聖菜を引き留めはしたのだが……あいつは俺の元から去っていった。
それだけじゃない。
俺の心には迷いがあった。
その日は一睡もできずに、ただ悪戯に時間だけが過ぎて行った。
そして昨日は一晩寝ていなかったからか、強烈な睡魔に襲われて食事もせずに爆睡して今に至る。
夢を見た。
昔の夢……。
優しかった母さんが生きていた幼い時の夢。
毎日が楽しくて、不安なんて微塵も感じずに満ち足りた時間を過ごしていた時の記憶。
でも……そんな幸せな時間は長く続かなかった。
母さんは病気になった。
闘病生活も虚しく、若くしてこの世を去った。
毎日泣いた。
悲しかった、寂しかった。
大人たちは母さんの死を悼んでくれていたけど、それも束の間……いつも通りの日常に皆が戻っていく。
父さんも落ち込んでいたが仕事で多忙な日々へと戻っていく。
またいつも通り時間が流れる。
父さんは毎日仕事に行って、俺も学校に行って……。
でも家に帰ると、母さんはいない。
いつも通りの日常が繰り返されているのに……その中に母さんだけが、もういないんだ。
父さんが帰ってくるのは夜遅い。深夜帯の時だってある。
大人は忙しいから仕方ない。
学校で浮いている俺は同級生や教師から声を掛けられることもない。
俺は孤独感に苛まれ……一人で泣いていた。
「春樹!クッキー焼いたんだ、食べて!」
「……いや、……いい」
この時の俺は随分捻くれていたと思う。
でも、そんな俺に対して……こいつだけは……。
「そんなこと言わないで、美味しいよ!一緒に食べよう!」
「あ………………うん」
志穂だけは明るく塞ぎ込んでいた俺を日の当たる暖かい場所に連れて行ってくれた。
「春樹、大丈夫だからね」
志穂はいつもそう言って、俺が一人にならないように手を差し伸べてくれる。
俺はその手を取って、強く握ると志穂は優しく握り返してくれる。
「志穂、ありがとう」
お礼を言うと、優しく彼女は笑う。
俺はその笑顔が好きだった。
志穂のことが……大好きだった。
▽▼▽▼
「そろそろ出てくるか……?」
俺は今、聖菜の自宅前までやってきて彼女が姿を見せるのを待っている。
今日は月曜日で聖菜は教育実習期間なので母校の中学に出向く予定のはずだ。
時刻は午前7時過ぎで、まだ朝早い時間帯。
こんな時間にインターホンを鳴らすのは迷惑だろうから、聖菜が出てくるのを静かに俺は待つ。
「っていうか……あいつ、ちゃんと実習に行くんだろうな」
2日前に色々とあったので、聖菜が今まで通り素直に教育実習に行くのか懐疑的だったのだが……。
とにかく聖菜と直接話がしたい。
果たして……彼女は俺との会話に応じてくれるだろうか?
どう話を切り出そうか考えていると、ポケットの中のスマホが大きく振動する。
画面には深瀬志穂の名前が表示されていて、電話のコールだった。
聖菜が姿を見せるかもしれないので一瞬迷ったのだが……。
「もしもし……志穂か?」
「うん、おはよう。春樹」
俺は少し緊張しながら電話に出た。
「ごめんね、朝早くに電話して……。どうしても春樹と話がしたくて」
「……ああ。志穂……この前は、ごめん。俺……」
「春樹……会いたい。電話じゃなくて……直接話がしたい」
「……………わかった」
俺も志穂とは直接話がしたいと思っていた。
「あの公園で……昔よく遊んだ公園で、待ってるね」
昔よく遊んだ公園……。
俺たちの関係が一度終わってしまった場所……。
今から1時間後に会うと約束して、通話を終了した。
志穂と、聖菜と……俺の気持ちと……嘘偽りなく向き合わなければならない。
「聖菜!待ちなさい!」
後方にある聖菜の自宅の広々とした庭から大声で叫ぶ声が聞こえた。
「そんな格好でどこに行くんだ!?」
「うるせぇな!どこでもいいだろうが!」
口論になりながら門扉の前で待つ俺に近づてくる二人の人物。
聖菜と父親である聖也さんだった。
「聖菜……」
「春樹……なんで、ここに……」
俺の姿を発見した聖菜は目を丸しているが、それはこちらも同様だった。
髪の毛は金髪に綺麗に染められていて耳にはピアスをしている彼女のその姿が……まるで身も心も中学時代に戻ってしまったように見えた。




