31話 出会い
お母様が出て行って、私はお父様と二人暮らしになった。
「聖菜!いい加減にしなさい!」
「はあ?なに?ちゃんとやってるだろうが。うざいんだけど」
お父様は私をよく怒鳴るようになった。
何か私の行動で気に食わないことがあれば、それを徹底的に矯正しようとしてくる。
私がゲームをしていると『勉強をしなさい』と、恐ろしい権幕で声を張り上げる。
「私の成績知ってるだろう?いつも一番だろうが」
「なんだその口の利き方は!?そんな粗暴な言葉遣いをするんじゃない!」
私はお父様と顔を合わせれば、こうやってお叱りを受ける日々が続いていた。
お父様はお母様が出て行ってからは情緒不安定だ。
やるせない気持ちを、行き場のない苛立ちを私にぶつけてくる。
そういう私も、お母様がいなくなってからは……もう自分を偽らないようになっていた。
「あーあ、このゲーム飽きたな。漫画も」
私はゲームや漫画……架空の世界観、物語が好きだった。
現実世界では起こりえない出来事をそれらを通して疑似体験する。
勿論、私が共感して着目しているのは主人公やその仲間たちではない。
好きなのは、私欲のために悪行の限りを尽くす孤独な黒幕。
世界や人権、人の命までも掌握しているような強い悪キャラが私は好きだった。
しかし、大抵の場合は最後に落胆する。
その黒幕にも何かしらのバックボーン……過去や理由があって、最後は同情にも似た思いをプレイヤーや読者に植え付けて散っていく。
私はそんなもの認めない。
過去なんて関係ない。
理由なんていらない。
ただ自分の欲求に従う。
楽しむために、満たされるために。
それでいいじゃないかと……私は心底そう思う。
▽▼▽▼
「どうしてそんなふうになってしまったんだ!?」
「どうして?私は最初からこんな人間だよ」
そう……なにも不思議な事はない。
だって私は、お母様の子供なんだから。
今日も私はお父様に怒鳴られている。
しかし、今回はいつもとは違ってお父様の八つ当たりではない。
私は数日前、学校で問題を起こした……ことになっている。
あるイジメられているクラスメイトがいて、他の同級生も担任教師も傍観者に徹している状況だった。
そのイジメられているクラスメイトと親しかったわけじゃない。
そいつに同情したからでもない。
ただ……私は好奇心を抑えきれなかった。
イジメっ子たちをイジメを受けていた生徒の前に跪かせて、私は派手な謝罪を強要した。
具体的には土下座をさせて伏せているそいつらの頭を、イジメられていた生徒に蹴るよう命令した。
イジメっ子の主犯格は三人の女子。
私がなんでその三人に謝罪をさせることができたかって?
単純な話で、暴力で相手の心をへし折り、服従させた。
これも英才教育の賜物だろう。
幼い頃から、私は色々な分野の習い事をして会得している。
お母様が護身術のためにと、勧めてくれた空手と合気道が私を心身共に強くした。
現時点でなら、同年代の男子にだって私は負けないだろう。
…………と、話を戻すと、その後、私に苦汁を飲まされたイジメっ子たちが被害者面して保護者や教師にその事を訴えたため、騒ぎが大きくなってしまった。
「なぜあんな振る舞いをした!?」
「イジメられている子が可哀そうだったからに決まってるだろう?」
勿論、そんな気持ちは1ミリだって持ち合わせていない。
「だとしてもだ!おまえはやりすぎだ!」
「そんなことありませんよ、お父様。あのイジメっ子たちには、もっと制裁を加えてやらなくてはならなかった」
そう……あとで親や教師に被害者面して、泣きついている余裕があいつらにはあったんだ。
足りない……足りなかった。
「たしかにイジメはよくない!だが……」
お父様はどうにか正論で私のことを丸め込みたいらしいが、なかなか言葉が続かない。
まあ、そうなるだろう。
やりすぎだったとは言え、私は大きな問題を解決した事にもなっている。
イジメを黙認していた教師やクラスメイトの認識を改めさせることができたし、今回の一件でイジメっ子たちが同じ過ちを繰り返す確率は低くなっただろう。
それだけあいつらは痛い目にあった。
でも……足りないんだ。
あいつらを殴った時、あいつらを跪かせて謝罪させた時……心が躍っていた。
でもそれは一瞬の出来事に過ぎなかった……。
渇いてる……私の心は……。
満たされない……。
「もっと…………次はもっと……」
「聖菜……」
お父様は私にお母様の影を見ている。
私がお母様のようにならないだろうかと危惧している。
でも……それは杞憂だ。
だって私は、お母様の娘。
それは変えることができない事実。
私の遺伝子が、私をお母様のような人間に形作っていく。
「もっとさぁ…………心が抉られるような、面白いことはないかなぁ」
私は満面の笑みで、本心を呟いた。
目の前のお父様は唖然としていたが、次の瞬間、鬼の形相で再び声を張り上げた。
「こんな……このままだと、おまえもあの女みたいになってしまうぞ!」
あの女……というのはお母様のことなんだろう。
お母様に裏切られて……お母様が家を出て行ってから、お父様の心には余裕がない。
「あの女ってお母様のことですか?私はお母様の娘なんだから、似るのは当たり前でしょう?」
私は正論でお父様を論破しようと試みる。
でもそれは、火に油を注いでしまうようなもの……。
「聖菜!目を覚ませ!」
乾いた音が屋敷に響いた。
お父様の振り抜いた手の平が私の頬を打ち抜いた。
ヒリヒリと痛みが走った後、感覚は鈍くなっていく。
相当な威力だ。
お父様は力の加減をしていない。
本気で私の頬を引っ叩いた。
心が少しだけ揺らぐ……。
両親の離婚が決まった時、お父様が一人で泣いている姿を何度も目撃した。
その姿に……お父様の苦悶の表情に私は、何とも言えない高揚感を感じていた。
……でも…………。
(あー……ダメだな。お父様と口論になっても、手を上げられても……私の心には響かない。満たされない)
「気が済みましたか?」
私は眼光鋭く、お父様を睨みつけた。
それは殺気を込めているといっても過言ではないほどに……冷酷な視線を、お父様に向ける。
「あっ…………せ、聖菜……すまない……」
お父様は我に返ったのか俯きながら、そう言葉を発した。
さっきのビンタには八つ当たりの意味も込められていたのだろう。
お母様にぶつけることができない怒りを私に転嫁している。
(あーあ……渇いてるな。やっぱり……相手にするのは子供の方がいいな)
大人だって時として感情的になるが、自制心を多かれ少なかれ持ち合わせている。
まだ自制心を養うすべを知らない……本当の感情を見せてくれる子供に私は照準を定めた。
▼▽▼▽
「まだ幼いですからね。色々なストレスを制御できないのかもしれないですね」
私は今、お父様と精神科の病院に来ている。
「あの……私は娘に……普通に育ってほしいだけなんです……」
私の行動や心が普通ではないことを察したお父様に、こんな場所へ連れてこられた。
「なにか日常生活で不安を感じたりすることはあるかな?」
優しい声で私に問いかけてくる病院の先生。
「私……人が困ってる顔が好きなんです。私に殺人衝動があるって言ったら、先生どう思いますか?」
話を聞いていた先生とお父様は、言葉を失っている。
勿論、私にそんな衝動はない。
「……というのは、冗談です。人を困らせて……その反応を楽しみたい……っていう衝動があるのは事実ですけど」
無理やり連れてこられた病院だが、私は少しだけ興味があった。
精神科なんてのは、こちらの主張や症状を基本的に否定しないだろう。
私の話を聞いて、この先生がどんな診断を下すのか……。
「そっか……。聖菜ちゃんは色々なことに興味があって、好奇心旺盛なんだね」
上手いこと言うものだ……。
「先生……その、なにか治療は?」
「聖菜ちゃんは小学校6年生ですし、思春期に入っているのでしょう。これから衝動的な行動も多いかもしれませんが、年齢を重ねるたびに落ち着いてくると思います」
お父様の心配を他所に、結局は経過観察という結論に至る。
成人なら薬物治療でストレスや不安を和らげる選択肢もあったみたいだが、若い私には成長に悪影響があるかもしれないと、そうはならなかった。
これも少し興味があったので残念だ。
「はあ……そうですか。この子の母親と離婚してから私は心配事ばかりで……。どうにか聖菜には元気に普通に育ってもらいたいと」
お父様の長々とした話が続き、先生が少し気まずそうに相槌を打っている。
もう私の診察ではなくて、お父様のお悩み相談になっている始末である。
「聖菜ちゃん、日記をつけてみるのはどうかな?」
「はあ?日記?」
「うん、感情日記って言ってね。ストレス解消に繋がったり、その衝動の原因が何なのか導いて改善することにも役立つんだよ」
なにを言い出すのかと思えば……くだらない。
日記なんて、なにも心が躍らない。
「誰かに見せるわけじゃないから、正直に自由に書いたらいいよ」
そう言った先生は私に何冊かの日記帳を手渡してくれた。
「日記……自己分析か……」
自分のこの症状を改善したかったわけじゃない。
でも、この衝動の原因を……私は知りたかった。
▽▼▽▼
私立ではなく地元の公立中学に、私は入学した。
お父様は、環境を変えさせて私の態度の変貌に期待していたようだ。
しかし、私は根本的に変わらない。
校則が緩い中学校になってから私は、髪の毛を金髪に染めてピアスをして、今日も学校に登校する。
私立の小学校に行っていたこともあり、私に知り合いはほとんどいなかった。
こんな派手は容姿をしていて、不愛想な私は誰かと仲良くなるはずもなく、いつも一人だ。
まあ、周囲の人間のレベルが低すぎて仲良くなる気なんてさらさらないのだが。
「はあ……やっぱり退屈だ……」
この学校でも私の成績はいつも一番。
素行不良な私を最初の方は教師も頻繁に注意しにきたものだが、今となっては放任されている。
校則を守っていない、授業にもろくに出ていないのに、学業が優秀なら話が変わってくる。
教育とは何なのだろうか?
教師だって労働の割に安月給で働いている人間なので、不必要なことに労力を使いたくないのだろう。
中学生になってから1年ほど経つが……私の自分の行動を自重していた。
衝動が無くなったわけじゃない。
ただ……湧いてくる衝動が小さくなったのは事実だろう。
「面白い奴、いねぇかな……」
小学生の時までは色々なことをして、私は心を満たそうとしたのだが……もうそれも飽きてしまった。
さっさと家に帰ってゲームや漫画に没頭している方が、まだ心が安らぐ。
「おい、千田。屋上の鍵よこせ」
「うっ!?え、遠藤……」
こいつは千田といって、私とは地元が同じで中学で唯一の顔馴染みだ。
何度か遊んでやってことはあるがとにかくバカな奴で、私の玩具になりえなかった退屈な人間だ。
「持ってるんだろう?早くよこせよ」
「俺も最近卒業した先輩に譲ってもらったばかりなんだが……」
屋上は不良のたまり場になっているのだが、最近は真面目な人間が増えたのか今となっては千田と私だけがそれに該当する人間だろう。
この屋上には合鍵が存在していて、何年か前の卒業生の不良が本鍵を持ち出して無断で作ったらしい。
不良の間でこの鍵は先輩から後輩へと使い回されている。
「なんだよ千田?また痛い目に合いたいのか?」
小学生の時に一度こいつをコテンパンにしたことがあり、それ以来千田は私に対して腰が低い。
まったく情けなくて弱い人間だ。
「わ、わかったよ。ほらよ」
「あと、おまえはもう屋上に来るな。あそこは私の特等席だ」
自宅にはお父様が雇っている家政婦なんて奴らがいて、学校では低レベルな同級生たち。
私は一人になれる場所が欲しかった。
心はいつも渇いている。
潤したい、満たしたい。
でも…………私のお眼鏡にかなう奴は……玩具になり得る奴は、私の生きている枠の中にはいない。
「はあ……風が気持ちいい」
屋上では良い風が吹く。
私の渇いた心に染みる。
「お母様も……こんな気持ちだったのかな」
もうこのまま面白いことなんて無いのだろうか……。
この屋上から飛び降りて自殺でもしてみるか?
そうなったら大きなニュースになって、学校に勤めている人間が困るだろうな。
それはそれで面白そうだが、死んでしまったら困っている人間の顔を拝むこともできない。
「不良か……私みたいにイカれてる奴、いねぇかな……」
この時の私はもう……日々日記帳を付けるたびに……心の渇きの原因を導いていたのかもしれない。
私は共感を求めている……。
「ん?……不良、たしか一人……いたような」
目つきが悪くて……茶髪で……教師や同級生から煙たがられていて……そんな奴がいたような……。
思い出せない……。
やっぱり人の名前や顔を覚えるのは苦手だ。
私の心を満たしてくれるような存在……。
『あなたの人生で、そんな渇きを満たしてくれる玩具と出会えることを祈ってるわ』
そう……お母様が言っていた玩具が見つかれば……私も何か変わるのだろうか?
「あれ?なんで屋上開いてるんだ?」
後方から声がして振り返ると一人の男子生徒が立っていて、私のことを見つめている。
屋上の扉を開けて、私のテリトリーに入ってきた奴。
そうだ……こいつだ。
学校で私と同じように浮いている同級生。
名前は知らないが、顔は覚えている。
こいつは、私と同じ異質な風格を持ち合わせている。
「えっと……誰?」
その男は目を丸くして、私に話しかけてくる。
「いや……それはこっちのセリフだぞ」
この学校の教師や同級生は私のことを、問題児扱いしているのか避けるような仕草を見せるが……こいつは全く臆していない。
「私は……遠藤、だ」
「遠藤?あー……たしか不良で有名な」
初対面で失礼な奴だ。
「で?おまえの名前は?」
でも、なんだろう?
なぜだか……悪くない。
「俺は浅野春樹。ちなみに不良ではないぞ」
これが私と浅野…………玩具との出会いだった。