30話 独白
私が小学生の時に、母親が家を出て行った。
それから私の感性が変わった。
いや……違う。
ただ正直になっただけだ。
くだらない社会的な正義や常識という枠を、取っ払った。
そんな中、テレビを見ていた時だったけ?
どこかの犯罪心理学者が語っていた『サイコパス』という言葉を初めて聞いた。
「あれ?これって……私のことじゃね?」
自分の性格?体質?感性?
それらを形容する言葉に出会えて気がして、気持ちが楽になった。
だって私は……異常者なんだから。
▽▼▽▼
私の家は一般的に見て裕福だった。
大企業の社長を務めていて毎日夜遅くまでお仕事を頑張っているお父様。
家で専業主婦をしながら家族を支えているお母様。
家族の中は円満で客観的に見ても、とても微笑ましいものだっただろう。
でも、私の心は……いつも渇いていた。
私は地元の公立小学校にはいかずに、少し遠くにある私立の小学校に入学した。
所謂、お金持ちの子供たちが通う学校だ。
私はその場所に期待していた。
幼稚園は地元の近い場所に通っていた。
そこで出会った同級生たちに、私は幼いながら落胆したんだ。
周囲の子供たちと、話が合わない。
先生のくだらない話で笑っていたり、幼稚な絵本を読んでいたり……。
何をそんなに夢中になっているのか、わからなかった。
「ねえお母様。なんで私は皆と違うんだろう?」
「あなたは賢いのよ。周りの子供たちはこれから賢くなっていくのだけど、あなたは生まれながらに優秀なのよ」
そうか……私は優秀なんだ。
だから、周囲との感覚にズレがあって違和感があって……心に霧がかかっていて……。
これから通う私立の小学校は受験を合格した者が通う特別な場所。
私は……そこでなら……この心の霧が晴れるような毎日が送れるんじゃないかと、胸を膨らませていた。
でも…………。
「あーあ、退屈だなぁ」
その期待は儚く散った。
学校は退屈で、同級生との会話も集団教育もつまらなかった。
勉強だって、私がずっと一番だった。
別にその場所は特別なんかじゃなかった。
『あなたは生まれながらに優秀なのよ』
お母様の言葉を本当の意味で理解した。
特別なのは……異質なのは、私の方だったんだ。
▼▽▼▽
小学校4年生の時に理科の授業でアルコールランプの実験があった。
実験内容は簡単でアルコールランプの火でお湯を沸かすというもの。
この時、とんでもない好奇心が私の心を揺さぶった。
高温である炎が……たまらなく綺麗だった。
(この火に触ったら、どうなるんだろう?)
触れば熱いことはわかってる。
火傷をすれば痛いこともわかってる。
それでも、自分の心が体が……どのような感覚になるのか……。
私はそれを体感したかった。
「先生!遠藤さんの手に火が!」
私は人差し指で炎に触れた。
指の先端にとんでもない痛みが走った。
先生が慌てて私の腕を掴んで水道の前まで連れていき、流水によって私の指に灯った炎は鎮火された。
「大丈夫!?遠藤さん!?」
この時の私は……感動していた。
とてつもない刺激だった。
物理的にじゃない。
精神的に、心にまで衝撃が響いてきた。
退屈だった……渇いていた私の心が、揺れ動いた瞬間だった。
「遠藤さん!?聞こえてる!?大丈夫!?」
興奮していた私は周囲が見えていなかった。
我に返って周りを見わたすと先生の顔が真っ青になっていた。
クラスメイトたちも私を心配するように見つめている。
心臓が高鳴った。
(私……心配されている……?)
私の心は再び揺れ動いた。
注目を浴びているからじゃない。
私の行動が周囲の顔色を変えた。
その事実がさっき炎に触れた時の比ではないほどに、心が満たされていく。
唖然としている者や、同情の視線を送ってくる者、パニックになっている者。
多種多様な表情を見ることができて、私は震えた。
心にかかっていた霧が晴れて……私は自分の本心を垣間見た気がした。
▽▼▽▼
それから私は渇いた心を満たすために……人間観察しながら色んなことを妄想するようになった。
クラスで目立っているお調子者に、何か恥辱を与えてやろうか?
学年でイジメがあることに気が付くと、イジメっ子たちに一生心に残るような大きな痛みを与えてやろうか?
イジメられている者を助けてあげて、謝辞を述べてくるそいつを一生あごで使ってやろうか?
他にも色々と考える。
それだけで心が震える。
だけど、この時の私は……あくまで考えるだけ。
これぐらいの妄想は誰にでもあるだろう?
気に入らないあいつは死ねばいいのに、とか。
いつも目立っているあいつは恥をかけばいいのに、とか。
想像力豊かな子供なら、誰でも何かしらの事は考えたことはあるだろう?
でも私は、実行には移さない。
そんな事をするほど、愚かではない。
もしも、私がそんな事をしでかしたら……きっと悲しむ人がいるから……。
お父様とお母様が、きっと悲しむ。
大好きな二人には悲しんでほしくない。
私にこんな異常な精神があることを悟られたくない。
そんな切実な想いが、異常者だった私を常人のままでいさせてくれた。
▼▽▼▽
昔、お母様はお父様の秘書を務めていたことがあったそうだ。
それで二人が恋に落ちて、結婚して私が生まれた。
私が生まれてからは、お母様は仕事を辞めて専業主婦となった。
当時は家政婦を雇うこともなく、広い屋敷を一人で管理して毎日淡々と家事をこなしているお母様は笑顔が絶えない。
きっと、この人はお父様と結婚して幸せなんだろうと……思っていた。
私が小学校高学年になったぐらいの時に、お母様が自宅にいないことが増えた。
私が学校から帰って来ても、屋敷には誰もいない。
夕食を作り置きしていなくなり、遅い時には日付が変わってから帰って来ることもあった。
「お母様……いつもどこに行っているの?」
「ん?そうね……。大事な人のところ、かな」
その人はきっとお父様だ。
そんなふうに思ったけれど……どこか釈然としない気持ちと一抹の不安を私は感じた。
「大事な人……。そう、私にとってその人は大事な玩具なのよ」
大事な玩具……?
大事な人のことを……玩具と形容したお母様のことが理解できなかった。
でも……なんでだろう?
理解できないのに……満面の笑みのお母様のことが、羨ましいと思った。
それから程なくして……お父様とお母様が口論している姿を目撃した。
「一体、いつからだ!あんな……あんな男と毎晩!聖菜をほったらかして!」
お母様は不倫をしていた。
毎晩、お父様じゃない他の男のところに行って……毎晩抱かれて……。
最初はお父様が怒り心頭でお母様のことを怒鳴り散らしていたけれど……お母様は終始堂々していて……。
結局、最後に涙を流していたのはお父様のほうだった。
「お母様……どこ行くの……?」
大きな荷物を持って、お母様は屋敷を出ようとしている。
「聖菜……人間はね。孤独には……寂しさには勝てない」
お母様は、私を力強く抱きしめてから言葉を続けた。
「世の中、平等じゃない。人生は楽しまないといけないのよ。誰かを傷つけてもね」
悪魔の言葉だった。
お父様と私を裏切っておいて……罪悪感の欠片すら、この人は持っていない。
でも……不思議と憎悪などの感情は無い。
「喉が渇いたら潤さないと……。心が渇いたら満たさないと……。そうでしょ、聖菜?」
私は……この人の言葉に共感してしまっていたから。
「私とあなたは同じ穴の狢。あなたは私の娘だもの。毎日が退屈でしょう?刺激が欲しいでしょう?心が渇いてるでしょう?」
お母様は私の肩を両手で掴んで、大きく目を見開いて力説してくる。
まるで、私の心の中を見透かしているかのように……。
「これからのあなたの人生で、そんな渇きを満たしてくれる玩具と出会えることを祈ってるわ」
私はそんなお母様から、目が離せない。
「ばいばい、聖菜」
この瞬間、私の心を縛っていた抽象的な常識が吹き飛んだ。
私は、私のために……満たされるために……生きていく。
もう私には、そんな考え方しかできなかった。
だって私は……悪魔の……お母様の娘なんだから。