29話 真実
「もしもし、志穂?」
「あ……もしもし、梓。突然ごめん」
春樹に連絡をして遊園地に誘う少し前、私は友人の梓に電話をしていた。
「志穂、何かあった?声が暗いよ」
「別に……大丈夫だよ」
「そっか、ならいいけど。それでどうした?」
「……実は白木くんに聞きたいことがあって。彼の連絡先知ってるよね?」
春樹とは以前にファミレスで食事をした時に連絡先を交換したけれど、一緒にいた白木くんとは交換しなかった。
「うん。っていうか、今一緒にいるから電話代わるよ」
梓は白木くんと一緒にいるらしく、仲は良好みたいだ。
今の二人は友人関係だけど、もしかしたらこの先それ以上のものに発展するかもしれない。
「あ、もしもし。深瀬さん?電話代わりました。俺に聞きたい事って?」
「白木くん……高校1年生の時の文化祭の時なんだけど……」
私は一度、春樹の通う高校の文化祭に行ったことがあった。
その当時から気になっていた些細な事が、今から私が直面することに関係しているかもしれないと思っていた。
▼▽▼▽
「春樹……」
私は春樹に気持ちを伝えた。
私は春樹にキスをした。
もう、引き返せない。
私は春樹が守ろうとしていたものを壊そうとしている。
いや……きっと私は壊したかった。
(このままじゃいけないんだ……)
春樹は遠藤さんを追って、私を置いて走り去ってしまった。
「春樹…………大丈夫だよ」
まだ私は……春樹に伝えたいことがある。
春樹と話がしたい。
私は春樹を追って、夜道を駆け出した。
『深瀬……俺な、近いうちに結婚するんだ』
私は一人で夜道を走りながら、今日偶然再会した田宮先生の話を思い出していた。
『すごく反対されたけど……俺たちは一緒になりたいと想い続けたから……』
先生の満ち足りた表情が忘れられない。
『色んな人に迷惑を掛けた。特に……深瀬には……』
そして先生は私に頭を下げて、何度も何度も謝ってきた。
『あの時、大人だった……先生だった俺が……事態を収拾しなければならなかった』
その話を聞いた時、私の頭はグチャグチャになっていて……。
『深瀬も浅野も美和も……悪くない……。それと…………』
田宮先生は私たちのことを悪くないって言った。
でも、それは違う。
皆それぞれ、道を間違った。
勿論、春樹には非がない。
彼は完全に被害者だから。
それと一番の元凶は、やっぱり……私……なんだろう。
「春樹、どこに行ったんだろう……?」
遠藤さんを追いかけて行った春樹を見失ってしまった。
このまま闇雲に探しても見つからない。
「春樹のマンションまで行ってみよう……」
彼の今住んでいるマンションの自宅まで赴いて、春樹を待つことにした。
もしかしたら、もう春樹は帰っているかもしれないし……。
私はどうしても、今日春樹と話がしたかった。
▼▽▼▽
私は息を切らしながら走って、春樹のマンションの部屋の前にたどり着いた。
「春樹……帰ってるかな?」
インターホンを鳴らしてみるけれど、返事はない。
はやる気持ちを抑えきれなかった私は、咄嗟に扉のドアノブに手を掛けた。
「開いてる……」
扉が施錠されていなかった。
(春樹、中にいるの……?)
一瞬躊躇ったけれど、私は扉をゆっくり開けて玄関を覗いた。
玄関から廊下が続いていて、その先にはリビングがあり電気がついていて部屋は明るい。
「春樹、帰ってるの?」
私はリビングに向かって声を出したけれど、またしても返事はない。
「春樹……入るね……」
私はもう一度春樹の自宅の中にそう呼び掛けて……玄関に入って靴を脱ぎ、電気がついているリビングに向かう。
少し緊張しながら廊下を進んで、リビングに続く扉を開けて中に入った。
「あ……おかえり…………って、春樹じゃないのか……」
リビングに入った私の視界に入ってのは、春樹でなく……遠藤さんだった。
「遠藤……さん。……なんで、ここに……?」
「私は春樹の彼女だぞ。合鍵持ってるし、ここにいても不思議じゃないだろう?」
遠藤さんは、リビングの端にあるキッチンで料理をしているように見える。
「っていうかさ……それって私のセリフだろう?なんで深瀬がここにいるんだよ?」
「私は春樹と話がしたくて……ここに来ただけ……。インターホン鳴らしても返事はないし……玄関開いてたから……」
嫌な汗をかく。
緊張が私の体を蝕んでいく。
「それで勝手に入ってくるなよ。ここは私と春樹の愛の巣なのにさ」
「勝手に入ったことは……ごめんなさい。あとで春樹にも謝るよ。でも……」
体が震えそうになる。
それぐらい今の私は臆している。
でも……引くわけにはいかない。
私は逃げないって……決めたんだ。
私は覚悟を持って、この場所に立っている。
「ここは春樹と遠藤さんの愛の巣なんかじゃないよ。そんな場所は、この世のどこにも無い……」
「へー、言うじゃん深瀬。人の彼氏に手を出すだけのことはあるなぁ……」
遠藤さんは料理をしている手を止めて、私の目を見て言葉を発した。
「春樹……今頃、遠藤さんのこと探してるよ?」
「だろうな。さっきから私のスマホに春樹からメッセージ届いてるし……。まあ、もうすぐここに帰って来るだろう」
私を見ても全く遠藤さんは動揺していない。
さっき公園で……私と春樹のキスを目撃した時には取り乱しているように見えたけど……。
「晩御飯……作ってたの……?」
「ああ。これでも私って料理得意なんだよ。いや、料理に限らず何でも器用にこなせるんだけどな」
饒舌に話をする遠藤さんは、さらに言葉を続ける。
「春樹は私の料理大好きでさ。いつも笑顔で食べてくれるよ。満たされるよなぁ……。自分が思い描いた通りの、期待通りの結果が転がり込んでくるとさ」
私はそんな彼女の話を、静かに聞いている。
「深瀬も彼氏が出来た時のために料理のスキルは持っておいた方がいいぞ。好きな奴の胃袋は掴んでおいて損は無い」
「大丈夫だよ。私は料理得意だし、それに……私の彼氏は春樹以外にありえない」
私は春樹の顔を思い浮かべて……強い心を持って、遠藤さんの目を見た。
「さすがは泥棒猫なだけのことはある」
「何とでも言って……」
絶対に私は引かない。
遠藤さんが、どんな言葉を浴びせてこようとも……。
「遠藤さんの方こそ、どうなのかな?って思うよ」
「はあ?なにが?」
「さっき胃袋を掴んで損は無いって言ってたけど、春樹のことを……彼氏のことを損得勘定で見ているような気がするけど」
「別に変な話じゃないだろう?好きな奴といると楽しいとか、幸せとか、満たされるとか、全部自分の感情だろうが。人間、私欲が自分の感情が第一優先事項に決まってるだろう?深瀬だって春樹のことを諦められなくて、キスまでしたんだろう?誘惑したんだろう?自分のために。それだって損得勘定だろ」
遠藤さんは少し興奮気味に語った。
たしかに私の行動理念だって春樹に振り向いてほしいから……。
それは否定しない。
でも……私は……。
「私は遠藤さんとは違うよ」
「ふっ……どの口が言ってんだ?」
腕を組んでキッチンにもたれ掛かる遠藤さんの態度からは余裕が伺える。
さっきの私と春樹のキスを見ても……焦りはないのだろうか……?
「私と遠藤さんは水と油だね。この話はもういいよ。それより私ね……春樹と話がしたくてここに来たけど……。遠藤さんとも話がしたかったんだ」
「なんだよ?まだ私と春樹の関係をかき乱すつもりか?」
「そうだね。きっとそうなるよ」
私の言葉を聞いて遠藤さんは、ここで始めて怪訝な表情になったような気がした。
「私ね、少し前に千田先輩と会ったんだ」
私は意を決して、言葉を口にした
「千田?あー、いたな……そんな奴も……」
「千田先輩と遠藤さんって地元が同じなんだってね」
「なんでおまえがそんな事を知ってるんだよ」
「千田先輩が教えてくれたんだ」
「……あっそ」
そう……千田先輩と再会した時……そこで遠藤さんの話を聞いた。
先輩と遠藤さんは家が近かったらしく、仲は良くなかったみたいだけど小学生の時からよく知った関係だったと……。
「私、フリースクールにボランティア活動に行ってるって遠藤さんに昨日話したよね?」
昨日、メロンを届けに春樹の自宅に、この場所に私はやってきて遠藤さんと色んな会話をした。
教育実習をしている遠藤さんと、フリースクールで勉強を教えている私は意気投合したんだ。
「田宮先生って、覚えてる?私の所属していたバスケ部の顧問の先生で、途中で学校を退職したんだけど」
「……ああ、覚えてる」
遠藤さんは目を瞑っていて、少し……この状況を楽しんでいるような……。
「意外だな。遠藤さんって人の名前と顔を覚えるのが苦手だって言ってたのよね?」
「ああ、そうだ。でもな……面白い奴はすぐに覚えらえれる。退屈な奴はすぐに忘れる」
「……その田宮先生と会ったんだ。今日の朝にね。それで先生に大切な話を聞いたんだ」
「へー、どんな話?」
「田宮先生、結婚するんだって。相手の人とは昔、相容れない立場だったみたいだけど……。教師と……生徒……」
「フィクションみたいな話だな」
それで?と、遠藤さんは私に話の続きを促す。
「結婚するにあたって、色んな人に迷惑を掛けて……色んな葛藤があって……でも、その人のことが好きで……やっと家族になれるって喜んでた」
「結婚……家族……か」
今さっきまで私の目を見ていた遠藤さんは、俯いてそんな言葉を呟いた。
「少し話がそれるけど……田宮先生が学校を辞めたのと同時期にさ……。そのバスケ部からも一人いなくなっちゃたんだよね」
「あったな……そんなことも……」
「辰巳美和って言って……バスケ部でキャプテンをしていて友達だったんだ」
「……ああ、覚えてる」
「美和とは何の前触れもなくお別れになったから……今頃どうしてるかな……って時々思うんだ」
「白々しいな深瀬。辰巳が今どうしてるか、それも田宮に聞いたんだろう?」
「どういうこと?」
私は遠藤さんの言う通り、白々しく疑問符を浮かべた。
「田宮と辰巳が結婚するって話なんだろう?」
「なんで遠藤さんは、そう思ったの?」
「いや、ここまで話を聞いたら普通関係性があると思うだろうが」
「そうだね。確かに関係性はあると感じるだろうけど……結婚相手が当時中学生の教え子だった美和だって普通即答で答えられるかな?フィクションじゃないんだから。田宮先生と美和が恋仲にあった事を知っていたなら想像は容易だったと思うけどね」
「………………」
遠藤さんは、ここで押し黙った。
私が何を言いたいのか、彼女はもう察しているのだろう。
沈黙の時間が少し流れてから遠藤さんは大きく息を吐いた。
「合コンで春樹と再会して?千田と偶然会って?田宮とも再会した?田宮と辰巳が結婚?なんだそれ?主要人物全員集合じゃんか」
遠藤さんは天井を見上げて言葉を発する。
ここで私は、今まで記憶を再び回想した。
『遠藤っていただろう?深瀬の学年に。あいつには……気をつけろよって言ったんだ』
点と点が浮き彫りになってきたのは、千田先輩の話を聞いた時から。
『深瀬も浅野も美和も……悪くない……。それと…………遠藤も』
点と点が線になったのは、田宮先生の話を聞いた後、頭を整理した時。
私はもう一度気持ちを引き締めなおして、目力を込めて遠藤さんを見た。
「皆……皆ね……後悔してるって、言ってた」
遠藤さんは再び俯いていて……特に反応は示さない。
ここで私は怒りにも似た感情が沸き上がってきた。
「田宮先生も千田先輩も、そして美和も……あなたの指示を聞いてしまったことを後悔してるって」
「あー……で?」
遠藤さんは、ここまで話が進んでも毅然とした態度を崩さない。
「高校1年生の時。私の家のポストに海星高校の招待状が入ってたんだ」
私の通っていた中学から海星高校に進学したのは春樹、遠藤さん、白木くんの三人。
『白木くん……高校1年生の時の文化祭の時なんだけど……。海星高校の招待状って私に家に届けてくれた?』
『高1の時……。あー、いや、俺はあの時、友達に適当に配るように頼んだんだけど。深瀬さんに渡したって奴はいなかったよ。なんか疎遠みたいになったから、渡しづらかったって言ってたな』
私は中学時代に親しかった友達との関係を断っている。
勿論、当時私と絶交している春樹が届けてくれるはずもない。
だとしたら……。
「招待状を私のポストに入れたのは……遠藤さん?」
考えられるのは……彼女しかいない。
「あーあ、世の中案外狭いよなぁ……。ふふっ……」
私の言葉を聞いて、遠藤さんは不敵な笑みを浮かべた。
そんな彼女を見て……私の背筋は凍り付いた。




