25話 懺悔
(ここが、春樹の生活している空間……)
春樹の自宅に上がらせてもらった私は、とても緊張していた。
あまり広くはないけれど、リビングはきちんと整理整頓されている。
「適当に座ってくれ。志穂は紅茶でいいよな?」
「あ、うん。ありがとう」
さっきまで勉強をしていたのか、机の上には参考書が置いてある。
(春樹……頑張ってるんだな)
「志穂、大学院の受験勉強は順調か?」
「うん。ゼミの教授にも学力面では問題ないってお墨付きをもらったんだ。面接試験が上手くいくかはわからないけどね」
「そうだよな。俺も就活の面接を何度かやったけど、難しいよな」
リビングの真ん中に置いてあるローテーブルの上に春樹は温かい紅茶が入ったティーカップを置いてくれた。
私はテーブル前に腰を下ろして、お礼を言ってから紅茶を口に運ぶ。
春樹は私の向かいに座ってコーヒーを飲んでいて、とても大人びて見えた。
「春樹は就職活動上手くいってる?」
「ああ。もう2社から内々定は貰っているんだ」
「そうなの!おめでとう!」
「いや……まだどっちの会社にしようか思案中なんだけどな」
「そっか、凄いね。もう来年は社会人か……」
「ああ。志穂は大阪の大学院だろう?頑張れよ」
「あ、あの……春樹のお父さんの会社も大阪だっだよね?その会社には……」
春樹はお父さんに同じ会社に就職しないか誘われていると、以前聞いたことがあった。
もしも春樹がその会社に就職すれば大阪に住むことになって、私も大阪の大学院に行って……。
「ああ。その話は、しっかりと断ったよ。自分の目で企業を見て就職したいからな」
「あ……そっか……そうだよね」
儚げな期待を寄せていたけれど……そんな都合の良い展開には当然ならない。
「志穂……この間は……ごめん。その、俺、自分の話ばかりして……」
「え……?」
数日前、私が春樹の実家にお邪魔した時。
春樹が彼女である遠藤さんの話ばかりしていたことに嫉妬した挙句……勝手に家を飛び出して迷惑を掛けてしまった。
「ううん!あれは、私に非があって……本当にごめんさない!探してくれたのに、ちゃんとお礼も言わずに……」
「いや、俺も悪かったよ」
春樹は少し俯いて、言葉を続ける。
「聖菜って、結構周囲に壁を作ってしまう性格でさ。だから仲良い奴もあまりいなくてさ。まあ、俺も人の事は言えないんだけど」
そっか……。だから春樹は遠藤さんの話をしていたんだね。
遠藤さんのことを色んな人に知ってもらいたい一心で……。
「まあ、つまんない話だったよな。彼女の話ばかりしてさ……。俺って昔からこんな感じだったのかな……。だから、おまえにも……気持ち悪がられて……」
少し寂しそうに弱弱しい言葉を言った春樹の声を聞いて、私は全身に鳥肌が立った。
『気持ち悪い!』
愚か者だった中学時代の私が言い放った、春樹の悪口。
忘れもしない私の愚行。
「ち、違う!違うの!」
私は春樹の言った言葉を必死に否定した。
私が過去に発してしまった言葉が……今も春樹を傷つけているなんて、耐えられなかった。
「それは違うよ!違うの……ごめん、ごめんなさい!」
「お、おい、落ち着けって。志穂」
取り乱した私の肩に優しく手を置いた彼は宥めてくれる。
少し落ち着いてきたところで、至近距離の春樹の顔が視界に入った。
彼は困惑した表情で、私のことを心配してくれている。
突然、目の前で涙を流しながら大きな声を出したんだから当然だ。
「大丈夫か?」
「うん……春樹、私……あの時ね……」
私はあの時の……中学時代の悪行の経緯を春樹に話し始めた。
春樹を誰かに取られたくなくて、彼の名誉を傷つけてしまったこと。
その後も周囲に合わせて、悪口を言い続けたこと。
千田先輩のことがフラッシュバックして、そのセリフを口走ってしまったこと。
「そうか……」
ただ謝るだけじゃダメだった。
あの時なにがあってそうなったのか、きちんと説明しなければならなかった。
私は春樹に許してもらったことに内心ほっとしていて、彼の心の傷を考えることができていなかった。
本当に私は成長していない……。
この年になっても、自分のことしか見えていない……。
「信じてもらえないかもしれないど……春樹のことを気持ち悪いだなんて思ったことは一度もないよ。だから……」
「ああ。今の話を聞いてスッキリしたよ。話してくれてありがとな」
春樹はそう言って、優しく微笑む。
私を気遣うように、なぜか……申し訳なさそうに。
「本当にごめんなさい。私、どうやって償えばいいか……」
「別に何もしなくてもいい。前にも言ったが、昔のことだ。気にするな」
「で、でも……」
「それよりも志穂。今の話を聞いて……気になったことが、あったんだが……」
春樹は人差し指で頬をかきながら、何か言いづらそうにしている。
「な、なに……?」
私の過去の愚行についても『昔のことだ』と言ってくれている温厚な春樹も、やっぱり腹を立てていて、これからひどくお叱りを受けるかもしれないと、私は固唾を飲んだ。
「中学時代、俺を誰にも取られたくなかったって言ってたけど……その……志穂は俺のことが、好きだったのか……?」
「え…………え!?」
そうだ……今の説明だと、私が春樹を想っていたことを告白したようなものだ。
「あ、あの……それは……」
(どうしよう……。まさか、こんな展開になるなんて……。どうしたら……)
「ま、まあ……俺たち、かなり仲が良い幼馴染だったしな。誰にも取られなくないって気持ちにもなるよな」
「あ……う、うん……」
言葉を詰まらせていた私を見た春樹は助け船を出すように、話をまとめてくれた。
この前、遠藤さんのことで嫉妬した事といい、今回の事といい……私の気持ちに春樹は気づいているかもしれないけど……。
今はそのことをこれ以上言及されずに済んで、私は胸を撫で下ろした。
いや……いいの私……。このままで……?
ここまで話を深堀して…………。
気持ちを伝えないで、また逃げてしまうの……?
そんなのは…………。
「……好きだったよ」
「……え……?」
春樹が目を丸くする。
「私ね、春樹のことがね。好きだったよ」
このまま気持ちを伝えないのは、そんなのは……嫌だった。
春樹は驚きを隠せないのか、私の告白を聞いて明らかに動揺している。
当然だよね……。
今は彼女だっているのに……。
私が昔どう思っていたのかなんて……今更言っても彼を困らせるだけ。
春樹は落ち着きを取り戻すように、目を閉じて少し考えを巡らせているように見えた。
「志穂……」
彼の声が聞こえて、全身に緊張が走る。
「ありがとう。俺なんかを好きになってくれて」
春樹は少し俯いて言葉を続ける。
「あの時の俺って、良いところなんて何もなかっただろう?勉強も人並みぐらいだったし、部活や趣味を頑張ってたわけじゃない……」
「そ、そんことはないよ!春樹はいつも優しくて自分を持っていて、それで…………カッコよかった」
「ありがとう志穂。容姿を褒めてくれたは聖菜と志穂ぐらいだから、嬉しいよ」
彼は照れながら頭をかいていて……そんな姿も愛おしい。
「それに昔の事とは言え、志穂が好意を持ってくれてたなんてな……」
「あ…………うん」
私は現在進行形で春樹のことが好きだけど、さっきの告白はあくまでも過去の想い。
『今も春樹のことが好きだよ』って言うチャンスだったけれど……昔の想いを伝えただけで一杯一杯だった。
「そ、そういえばこの前、私が春樹の実家を飛び出しちゃった時にね。千田先輩と会ったんだ」
少し沈黙の時間が流れてしまったため、慌てて思いついた話を振ってみる。
「え……?千田に会ったのか……?大丈夫だったか?」
「うん。先輩、凄く変わっていてね。穏やかになったというか、お子さんもいたよ」
「志穂、それで……千田と他に何か話したのか?例えば、昔の話とか」
「う、うん。謝ってきたよ。昔のことを」
「そうか……他には?」
「ううん。特には……」
本当は他にも千田先輩と会話をしたけれど……私はその事を言わなかった。
「それにしても、千田が父親になってるのか。年が近い奴が親になってるなんて、なんだか不思議な感じだな」
たしかにそうだよね。
私たちは成人で、もう子供じゃない。
自分の進む道をしっかり見極めて、生きていかなくてはならない。
きっとそれは学業や仕事だけじゃなくて、プライベートや恋愛だって……同じはず。
「ただいまー」
一息ついてカップの紅茶を口に含んだ時、玄関の扉が開く音と同時に室内に響き渡る女性の声。
その声の主がリビングへと近づいてくる足音が聞こえてくる。
「ただいま、春樹」
「おかえり、聖菜」
部屋の扉を開けて姿を見せたのは、遠藤さん……春樹の彼女だった。
『ただいま』『おかえり』、なんて……もうこの二人は恋人という枠を超える信頼関係があるようにすら感じてしまう。
「深瀬……か」
春樹の向かいに座る私を見た遠藤さんは鋭い目つきで、こちらを見下ろしてくる。
中学時代、遠藤さんにこの鋭く冷たい視線を向けられたことを私は覚えている。
軽蔑の眼差し……そうに違いない。
あるいは自分の彼氏の部屋で何をやっているんだという、怒りにも似た感情の表れなのか……。
私はそんな遠藤さんを目の前にして……恐怖で声が出なかった。




