24話 怪訝
「可愛いですね。娘さんですか?」
「ああ。こんな俺だけど、今は子供がいてな」
私と千田先輩は広場のベンチに腰を下ろしている。
少し離れたところで、私よりも年上に見える女性と小さな女の子が噴水近くで和気あいあいと楽しそうにしている。
その二人は、千田先輩の奥さんと娘さんらしい。
「休みが取れて、久しぶりに地元へ帰ってきたんだ。今は他県で生活しているんだが」
「そうなんですか」
さっきこの人に声を掛けられた時は、動揺して過去のトラウマが頭をよぎり恐怖したけれど……今はそれを感じない。
「深瀬……その、中学の時は本当に申し訳なかった」
私の目を見てそう言った千田先輩は深々と頭を下げてくる。
正直、あの時……この人にされたことは、私の中で大きな出来事として残っている。
でも……そのことを咎める資格なんて、私にありはしない。
「頭を上げてください。私は気にしてないですよ」
「あ……え……?」
私の言葉を聞いた千田先輩は、目を丸くしている。
「な、なんで……?そんな、あっさり……許してくれるんだ……?」
まあ、当然そうなるよね……。私も春樹に対して、同じように思ってるわけだし。
「今の千田先輩を見ていると、本当にあの時のことを後悔していることが伝わってきました。勿論反省していることも」
「いや、しかし……」
「道を間違えることなんて、誰にでもあります。だから、もう気にしないでください」
私は春樹に掛けてもらった言葉を、そのまま伝えた。
それを聞いた千田先輩は涙ぐんでいて、何度も『ありがとう』と言葉を発した。
この時の私は少し晴れやかな気持ちだった。
人を恨み続けることは、精神的につらいものだ。
目の前の千田先輩を見ていると、人を許すことは時として大切なことなんだと実感した。
(春樹もこんな気持ちだったのかな……。私のことを許してくれたのも、そういう理由で……)
「今日、深瀬に会えて良かったよ。話を聞いてくれてありがとう」
「変わりましたね、先輩。全然、昔とは違って見えますよ」
「あ、うん。中学出て働くようになってから、色んなことがあって……痛感したんだ。自分が無力で情けない奴だったってことをさ」
鼻を啜りながら、そう言った千田先輩の表情はとても優しい。
社会に出てしっかり自立したからこそ、この人は変わることが出来て、今は家族を持ち真っ当な人生を歩んでいる。
「そういえば……何年か前にこの場所で浅野にも会ったんだった」
先輩は何かを思い出したように、そう言った。
「え!?春樹に会ったんですか!?」
「あ、ああ。たしか俺が大工の見習いになって2年目の時だったから……あいつが高1の時かな」
「あの……失礼ですけど、なにか揉め事になったりは……?」
「はは、ないない。俺もその時には丸くなってたし、浅野は俺を見ても落ち着いていたよ」
そっか、春樹……中学卒業してから千田先輩と会ったんだ。
「っていうか浅野の奴……俺と会ったことを深瀬に言ってなかったのか……」
「あ、はい。今初めて聞きました」
「いや、その時に頼んだんだけどな。深瀬に迷惑掛けたことを謝ってたと伝えてくれって」
「そうだったんですか……」
その当時、私は春樹に絶交されて会うことも無かったから……その伝言は当然届かない。
「ところで、深瀬はここで何をしてるんだ?一人でいるみたいだけど」
「え?あー、その……」
遠藤さんに嫉妬したあげく春樹に八つ当たりをして逃げてきたなんて……言えない。
「実は、さっき友達に酷いことを言ってしまって……。それで頭を冷やすために散歩をしていて、ここに……」
散歩じゃなくて、走って春樹から逃げてきたんだけど……。
「へー、深瀬にもそういう一面があるんだな。俺の印象では非の打ちどころの無い優等生のイメージだが」
「そんなことないですよ……私なんて……」
そう……本当にそんな大層な人間ではない。
「まあ、何があったか知らないけど……本音でぶつかればいいだけだろう。酷いことを言った理由もしっかり相手に説明すればいいだけだ。それで双方納得できないなら、その時に距離を取ればいいし」
的を射たことを言われてしまった。
せっかく春樹と幼馴染に戻れたのに……また距離を取るなんて。
いや……このまま近くにいても、辛いだけなのかな……。
でも、やっぱり気持ちは伝えたい。
「自分の意見を言うのは大切ですよね。頑張ってみます」
千田先輩は優しく微笑んで頷いた。
「そ、それよりも春樹と昔ここで会った時、他にどんな話をしたんですか?」
話を変えたかった私は咄嗟に思いついたことを質問した。
「ああ……そんなに長々と話をしたわけではないが」
私も千田先輩も一度大きく道を間違えたからだろうか……?
そんな先輩の話す言葉に一つ一つが不思議と私の心に響いてきて……そしてこの後、相槌を打つことを忘れるぐらい彼の話が……。
「じゃあな深瀬。今日は本当にありがとう」
「はい。先輩もお元気で……」
千田先輩は奥さんと娘さんを連れて、広場を後にした。
私はベンチで一人、ただ茫然と座り込んでいる。
広場にある時計を見ると、気づけば時刻は18時を回っており、夕日が沈んでいく。
「帰らなきゃ……」
私は重い腰を上げて……意を決して春樹の実家に向かって、ゆっくり歩を進めた。
▽▼▽▼
「志穂!どこ行ってたの!?」
「あ……お母さん」
広場からスローペースで歩いてきた私が自宅前まで帰ってきたのは19時前で、すっかり外は暗くなってしまっていた。
「春樹くんがあちこち探し回ってくれているのよ!」
「え……ご、ごめんなさい」
仕事から帰ってきた母は、春樹から事情を聞いて家の前で私のことを待ってくれていたそうだ。
「志穂!」
後方から聞こえてきたのは春樹の声。
息が乱れていて、帰りが遅い私のことを走って探してくれていたことが容易に想像できた。
「は、春樹……」
「志穂、よかった。大丈夫か?」
「あ、うん。探してくれてたんだね。迷惑掛けて、ごめん」
「そうか。なら良かった」
春樹は額の汗を拭いながら、安堵したように大きく息を吐いた。
私はそんな彼と目を合わせることができない……。
「もう春樹くんに心配掛けて!」
「まあまあ、おばさん……」
お母さんは私にお説教しようとしていたけれど、春樹が場を鎮めてくれたことでこれ以上大事にはならずに済んだ。
「春樹、今日はごめん」
「あ、ああ……その志穂」
春樹が何か言いかけていたが、私は聞こえなかったふりをして自宅に逃げ込んだ。
今の私は……春樹といつも通り会話ができる精神状態ではなかった。
▼▽▼▽
「ここが春樹の住んでいるマンション、か……」
私は今、大きなメロンを持って、彼の……春樹の住むマンションの部屋の前に立っている。
なぜ、こんなことになっているのかというと…………。
一時間ほど前───
「志穂、ちょっといい?」
「なに?お母さん」
私が千田先輩と再会して数日が経ち、今日は日曜日。
特に予定が無いため、家で勉強をしていたんだけど。
「親戚がメロンをいくつか送ってきてくれたの」
「ああ、そうなんだ」
「このメロンを一つ、春樹くんのところに持って行ってくれない?」
「え!?は、春樹のところに……?」
「この前、お世話になったでしょ?彼、メロン好きだったわよね?今は一人暮らしだそうじゃない」
「でも……どこに住んでるか知らないし」
「連絡先も知らないの?」
「……それは、知ってるけど……」
「じゃあ、よろしくね」
私と春樹は少し前に連絡先を交換した。
でも、彼にメッセージを送ったり、電話をしたことはない。
連絡しようにも、そんな勇気は無いし……特に用も無いのに連絡をするなんて……そんなことが許されるのは、家族か恋人ぐらいなものだろう。
私は、そのどちらでもない。
「でも……今回は明確な用があるわけだし……」
アプリを起動して春樹のアカウントを選択して、メッセージを送る……。
送りたいけれど……やっぱり勇気が出ない。
それに、この前は春樹に心配を掛けて私を探してくれていたのに……素っ気ない態度を取って、お礼も言えなかった。
あの時の私は、千田先輩に会って話したことの印象が大きくて……。
『親戚からメロンをいただいたのですが、よかったらお一つどうですか?』
文面を作成してみたものの、妙に丁寧な文章になってしまい自分で読んでもぎこちない。
もしも返事がこなかったら……なんて想像すると、怖い。
あれこれ悩んでばかりで悪戯に時間だけが過ぎていくので、私は勇気を振り絞って『送信』をタップした。
あとは春樹からの返事を待つだけ……。
彼からいつ返事が送られてくるか、もしかしたら返事はないかもしれない……。
そんふうにドキドキして待っていた刹那、私のスマホが大きく振動した。
それは、電話の着信のお知らせ。
画面を確認すると、浅野春樹の名前が表示されていた。
「は、はい!もしもし!」
「あ、志穂。俺だけど」
慌てて電話に出た私の声に答えてくれた相手は勿論、春樹だった。
彼から電話が掛かってくるなんて……たまらなく嬉しかった。
「メロンだけど、本当に貰ってもいいのか?」
「あ、うん!春樹、メロン好きだったでしょ」
「ああ。じゃあ、俺が志穂の家に取りに行こうか?重いだろう?」
「えっと………」
ここで少し欲が湧いてきてしまった。
春樹の住んでいるマンションに行ってみたい……。
「私が持って行くよ。これでも力持ちなんだよ。だから、その……」
「そうか。じゃあ、住所と部屋番号教えるから」
───という流れで今、私は春樹の住む部屋の前にいる。
私は緊張しながらインターフォンを鳴らした。
目の前の扉の鍵がガチャリと開いた音が聞こえた。
「早かったな、志穂。わざわざありがとう」
「う、うん。あの、これ……どうぞ」
扉を開けて姿を見せた春樹を見て、私の心臓は大きく跳ねた。
緊張して震える手で持っているメロンの入った袋を、私は春樹に手渡した。
「昔、よく一緒に食べたよな。久しぶりだから楽しみでさ」
春樹の喜んでいる顔を見ていると、来て良かったと思った。
自然と緊張が解けていくような気がして私まで笑顔になるけれど……。
「あ、じゃあ……私、帰るね」
もう、用事は済んでしまった。
これ以上、私がここにいる理由はない。
でも……せっかく春樹と休日に会っているのに……。
せっかく、春樹の自宅まで来たのに……。
このまま帰るのも……名残惜しい。
(……なんて考えは、本当に図々しい)
先日、彼に『俺たち、幼馴染だろう?』と言ってもらえたことで、私は調子に乗ってしまっている。
私は、春樹の彼女じゃない。
春樹には、遠藤さんが……彼女がいるんだ。
でも……この前の……あのことが、私の心に引っかかっていて……。
「上がれよ。ここまで遠かっただろう?お茶ぐらいだすからさ」
「……え……?い、いいの……?」
期待してなかったと言えば嘘になる。
しかし、実際に春樹の口からそう言ってもらえて……舞い上がってしまっている自分がいる。
「本当に、いいの?お邪魔しても……」
「ああ。遠慮するなって」
「そ、それじゃあ……お邪魔します」
そうして私は春樹の住居へと足を踏み入れた。
春樹の使っている柔軟剤の匂いだろうか?
玄関に入ると、その優しい香りが鼻腔をくすぐる。
(春樹の匂いがする……)
先ほど和らいだ緊張が、再び私の全身を覆っていくのがわかった。




