23話 嫉妬
「父さん。速達で荷物送ったからな」
「うん。ありがとう。それで春樹、この前の話は考えてくれたか?」
俺は父さんに頼まれて実家にある衣服の荷物の輸送手続きを終えた。
「だから俺は父さんと同じ会社には入らねぇよ。前回も断っただろうが」
「もしも春樹がうちの会社を受けて大阪支社に入社すれば、また一緒に暮らせると思ったんだけどな」
父さんは『残念だなぁ』と寂しいそうに言うが、こればかりは仕方ない。
父さんも聖也さんも、俺のことを会社に勧誘してくれるのはありがたいのだが……。
福利厚生や収入、将来性を自身の目で見極めて就職し、自分一人で生きていけるようになりたい。
しっかりと自立したその先で、俺は……あいつと……。
父さんと電話で話し終えてから、俺は一旦実家に帰る。
俺の実家には父さんの妹夫婦(おばさん夫婦)が暮らしているが、今日は夫婦揃って出かけているため留守番をする。
留守番と言っても、おばさん夫婦が日帰り旅行に出かけてお土産を買ってきてくれるそうなので、それを受け取るために二人が帰ってくるのを待つだけのことだ。
(聖菜……今頃実習頑張ってるかな)
彼女である聖菜の教育実習が始まって1週間が経った。
実習は大変らしいが生徒たちとそれなりに仲良くなれたらしく、そこそこ充実しているそうだ。
一日の実習が終了するのは夜遅くで会っている暇は無いので、俺たちはもう数日顔を合わせていない。
毎日電話で会話をしているが、彼女の顔が見れないのは寂しいものだ。
実家に辿り着いた俺は何気なく向かいにある志穂の自宅を見た。
(そういえば志穂のやつ……この前は急いで帰って行ったな)
先週ファミレスで飯を食ってボウリングに行って、その後一緒に帰宅していたのだが、聖菜が現れてから急に走り出して……。
(体調でも悪かったのか?そういえばボウリング場でもトイレに行って、なかなか戻ってこなかったしな)
時刻は、ちょうど正午を迎えた時間帯。
俺は鞄から鍵を取り出して家に入ろうとした時、不意に志穂の家が気になった。
正確には、さっき見ていた志穂の自宅前で人影が見えたような……。
少し気になり、1分ほどその庭を凝視していたが……今はその人影は確認できない。
見間違い……いや、もし見間違いじゃなければ、その人物はもしかして物陰に身を潜めて隠れているのか?
まさか……泥棒……!?
そんな考えが俺の脳裏をよぎった。
が、まあ、そんなことはないだろう。
さっき一瞬だけ見えた人影は、俺の知ったシルエットに見えたからだ。
「なにやってるんだ?あいつ……」
俺は志穂の自宅に近づいて……徐に庭の方を覗き込んだ。
▼▽▼▽
「志穂先生。またね」
「はい。またね」
私は最近、フリースクールで勉強を教えるボランティア活動を始めた。
大学4回生の私は大学の単位を大方取り終えていて、卒業後の進路で目指している大阪にある大学院の受験勉強も順調だ。
時間に少し余裕ができて、もっと色々な経験を積んでおきたいと考えていた時、大学の教授に紹介されたボランティア活動をやってみようと思った。
今日はそのフリースクールに初めて赴き、そこに通う子供たちに勉強を教えた。
家庭教師のアルバイトをしていた経験が生きて、要領よく役に立てたと思う。
午前中だけの短い時間だったけれど、初対面の子供たちと仲良くなれて嬉しかった。
「深瀬さん。本当にありがとう。次回もよろしくね」
「はい。私も楽しかったです」
フリースクールの職員の方々も親切な人ばかりで、とても居心地が良かった。
そこに通っている人は学校に馴染めなかったり、不登校になったりした子供たちが多い。
でもそこに通う子供たちは、普通に勉強して、普通に友達を作って、普通に学校に通いたいという心情を持っているように見えた気がした。
「今日来てなかった職員の人もいるから、また今度紹介するね」
「はい。では、失礼します」
その後、私は真っすぐ自宅に帰宅した。
時刻は正午前。
(お昼ご飯、どうしようかな)
そんなお気楽なことを考えながら、鞄から自宅の鍵を探しているのだが……。
「鍵がない……」
落としてしまったのかもと思ったけど、落ち着いて記憶を遡ってみると……。
(今日はいつもと違う鞄を持っているから……)
自宅の鍵は、いつも使っている鞄の中に入っていることを思い出した。
両親は共働きで、夜遅くまで帰ってこない。
(え……?私、夜まで家の中に入れないんじゃ……)
現状を理解して、その場に立ち尽くしてしまう。
(どうしよう……なんだかトイレにも行きたくなってきたし……)
何気なく向かいにある彼の……春樹の実家に目をやったその時、私は驚いて咄嗟に自宅庭へと姿を隠した。
(ビックリした……。春樹が、いた……)
視界に入ったのは、私の想い人の春樹だった。
彼とは先週一緒に遊んで二人で帰宅していたところ、彼女である遠藤さんと対面してしまい、逃げるように私はその場を去った。
心臓がドキドキ動き出す。
春樹の姿を一目見れて、嬉しい。
(やっぱり、好きだな……)
私は今、春樹と顔を合わせたくなかった。
彼が遠藤さんと一緒にいるところを見て、現実を痛感させられた。
もう彼の隣に私がいられる可能性は……ない。
諦めなければならない。
でも……諦められない。
彼の近くにいると、よりその気持ちが高まってしまう。
これ以上、春樹への気持ちが強くならないように……私は……。
「おい……なにしてるんだ?」
「……え……え!?」
口から心臓が飛び出しそうなぐらい驚いた。
春樹が声を掛けてきた……?
どうして……?
「なんで隠れてるんだよ?」
「え、いや……別に……」
あなたと顔を合わせないため……とは言えない。
「鍵を家の中に忘れて……入れなくて……」
「え?おばさん、いないのか?」
「うん。お母さん、仕事だから夜まで帰ってこない。お父さんも」
「……このマヌケ」
「マ、マヌケ!?」
春樹は少し口角を上げて、そんなことを呟いた。
私は、その言葉が聞き捨てならなかった。
「なによ!?その言い方!?」
「いや、マヌケだろうが」
先ほどよりも露骨に笑みを見せる春樹が、何とも憎らしい。
そして……尊い。
「じゃあ、久しぶりにうち来るか?」
「え?うちって……?」
「いや、俺の家だよ。今、誰もいなくて、どうせ留守番してないといけないし」
春樹の家に私が、行ってもいいの……?
絶交される以前と変わらない彼のその優しさに、私の心臓は大きく鼓動した。
「でも……春樹には、その……彼女が、いるんでしょ……?」
そう、春樹には遠藤さんがいる。
そのことを私は知っているのに、彼と長時間二人きりになる場所に行くなんて……。
ここは、彼の優しさに甘えるわけにはいかない。
「あー、別に大丈夫だ。あとでちゃんと説明するし。それに友達が困ってるなら助けるぐらい普通だろう?」
「と、友達……?」
「ああ。俺たち、幼馴染だろう?」
私は春樹の恋人になりたいという願望を持っている。
でも、それは叶わない夢。
それどころか、自身の過去の過ちから幼馴染と形容することすらおこがましい立場。
「いいの……?私と幼馴染でも……?」
「今さら何言ってるんだよ?ほら早く行こうぜ」
彼が私を友人として見てくれている。
なんで……私のことを憎まず、恨まず……今も変わらずに幼馴染として見てくれているのだろう……?
「うん!」
でも……今は考える必要はない。
「あ、あの……春樹。早速だけど、おトイレ借りてもいい?」
「おう。なんだ、う〇こか?」
「ち、違います!春樹、合コンの時から、そのネタで楽しんでない?」
「いや、先週も慌てて帰ったから、腹でも痛いんじゃないかと心配してたんだぞ」
「あ、あの時は……用事を思い出して」
どんな理由でも、彼が私のことを見てくれているという事実が……たまらなく嬉しかった。
▽▼▽▼
とても懐かしい……。
小さい時は、この家に何度もお邪魔して……春樹とよく遊んだ。
「昼飯に炒飯でも作るけど、それでいいか?」
「あの……いいのかな?今この家って、親戚の人が住んでるんでしょ?」
「ああ、大丈夫。食材とかも勝手に使っていいって言ってたし」
春樹が作る炒飯を食べるのなんて、いつ以来だろう?
彼の家は父子家庭で、私の家は両親が共働き。
リビングにある椅子に腰かけていると、10分も経たずに春樹が料理を運んできてくれた。
「ほい、お待たせ」
お互いの親が残業で帰る時間が遅い時、寂しがり屋だった私はこの家にやって来て、よく春樹に炒飯を作ってもらって一緒に食べた。
「「いただきます」」
懐かしの炒飯を口に運ぶ。
昔と変わらないシンプルな味付け。
「美味しい。本当に上手だよね、炒飯作るの」
「ああ。炒飯だけな。他の料理のスキルは全然だからな」
「そうだったね。遠藤さんが……羨ましいな。この炒飯を春樹にリクエストできるんだもんね」
ここで少し本音が漏れてしまった。
本当に遠藤さんが羨ましい……。
「そうか?そういえば、聖菜は俺が炒飯作れることを知らないな」
「そうなの……?」
「ああ。いつも聖菜が飯を作ってくれるから俺が台所に立つことはほとんどない」
「そっか……そうなんだ」
彼女の遠藤さんが知らないことを私が知っていて、それを堪能している。
その事実に優越感を感じて浮かれてしまう。
「志穂も料理上手だったよな。意外に思うかもしれないけど、実は聖菜も飯作るの上手くてさ」
でも、それは一瞬の出来事。
春樹が遠藤さんのことを饒舌に褒める様を見て、心に影を落とす。
「あいつの家って凄い裕福でさ。昔から色んな英才教育を受けてたらしくて。そりゃあ優秀にもなるよな」
「……うん。そうだね」
「志穂って中学時代、いつも成績上位だったよな?実際、聖菜と比べてどっちのほうが点数高かったんだろう」
「遠藤さん、だよ」
「あ、そうなのか」
「うん。私は彼女に一度も勝ったことなかった」
そう……中学時代、遠藤さんの成績は圧倒的だった。
私はいつも2番か3番で……1番は、いつも頭一つ抜けて遠藤さんだった。
「掲示板に遠藤さんが学年1位って、いつも張り出されてたよ」
「そっか……。今更ながら、さすがだな聖菜」
「っ……!」
これは少し……ううん、かなりこたえた。
『さすがだな志穂』
私がテストで高得点を獲得して春樹に見せる度に……そうやって彼は私のことを褒めてくれた。
もうその対象は、私じゃない……。
さっきまで美味しかった炒飯の味がしない。
「今、聖菜って教育実習期間中でさ。柄にもなく子供たち相手に頑張ってるんだよ」
(私だって……この前まで家庭教師のアルバイトをしたり、今もフリースクールで子供たちの勉強を見て、頑張ってるんだよ)
春樹に悪気はない。
彼と再会して今までの行動から、結論は出てる。
春樹は私のことなんて、女として微塵も見ていない。
「どうした志穂?あんまり食ってないな。大丈夫か?」
「うん……大丈夫」
「志穂は昔から小食だよな。聖菜とは正反対だな」
「あ……そうなんだ」
「ああ。聖菜は飯の後にお菓子まで食べてるのに、あのモデル体型だもんな。少し前も、いつか太るぞって注意したんだけど」
春樹がまだ何か話していていたけど私は体に力が入って、無意識に勢いよく立ち上がった。
「ん?どうした?また、トイレか?」
「聖菜…………って」
「志穂……?」
もうこの時、私は頭に血が上ったような感覚で正常な判断ができなかった。
「聖菜…………聖菜聖菜聖菜って!!遠藤さんの話ばっかり!!」
私は自分の目から涙が流れていることにも気づかず、そのまま玄関まで駆け出して靴を履き、外に飛び出した。
「おい!志穂!」
春樹の声を振り切って、とにかく走る。
大好きな彼から距離を取るために、ただひたすらに私は走った。
▼▽▼▽
「はあ、はあ……」
20分ほど走っただろうか……。
今、私がいるのは自宅から反対方向にある噴水がある広場。
この広場では小学生くらいの子供たちが元気に遊んでいる。
「私と春樹も、あれぐらいの年齢の時によく遊んだな」
久しぶりに結構な距離を走ったので、体が良い疲労感に包まれている。
頭がスッキリしていて、今の私はとても冷静だ。
「やっちゃった……」
遠藤さんへの嫉妬を抑えきれずに、春樹にその怒りをぶつけてしまった。
もしかしたら、さっきの私の反応で彼に気づかれたかもしれない。
私の胸の内に秘めている春樹への気持ちに……。
(幸運にも再会できて、普通に話せるようになっていたのに……)
遠藤さんがいる今、春樹の恋人になることはできないとわかっていても……彼と過ごす何気ない時間はとても心地良かった。
私のこの気持ちを春樹に知られたら、きっと彼は私から距離を取る。
彼女がいるのに、自分に好意を抱いている人間に積極的に関わる者は普通いないだろう。
今度こそ、私たちの関係は終わってしまったかもしれない。
「うっ……うっ……」
冷静だったはずなのに、再び私の体に熱が帯び始める。
悲しい……悔しい……後悔してる。
でも誰かが悪いわけじゃない。
春樹が……遠藤さんが……悪いわけじゃない。
悪いのは、他でもない私自身……。
「あ……鞄……忘れてきた……」
何も考えずに飛び出してきたので、彼の家に鞄を置いてきてしまった。
「取りに戻らなきゃ……」
スマホも財布も鞄の中なので、私は正真正銘の手ぶら。
どんな顔をして春樹に会えばいいのだろうか……。
本当に自分が情けない。
「あ、あの……」
広場から出ようと重い足取りの中歩いていると、すれ違った男性に声を掛けられた。
「え……はい……?」
振り返ると目に入ったのは、体格の良い男性。
「もしかして……深瀬、か?」
そう言われた瞬間、私の中である記憶がフラッシュバックした。
『はあ!やっぱり良い胸してるじゃねぇか!』
その声に聞き覚えがあった。
「千田……先輩……」
彼を目の前にして、私は……ただ戦慄した。