20話 哀哭
「美味しかったね」
「うん。白木くん、ご馳走様」
ファミレスでの食事を終えた私たちはお店を出ると、ご馳走してくれた白木くんにお礼の言葉を述べた。
「いやー、皆で食べると、やっぱり飯は上手いですね」
食事中、白木くんは梓と会話が弾んでいた。
そのことが嬉しかったのか、随分と機嫌が良いように見える。
「ん?そういえば梓、午後から講義があるんじゃなかった?」
「うん。でも今日はサボろうと思って。せっかく、こうやって集まってるんだしね」
「実は俺もサボりなんですよ!いやー、気が合いますね!」
梓は日頃から真面目に講義を受けていて遅刻欠席をしたことがないので、一度サボったぐらいで単位が危なくなることはないけど……。
「おい白木。おまえ本当にサボって大丈夫なのか?」
「うん、大丈夫だって!」
偏見かもしれないけれど、白木くんはサボると結構危ないんじゃ……。
「そんなことより、次はどこ行く?」
春樹が心配して声を掛けているけど、当人はまるで気にしていない。
「いや、俺は帰るぞ」
「え!?ちょっと浅野くん、もうちょっと遊ぼうぜ」
帰ると言っている春樹に対して白木くんは執拗な態度を取る。
そんな白木くんを見る春樹は、眉間にしわを寄せて煩わしそうにしているように見える。
「せっかく集まったんだし、もう少しだけ私たちに付き合ってよ。浅野くん」
梓も白木くんの意見に賛同するように立ち振る舞う。
恐らくこのファミレスの食事は、私と彼の距離を近づけるように画策してくれているのだろう。
梓のおかげで連絡先の交換を行うこともできたし、私としては嬉しいかぎりだけど……。
(春樹は……やっぱり迷惑に思っている、よね)
「ねえ、志穂ももう少し皆でいたいよね?」
「え……あ…………」
突然、梓が私に話を振ってきたものだから、言葉が出てこない。
勿論私は、春樹とまだ一緒にいたい。
でも、かつてのような距離感ではないし、もしも彼のパーソナルスペースに踏み込みすぎて……中学の時のように拒絶されたら……なんて、考えてしまう。
それでも……。
「う、うん……。もう少し……一緒にいたい、かな」
弱弱しい声だけど自分の正直な気持ちを、私は言葉にした。
その言葉を聞いた春樹が何か言おうと口を開いた瞬間、私は下を向いた。
私の言葉を聞いた彼の返事を聞くのが怖かった。
なにも愛の告白をしたわけでもないのに……。
臆病な私は、目を瞑った。
「……そうだな。で?どこ行くんだよ?」
春樹の言葉に、私を含めた3人が目を丸くした。
「おい、聞いてるのか?白木」
「え、あ、ああ。いや、てっきり強引に帰っちゃうかなと思ってたから、意外で」
「じゃあ、食後の運動も兼ねて、ボウリングなんてどうかな?近くにスポーツのレジャー施設あるし」
「うん、いいですね!」
すかさず梓は行先の提案をして全員が頷いたところで、私たちはそのレジャー施設へと向かうことにした。
▽▼▽▼
「よし!ストライクだ!」
「白木くん上手だね」
「球技は任せてください!」
到着したボウリング場では、さっそく盛り上がりを見せていた。
野球部で日々鍛えているということが関係あるかわからないけど、白木くんは上手にハウスボールを転がして高得点を叩き出している。
「おー、石井さんも凄いじゃないですか!」
「まあ、スポーツは得意だからね」
梓も持ち前の体のバランスで美しいフォームからハウスボールを転がして、高成績を獲得している。
こちらも水泳部で日頃から鍛えられていることが関係しているのだろうか?
かくいう私は…………。
「深瀬、またガターか?」
「うっ……、そういう春樹もさっきからガターばかりじゃないの?」
「俺は球技が苦手なんだ。なんか力が入って上手くできない」
確かに私はガターが多いけれど、春樹も人のことは言えない。
得点も私より少し上回っているだけで、大して変わらないし。
それなのに彼は少し口角を上げて、私をバカにするように……。
「もう少し肩の力を抜いて、落ち着いてやれば良いんじゃない?」
「いや、おまえのアドバイスなんか説得力ないぞ。俺のほうが点数高いしな」
「そんなの僅差じゃない。客観的に見てわかることもあるでしょ?春樹ってそういう頑固なところあるよね?」
「それは、おまえだろう?昔から何も変わってないんじゃねぇのか?」
「そんなことないよ!こう見えて色々と成長して……」
少し熱くなって反論したけど、ここで少し冷静になる。
こんなふうに昔は、当たり前のように会話をしていたな。
とても楽しい……。でも……。
春樹に酷いことをした私は一生……罪悪感を持ち続けなければならない。
『成長してるんだよ』なんて、胸を張って言える立場ではない。
「まあ、確かに成長してるな」
会話を途中で切って俯いていた私は春樹の声を聞いて、顔を上げた。
「え……?」
「いや十分、女らしい体になったなと思ってな」
そういう彼の視線は私の胸に向いていて……。
「す、スケベ!」
一気に私の顔に熱が籠っていく。
そんな私を見て彼はクスクスと笑みを溢しているので、たちが悪い。
(でも……やっぱり楽しいな……)
「俺、ちょっとトイレ行ってくる」
春樹と再会してから、こうやって会話をしているだけでも、私が過去にしてしまった愚行が、まるで無かったことのようにさえ感じる。
でもこれはきっと、彼の優しさがそんなふうに導いてくれているだけ……。
勘違いしてはいけない……。絶対に。
お手洗いに向かって歩いている彼の後ろ姿を見つめながら、私は自分に言い聞かせる。
「志穂。なんだか楽しそうだね」
「うん……楽しい」
「ねえ、浅野くんって。志穂に気があるんじゃないの?」
「え、え!?」
さっきの私たちの様子を見ていた梓がそんなことを言い出したので、つい驚いてしまった。
「そ、そんなことはないと思うけど……」
「そう?でも浅野くん、『俺は帰るぞ』って言ってたのに志穂が『一緒にいたい』って言ったら、残ってくれたし」
「それは、多分空気を読んでくれただけで……」
「さっきも楽しそうに二人で話してたし」
「それも……私が気まずくならないように……」
そうだ。春樹は私のことを案じて、立ち振る舞ってくれているだけ。
「あれ?浅野くんはどこ行ったんですか?」
1ゲーム終えた白木くんが、私たちの会話に混ざってくる。
「ああ、白木くん。お疲れ。浅野くん、トイレだって」
「そっか。それで、さっきから楽しそうに何の話してるんですか?」
何の話って言われても……。春樹が私に気があるかもしれない、なんてこっちの勝手な思い過しの話を正直に言うわけにもいかないし。
「ねえ、浅野くんって彼女いるの?」
「え!?な、なんで石井さんが、そんなことを気にするんですか……?」
梓の唐突な質問に私も驚いたけど、白木くんは私以上に動揺している。
「やっぱり同年代の人が彼氏や彼女がいるのかって、乙女の間では弾む話なんだよ」
白木くんは梓が春樹のことを異性として気になっていると勘違いしている。
「で?どうなの?彼女いるの?」
「お、俺はいないです!」
「いや、白木くんのことじゃなくて、浅野くんのことだって」
白木くんは梓のことが気になっているわけだから……。
梓は周囲にことには敏感で鋭いのに、そのことに気づいていないのだろうか?
「その……石井さんは、もしかして……浅野くんのことを」
「あー、私じゃなくて……浅野くんのことが気になっている友達がいてさ」
「そ、そっか。なるほど」
胸を撫で下ろして露骨に安堵している白木くんは、額の汗をハンカチで拭っている。
それだけ梓のことを本気で想っているのかもしれない。
私もそんなふうに……春樹のことを、真っすぐに想うことが叶うなら……。
「浅野くんの彼女ですよね?いますよ」
…………あ……そっか。……春樹……彼女、いるんだ。
「我が大学が誇る超絶美人のミス晃応が」
………そうだよ、ね。……春樹カッコいいし……彼女ぐらい、いるよね。
「ほら、深瀬さん覚えてるだろう?中学が一緒だった遠藤さんって。浅野くんと付き合ってるんだぜ」
………遠藤さん……?
「高校の時から、あの二人は付き合っててさ。まあ、凄いお似合いだよ。大学でもラブラブで有名なカップルになってるしさ」
………そっか。高校も……同じだもんね。……そういえば文化祭で行ったときに遠藤さんを見かけて……。
「もう大学卒業したら、すぐに結婚までいっちゃうんじゃないかってぐらい」
「あ、わかったよ。浅野くんに彼女がいることはわかったから、もうこの話はお終い!」
「え、あ、はい」
梓は少し声を荒げて、白木くんの話を遮った。
これ以上は私に聞かせられないと配慮してくれたんだろうと思う。
今の私は……頭が真っ白というか、放心状態というか、よくわからない。
「あ、私……ちょっと手洗いに」
心配そうに私のことを見つめいる梓を尻目に、私は一人お手洗いに向かう。
「おう、深瀬もトイレか?」
「あ……うん」
男子トイレから出てきた春樹と出くわした。
声を掛けてくるけど今の私は……彼の顔を見ることができない。
「ん、どうした?暗い顔して。大丈夫か?」
私の様子がおかしいと感じたのか、春樹は俯いている私の顔を覗き込んでくる。
視界に彼の顔が映り込んだその時……私の全身が、小刻みに震えた。
「だ、大丈夫!」
私は春樹の隣を横切って、急いで女子トイレに駆け込んだ。
さっき白木くんの話を聞いて、ぼんやりとしていたのに……春樹の顔を見たら、何とも言えない感情が私の心と体を蝕んだ。
「うっ……うっ……」
涙が溢れて止まらない。
春樹に彼女がいる。
遠藤さんと高校時代から付き合っている。
その可能性があることは、私の頭の中にはあった。
合コンで春樹と再会して、中学時代のことを許してもらって、以前のように少しずつ話せるようになって、もしかしたら……私にもチャンスがあるじゃないかって。
勝手に期待して……。
勝手に失恋して……。
勝手に落ち込んで……。
私みたいな本当は嫌われても仕方がない人間が、春樹の彼女を夢見るなんて……本当に愚かだった。
でも……でも……。
「本当に……好きだった……」
しばらく私は誰もいない広い女子トイレで、声を殺しながら一人で泣き続けた。




