19話 直観
「ふ、深瀬……」
思わず、そう呟いてしまった。
俺は深瀬の目を見て、体が硬直する。
「あー、浅野くん?大丈夫か?」
固まっている俺に話しかけてくる白木の声で、我に返る。
「ちょっと……来い」
「え……な、なんだよ?」
俺は白木の首根っこを掴んで、店内の手洗い場前まで連れていく。
「おい、なんで彼女たちがここにいるんだ?」
勿論、こいつに聞きたいのは現状の説明だ。
「いや、石井さんから昼食をお誘いがあって……。それで、ここに来たんだ」
「石井さんたちと飯食うのに、なんで俺も誘うんだよ?」
「それが……メッセージに『都合が合えば、ぜひ浅野くんも連れてきてほしい』って書いてあってさ」
それで俺をこのファミレスに連れてきたということか……。
「どうしてそれを事前に俺に伝えないんだよ?」
「だって、それ言うと浅野くん来てくれないと思ったし……」
白木は俺が女を苦手にしていることを知っているわけではないが、あまり他人と関わらない性格を認知しているため、石井さんや深瀬と食事をすることを伝えなかったのだろう。
「俺、帰る」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ!」
慌てた表情で白木は俺の肩を掴んで、帰宅を阻もうとしてくる。
「頼むよ、俺と彼女たちだけじゃ間が持たないって」
「知るか。石井さんと付き合いたいとか思ってるんだろう?会話ぐらいできないでどうするんだよ」
俺が一緒にいたところで場が盛り上がるわけでもない。
というより、俺のコミュニケーション能力は白木よりも劣っていると思われるので、俺がいたところで場面が良い方向には転がらないだろう。
「マジで頼むよ。向こうも浅野くんが来ると思って待ってるんだから」
なぜ、あちらが白木だけじゃなくて俺も食事に誘ってきているのかは疑問だ。
思い当たる節があるとすれば、やはり深瀬のことだが……。
別に俺たちは、もう……他人も同然なんだし……。
でも……。
「はぁー……。わかったよ、今日だけだからな」
俺は大きく息を吐いてから、そう答えた。
「ありがとう、浅野くん!やっぱり持つべきものは友だな!」
「それと、飯はおまえの奢りだ」
「うっ……わ、わかったよ」
渋々首を縦に振る白木を尻目に、少し離れたテーブル席に座りながらこちらを見つめている深瀬のことを……俺は考えていた。
▽▼▽▼
「こ、こんにちは」
来てくれるか正直不安だったけれど……目の前に現れた彼を見て、私の胸は高鳴った。
「ふ、深瀬……」
そういった春樹は、少し驚いたように私のことを見つめてくる。
一瞬、この状況に臆してしまったけれど、彼の目をしっかり見て私は視線を合わせた。
次の瞬間を目線を切ったのは春樹で、一緒にやってきた白木くんを連れて私たちから距離を取ってしまった。
なにか、手違いや不都合があったのだろうか?
「良かったね、志穂。浅野くん、来てくれて」
私の隣に立つ梓が悪戯な笑みを浮かべながら、そう言った。
さっきまで不安な気持ちが大半を占めていたけど……春樹の顔を見たら嬉しくなって、来て良かったと強く思った。
数十分前────
「そっか。彼と上手く話せたんだね」
「うん。偶然の再会だったけど行って良かった。合コン」
大学での昼休み前の時間。
一限目で今日の講義を終えた私は、大学のフリースペースで梓と数日前にあった合コンの話をしていた。
春樹と二人きりになった帰り道で、昔のように話せたこと。
そして……私の謝罪を彼が受け入れてくれたこと。
「これで、わだかまりは解消されたってことだよね?」
私は春樹にしてしまった愚かな行いを許してもらったことが……嬉しかった。
勿論、彼に対して申し訳ない気持ちが消えたわけではない。
「ど、どうかな……。春樹は優しいから、その……言葉を選んでくれただけかもしれないし……」
もしかしたら本心では許してくれてはいないかもしれない。
そうも思ったけれど……。
『私のこと……嫌いじゃ……ない、の……?』
『嫌いじゃないよ……』
優しく微笑みながらそう言った彼の表情が忘れられない。
自惚れているわけではないけれど、数年間彼と疎遠になっていたけれど……私は春樹のことをよく知っている。
春樹のその言葉は嘘じゃない。
私は直観でそう思った。
私のことを嫌悪するどころか……少し申し訳なさそうな、そんな印象すら彼から感じた。
春樹が何か思い悩んでいるような……。
「で!?どうだったの!?」
梓は私に顔を近づけて、興味津々な表情をしている。
「え?な、なにが?」
「なにが、じゃないよ。それから浅野くんと進展あったの?」
「それからって……何もないよ」
「どうして!?せっかく、また距離が元に戻ったんでしょ!?」
過去の過ちを表面上許してくれたのは確かだけど、以前のような距離感になったわけじゃない。
「簡単には、昔みたいな関係には戻れないよ」
「それでも、一緒にいたいんでしょ?」
「一緒……いたい。でも……」
もう春樹には、大切な人がいるかもしれない。
大切な……彼女が。
「浅野くんって彼女いるの?」
私の懸念を察したように、梓は私に問いかけてくる。
「わからない……。そんな踏み込んだこと、聞けなかった」
「そっか。でもこっちからアプローチかけないと……。勇気出して、連絡ぐらいしてみたら?」
「連絡先……知らないし」
「え!?なんで、合コンの帰道で二人きりになった時に聞かなかったの!?」
「そ、その時は、それどころじゃなくて……」
あの時、私は春樹と以前のように会話をすることができて浮かれていた。
そして謝罪をしているときは、彼の連絡先を聞くことなんて頭の中には無かったんだけど……。
(聞きたかった……連絡先)
今頃、こんなことを思っても仕方ない。
私が今の春樹のことで知っていることと言えば、一人暮らしをしていることと、私が通う大学の近くにある晃応大学の学生であることぐらい……。
晃応大学に赴いて彼に会いに行くなんて大胆なことは……私にはできないし……。
「志穂、お昼どうする?」
「え、あ……もうそろそろ帰るし、家で食べるかな」
梓はスマホを操作しながら、私にそう問いかけてきた。
さっきまであんなに真剣な表情で私と春樹の話をしてくれていたのに、なんだか拍子抜けしてしまった。
「じゃあさ、ファミレス行かない?ここから少し歩くんだけど」
「ファミレスか……。遠慮しておこうかな。早く帰って勉強もしたいし」
「実は今さっきメッセージ送って白木くんと待ち合わせしたんだ。そのファミレスで」
「そうなんだ」
先日の合コンで男性陣を取り仕切っていた白木くんと梓は連絡先を交換していたらしい。
奥手な私なんかと違って、彼女の行動力は羨ましいと心底思う。
(ていうか、梓と白木くんが二人で食事するところに私を誘うなんて……)
一体どういうつもりなんだろうかと考えていると、梓は得意げに言葉を続けた。
「あー、ちなみに……浅野くんも来るらしいよ」
「え…….?」
梓の言葉に私の思考はフリーズしたが、その直後……心臓が大きく高鳴った。
春樹が来る……?
また会える……?
「で、どうする?一緒に来る?」
そう尋ねてくる梓は、ニヤニヤと笑みをこぼしていている。
私の恋心を知っている彼女は、その様をみて楽しんでいるのではないだろうか……?
いや、背中を押してくれていることは理解しているけど……少し複雑だ。
私のこの恋が成就する可能性は現時点で、限りなく0に近いことを私自身が理解している。
春樹が私のことを好いてくれる理由はないのだから……。
それでも……。
「い、行く」
梓の質問に私は即答した。
▼▽▼▽
お昼時のファミレスで私と梓は、さっきやってきた春樹と白木くんが話終わるのを待っていた。
「いやー、お待たせしてすみません」
数分で話が済んだようで、二人は私のたちの向かいの席に腰を下ろした。
私の正面には合コンの時と同じように、春樹が座っている。
私は緊張で少し俯いてしまったが、彼がどんな表情をしているのか気になって視線を向けた。
そのことに彼も気が付いたのか、私のほうを見て春樹は優しい笑顔を見せてくれる。
(来て良かった……)
それだけで私の心は満たされていた。
「じゃあ、とりあえず注文を済ませようか」
梓がテーブルに広げたメニュー表を見て、私たち4人は食べたいものを決め呼び出した店員さんに注文を伝えた。
食事がくるまで私たちの間には少し沈黙の時間が流れる。
白木くんは正面の梓を見て、落ち着かない様子だ。
彼は梓に気があるのだろうか?
春樹は……鞄から本を取り出して、静かに黙読している。
「お待たせしました!」
程なくして温かい料理が運ばれてきて、食事が始まった。
「へー、浅野くんって結構食べるんだね」
春樹はハンバーグ定食にご飯大盛を注文していて淡々と食事を進めている。
「腹減ってたんで。それに、今日は白木の奢りですし」
「え?そうなの白木くん?」
梓は初耳だったのか、目を丸くして正面に座る彼に尋ねる。
「あ、はい。俺が奢りますよ」
私たち4人分の食事代となると決して安い値段ではない。
心なしか、白木くんの顔が引きつっているようにも見える。
私たちは自分の分は払うと遠慮したけれど、白木くんは『俺が奢ります』と譲らないので……。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
という事になった。
「ねえ、浅野くん。連絡先教えてよ」
「え?」
梓が食事の手を止めて、突然そう言いだしたので私は内心ドキドキしていた。
彼女は私が春樹と連絡先を交換できるように、その話を持ち出したのだろう。
しかし、梓の言葉に反応したのは春樹ではなく白木くんのほうだった。
「あ、あの……もしかして石井さんは、浅野くんと仲良くなりたい……のでしょうか……?」
「うん。友達になりたいなと思ってるよ」
わかりやすく俯いて落胆している白木くん。
その反応から、梓が春樹に気があると彼は勘違いしているんだろうと容易に想像ができてしまう。
「俺は別に石井さんに連絡することはないですよ」
「うわっ、浅野くんってば、卑屈な言葉を吐くね」
「まあ、事実なんで」
「浅野くんって、パーソナルスペース広い人?」
「否定はできないですね」
梓と春樹は、遠慮なく言葉を交わすしているけれど不穏な雰囲気は感じない。
「でも、今日もこうして一緒に食事してるわけだし。連絡先を教え合って友達として付き合っていくのはいいでしょ?」
「いや、それは…………。まあ……そうですね」
春樹は何か言いかけていたけど言葉を飲み込んで、ここで折れてしまった。
表情には出ていないけど、梓のことが面倒になって反論するのをあきらめたのだろう。
梓は春樹のメッセージアプリのQRコードをスマホで読み込んた。
「よし、浅野くんの連絡先ゲット」
(いいなぁ。私も……)
『私とも交換しよう』…………なんてセリフ、簡単には言えない。
彼に中学時のことを許してもらったとはいえ、彼は私の連絡先なんて……きっと興味ない。
むしろ、さっき彼が言っていた『連絡することはないですよ』というセリフは私にこそ当てはまる。
私の太ももを梓は指で突いてくる。
『志穂も早く交換しなよ』
彼女が私にそう合図を送ってくれていることはわかっているけど……私には、勇気がなかった。
彼のパーソナルスペースに踏み込む勇気が……。
また、次回にしよう。連絡先を聞くのは……。
この機を逃したら、次回なんて無いかもしれないのに。
そんなことはわかっているけど……。
「深瀬、交換するか?」
「…………え、……え?」
「いや、連絡先」
一瞬、彼の言葉の意味が理解できなかった。
「あ……う、うん」
私は慌ててポケットからスマホを取り出して、メッセージアプリを起動し彼と連絡先の交換をした。
私のスマホに春樹のアカウントが表示されて、彼にまた一歩近づけた気がして、嬉しさが込み上げてくる。
隣に座る梓は『よかったね』とでも言うように、笑顔を私に向けてくれる。
嬉しい……でも……少し疑問が残る。
どうして春樹は私なんかと連絡先を交換してくれたんだろう?
それも自分から声を掛けてきてくれて……。
さっきは少し彼に近づけた気がしていたけれど……目の前で黙々と食事の口に運んでいる彼を見ていると、とてつもなく遠い存在のような気がしてならなかった。




