17話 寛恕
「でさ、俺たちは強豪校のエースピッチャーに対して点数を入れたんですよ!」
「将来プロのなるかもしれない人と対決なんて凄いですね」
合コンが始まって数十分が経過した。
ここに来るまでは緊張でガタガタだったけれど、なんとか自己紹介を済ませて今は自然体で過ごせている。
「いや、俺たちのもっと凄い話はこれからでさ!」
男性陣はお酒が入り、上機嫌で会話を進めている。
こちらの面々も、それなりに楽しく過ごしているように見える。
「あの、浅野くんは何かスポーツとかしてないんですか?」
「あ……いえ。俺は、特にしません」
私の正面に座る春樹は、食事をしながら聞かれたことに淡々と答える。
あまり、楽しそうには見えない。
いや……それよりも……。
(春樹……カッコよくなった……)
向かい同士に座る私と春樹は、他の人たちの会話に聞き耳を立てて静かに食事を進めているだけ。
そして時々正面に座っている彼が気になって、視線を向けると……目が合う。
私たちの間に会話は無いけれど彼とこうして同じテーブルで食事をする事なんて、いつ以来だろう。
気持ちが少し高揚して、時間がゆっくり流れている気がして……とても心地よい。
(春樹は、どう思ってるのかな……?)
さっきまで合コンの事を考えて億劫になっていたけれど、今は彼と二人きりのように感じるこの時間が永遠に続けばいいとさえ思ってしまう。
「ねえ、志穂。さっきこの部屋に入った時、浅野くんのこと名前で呼んでなかった?もしかして知り合いとか?」
隣に座っている卓球部の友人が声を掛けてきたことで私は現実に引き戻された。
「え……あ、うん」
「そうなの!?それで、どういう関係!?」
私と春樹の関係って……。
私たちは幼馴染……なんて、春樹に距離を置かれた私が言えるわけないし……。
「俺と白木は、深瀬さんと中学が同じだったんですよ」
返答に困っていると、春樹が私の代わりに無難な説明をしてくれた。
心にズキズキと少し痛みが走った。
他人行儀で私のことを『深瀬さん』と彼が口にしたことに……。
「え!?もしかして、同じ中学だった深瀬さん!?まさかこんなところで会うなんて。凄い偶然だな!」
梓と楽しそうに話していた白木という男性が私のほうを見て大きな声を上げた。
(そっか……。どこかで見たことがあると思ったら、白木くんとは中学が同じだったんだ)
「へー!確かに凄い偶然だね!これって運命の再会ってやつなんじゃないの!?」
私たちが知った関係だと明るみになると、周囲は盛り上がりを見せた。
「そういえば浅野くんと深瀬さんって、仲良かった印象があるんだけど」
白木くんが余計な一言を口走ったせいで、他の人たちのテンションがよりヒートアップしてしまった。
「このまま昔話に花を咲かせて、新カップル誕生しちゃうんじゃないの!?」
「うんうん!志穂と浅野くんって、いい感じに見えちゃうよね!」
この状況に私は少し動揺してしまっていたけれど、目の前の春樹は落ち着いた様子で適当に周囲と話を合わせている。
「すみません。私、ちょっとお手洗いに」
騒がしい最中、突然立ち上がりそう言った梓と私は目が合う。
「あ、私も」
彼女に便乗して、私も賑やかな室内を一旦退室した。
▼▽▼▽
「志穂、大丈夫だった?」
私と梓は居酒屋の広いお手洗いで二人きり。
「うん。さっきは少し慌てたけど、男の人にはあまり緊張しなかったかな」
そう……今はいつもとは違い、不思議なぐらい落ち着いている。
春樹と同じ空間にいると……安心するのかな……?
「もしかしてだけど、志穂が気にしてた幼馴染って……浅野くんのことじゃない?」
「え……うん。実はそうなんだ。よくわかったね」
「なんとなくそうかなって。二人とも、あんまり話もしないし」
話はしたいけれど……久しぶりに会って、どう話しかけたらいいのかわからない。
それに、春樹は私のことを……きっと嫌っている。
「志穂、これはチャンスだよ!」
「え?なにが?」
「過去のわだかまりを解消するチャンスじゃない?落ち着いて二人だけで話してみたら?」
春樹と、二人だけで……?
「今更、何を話したらいいのか……」
「話なんていくらでもあるでしょう?今までどうしてた?とか」
「でも……」
「まあ、任せといて。私がそれとなく誘導するから」
「え!?ちょっと梓!」
梓はそう言うと、いち早くお手洗いを後にした。
(春樹と二人きりになれたとして……私は……)
一人なった空間で少し考えまとめてから、私も合コンの席へと戻った。
▽▼▽▼
「いやー!このお店、なかなか良かったな」
「うん。食事も美味しかった」
居酒屋に入って2時間ほど経ったところで、私たちはお店を出た。
男性の面々も気さくな人たちばかりで、皆がそれぞれ楽しんでいたと思う。
「じゃあ次は、どこ行こうか?」
「そうだね。カラオケとかは?」
「お!いいね!」
二次会でカラオケに行くことが決まった。
お酒で酔っていることもあって、男性陣のテンションが高い。
「すみません。俺は帰ります」
二次会のカラオケに向かおうとした時、春樹はそう口にした。
明日、大学で小テストがあるから帰って勉強をしたいという事だった。
「えー!浅野くん帰っちゃうの!?」
「いやー、実は浅野くんには人数合わせで無理して来てもらったんだ。だから帰してやってよ」
白木くんが申し訳なさそうに、そう言うと他の人たちも納得したようだ。
(春樹……帰っちゃうんだ……。せっかく、会えたのに……)
彼に話しかける勇気もないくせに、未練がましい想いが湧いてくる。
「あー、そういえば志穂。時間大丈夫?門限あるんじゃなかった?」
「え?時間?」
特に門限はないけど……。
一瞬そう思ったが、梓が発した言葉の意味を少し遅れて私は理解した。
「え!?深瀬さんも帰っちゃうの?残念!」
「まあ、仕方ないんじゃない?浅野くん、よかったら志穂のこと送って行ってあげてよ。もう暗いしね」
梓はそう言うと、私に向かってウインクをして背中を後押ししてくれた。
「じゃあ、私たちはカラオケにいきましょう。浅野くん、志穂のことお願いね」
春樹の返事を待たずに、梓は少し強引に場をまとめ上げてしまった。
「じゃあね、深瀬さん。機会があれば遊ぼうね」
「浅野くんも今日はありがとう」
皆、私たちにそれぞれ声を掛けてくれる。
今日は大型連休最終日で人混みができており、去っていった皆はその中に入るとすぐに見えなくなった。
(ど、どうしよう……。本当に春樹と二人きりになっちゃった……)
もしも春樹と二人きりになれたらなんて、淡い期待をしていたけれど……緊張してきた。
春樹と二人きりになるなんていつ以来だろう?
いや……彼はこの状況を好ましく思っていないかもしれない……。
春樹は私となんか一秒だって一緒にいたくないかもしれないんだから……。
(なに浮かれてるんだろう?私……)
「あ、あの……私、やっぱり一人で……」
勇気を出して自分から話しかけたけど、緊張して発した私の弱弱しい声は周囲の人混みにかき消された。
「おい……おい、大丈夫か?」
「あ……え……?」
根性の無い自分に勝手に落胆して春樹が声をかけてくれたことに、すぐ反応できなかった。
「体調でも悪いのか?」
「あ、ううん。大丈夫」
私の目を見て心配してくれる彼の姿は、かつての優しい春樹のまま……。
「じゃあ、俺たちは帰るか。送るよ」
「え…………う、うん!」
彼と二人きりになれて、こうして一緒に帰宅する。
さっきまでネガティブになっていた気持ちは、もう無くなっていて……。
私の心は自分が思っている以上に、単純だった。
▼▽▼▽
私たちは電車に乗って、久しぶりに二人で生まれ育った地元に帰った。
最寄り駅で降りて徒歩15分ほどの道のりだけど、彼の隣を歩くことができる喜びを私は噛みしめる。
「おまえ、門限があるって嘘だろう?」
「え……う、うん」
「さしずめ、早く帰りたかったって感じか?」
「まあね……。そういう春樹こそ、大学のテスト勉強なんて嘘じゃないの?早く帰りたかったんでしょ?」
驚いた……。
私と……私なんかに春樹は、何事も無かったように普通に話しかけてくれる。
「そうだよ。俺は人数合わせで頼まれて合コンに参加しただけだからな。おまえも、そんなところだろう?」
「う、うん。まあね」
私の場合、男慣れするためっていう自分でもよくわからない理由で参加したんだけど。
「でも凄いな。水林女子大学か。相変わらず頭良いんだな」
「春樹こそ凄いじゃない。晃応大学なんて」
「ああ、勉強大変だったよ。スポーツ推薦で入学した白木と違ってな」
彼は軽く冗談を入れてきて、私たちの間にぎこちなさは全くない。
緊張することなく私も言葉を返せている。
本当に昔に戻ったみたい……。
「春樹は、あんまり楽しそうじゃなかったね。合コン」
「まあ、正直興味無かったし。皆には悪いけど、早く終わらないかなって思ってたよ」
合コンに興味無かったてことは、やっぱり……彼女、いるのかな……。
「そっちも楽しそうじゃなかったよな?」
「私は、ああいう場に慣れてなくて……」
「そうか。俺はてっきり腹でも痛いのかと思ってたんだけど」
「え?なんで?」
「いや、おまえトイレに行って、しばらく帰ってこなかったから」
あの時は、トイレで少し考えを整理していて……戻るのが遅くなって。
「お化粧を直してたから、遅くなっただけだよ」
「なんだ、大便をしてたわけじゃないのか」
「してません!」
笑みがこぼれてしまう。
私に遠慮なく言葉をぶつけてくる春樹は、本当に昔のまま……。
「石井さん、だっけ?おまえのことを話してたけど、大学院の試験受けるんだってな。受かれば成績優秀者で無償の奨学金が出るんだろう?」
「あ、うん。春樹は就職?」
「ああ。絶賛奮闘中だ」
私が受ける大学院は大阪に会って、もしも合格すれば……こうして偶然春樹と出くわすなんてこともないんだろうな……。
談笑していると、あっという間に自宅の前へと辿り着いた。
この懐かしく楽しい時間が終わってしまうのが……名残惜しい。
もっと一緒にいたい。
「春樹は向かいの実家に帰るの?」
「いや、一人暮らしをしているマンションに帰るよ。実家には今、父さんの妹夫婦が住んでるんだ」
「そっか。おじさんは元気?今、アメリカでお仕事してるんだっけ?」
「いや、2年ほど前に日本に戻っていて今は関西に住みながら仕事してるよ」
関西……。
「毎週、父さんから電話掛かってきてさ。元気でやってるか?とか、飯はちゃんと食ってるか?とかさ」
「親としては、やっぱり心配なんだよ」
「最近なんて、『父さんと同じ会社に就職しないか?』なんて言い出す始末でさ」
「同じ会社って、関西の……。その会社って、もしかして大阪!?」
「え?ああ、そうだよ。それがどうした?」
「あ……うん。なんでもない」
なにを勝手に想像してるんだ、私。
私が大阪の大学院に合格して、春樹が大阪の会社で働いて……そしたら、なんて……。
「じゃあ、俺は帰るよ」
「う、うん……送ってくれて、ありがとう」
「ああ、じゃあな」
「待って!」
思わず声が出た。
去って行こうとする彼の姿を見て呼び止めてしまった。
「ん?どうした?」
「あ、あの……」
そうだ……謝らなくちゃならない。
春樹が昔と同じように接してくれて、楽しくて……。
でも、浮かれてる場合じゃない。
「あの!中学の時……本当にごめんなさい」
私は深々と頭を下げて、春樹に謝罪した。
たとえ許してもらえなくても……罵倒されようとも仕方がない。
悪いのは……全部、私なんだから。
「頭を上げろよ」
さっきまでとは違う彼の真剣な声に私の体に緊張が走った。
「この際だからハッキリ言っておくよ」
頭を上げて視界に入った春樹の顔は、真剣そのものだった。
「俺はもう、あの時のことをどうも思っていない」
なんで……?
「ほら、中学生なんてガキだろう?道を間違えることなんて、誰にでもあるし」
どうして……?
「だから、この話は終わりだ。もう……気にするな」
許してくれるの……?
「私のこと……嫌いじゃ……ない、の……?」
「嫌いじゃないよ……」
彼は少し微笑んで、優しい笑顔でそう答えてくれた。
「じゃあな、深瀬」
彼の去っていく背中が見えなくなってから、私の張りつめていた緊張は解かれ、自然と涙が流れた。
『深瀬』……春樹は私をそう呼んだ。
さっきの彼の言葉を許してくれたと解釈しても、私は彼にまだ一線を引かれている存在なんだと……自分に言い聞かせた。