14話 後悔
「春樹……その……」
「志穂、気にするな。俺は元々学校で浮いていたし、大したことは無い」
あの騒動以降、千田先輩は私に近づいてくることは無かった。
そして、春樹の立場は以前よりも悪くなってしまった。
「まあ、あと一年もすれば高校生になって環境も変わるし」
「う……うん。そうだね……」
体育館裏であった出来事を田宮先生に細かく説明したけれど、先生は聞く耳を持ってくれなかった。
「違うんです、先生!春樹は私を庇ってくれただけで!」
「しかし、暴力を振るったのは事実なんだろう?千田は顔を腫らしていたし」
「だから、それは!」
「深瀬……もう、あんな不良に関わるな。千田も浅野もおまえとは別の人種なんだ」
なに……それ?
生徒に格差をつけるような言い方。
それが教師のセリフですか……?
「春樹は不良なんかじゃありません!」
「そう言われてもな……浅野のよくない噂は色々と聞いているぞ。暴力的とか……実際そうだったじゃないか」
「そ、それは……」
私が安易に口走ってしまった虚言が……春樹の悪くなった評価を助長してしまっていた。
「とにかく、おまえには部活に勉強と頑張ることがあるだろう。自分のことに集中しろ」
これも私の醜い心が招いてしまったこと……。
私は目の前の先生に、返す言葉もなかった。
その後、中学3年生になった私は久しぶりに春樹と同じクラスになって少し浮かれていた。
「ねえ、春樹」
「ん?なんだ?」
私が教室で春樹に話しかけるとクラスメイトから冷ややかな視線が向けられる。
「あ……うん、なんでもない」
その視線のほとんどが春樹に対して向けられているものなのは誰の目にも明らかだけど、その中で唯一……私に向けられる強烈な視線。
初めて同じクラスになった遠藤さんの軽蔑の眼差しを、私はひしひしと感じていた。
▽▼▽▼
「志穂、浅野と登校してくるのやめた方がいいんじゃない?あと学校でも話しかけない方がいいよ」
「え?なん、で……?」
「あんな暴力騒動起こす奴だよ?避けるのが普通でしょ?」
美和のそんな言葉がキッカケだった。
3年生になって数か月が経ち、私は学校で春樹と話すことが無くなった。
春樹からも特に話しかけてこない。
彼は自分が話しかけることで、私の立場が悪くなることを危惧してくれていたのだと思う。
放課後に春樹の自宅を訪ねると彼は一生懸命勉強に取り組んでいた。
私と同じ高校に通うために頑張ってくれている姿に嬉しい気持ちになる。
でも……私には気になることが。
「もう春樹!なんで授業始まる前のホームルームの時間、いつもどこか行っちゃうの!?」
「別にいいだろうが。授業にはちゃんと出てるんだし」
朝のホームルームの時間、教室に居づらいのはわかるけど春樹はどこかに行ってしまう。
教室に戻ってくる時はいつも遠藤さんと一緒だった。
「遠藤さんと教室に戻ってきたけど……一緒に、いたの?」
「え?ああ……そうだよ。それがどうかしたのか?」
「べ、別に!なんでもないよ……」
遠藤さんには以前、私が春樹の悪口を言っている場面を見られてしまっているため不安だった。
それに……私は遠藤さんが苦手と言うか……。
春樹と仲良くしてるのも、少し気に入らなかった。
「あ、あの……春樹。今まで一緒に登校してたけど……その、明日からは別々に行かない?」
「え?あ……そうか」
私は美和に言われたことを気にして、そんなことを口走ってしまった。
唯一春樹と気兼ねなく会話をすることができる時間を、大好きな彼を迎えに行く習慣を、自ら手放してしまった。
▽▼▽▼
「浅野ってさ、遠藤と仲良いよね。不良同士、気が合うのかな」
また始まった。
部活の休憩時間、よく春樹の話題が出てきてそこから彼の悪口が始まる。
「志穂も大変だよね、家近いんでしょ?」
「え……うん。その、別に大変ってわけでもないけど……」
愛想笑いを浮かべて、私は平静を装う。
「それでも幼馴染なんでしょ?浅野とは」
「まあ……昔は仲良かったけど……でも、見ての通り……あんな見た目だし……ね」
「そうだよね。なんか去年、上級生に暴力振るったんだっけ?」
私……最低だ……。
皆に本心を悟られないように笑顔を作って、春樹の悪口言って……本当に……。
「本当にそうだよ。最低だよ……あいつ。昔から乱暴でさ─────」
彼のことを貶す言葉を並べる作業に、抵抗が薄れてきている。
でも、こんな醜い言動も……もう少しで……やっと終えられる。
「浅野、私と同じ高校を受けるって言っててさ」
そう……高校生になったら今とは環境が変わって……また春樹との楽しい日々が……。
「え―?高校までついてくるとか浅野って絶対に志穂に下心あるよ。そのうち、襲われちゃったりして」
襲う……襲われる……?私が、春樹に……?
「やめてよ……そ、そんな言い方……」
あるシーンが私の頭の中でフラッシュバックした。
「浅野が私を襲うなんて……」
千田先輩に胸を強く掴まれて……痛くて……怖くて……。
「気持ち悪い!」
不快な記憶を振り払うように、私は声を荒げてしまった。
「そ、そっか。そうだよね、ごめん。ねえ自販機に行かない?」
「私も喉乾いた」
あんな人と春樹は違う。春樹が私を襲うなんて、そんなこと絶対にない。
あんな気持ちの悪い……心身共に傷つけてくるようなことを優しい春樹がするはずがない。
なんて……どの口が言っているんだか……私……。
外にある自販機に向かおうと私たちが体育館を出たその時だった。
目の前に立っていた彼を……春樹を見て、驚きのあまり一瞬で全身の血の気が引いていった。
「は……はる、き……なんで……ここに……」
(き、聞かれてた……?ど、どこから……?全部……?私、さっき何て悪口言ってたっけ……?)
さっきまで練習で汗だくになっていた熱い体が、今は凍るように冷たい。
体が震えて……動かない。
緊張のあまり……声が出せない。
「浅野……帰ろう」
私から視線を逸らした春樹は遠藤さんに手を引かれて、どこかに去って行く。
私の春樹が……私の前から……いなくなる。
「待って!春樹!」
喉の奥から必死に声を絞り出して彼に言葉を投げかけたが……春樹は行ってしまった。
▽▼▽▼
動かない体に鞭を打って、私は必死に走った。
「春樹!」
帰り道にある幼い時によく春樹と遊んだ小さな公園でベンチに座る彼を見つけた。
隣には遠藤さんがいて……春樹と手を繋いでいる。
遠藤さんが……春樹を体育館前に連れてきたの?
私の悪行を彼に見せつけるために……?
「春樹……さっきの会話、聞こえてたよね……ご、ごめん」
「何がごめんだよ!お前の言葉を浅野がどんな気持ちで聞いていたかわかってんのか!?」
「だから、あなたには関係ないって言ってるでしょ!」
さっきから春樹とずっと手を繋いで……。
もしかして遠藤さん……春樹のこと……。
「こいつは千田に媚を売ってたんだ」
「志穂が……あんな不良に、媚を……どうして?」
「浅野を嵌める為だよ」
(違う!確かに千田先輩の機嫌を取るようにしてたけど、それは美和に言われて。春樹を嵌めるためじゃない!)
「おまえ、千田にデートしてやるって言ったらしいな」
「ち、違う!デートしたいって向こうが言ってきて!それで!」
「千田に媚を売っていたことは否定しないのか?」
「そ、それは……」
「まあいいよ。今から千田を呼び出してやる。私、地元が同じだから連絡先知ってるし」
「や、やめてよ!!」
千田先輩がやってきたら、私が機嫌を取っていたことが明るみになる。
それに私は先輩に良く思われていないだろうから、ありもしない話をされて場をかき乱されるかもしれない。
「志穂……そうなのか?」
「ち、違う。私は、ただ……」
今、彼の中で私の信頼が揺らいでいる。
「春樹を、誰にも取られたくなくて……それで」
私が何を言っても信じてもらえないかもしれない。
「春樹……悪口言っていたこと、ごめん。ごめんなさい」
私には謝ることしかできない。
許してもらえることに期待して……。
明日から、また仲の良い幼馴染に戻って……。
「目つき悪くて、茶髪で……こんな見た目で悪かったな」
「暴力振るうような人間で……最低で悪かったな」
「気持ち悪くて悪かったな!!」
周囲がどう思うかなんて関係に無い……。
私は春樹が好き……その気持ちに素直になっていれば……。
彼を独占しようと、やましい心が無ければ……。
そう気づいた時には……今さら後悔しても……全て、遅かった。
「ご、ごめ……ん。ごめん」
「さようなら、深瀬」
私のことを苗字で呼ぶ春樹は、こちらに背を向けて歩き出す。
私から距離を取るように……私の心から離れていくように……。
「待って!お願い!春樹!!」
私が涙を流しながら、声を枯らしながら大声で叫んでも……彼は振り返ってくれなかった。
▽▼▽▼
あの日……春樹に別れを告げられた日は、家に帰ってひたすら泣いた。
もしかしたらこれは悪い夢で、次の日には春樹がいつもの優しい笑顔で私に微笑みかけてくれるんじゃないかと……そんなありもしない事が頭に浮かんでしまう。
春樹との関係にヒビが入りショックを拭いきれないまま、私はバスケ部最後の大会を控えていた。
「あ、志穂!大変だよ!」
「どうしたの……?」
「田宮先生、学校辞めたんだって」
「え……そうなの」
バスケ部顧問の田宮先生が一身上の都合で急遽退職されたことを聞いた。
「そっか……最後の大会も近いのに……代わりの先生どうなるんだろう」
「それだけじゃないんだよ!美和もいなくなっちゃたんだ!」
「え……?美和が……」
これには傷心していた私も少し驚いた。
美和も家庭の事情で急遽転校が決まり、もうすでに引っ越していった彼女の姿を見ることは無かった。
「深瀬さん。残念だったね……バスケ部最後の大会」
「うん。私が足を引っ張って……負けちゃって……」
試合中、私は何度も凡ミスを重ねてしまった。
集中しなければいけない局面でも私の視線は、人が大勢いる観客席に向いていた。
もしかしたら、春樹がいつもみたいに応援に来てくれているじゃないかと……そんなありえないことを期待して……。
顧問の先生とキャプテンがいなくなり、そして私の不調から女子バスケ部は一回戦であっさりと敗退した。
▽▼▽▼
「高校受験は目の前だ。おまえたち、ここでもう一度心を引き締めて────」
すぐそこにまで迫ってきている高校受験。
私は春樹と一緒に泉道高校を受ける。
春樹と関わることが無くなって、もしかしたら彼は泉道高校を受けるのも辞めてしまうのではないかと思った。
(でも春樹、一生懸命勉強していたし……きっと泉道高校は受けてくれるよね。一緒に合格して、そこで時間を掛けて……また元の関係に……)
高校受験の願書の提出を行う日、同じ学校を受ける人たちで集まって高校に向かう。
しかし、泉道高校を受ける集団の中に……春樹はいなかった。
「おい、あの不良二人。浅野と遠藤は海星高校を受けるらしいぞ」
「マジか、あいつら頭良いんだな」
気が遠くなりそうだった……。
今までずっと一緒だったのに、別々の学校に……なる……?
さらに高校受験を終えて卒業式を数日後に控えていたある日、追い打ちをかけるように情報が飛び込んできた。
「あ、志穂」
「なに?お母さん」
「さっき浅野さんが退去の挨拶に来られてね、引っ越すんだって」
え…………なんで…………?
私……何も聞かされてなかった……春樹から……。
(このままじゃ、もしかして……一生のお別れに……)
たとえ高校が別々になっても家が近いんだから、いつでも顔を合わせる事ができる……いつでも会話ができると……言い聞かせていた自分自身が憎らしかった。
▽▼▽▼
卒業式を終えて、皆が楽しそうに談笑している時間。
私はその中に混ざることなく帰路に就いた。
急いで自宅に帰って泉道高校の制服を着て、彼を待つ。
春樹が自宅に帰ってきたのが見えたので、インターホンを鳴らそうか迷っていると彼がすぐに出てきてしまったため咄嗟に私は自宅の庭に逃げ隠れた。
話しかけたいけど……拒絶されるかもしれない。
もう、彼の中で私の信用は地に落ちているかもしれない。
面と向かって『嫌いだ』なんて言われたら、それこそ立ち直れない……。
「春樹……」
それでも、このままお別れになるのは嫌だった。
真新しい制服に袖を通した姿を春樹に見てもらった。
「どうかな……」
これは、最後の悪あがき。
少しでも私との別れを惜しんでもらえれば……。
彼はこちらをチラリと見たが、何も答えてはくれない。
「ひ、引っ越すんだってね……。あ、あの……連絡、先……」
彼の連絡先を何とか聞きたかった。
最近買ってもらったスマホを震える手で持って、連絡先の交換をアピールするが……彼は私から距離を取るように、離れて行ってしまう。
(もう私たち……会えなくなっちゃうかもしれないんだよ!)
そんな言葉を彼に言って、その足を止めさせたかった。
でもこの時、私は悟ってしまった。
もう、彼の心の中には……私はいないんだって……。
「こ、高校でも……が、頑張ってね」
「おまえもな」
それでも、最後は言葉を返してくれた。
10年間、隣で見てきた彼の姿を……今、遠のいていく彼の背中を……涙を必死に堪えて、私は見送った。




