11話 願い
「で?どのゲームやるんだよ?」
俺の一番近しい人間は、間違いなくこいつだ。
しかし、今は距離が遠い。
そう感じる。
「これとかどうだ?」
「いや、その前に……部屋散らかりすぎだろう。先に片づけないか?」
「ちょっとトイレに行ってくる。浅野、片づけといて」
「こら!逃げるな!……仕方ない奴だな」
あいつが言ってた話は特に信憑性は無いし、話半分ぐらいにしか聞いていない。
それでも、その話は妙にリアルに感じて……少し背筋が凍った。
「なんだこれ?日記帳か?」
グチャグチャに散らかっているローテーブルの上を整理していると、見つけた日記帳。
この時すでに、俺はこいつのことが好きだったんだろうな……。
そう思う。
▽▼▽▼
「は………き。はる……き。春樹、起きろ!」
「あ……ああ?」
俺を呼ぶ大きな声で目を覚ました。
窓から差し込む光が眩しい。
「聖菜……おはよう」
「呑気に挨拶なんてしてる場合じゃないぞ。早く準備しないと講義始まるぞ」
聖菜に起こされた俺は欠伸をしながら洗面所に向かい、朝の身支度を済ませて鞄を持った。
「また遅くまで勉強してたのか?」
「ああ、就活もあるしな。できる時にやっておかないと」
俺たちは部屋を出て駅へと向かい、並んで歩く。
寒い季節が終わり、暖かい春風が吹き抜ける。
「なあ春樹。今日泊ってもいいか?」
満開の桜を背景に俺の隣にいる聖菜は、今日も相変わらずの美人だ。
「ああ。一緒に勉強するか」
「ゲームしようぜ。最近新しく買ったやつがあるんだよ」
大学生になって4年目の春。
俺の傍には、高校時代から変わらずに聖菜がいてくれる。
「今日の晩飯どうする?」
「そうだな。聖菜が作ってくれる物だったらなんでもいいよ」
「嬉しいこと言ってくれるね~。よし!気合入れてハンバーグでも作りますか」
高校を無事に卒業した俺たちは、難関と言われる私立の晃応大学に進学した。
学費が私立よりも安い国立の大学にも合格したが、聖菜が家庭の方針で晃応に通うことになったので俺もそこを選んだ。
『絶対に同じ大学に通うぞ!』と、聖菜に強く言われたことが大きい。
そのおかげで、俺も目標を持って勉強を頑張ることができた。
「早いよな。あと一年で卒業か」
「そうだな」
15分ほど電車に乗ってから歩くこと数分で大学に到着した。
「あれ、遠藤さんじゃね?いつ見ても美人だな。頭も良いんだろう?」
「ああ。難しい講義も楽勝でS評価貰ってるって話だ。色んな教授がべた褒めしてるしな」
大学内に入ると大勢の学生がいる中で、聖菜の存在は異質だ。
すれ違う人たちが、彼女に目を奪われて賞賛の言葉を口走る。
「隣にいる浅野くんもカッコいいよね。やっぱり、あの二人って付き合ってるのかな?」
「そりゃそうだろう。いつも一緒にいるしな」
ついでに、聖菜と行動を共にしている俺の話も時々聞こえてくる。
相乗効果なのか、なぜだか俺も聖菜同様に学内では高い評価がなされているようだ。
中学時代、色々な所から俺を揶揄する声が聞こえてきたことは、もはや懐かしく感じる。
「春樹は、今日午前中で終わりだよな?」
「ああ。聖菜は午後から教職の講義があるんだろ?」
聖菜は意外にも教職課程の講義を受けている。
大学卒業後は強制的に父親の会社に就職することが決まっているらしいが、納得していないらしい。
教師になる気は無いようだが抗うための手段になるかもしれないと、教職の講義を1回生の時から履修している。
「そうなんだよな。来月には教育実習があるし……面倒だな」
「そう言うなよ。おまえが終わるまで待っててやるから」
家柄が良いと、なにかと大変だな。
「春樹、ほい」
両手を大きく広げて、俺にハグを要求してくる。
「お、おい……またか?周りに人が沢山いるのに……」
「私はキスでもいいんだぞ」
学内でそういうことは、風紀的によろしくないんじゃないか?
「早く早く」
躊躇う俺に構うことなく、聖菜は催促するように詰め寄ってくる。
「はいはい」
多くの学生が行き来する通路で、聖菜を力一杯抱きしめた。
彼女も俺の背に手を回して顔を埋めてくる。
「あー、満たされる」
俺と何かをすることで聖菜は喜んでくれる。
俺は、そのことが嬉しい。
少し周囲の目が気になるけど……。
「あの二人、またやってるよ」
「朝から熱いカップルだな」
通り過ぎていく学生からは、呆れられているのか、笑われているのか……。
でも、こうして聖菜の温もりを感じていると、そんなことは些細な事に思えてくる。
「充電完了だ。じゃあ、行ってくるな。春樹も頑張れよ」
「ああ。また後でな」
こうして続いてきた大学生活も残り一年だ。
▽▼▽▼
午後になり聖菜の講義が終わるまでの時間、大学図書館で論文をまとめたり就活の情報を整理する。
この時期になると内々定を手に入れて、残りの学生生活を満喫している生徒もチラホラと出始めている。
「浅野くん!おーい!」
図書室では静かにするという当たり前のマナーをぶち壊す、体育会系のバカが俺を呼ぶ。
「浅野くん、今暇か?」
「そう見えるか?白木。それと図書室では静かにしろ」
中学、高校、大学と……一体何の因果なのか。
この男との付き合いも長くなってしまった。
「相変わらず真面目だな。浅野くんは」
「おまえも、もう少し勉強した方が良いんじゃないのか?去年も進級ギリギリだったんだろう?」
「大丈夫だって。野球が出来れば何とかなるよ」
大学もスポーツ推薦で入学したこいつは、単位の取得に毎年苦労している。
推薦で入ったとはいえ、無償で単位を与えてくれるほど大学は甘くない。
「それで、何の用だ?」
「ああ、ちょっと頼みたいことがあるんだけど」
頼み?
こいつの頼みや相談は、ろくな事がない。
高校の時はノートを貸してくれだの、大学では勉強を教えてほしいだの。
「あ、ちょっと待って。聖菜から連絡があったから、俺もう行くわ」
「相変わらず仲良いな。じゃあ、また今度話聞いてくれよ」
俺は白木との会話を切り上げて、大学の正門前に向かう。
丁度良いタイミングで聖菜から連絡がきて良かった。
また、面倒事に巻き込まれそうなところを回避できた。
「聖菜、お待たせ。帰ろうか」
「ああ」
俺たちは手を繋ぎ、他愛もない会話をしながら帰路に就く。
聖菜の手はとても温かい。
彼女に触れることで体が不調をきたすことは、もう一切ない。
「なあ、コンビニ寄って帰ろうぜ」
「そうだな。久しぶりに店長に会っていくか」
大学生なったばかりの頃、自宅マンションから徒歩10分ほどの場所にあるコンビニで俺は初めてアルバイトをした。
人生で初めて働き給料をいただいてバイトの身分ではあるが、金を稼ぐことの大変さを知った。
俺が私立の大学へ行きたいと父さんに打ち明けた時、笑顔で頷いて応援してくれた。
不自由なく大学に通わせてもらっていることを、本当に感謝している。
「お久しぶりです。店長」
「おー、浅野と遠藤。一か月ぶりぐらいか?」
この店長には、とてもお世話になった。
俺は色々と不器用なところがあったから、それを親切にフォローしてくれた。
「おまえたちが辞めて、人手不足になって大変だよ」
聖菜は『バイトなんてしなくていい』と父親に言われたそうだが『春樹と一緒にバイトするぞ!』と歯牙にもかけなかった。
大学4回生になるにあたり、学業と就活に集中するために俺たちは先月バイトを辞めた。
「浅野は結局最後まで女の客にはオドオドしていたな。少しは女慣れしたか?」
「い、いえ……多分、一生このままなのかもしれませんね……」
「遠藤とは普通に話しているのにな」
「聖菜は……俺にとって特別ですから」
「お熱い関係だな」
俺と店長が雑談をしている間に、聖菜はお菓子を大量に買い込んでいる。
今日はゲームをするとか言っていたから、徹夜で付き合うことになりそうだ。
▽▼▽▼
「ふうー、ただいまー」
「早いな、聖菜」
「ダッシュで着替え持ってきたからな」
着替えやゲームを取りに一度自宅に帰った聖菜は走ってきたらしく、息を切らして汗をかいている。
「そんなに慌てて戻ってくる必要もないだろう?」
「だって久しぶりのお泊りだしな。気合も入るよ!」
なんの気合が入るんだか……。
「先にシャワー浴びてこいよ。飯の準備進めとくから」
「はーい」
ここ数週間は俺が様々な会社説明会に参加していて忙しく、こうやって二人でゆっくり過ごす時間も久しぶりだ。
夕食の準備をすると言っても、俺ができることは大したことじゃない。
米を炊いて、野菜を切って……誰でもできる最低限の技量だ。
「もう少し多めに米を炊くか?あいつ、すげぇ食べるしな」
聖菜は男の俺よりも飯を食べるし、そのあとお菓子も食べる。
それなのに抜群のスタイルを保っているのは不思議な話だ。
「春樹~」
聖菜の声が聞こえたので振り返った俺だが……毎度のことながら、ため息が出る。
「なんでおまえは、いつも全裸で出てくるんだ?」
「いやー、シャワー浴びた後って暑いし」
大学では『ミス晃応』なんて呼ばれたりもしているのに、俺の前では緊張感のかけらもない。
「ほら、まだ体濡れてるぞ」
「春樹に拭いてもらおうと思って水滴を残しておいたんだ~」
何をわけのわからないことを言っているんだか。
聖菜の体をバスタオルで拭いていると、自然と目が合う。
見つめ合う間もなく俺たちは、唇を重ねる。
「私たち、すげぇ上達したよな。キス」
「そりゃ、何回やってんだって話だろう?」
聖菜は俺の手を引いてベッドに向かう。
「ちょっと待て。俺、まだシャワーも浴びてないし」
「いいよ、そんなの……」
「でも、ゴム無いぞ」
「さっきコンビニで買った」
もう完全にスイッチが入っているようだ。
かくいう俺も……人のことは言えない。
「春樹……しよう……」
今日予定を立てていたハンバーグを作ることも、一緒にゲームをすることも、何もかも忘れてしまうぐらい俺たちは愛を確かめ合う。
それは間違いなく俺たちにとって幸せな一時のはずだ。
この関係が潰えることがないようにと……俺はずっと心密かに願い続けている。