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悪役令嬢と面倒くさがりな悪魔

作者: りったん

 とある国、とある屋敷の真っ暗な地下室で嫉妬に燃える貴族令嬢がいた。


 美しい刺繍のハンカチを食いしばり、怒髪天を衝いているのは公爵令嬢アナベル・サルトレッティである。

 黙っていれば社交界一の美人なのだが、婚約者のフィリップ王子は平民の女、セリーナに首ったけである。なんとかして王子の心を取り戻したい彼女は、悪魔の手を借りることにしたのだ。


「セリーナ!公爵家の力を思い知るがいいわ!!」

 アナベルは黒い背表紙の分厚い本を高く掲げる。見た目は汚い古書だが、公爵家の書庫に大切に保管されていた由緒ある魔導書なのである。


 ようするに門外不出の家宝なのだが、自分の事しか考えない自己中心的な悪女、アナベルは書庫の門番を強請って無理やり奪った。一般的な悪役令嬢なら、お父様にお願いして云々をするだろうが、あいにくとアナベルの父親は厳格で正義に燃える熱い男なのでアナベルは不幸にもネズミのようにコソコソと悪事を働くしかないのだ。


「フッ。これを手に入れる苦労も悪魔を召喚できるのなら安いものよ。お父様の説教も怖くないわ!! オーホホホホホ!! さあ、悪魔よ悪魔よ悪魔さん。わたくしの呼びかけに応えなさい!!」

 アナベルは魔導書に力を込めて叫ぶ。

 すると轟音と共に嵐が吹き荒れ、漆黒の髪を持つとんでもない美形が現れた。

 

 アナベルも自分の美しさに自信があるのだが、そのアナベルさえ「負けた……」と思わずつぶやいてしまうほど彼は美しかった。


「……ふわぁ」

 呑気なあくびさえなければ、アナベルは彼の美しさに見入っていただろう。あまりの無礼さにアナベルは怒鳴った。


「あなたを召喚したのはアナベル・サルトレッティよ。婚約者の浮気相手が彼から嫌われるように呪いをかけなさい!!!!」

 険しい顔でアナベルが叫ぶと、悪魔はもう一度ふわぁーと欠伸をするとその場でうずくまって寝始めた。


「ちょ、ちょっと! 一体何なのよ!! 起きなさいよ!!」

 アナベルは大声で怒鳴りつけて彼を揺さぶるが悪魔は一向に起きない。

 アナベルは声の音量をさらにあげて彼を怒鳴りつけたが、悪魔は起きずに騒ぎを聞きつけた使用人が集って来た。


 はかなげな美少年に馬乗りになって服をはだけさせている(本当は胸ぐらをつかんでいるだけ)アナベルを使用人たちは気まずそうな顔で見た。


「お、お嬢様。旦那様には内緒にしておきますので……」


「しばらくここには誰も来させませんから」

 と変に気を回して彼らは去っていた。



 羞恥心で真っ赤になったアナベルは怒りに任せてさらに怒鳴りつけた。

 結局、悪魔は二時間後にようやく起きて食事を催促し、アナベルを激怒させた。




「あ、これ。美味しい」

 悪魔……ギュルドは屋敷のシェフが作った料理を幸せそうに食べる。


「……ぞれば良かっだばね」

「ん? 風邪でも引いたの? すごい変な声だね」

「あなだのぜいよ!! あなだが寝でいる間、ずっと怒鳴っでいだらごうなっだのよ!」

 アナベルは枯らした喉で一生懸命喋る。

 しかし、ギュルドは悪びれもせず、次の皿に手を伸ばす。


「うん、こっちのポアレも美味しい。君のお家の料理人は腕がいいね」

 ギュルドはアナベルの怒りなど意にも介さず、マイペースに食事を続けた。

 そんな彼の態度にアナベルは腹が立って腹が立って仕方がない。

 しかし、怒鳴りつける体力すらなくなったアナベルは恨めしそうにギュルドを睨み、彼の幸せそうな顔を見るだけで終わった。



 アナベルの声と気力が復活したのはその二日後である。

 ちなみに、その二日間の間、ギュルドの振る舞いは最悪だった。平気でアナベルのベッドにもぐりこみ高いびきをかき、使用人から『愛人を連れ込んだ』と誤解された。

 まさか悪魔を召喚したと言うわけにもいかず、アナベルはその汚名を歯をくいしばって耐えることになったのだ。


「ギュルド。あなたは我が家で二日間、召喚者のわたくしを放って堕落した生活を送っていたわ。もうそろそろわたくしの願いを聞き入れてくれてもいいでしょう?」

 仁王立ちしたアナベルがギュルドの前に立ちふさがる。

 場所は食堂へ続く廊下で、ここまで肉の香ばしい香りが立ち込めている。


「ご飯食べてから聞く」

「ふざけないで!! そういって今日もすっぽかす気でしょう!」

 アナベルが怒鳴るとギュルドは手から不思議な色の宝石を出すと、アナベルの口に放り込む。


「……!」

 甘くておいしい不思議な味にアナベルは目を瞬かせる。


「それ、魔界のお菓子。人間界を真似て誰かが作ったらしいよ。いい子だからご飯食べるまで待ってて」

 アナベルはお菓子の美味しさに免じてギュルドの言う通りにしてあげた。


 ギュルドはゆっくりと食事を摂った。



「さあ、食事が終わったわね。呪ってもらうわよ!」

 アナベルがギュルドをせっつくと、ギュルドが変な声をあげた。

「あ、呪いの依頼なら必要なものがある」


「な、なんなのよ」


「ん-とね、ギュール山の頂上にある雪、ザバダ砂漠の砂、メルドナ密林のラーシャ花」

 どれもこれも一日や二日では揃えられ得ない上に掛かる費用も相当なものだ。


「む、むちゃ言わないでよ! そんなものをすぐ用意できるわけないでしょう!?

 あなたは悪魔なんだから、魔法か何かで取り寄せなさいよ!」



「俺はそんなすごい悪魔じゃないから無理。がんばって集めてきてね。俺は寝るから」

 そう言ってギュルドはアナベルのベッドにわが物顔でもぐりこみ、グースカと寝息を立て始めた。


 美しい顔に青筋を立てて怒りに震えるアナベルだが、目的を達するためにはこの悪魔の言うことを聞かねばならない。アナベルはギュルドの狼藉に目を瞑り、高難易度の素材集めに取り掛かった。


 一方、自分からアナベルと距離を置いたフィリップだが、彼女がまったく自分に寄り付かなくなると、急に気になり始めた。


「アントン。アナベルはなぜ俺のところに来ないんだ?」

 フィリップは同年代の侍従アントンに尋ねた。

「そりゃあ、フィリップ様の隣にはいつもセリーナがいますからね。婚約者として気分が良くないでしょう」

 アナベルが悪魔を召喚しているとも知らないアントンは、アナベルに同情を寄せる。

「それは俺の心をつなぎ留められないアナベルが悪いだろう。アナベルの美貌は買っているが、あいつは気が強いんだ。セリーナみたいに可愛げがあれば俺ももっとかまってやっているさ」

「……殿下。公爵令嬢があなたにゾッコンなことは周知の事実ですが、それに胡坐をかいてはいけません。サルトレッティ公爵家の後ろ盾があるからこそ、あなた様は王太子でいられるのですからね」

「ハッ。アナベルが俺から離れるわけないだろ」

 フィリップはフフンと笑う。

 アントンはこりゃあダメだ。と心の中でため息を吐いた。



 

 愛しのフィリップが自分を気にしているとも知らないアナベルは、呪いの材料を集めるため、日々奮闘していた。


 彼女が始めに着手したのはギュール山だった。

 雪が解けると登るのが難しいためである。山岳地帯に強い冒険者チームを雇ったところまでは順調に進んだが、問題が勃発した。


 ギュール山の領地を保有するゼットリン子爵がノーを突き付けたのだ。公爵家に対して喧嘩を売るつもりかと激高するアナベルだが、彼には理由があった。

「サルトレッティ嬢。凶悪な盗賊団が麓を占拠しているため、付近一帯を通行止めにしているのです!」

「それが何だというの!! そんなものとっとと討伐すればいいでしょう?!」

「敵の頭は相当な腕利きで討伐隊がことごとく返り討ちに遭っているのです。これ以上の犠牲は出したくありません!!」

 ゼットリン子爵はそう主張した。

 しかしだからといってアナベルは引き返す気にはなれない。

「ならウチの騎士団を派遣するわ!! その盗賊団がいなくなればいいのでしょう!?」

「え?!」

 子爵は驚いた。今まで何度も王宮に救援要請をしたのだがナシのつぶてだったのだ。宮廷から見捨てられたと絶望していたゼットリン子爵はアナベルの申し出が神の声に聞こえた。

 行動力のあるアナベルは公爵家の専属騎士団を呼び寄せ、あっという間に盗賊団を駆逐した。他国とも渡り合える公爵家の軍事力の前に凶悪とはいえ一介の盗賊団が敵うわけなかったのである。


 こうしてやっとこさギュール山の山頂の雪を手に入れたアナベルはギュルドに渡し、異空間に貯蔵された。


 次にザバダ砂漠。

 ここはボレドル族の管轄地だが、ルベルピア王国と友好関係にある。そのため、アナベルもスムーズに事が運ぶと考えていたのだが、なんと向かわせた冒険者がボレドル族に捕縛されてしまった。なんでも、王国側が払うべき料金をずっと滞納していたらしい。アナベルはイライラしつつも代わりに払った。


 メルドナ密林に至っては管理機関の腐敗がすさまじかった。違法薬物の素材を極秘裏に製造していたり、犯罪組織の根城にもなっていた。密猟も横行し、ラーシャ花を手に入れるよりも汚物の駆逐で大変だった。



 ようやく材料が揃い、アナベルがグースカベッドで寝ているギュルドを叩き起こした。

「さあ!! わたくしが幸せになるためにその力を使ってもらうわよ!!」


「めんどくさいからまた今度」

 ギュルドはそう言って毛布をかぶった。アナベルは必死にギュルドを起そうと奮闘するが完全に寝入った彼から返ってくるのは寝息だけ、アナベルはしかたなく今日ばかりは諦めることにした。


 

 お茶でも飲んで気分を落ち着かせようとした矢先、アナベルに来訪があった。

 アナベルからの音信が途絶えたことにしびれを切らしたフィリップがやってきたのである。

「久しぶりだなアナベル。俺に会えて嬉しいだろう?」

 傲慢不遜の王子はフフンと鼻を鳴らし、机に脚を投げ出しながら言った。 


(フィリップさまってこんな方だったかしら)

 アナベルは久々に会った婚約者を見てそう思った。


 行儀も悪い上に性格も悪い。さらに浮気男という属性付きだ。


 いい所は顔くらいだが、ギュルドを見慣れているアナベルから見ると、中の下といったところだ。


(わ、わたくし、こんな男のために悪魔を召喚したの!!!??)

 アナベルは自分自身に驚いた。

 

 無言で立ち尽くすアナベルを自意識過剰男のフィリップは感激していると誤解した。


「フッ。アナベル、俺に邪険にされてショックを受けたのだろうが、寛大な俺様が許してやるからこれまで通り会いに来て構わんぞ」

 キザったらしくフィリップが笑いかける。


 ゾゾゾ。とアナベルの背中に悪寒が走った。こんな男と結婚生活なんて絶対に嫌だ。


(こ、婚約解消しよう。そうしましょう。セリーナの奴に押し付ければ穏便に片付くわ)

 アナベルはセリーナの存在に初めて感謝した。

 さっさとお帰り頂こうとアナベルはフィリップを応接間から玄関ホールへと追い出した。

 しかし、最悪なことに素っ頓狂な声が上から降りてくる。



「アナベル~。今起きたよ~」

 寝ぐせボサボサ、ふわぁと欠伸をしながら二階から襟をはだけさせたギュルドが降りてきたのだ。アナベルは真っ青になる。


 案の定、フィリップが騒ぎ立てた。

「な、な……!! アナベル、貴様!! 俺と言うものがありながら、なんというふしだらな女なんだ!!」

 顔を真っ赤にしたフィリップが怒鳴る。彼の青い目が血走り、肩を怒らせて体全体を震わせた。


 アナベルが釈明をするよりも前にギュルドがフィリップを嘲笑う。

「君がそれを言うの? まあなんでもいいけど、婚約者を信じないなんて狭量な男だね」

 ギュルドはくすっと笑う。アナベルはとんでもないことを口走るギュルドに顔が真っ青になった。とにかくフィリップに謝罪しなければと思ったが、口が縫われたように動かない。頭を下げようにも体が動かず、結果として直立不動でフィリップを見つめる傲慢な令嬢そのものとなった。


「アナベル!! 傲慢にもほどがあるぞ!! いくら公爵家が強大だとは言え、俺はルベルピア王国の王太子だ。怒らせてただで済むと思うなよ!! 絶対に後悔させてやるからな!!」

 フィリップはそう吐き捨てると床を踏み鳴らして部屋を出て行った。


 喉を鳴らして笑うギュルドをアナベルは睨みつける。金縛りから溶けたアナベルは怒涛の勢いで彼を詰った。

「なんてことをしてくれたの!! これでわたくしの社交界生命は断たれてしまったわ!! この人でなし!! 悪魔!!」

 言った後、その言葉の無意味さに気づいた。

 ギュルドは楽しそうに笑っている。


 腹の底から怒りがこみ上げてくるが、ここまで来ればもはやどうにもならない。

 ハアとため息を吐くアナベルにギュルドは問いかける。

「ねえ、アナベル。呪いの材料はそろったけどどうする?」

「もういいわ。今更呪ったところで何にもならない。それにね。セリーナがフィリップさまとくっつこうがどうでもよくなったわ」

 ちょっと顔が良くて剣の腕がいいからと、コロっと惚れる己の浅はかさが恥ずかしい。


「そう落ち込まないでよアナベル。君は面白いし、傲慢だけどいい奴なんだから、そのうちいいことあるさ」

 ギュルドの言葉にアナベルは笑う。

「なにそれ、悪魔の予言? まあ、話半分に聞いておくわ。そうそう、あなたに用はなくなったから戻ってもらって結構よ。魔界に帰って好きなだけ惰眠をむさぼりなさいな」

「そうするよ。それじゃあねアナベル」

 ギュルドはそう言ってドロンと煙とともに消えていった。




 ■



 サルトレッティ公爵邸から王宮に戻ったフィリップは激高していた。着くや否や、アナベルとの婚約を破棄するとギャンギャン吠えたて、周囲を困惑させた。

「落ち着かれませ殿下!! サルトレッティ公爵家を敵に回すおつもりですか!! いますぐ令嬢に頭を下げて暴言を謝罪してください」

「なにを言うか大臣。あの女は真昼間から男を引き入れていたのだぞ!! あいつとの婚約は破棄! 王家を軽んじた罪でサルトレッティ公爵家から金をふんだくってやる!!」

 フィリップはがりがりと爪を噛んで口惜しさを滲ませた。

 一方、内心で喜んだのはセリーナである。公妾なんぞで我慢するほど彼女は謙虚な女ではなかった。

(ウフフ。まさか自滅してくれるなんてこんな嬉しいことはないわ。さっそく噂を振りまいて二度と表舞台に立てないようにしてやるわ)


 セリーナは相談という形で侍女や、お茶会の出席者、通りすがりの人間にアナベルが不貞を働いていることをせっせと訴えた。同じように、フィリップもアナベルの非を声高に叫び、いかにアナベルがふしだらな悪女かを貴賤問わず広め続けた。


 極めつけは婚約破棄だ。近々開かれる第二王子シリルの誕生パーティで突き付けてアナベルに恥をかかせてやろうと考えた。


「シリルの誕生日などめでたくもなんともないが、ここまで待ち遠しいと思う日が来ようとはな」

 フィリップはそうほくそ笑む。


 ■


 サルトレッティ公爵邸でアナベルは引きこもり生活をしていた。フィリップがアナベルの不貞を振りまいていると思うと気が重くて外に出る気がしないのだ。


 第二王子の誕生パーティも仮病を使いたがったが、融通の利かない父親のせいでそれも叶わず、泣く泣く出席することになった。

 サルトレッティ公爵にエスコートされているからか、意外にもアナベルを揶揄する声は聞こえなかった。

 ほっとしたのも束の間、フィリップの声がホールに響く。


「お集りの皆さま。私からお話ししたいことがあります!!」


 アナベルは思わず目をつむった。ドキドキと心拍数が上がり、胃のあたりが痛くなる。


「サルトレッティ公爵家のアナベルは、未来の王妃でありながら、不貞を働いて私を、この国を、皆を欺いていたのです。私はここでアナベルとの婚約破棄を宣言いたします!! そして、ここにいる心優しき乙女、セリーナとの婚約を発表いたします!!」

 フィリップは演劇の役者のように饒舌に、謡うように訴えた。彼の顔は婚約者に裏切られた悲壮感などなく、ただ獲物を追い詰めてよろこぶ狩人のようだった。

 パチパチと拍手がひびく。


 しかしそれは、セリーナただ一人だった。

 万雷の拍手が来るとばかり思っていた二人は、戸惑いながらきょろきょろと周囲を見渡した。するとグサグサと冷たい視線が突き刺さる。


 動揺するフィリップにシリルが睨む。

「兄上、今日の主役は私ということをお忘れですか? それにサルトレッティ公爵家を侮辱するなど、信じられません」

 少年特有の高い声が響く。金髪碧眼の中性的な美少年が大きな青い目をフィリップに向ける。


「シ、シリル、お前は黙っていろ! これは王国の未来に関わる重大な話だ!!」


「はぁ……。お願いですから口を閉じてサルトレッティ公爵令嬢に頭を下げて下さい。令嬢が今まであなたを慕っていたことはほとんどの貴族が知っています。あなたと違って彼女は一途ですよ」

 シリルは冷めた目で腹違いの兄を見た。


「一途だと?! ここ三か月間、あの女が私の近くにいたのを見た者はいるか? 男を作ったあの女は真っ昼間から男と愛欲にふけっていたのだ!! 反論できるならしてみるがいい!! 直答を許す!! 誰でも良いぞ!! あの女が私の近くにいなかった正当な理由を答えて見せろ!!」


 勝利を確信したフィリップは歪な笑顔を浮かべ、ぐるりと見渡しながら叫ぶ。

 誰も証明などできないと意気込んでのことだったが、あいにく名乗り出た者がいる。


 緊張で顔を強張らせていたが、彼はまっすぐにフィリップを見つめた。

「あ、あの……北方のシャル地方から来ましたゼットリン子爵と申します」

「ほう。聞いたこともない弱小貴族が俺に何を言うんだ?」

 ふふんと嘲笑うフィリップに彼ははっきりと告げた。


「恐れながら、わたくしめがお答えいたします。我が領が抱える数年に及ぶ難題をサルトレッティ公爵令嬢が処理して下さいました。おかげで、今年の冬、我が領民は安心して暮らすことができます」


 彼の声は大きくはないが、とても良く通った。そしてそこに深い感情が込められていることは、その場にいる誰もが感じた。


 しかし、フィリップは一笑する。

「ハッ。弱小貴族の問題などものの数に入らんわ!! それであの女の擁護ができると思ったら大間違いだ」


「いえ、大間違いなのは兄上ですよ。ゼットリン子爵の名前は政務に携わっている者なら知っていて当然です。子爵位でありますが、かの地で採れるラキル鉱石は加工技術の高さ品質も大陸随一です。騎士団や国軍の武具に使用されているほどですよ」


「そ、それがどうした!! 子爵の難題をあの女が解決したからと言って何になる!!」

 フィリップの発言に一部の貴族の顔が白ける。

 シリルの視線がさらに冷ややかになった。


「私も後で知ったことなのですが、子爵は領地の窮状を王宮に訴えていたのです。そしてその書状は兄上の執務室にたまったままでした。おわかりでしょう? サルトレッティ公爵令嬢は兄上の尻ぬぐいをして下さったのですよ」

 シリルは生ゴミでも見るような冷たい目でフィリップを見る。


 フィリップはぐぬぬっと顔を悔しそうに歪める。

「い、忙しかったから対応できなかっただけだ。それに、たかが地方の小競り合いの対応に三か月もかかるなど可笑しいではないか!! 浮気をごまかすためのパフォーマンスに決まっている!!」

 フィリップのあまりの言い草にゼットリン子爵の顔が赤くなる。その『たかが小競り合い』を数年単位で放置していたフィリップに言う資格などない。

 だが、ゼットリン子爵より先に物申したのはボレドル族の族長だ。


「ボレドル族の長、アグルガルと申します。殿下、サルトレッティ公爵令嬢には我が一族の憂いを取り去って頂きました。帝都から我が土地までの道のりは困難、舗装されていない道が多く、馬車で入れません。令嬢は御自らの足で来て下さったのです。これが不貞を誤魔化すためとは到底思えませんが」

 白髭を蓄えた威厳溢れる族長がフィリップを見つめる。

 そこでさらにシリルが追い打ちをする。

「兄上、補足するとボレドル族のトラブルの報告もあなたの執務室の未処理の棚にありますよ」

 

 フィリップは真っ赤な顔でぷるぷると震えていた。

 そんなとき、一人の男が前に進み出た。ひょろっとした頼りなさげな男である。


「ゼッデナ地方の代官、ゴルス・リードンと申します。私からもよろしいでしょうか」


「構わん!! 好きに言うがいい!!」

 フィリップは味方だと思い込んだ。なにしろゼッデナは国王直轄属州、その代官は皇帝の手足となる重要なポストだ。ボレドルのような蛮族や田舎領主と立ち位置が違う。

 目を輝かせるフィリップだが、ゴルス・リードンの言葉は追い打ちどころか致命傷だった。

「ゼッデナ州ではメルドナ密林の諸問題に民は悩まされておりました。頼みの綱の役人は汚職にまみれ、前任の代官は犯罪組織と癒着しておりました」

「そ。それがどうした……!!」

「サルトレッティ公爵令嬢が犯罪組織を一網打尽にして下さいました。おかげで治安も良くなり、観光収入も見込めて万々歳でございます」

 ゴルスはにこっと笑った。すると、シリルがハァとため息を吐いて補足する。

「兄上、あなたの愛人が着けている宝石とかドレスの代金は、その汚職代官が出してくれてたんだってね。ゴルスが調べてくれて発覚したんだけどね」


「お、俺は知らん!! 汚職に俺は関係ないっ!!!!」

 フィリップは叫んだ。

 そして縋るようにアナベルを見た。


「ア、アナベル。お前ならわかってくれるよな? 俺がそんなことするはずないって! ああ、いや……そう。つまりだ。アナベルは俺の依頼で動いていたんだ。俺が困る民草を心配してアナベルに行かせたんだ!! あいつは俺の未来の妻。あいつの行動は俺の行動。な、なあ、そうだろ?」

 フィリップは冷や汗を流し、歪んだ笑顔を浮かべて叫ぶ。


 アナベルがフィリップの好み通りの従順で優しい女性だったら話を合わせていただろうが、むしろ真逆なのがアナベルという女だ。


「ご冗談を殿下、さきほどわたくしに婚約破棄を突き付けたことをもうお忘れ? セリーナさんとのご婚約、謹んでお慶び申し上げますわ!」

 オーホホホ!!! とアナベルは高笑いし、彼女の完全勝利を称えてホールは万雷の拍手が響き渡った。


 膝をついて絶望に打ちひしがれたフィリップ、ヒックヒックと泣きわめくセリーナ。二人は様々な罪状を突き付けられて騎士たちに引っ立てられていった。


 そして改めてシリル王子の誕生会が開催されたのだが、彼は始終、アナベルを褒めたたえてくれた。暗愚な兄にさんざん振り回された彼にとってアナベルは救いの女神だったのである。


 社交界の注目を一身に浴び、賛美のシャワーを思う存分浴びたアナベルは上機嫌で公爵邸に戻った。

 侍女を下がらせ、一人きりになった彼女はこっそりと地下室へ降りた。

 例の魔導書を取り、アナベルは魔力を込める。

 しかし、古ぼけた本はうんともすんとも言わなかった。それでも彼女は続ける。

 

「聞いてギュルド!! 今日のパーティは最高だったのよ!! すべてあなたのおかげだわ!!」


 アナベルは叫んだ。


「あの女を呪わずに済んで本当に良かったわ。フィリップはとんでもない男だったの、あんな奴のために必死になってバカみたい!! ねえ、ギュルド。あなたもそう思うでしょ?」

 

 アナベルがいくら叫んでも、薄暗い地下室は自分の声が鈍く響くだけだった。

 それでもアナベルは続ける。


「国王陛下がわたくしを労ってくださったわ。それに第二王子のシリルからも褒めて頂いたの『あなたのように慈悲深く聡明な女性に憧れます』ですって。情熱的よね」


 くすくすとアナベルは楽しそうに笑う。だが、彼女の目は潤んでいた。


「あなたが無茶難題を突き付けなければ、こんな名誉受けることはなかったわ。……ねえ、あれは本当に呪いの材料に必要だったの?」

 アナベルが問いかけても、魔導書は光らない。


「……ねえ。ギュルド。もう会えないの?」

 響くのはアナベルの声だけで、誰からも返答が来ることはなかった。


 静かで薄暗い地下室を見渡し、アナベルは小さく息を吐いてその部屋を後にした。


 

 その夜、アナベルの絶叫が屋敷に響き渡った。

 寝ようとしてシーツをめくるとギュルドがグースカ寝息を立てて寝ていたのだ。会いたいとは思ったが、こんな邂逅望んでいない。

「ちょ、ちょっと!! いつのまにもぐりこんだのよ!!!」

 感動などどこかに吹っ飛び、アナベルはギュルドの胸ぐらをつかんで揺さぶる。


 そこへアナベルの悲鳴を聞きつけた使用人たちがわらわらと駆けこんできたが、寝間着姿の二人を見た彼らは丁寧なお辞儀をしてそそくさと去っていった。


「か、完全に誤解されてるわ!!!!! ちょっと!! 起きなさいよギュルド!!!! なんとか言ったらどう?!」

 アナベルがギュルドに怒鳴りつけると、彼はパチっと目を開けて少し笑う。


「誤解が嫌なら本気で俺を愛人にすればいいさ」


「は?!!」


「そうすれば解決するよ。それじゃあ、おやすみー」

 ギュルドはそう言って再び寝た。

 アナベルは顔を真っ赤にしてギュルドを揺さぶったが、彼が起きたのは朝になってからだった。


 遠慮の文字を知らず堂々と食堂で食事を摂り、使用人たちもそれがさも当然のように受け入れている。


「ど、どういうつもりよギュルド」


「うーん。魔界よりもこっちの方が寝心地がいいんだよね。特に君のとなり」

 ソテーをもぐもぐと頬張りながらギュルドはあっさりと答える。


「だ、だからといって、勝手に部屋に入らないで!! あなたに頼むことなんてもうないんだから!!」


「やだ。俺、君が気に入ったんだ」

 ギュルドはさらに食事を続ける。

 アナベルはぎゃんぎゃん吠えたてるが、ギュルドの表情は一向に変わらなかった。


 そうこうするうちに、アナベルの父が食堂にやって来た。使用人はともかく父を誤魔化すことなどできない。アナベルは真っ青になった。怒られると思った矢先、聞こえてきたのは朗らかな声だ。


「おお、おはようございます。食事は口に合いましたかな」

 にこやかに父はギュルドに問いかける。まるで旧知の仲のような雰囲気にアナベルはびっくりするほかない。


「お、お父様。ギュルドと知り合いですの……?」


「何を言っている。お前の婚約者の王太子殿下だろう」


「え?!」

 アナベルは声を上げる。婚約者はフィリップの筈だ。振ったけど。


「昔からの許嫁ではないか。お前がギュルド殿下に惚れこんでどうしても婚約したいと私に頼み込んでいただろう」


「えええ!????」

 アナベルは思わず変な声が出る。


「お、お父様。フィ、フィリップ殿下はどうなりました……? セリーナは……」


「うん? 誰だそれは」

 公爵は心底不思議そうに首を傾げる。

 アナベルは使用人たちにも問いかけたが、彼らも同様に首を振る。まるでフィリップなど最初から存在しておらず、ギュルドと入れ替わったようだ。


 アナベルはギュルドを見る。

 彼は喉を鳴らして笑った。


「あ、あなたの仕業ね……!!」


「だってあいつら悪魔を召喚して君を呪おうとしてたからね。ちょっと頭にきた」


「ど、どうしてあなたが頭に来るのよ」



「うーん。多分、人間でいうところの愛って奴じゃあないかな。だって君が俺のものじゃないのが気に入らないし、危害を加えられようとするのも我慢ならない」 

 そう言ったギュルドの瞳は恐ろしいと同時にとても美しかった。


(とんでもないものを召喚してしまったのかも……)

 アナベルが少し後悔するが、ギュルドは楽しそうに笑うだけだった。


 うっかり悪魔の婚約者になってしまったアナベルだが、彼はひがな一日グーダラして過ごすだけでアナベルに危害を加えることはなかった。

 

 そして王太子の座をシリルに譲り、サルトレッティ公爵家の後継者となったアナベルの伴侶としてその名を連ねた。怠惰を愛するギュルドだが、必要があればアナベルを助け、公爵領を盛り立てていった。


 アナベルはギュルドがどこまで見越して行動しているのかわからなかったが、一つ言えることがある。

 彼の行動は全てアナベルのためにやっていることだと。


 つまり悪魔に愛された女、アナベルは一生幸せになる呪いをかけられたのである。



 時は遡ってギュルドが去ってすぐの魔界。

「というわけで、次の大魔王はあなた様です。ゲルディエトさま」

 魔界の重鎮がずらりと並び、頭を下げるのは、序列第二位の魔王ゲルディエトである。赤い髪を逆立て、野性味を帯びた精悍な顔は美形といえる。はるか昔、大魔王争いでギュルドにボロ負けして以来、大魔王代理としてこき使われている哀れな悪魔だった。

「いやちょっとまて。意味が分からない。ギュルドはどうした」

「ギュルドさまは人間界で伴侶を見つけられまして……そのまま住むそうです」

「は?」

「『あとは頼む』だそうです」

「いやいやいや!!! 大魔王はそんな簡単に放り投げるほど軽い地位じゃあないぞ!!」

「よいではないですか。死闘を繰り広げずとも手に入ったのですから。もともと切望されてましたでしょう」

「違う!! いや、違わないが、俺は正々堂々と戦って手に入れたかったんだ!!! こんなの絶対に認められるかああ!!!!!!」

 激怒した彼はギュルドを魔界に呼び戻そうと必死になったが、ケタ違いの魔力量を持つギュルドを前に為す術もなく、魔王ゲルディエトは無理やり昇進させられてしまったのだった。


 一人の悪魔以外、めでたしめでたし。


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― 新着の感想 ―
[気になる点] フリップは最初からこんな性格だったんですか? アナベルがどこに惚れていたのが分からない…。 アナベルも呪おうとしてましたがそれはいいんですか? [一言] 面白かったんですが、国のトップ…
[良い点] 存在すらなかったことになるとはw悪魔こわwww アナベルは召喚にしろ各領主の問題解決にしろ有能すぎるので、同じく兄の業務内容を把握しているくらい有能なシリルとお似合いなのでは…と思ってい…
[良い点] ギュルドがどういう役割になるのか…と思いつつ読んでいましたが、想像以上の実力の持ち主でしたね。 ほとんどみんなが幸せになりつつ、しっかり悪魔らしいところも見せるギュルド。 痛快な物語でした…
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