【逃走】‐Escape‐
部屋は【001号室】。──共同スペースを抜けて一番手前の部屋。
縄で縛った【リヴァイアサン寮生】を使って問いかける。
隣の使用人室から執事が顔を出してきたが、ジェスチャーを使って帰らせた。
「生徒会長。いますか?」──扉をノックさせる。
返事はない。
しかし想定内、台詞の打ち合わせはすでに済んでいる。
「見ちゃったんです。生徒会長だったんですね。【黒玉】を作ってる仮面の人物って。都市伝説かと思ってましたけど」
この【リヴァイアサン寮生】は【黒玉】の買い手で、仮面の人物と交渉をした経験があるとのこと。
あちらも覚えていたら気が緩む。
「あ。脅そうとか思ってませんから。ただ、安値でひとつもらえたらなぁと」
「──……無償で渡しましょう。ですが追加を求めてきたり、誰かに言いふらそうものなら。貴方を斬り捨てます」──釣れた。
「……は、はい」──怯えながら頷く。
扉を開いたブラックの手には【黒玉】。
その腕を即座に掴み動きを止める。
林の密会で取り逃がした仮面の人物の正体であり、行方不明であるダリア嬢の婚約者。
制服をきっちり着ている真面目そうな男子生徒。赤い髪のセンター分けポニーテール。──ブラック・フレイド。
「卑怯な方法かもしれないが許してくれ」
青ざめた顔でこちらを睨みつけ、次の人物が視界に入ると萎縮した。
『何故、貴女がここにいる?』と瞳が語る。
第二王子の婚約者であり、ダリア嬢の親友。──リリーナ・ヴィクトリア。
「全てお話していただきましょうか。ブラック生徒会長」
[聖職者]の完全装備状態。
彼女は自分の専用武器である鎚矛を強く握り、001号室の扉もろともブラックに振り上げる。
「──ぐぁっ!?」──【火属性の聖剣】で防いだとて、かなりの勢いで吹き飛ばされた。
使用人室の壁をぶち抜き、『ブ、ブラック様。何事ですか!?』と執事の困惑した声が響く。
「リリーナ。言葉と行動が一致してないのだが」──話を聞く前に、殺すつもりなのか。
「あら。なにもおかしいことなどしていませんとも、私は話し合いに来たのですから」
……忘れていた。
[聖職者]は後方回復役と思われがちだが。
彼女だけはその常識から逸脱していた。
『夫が[軍師]として後方で指揮を執るのであれば、妻たるもの前衛で軍の士気を高めなければなりません』なんて言っていた人物だ。
その言葉の通りに鍛えているのなら、脳筋前衛[聖職者]に成長している。
殴るメインの回復役。
「ダウンにはまだ早いのでは?」──にこやかに壁を粉砕していく。
これでは罠を使ってブラックをおびき寄せた意味が全くないのではないだろうか。
壁がなくなったブラックの部屋には[記憶果実]と、黒い花の鉢植えが部屋を埋め尽くしていた。
机の引き出しが少し開いており、【黒玉】が確認出来る。
リリーナの捜査で部屋に入れなかったことを考えるに確信犯で間違いないだろう。
けれどダリア嬢の姿はない。
一瞬、意識が飛びかけたブラックは聖剣を拾い上げ、リリーナに斬りかかる。
「ずっと気になっていました。家宝と言えど何故それを使うのですか? 【火属性の聖剣】は水系統魔力の貴方には扱えませんでしょうに。伝説の装備でしょうけど、使えなければ見た目が多少良い長剣です」
「……私には、これしか与えてもらえなかった」
「だから嫌でも使う。家族が決めた事だから。……ダリアさんにも同じような感情だったのですか?」
「だったら、どう──かはっ!?」──鎚矛で聖剣に押し勝ち、再びブラックの頭を目掛けて振り下ろされる。直撃し、身体ごと地面に叩きつけられた。
「教育するまでです」
日常のリリーナからは想像が出来ない容赦のなさ。
しかし親友が誘拐され、その黒幕が親友の婚約者だったのなら彼女が激昂するのも無理はない。
今の彼女にとって婚約者問題はデリケートなものなのだから。
「動かないでください!」──いつの間にか俺達の後ろに移動しており、罠に使った【リヴァイアサン寮生】を人質にしているブラック。
地面に叩きつけた方には[沼の怪]みたく溶けていく変わり身。
「ひ、ひぃ!? ご、ごめんなさい。僕は脅されて協力しただけで!」
「私を追ってきたら、彼を殺します」
刺激しないように両手を頭の上に。
しかしリリーナは深いため息をつきながらブラックの方へと歩み寄っていく。
人質の首に聖剣がかすり傷を作るが気にせず。
「我は癒す者。時に眠りの中に、救いを見つけよ。──【眠れ】」
敵意がない人物を眠らせ体力回復させる魔法。
全身の力が抜けたように爆睡する人質。
動かなくなったことによりブラックにとって人質はただの逃亡のお荷物に。
「さあ、どうしますか?」──やはり夫婦は似るのか。容赦ない戦法。
「リリーナ様はもっとおしとやかな方だと思っていましたが、違ったようですね」
「ただの令嬢のままでは、レオルド様の傍にはいられませんから」
「……婚約者の為」
「ブラック生徒会長はダリアさんをどう想っているのですか? 傍から見ていた私には理想の婚約者同士だと感じましたが」
その質問に口ごもる。
なにか言葉が出てきそうになるが、すぐにその熱は消えた。
痛みに耐えているように頭を抑えるブラック。
「知らない。最初から彼女に興味などありませんでしたから。──取るに足らない女です」
隣にいるリリーナの雰囲気が一変する。
その場の重力が何倍にもなったような。
「失望いたしました」──腰に掛けているポーチから植物の種を数個、取り出して投げた。──「我は育む者。大きく育ち、悪行を治めよ。──【植物の鎖】」
種は瞬きひとつで太い蔓に育ち、伸びていく。
しかしブラックは人質として利用価値のなくなった寮生を投げ込んだ。
蔓が巻き付き捕縛される。
「冷静になれ。犯人に逃げられてしまう」
「私が知る限り、ブラック生徒会長はまっすぐな方です。追い込まれようと相手に背中は向けない。目指す自分、信念があるからです。しかし今の彼はそれが欠けている」
逃げていくブラックの背中を眺めて、悲しそうに呟いた。
「ならば、とっ捕まえて吐かせるしかないだろう」
爆睡した寮生を蔓から解放し、廊下の脇に置く。
それからブラックを追い、【リヴァイアサン寮】の共同スペースへ。
水族館のような水中の部屋。
魚や水中の魔法生物[水霊馬]などが泳いでいる姿を確認することが出来る。
「おいおい。勘弁してくれよ」
「往生際が悪いですね」
ブラックは水中と共同スペースを隔てる強化ガラスに聖剣を突き刺す。
「我は営みを崩す者。自然と共に生き、命を授かる。されど時に、自然は我らを襲うだろう。──【海の怪】」
波で創られたような巨大な鮫。
強化ガラスの外に現れたそれは勢いをつけて突進し、──強化ガラスを割ったのである。
そして大量の水が流れ込んできた──……。




