【魔法薬学】‐Potions‐
「【ファフニール寮】との魔法戦があるので失礼します」──昼食を済ませてリリーナは食器を片付けると手を小さく振り去っていく。
号外の内容を聞いて少し不安だったのだが、知人が昔と変わらずにいることが少しだけ嬉しかった。
(……いや、胸の大きさだけで言えばかなり発展していたが)
「リリーナさん。絶対にいじめなんてしてないと思う」──確信したように強く頷くティファ。
「どうだかな。余裕がなくなれば誰だって自己中な獣になりえる」
「そんなこと言っても安心した顔してるよ?」
[探偵]として感情の操作は心得ている。
表情にはかなり気を配っているはずだ。
鈍感そうな男の娘[半妖精]に感情を読まれるわけが……一応、口元を隠す。
「えへへ、アルバって意外に顔に出るよね」
「冗談はさておき。俺達も教室に向かうぞ。次の授業は──【魔法薬学】だったな」
自称親友テレム曰く『意味わかんない授業』。
しかし昨日の【魔法薬学】の授業に出られなくて残念がっていた人物がひとりだけいる。
「そう! ずっと楽しみだったんだよ。きっとボクより研究熱心な教授が教えてるよね。名門校だもん」
ノートとペンを取り出してへにゃへにゃと笑い出した。
【魔法薬学】は[回復薬]などの作り方を教える【薬学】と薬の素材になる植物の知識を教える【薬草学】を中心にした授業だそうだ。
言ってしまえばティファの得意科目。
医療知識だけを言えばこの[半妖精]に太刀打ち出来る人物がいるとは思えない。
ただ本人がこんなにも期待しているのだから指摘するのも可哀想だろう。
食器を厨房の職員に返して食堂を出る。
「ちっ」──舌打ち。
廊下の曲がり角で第二王女イルミアと取り巻き令嬢ふたりに出くわした。
髪から花の香りがするし乾いたばかりのようだからイルミアはシャワーを浴びた後なのだろう。
恨まれる覚えはないが殺気のこもった目で睨みつけられている。
そんなイルミアを無視して俺は後ろの令嬢を指さした。
「悪いが。一歩さがってくれるか?」
「は? ……どうして」
「理由などいいから」──こちらからは警戒されて近付けないし、そのままでは場所が悪い。
訝しげに思いながらも一歩後ろにさがる令嬢。
窓から日が差し彼女の影が伸びる。
伸びた彼女の影が俺の影と──重なった。
「ご苦労」──軽く手を挙げ労う。
授業に遅れるわけにはいかないから再び足を進めた。
「なんなのアイツ!!」──イルミアの怒りの叫びが後ろで響いたが構っている暇はないのだ。
【魔法薬学】の教室は現在いるB棟から出て、学校の庭を1キロほど進んだ先にある植物園のような建物の2階。
直進で行けるそうだから迷うことはないがただの移動教室なのに食後の運動をちゃんとした気分。
植物園の門を開け、中に入っていく。
ティファの目の輝きを見るに珍しい薬草がそこら中に生えているのだろう。
植物名を早口言葉のように呟いているが、俺には怪しい呪文にしか聞こえない。
「あれは……」──魔法植物の中に植えられた黒い花が目に留まった。
「急げ転入生くん。ムラサメ先生は遅刻者に容赦ないんだ!」
すごい勢いで横切っていく生徒。
魔法戦の時に空から落ちる俺達を助けてくれたモブF。
「あの花は誰が植えたんだ?」
「あー、ブラック生徒会長さ。なんでも品種改良の花らしいよ。生徒会長の家系って黒髪崇拝らしいじゃん? あの花もそういう意味だと思うね。知らんけど」
「そうか」
質問に答え終えると再び全速力で上の階に向かっていく。
「初めて見るかも」
薬草に詳しいティファが見たことがないのなら本当にブラックが品種改良したものなのだろう。
「いつでもいい。この花を調べておいてくれるか?」──花一輪抜く。
「いやいやいやっ!? ダメだよ勝手に」──慌てながらもちゃっかり瓶をスーツケースから取り出して保管した。
「一輪くらい気付かんさ」
「いや、道徳的にさ」
呆れられたがちゃんと調べてくれるはずだ。
薬草においては俺と同じくらいに知識欲を持っているのだから。
2階に上がり教室。
一番後ろに席に座った。
日当たりの悪い窓とは反対側の場所。
使用人として潜入しているティファは座らず俺の斜め後ろに控える。
着席と同時に授業開始のチャイムが鳴った。
「起立。気を付け。礼。……着席」──鋭い角が二本生えている。頑固そうな見た目の白髪の[鬼人]。年齢は40代前半。こちらに気が付くと目を細めて。──「初めて吾輩の授業に参加する者がいるな。一応自己紹介をしておこう。【魔法薬学】の授業、そして【リヴァイアサン寮】の寮監を受け持っている【ムラサメ・ミナヅキ】である」
自己紹介を返そうかと口を開いた瞬間。
右手でアヒルのような形を作られ止められる。
『初日から欠席したお前など興味はない』と言われている気がした。
それとも【リヴァイアサン寮】の生徒なのに寮監に挨拶に行っていないことに腹を立てているのか。
「他国の貴族令息らしいが知った事ではない。赤点でも取ろうものなら吾輩は構わず落第させる」──脅しはこの辺で、チョークを持ち黒板に力強く文字を書いた。
【記憶医療における薬学】。
「まず初歩的なことだが記憶に干渉する魔法は多くはない。[地下迷宮]で極々稀に手に入る道具を除けば、ある特定の種族だけが使える魔法くらいだ。──しかし記憶操作を悪用した犯罪が後を絶たない。記憶を奪われた者。記憶を書き換えられた者。……不甲斐ないことだが治療法は確立されていない」
教卓に鉢植えが置かれた。
「しかし〝トラウマ〟なら薄めることが出来る。この[記憶果実]を使ってな」──小さな木に脳みそのような果実が成っている。──「この果実の種を飲み込むことでその人物が最も恐れている記憶を消してくれるのだ。まあ、一回の服用程度じゃ薄れる程度。完全に消すにはこの種が8つ必要になるだろうが……なんだね?」
ムラサメがこちらに鋭い眼光を向けてくる。
特になにも言っていないし、珍しくちゃんと授業を受けていたくらいだ。
「『治療法は確立されていない』と言っていたけど、[記憶果実]の調合を誰も試みなかったのかな?」──振り向けば元気よく手を挙げているティファがいた。
「はあ」──教室に響き渡る深いため息。──「この種は『恐れている記憶』を消せるだけだ。学のない使用人の身分では分からんかもしれんが、本来、記憶とは我々下等生物が踏み入ってはならない神の領域。そもそもどこに保存されているのかもわからん。記憶媒体は海馬とも言えるし、肉体そのものとも言える。記憶とは未知なのだよ」
「だからこそ魔法以外で唯一記憶に干渉出来る[記憶果実]を掘り下げるべきだと思うよ。アプローチを変えれば効果も変わるかも」
「貴様の安い口でほざいたその野望には人柱が必要になる。脳に電気を流している[狂気研究者]となにも変わらん」
「必要ならボクがその人柱になる」
口論が白熱してきたため急いでふたりの間に立った。
「『自己犠牲』というのは嫌いだ。探求心は認めるが俺は許さん」
「……ごめん」
ティファは正気に戻ったようだ。
ムラサメの熱は今だ冷めずこちらに近づいてくる。
しかしなにかを察したのか肩から力が抜けた。
「[半妖精]。手を出せ」
俺の後ろに隠れながら両手を差し出す。
ムラサメは鼻を近付け、手のたこを確認している。
「──薬剤師か?」
「[医者]だよ」
「はは、なるほど」
愉快そうに笑う。
その表情を見て他の生徒達は鳩が豆鉄砲を食ったような顔になる。
ずっと頑固そうな顔しか見せていなかったのだろう。
それから【魔法薬学】の授業は俺や他の生徒そっちのけでふたりの薬草討論へと変わった。
他生徒(怪しい呪文にしか聞こえない……!?)




