【女盗賊】‐Thief‐
魔法学校に潜入初日、寮対抗の【魔法戦】にて俺は【ウロボロス寮】の陣地を──全力で走っている。
この世界ではどの種族よりも魔法特性があり神聖的と言われている[龍]、ましてや[神聖巨龍]5匹から逃げながら。
俺の持論だが[探偵]に肉体鍛錬は必要ない。
シャーロック・ホームズ大先生などは異例として、【安楽椅子探偵】であるべきなのだ。
格闘などは推理パートで全く活躍させてもらえない刑事などに任せるべきである。──この世界では魔法省や騎士団か。
[探偵]は息を荒げることなどない。
死神のように物静かに、真実を掘り起こすだけでいい。
つまり何を言いたいかというと、かなりキツイ。
正直今すぐにでも立ち止まって呼吸を整えたい。座りたい。紅茶を飲みたい。
令嬢の行方不明事件を調査してきたのに、どうして[龍]の光線を浴び続ける戦場で全力疾走しなくてはいけないのか。
焚付けたテレムは早々に退場していった。
現在最後尾。【リヴァイアサン寮の攻撃】のほとんどは相手大将エリアに攻め入っている。と言っても開始時と比べたら【攻撃】の数は3割にまで減少した。
「【透明化】【香り消し】」──艶やかな声の魔法詠唱。
誰かに後ろから抱き着かれ、立ち止まる。
追手である[神聖巨龍]の視線を向けるが、俺を見失ったように頭上を通り過ぎて大将エリアへと向かっていく。
「あらあら。こんなに汗かいて。元気な男の子って私、好き」──耳元に息が吹きかかってくる。
自分の身体を確認すると透明という程ではないが透けていた。
現在、魔法の影響を受けている。
[神聖巨龍]から逃げきれたのは艶やかな声の持ち主のおかげだ。
[龍]は視力が弱い、だから敵を追うために必要なのは優れた嗅覚。【香り消し】によってそれを封じた。
【透明化】【香り消し】。
共に潜入向きの魔法で[忍者]や[暗殺者]などの裏の依頼を得意とする職業が習得していることが多い。
この魔法学校でそんな日陰者な職業をしているのはレオルドの資料を見るにひとりしか存在しない。
抱き着く腕を振りほどくと彼女は後ろに飛び、距離を取る。
「お前か。[女盗賊]ルパナ。『【リヴァイアサン寮】の面汚し』の方が聞き馴染みのある呼び名か?」
「恩人に向かって随分じゃないかしら。転入生クン」
背は178の俺よりも少し高い。褐色の肌をしており、髪はやや癖のある長髪で銀色。
制服の青ローブの下は薄着。スポーツブラのようなものと短パンジーンズ。下乳が見えるのがなかなか──……露出の割にサイズは通常。主張が激しくないのが逆に好印象を受ける。
スタイルは上半身に比べて脚が長い。
なんというか、オーラからまさに『悪女』だ。
「胸、見すぎよ」
「失礼した。立派な悪女具合に関心してしまってな」──恥ずかしながら俺は悪女に弱い。アイリーン・アドラーやベルモットみたいな女性がタイプと言っても過言ではない。
「それって褒めてるのかしら」
「受け取り手による」
テレムの話によれば彼女は『乱戦に乗じて物盗りしようとする連中が一定数いる』その筆頭。
ならば特攻するしかない【攻撃側】より乱戦になっている【守備側】の方が物取りをするには好都合ではないだろうか。
「なぜ俺を助けた?」
「人を助けるのに理由っているのかしら? 貴方が困ってるみたいだったから救いの手を差し伸べただけ。それと転入生クンのことを知りたいって下心もあったりして。……『顔が好みだった』って言う方がウケがいいか」
「ルパナ・ドレクロッコ。【リヴァイアサン寮】6年生。父親は盗賊団の団長。どんな経緯かは知らないが昔誘拐した貴族令嬢と結婚し、3人の子供が生まれる。しかし父は結婚前に縁を切ったはずだった盗賊団に戻り家族を捨てた。残された家族は貧乏な暮らしを強いられたが、その長女が名門魔法学校にいる。病気がちの母と小さな弟たちを置いて」
「……随分と詳しいわね。もしかして魔法省の」
「別にお前を逮捕するために転入してきたわけじゃない。『金持ちの夫探し』でも『盗品で小遣い稼ぎ』でも俺に害がない限りは勝手にしろ」
【攻撃側】を選んだのは転入生である俺の品定めだろう。
『同盟国の貴族子息』。──色仕掛けで落とすか。出来なければ身ぐるみ剥がすか。
だが残念ながら、俺は金目の物なんて身に着けていない。
家を飛び出してから貧乏暮らし。【探偵事務所】を手に入れた今だって依頼でなんとか食い繋いでいる。
唯一売れるものがあるとするならば──……。
「なら私の家庭に免じてこれ、ちょうだい」──甘えた声。ルパナの手に煌めく小物。
「は?」──動揺して身体が固まりそうになったが、急いでフードを深くかぶる。
右手人差し指にはめていたはずの……[魔封石龍]の化石から作られた指輪。
俺の長い前髪が金から黒へ。
「代わりに胸ポケットに盗んだお菓子沢山入れといたから許して。この埋め込まれた宝石ってサファイア? それともタンザナイト? なんにしろ、かなり上物なのは確かよね。指輪部分は珍しい素材。骨、かしら。………………ねえ、なんか空気おかしくない? やけに静かっていうか。怖いくらいに心地いいっていうか」
誰かさんの膨大すぎる魔力のせいで【魔力喰い】という現象が起きている。
【魔力喰い】──膨大な魔力を持つ人物がいた場合。他者であっても類似した魔力である場合、溶け合い吸収される。そして他者は一時的に魔法が使えなくなる。
しかもその誰かさんは【全能属性】という馬鹿げたチート持ちであるため少なくとも【魔力量ランク:C+-】以下なら属性関係なく【魔力喰い】を引き起こす可能性がある。
一時的なものだが、明らかに異常な状況だ。乱戦状態だった【リヴァイアサン寮】の陣地すら無音。
それだけではなく[人間種]よりも魔力感知能力が鋭い[召喚獣]達がこちらに向かって頭を深く下げて動かなくなっている。
第二王女イルミアの[神聖巨龍]ですら……。
──……まずい。これはかなりまずい。
正体がバレる前に指輪を取り返さなければ。




