93 散策
それから数日は、平和なものだった。
ロエナがシャルロッテにと用意した教師から、俺と妻もいっしょにこの世界について学んだ。
正直、事前にノアから必要な知識は叩き込まれていたから、改めて学ぶ必要はなかったが、シャルロッテが心細そうな顔をしていたので、同席することにした。
机を並べて勉強していると、シャルロッテが「なんだか学校みたい」と嬉しそうに笑った。
シャルロッテに憑依してからはもちろん、茜のころも病気になってからは入院している期間のほうが長く、学校にはほとんど通えていなかったらしい。
少し寂しそうな顔をしたシャルロッテに、胸が痛んだ。
それは様子を見に来ていたロエナも同じだったようだ。
落ち着いたら学校へ通えるように手続きしましょう、とロエナがシャルロッテに提案すると、シャルロッテが目を輝かせた。
「学校へ行ったら、友だちもできますか?」
「ええ、きっといいお友だちができますよ」
そう言ってロエナが笑うと、シャルロッテは紅潮した頬を両手でおさえた。
まだ見ぬ友人を思い浮かべては、嬉しそうな顔をする。
「詩織も!詩織もシャルロッテちゃんのお友だちになる!」
妻がそう言って手を挙げると、シャルロッテは目を丸くした。
そして心底嬉しそうに「詩織ちゃん!仲良くしてね」と笑った。
そんなふたりを、俺とロエナは微笑ましく眺めていた。
ロエナが用意した教師は、初老の温和そうな紳士だった。
継母を連想させないようにと、女性の教師は避けたのだと、あとになってロエナが教えてくれた。
はじめは緊張していたシャルロッテも、すぐに教師に懐いたようだった。
本人曰く、茜時代の小学校の担任に雰囲気が似ているらしい。
茜の家庭環境を知り、両親に働きかけたり、茜の話を親身になって聞いてくれたりと、いい先生だったようだ。
※
事件が起こったのは、ノアが姿を消して1週間ほど経った頃だった。
街へ行ってみたいとのシャルロッテの希望を叶えるため、俺たちは城下町へ繰り出していた。
さすがにお姫様を連れ出すわけにはいかないとロエナの同行は断ったのだが、見事な男装姿でついてきてしまった。
随分慣れている様子を見るに、常習犯なのかもしれない。
ロエナのそばには、護衛騎士が呆れた様子で立っている。
ともに行動するのは、俺と妻、シャルロッテ、ロエナ、護衛騎士の5人。
さらに数人の騎士が、距離を取って周りを固めている。
これほど厳重であれば、ある程度のことは大丈夫だろう。
ちなみにシャルロッテを虐待していたダルモーテ侯爵家の面々はすでに領地に戻ったらしい。
街で鉢合わせてトラブルになることもないだろうと判断され、今回外出の許可がでたのだ。
「詩織ちゃん、みてみて!あっちにかわいいお店がある!」
「シャル!こっちのお菓子もおいしそうだよ!」
この数日で、妻とシャルロッテは随分仲良くなった。
ふたりできゃっきゃとはしゃぎながら、あっちへふらふら、こっちへふらふら歩き回っている。
俺たちは保護者として、楽しそうなふたりのあとをついていく。
「羨ましくなりますね」
そういったのは、ロエナだった。
ロエナもシャルロッテと仲良くなろうと、このところ、時間を見つけてはシャルロッテの元を訪れていた。
お茶会のあの日、ユージの話で盛り上がったこともあり、すぐに仲良くなれるとロエナは思っていたことだろう。
しかしシャルロッテは、どうしても落ち着いた大人な雰囲気のロエナに継母を重ねてしまうようだ。
ロエナが近づくと、反射的にシャルロッテは身を固くしてしまう。
シャルロッテ自身もロエナと仲良くしたい様子なのだが、なかなかうまくいかないふたりに、見ている方がもどかしくなる。
落ち込みつつも、シャルロッテのペースを尊重して無理強いしないロエナに、俺は同情しつつも感心していた。
そして、ふとあることに気づいた。
「その格好なら、あまり警戒されないんじゃないですか?」
シャルロッテは、大人の女性に恐怖心を抱いているようだった。
男性に対する警戒心は女性に比べると低いようで、俺や護衛騎士と話すときはあまり緊張している様子はない。
それに今のロエナの見た目は、かっこいいお兄さんにしかみえない。
「なるほど、一理ありますね。では、思い切って話し方も変えたほうがいいでしょうか?」
「より印象が変わるかもしれませんね」
「なら、遠慮なく。本当はこっちのほうが楽なんだ。姫のときは、周りの目を気にしなくてはならないからな」
少し荒っぽい話しぶりは、普段のロエナからは想像がつかない。
ニヤッと笑った姿は、ちょっと不良っぽくて、男の俺でもドキッとしてしまう。
現に、待ちゆく女性たちの熱い視線をロエナが一身に集めている。
「シャルロッテ嬢、あんまりよそ見してると転ぶぞ!」
ロエナの声に、シャルロッテが振り返る。
そして少し驚いた顔をしつつも、笑顔を返した。
いつものような硬い微笑みじゃなく、明るいひまわりのような笑顔だった。
ロエナはそれが嬉しかったのか、シャルロッテに手を伸ばした。
そして、はぐれないように手を繋ごうと提案する。
いきなり攻めすぎているような気がしたが、シャルロッテはすんなりロエナの手をとった。
「姫様、お兄ちゃんみたいです」
少し恥ずかしそうに、シャルロッテは言った。
「ユージともこうやって手を繋いだのか?」
「はい。迷子にならないようにって」
「ふふ、そうか。……今日は、姫様じゃなくて、ローって呼んでもらおうかな?」
「ロー?」
「そう。この格好で姫は変だろ?」
「たしかに。じゃあ、私のこともシャルって呼んでください!」
「いいのか?」
「はい!今日だけじゃなくて、姫様に戻ってもそう呼んでくれたら嬉しいです」
「わかった。そうしよう、シャル。今日は私のことを兄だと思ってくれていいぞ」
そう言ったロエナは、この日一番の笑顔だった。