84 命の灯
それから茜とロエナは、とりとめのなくユージの話をしていた。
好きなものや嫌いなもの、ちょっとした癖など、些細なことを言っては笑いあう。
妻は慣れないドレスに疲れたらしく、ラフな服装へ着替えに行ってしまった。
俺とノアは、メイドに淹れてもらった紅茶を飲みながら、少女たちの話に耳を傾けていた。
そうしているうちに、王がやってきた。
一国の王にこんなに気軽に会っていいものなのかと思わないわけではなかったが、ガチガチに緊張している茜を見ていると、どうでもよく思えてきたから不思議だ。
王は茜に笑いかけ「礼儀は気にしなくてもよい」と寛大な言葉をかける。
ロエナもクスクス笑いながら、茜の背中をさすった。
「それでは、これからの話をしようか」
王が言うには、いくら国王とは言え、侯爵家の娘を長期間王城にとどめておくことは難しいらしい。
保護をするに足る理由が必要だということで、茜には王宮医による健康診断を受けてもらうことになった。
茜の着替えを手伝った侍女によると、茜の身体は骨が浮き出るほど痩せこけており、ドレスの中は傷跡だらけだったという。
医師の正確な診断をもとに、療養という形で王城に留めようというのが王の案だった。
そして茜の療養期間に虐待の証拠を集め、親権を取り上げる。
茜の後ろ盾には、ロエナが立候補した。
王女という立場の彼女は、魔王討伐パーティーのメンバーとして功績を上げたことから、王や王太子に次ぐ政治的権力を有しているという。
黙っていれば可憐な少女にしか見えないのだが、本人曰く「この国ではトップクラスの強さ」らしい。
意外な顔をしていたのだろう。
ロエナは苦笑しつつ「見た目にそぐわない強さをお持ちなのは、そちらも同じでしょう?」と言った。
「シャルロッテ嬢……いいえ、アカネ様と呼ばれる方がいいかしら?」
ロエナの問いかけに、茜は少し悩んで「シャルロッテとお呼びください」と返した。
意外だったが、どうやら茜には自身が憑依する前のシャルロッテの記憶も残っているらしい。
ノア曰く、記憶は肉体にも刻まれるものなのだそうだ。
そういえば元の世界でも、臓器移植を受けた人が提供者の性格や記憶、趣味や習慣などがうつったという話を聞いたことがある。
にわかには信じたい話だが、それも肉体に刻まれた記憶ゆえなのだろうか?
茜は、シャルロッテの人生に自らを重ねていたという。
茜には勇司という信頼できる兄がいたが、両親は茜に無関心だったそうだ。
とくに茜が病に伏せってからは、見舞いに来ることもなく、ただただ放置されていたらしい。
茜にとっての真の家族は、勇司ただ一人だったという。
「私はシャルロッテのように暴力を受けたり、無理に働かされることはなかったけど、両親にはほとんど無視をされていました。私は勉強もスポーツも苦手で、お兄ちゃんのようにうまく出来なかったから……」
悲しげに微笑む茜に、胸が痛んだ。
まだ小さな子どもなのに、茜はすでに両親との関係を諦めているように見えた。
「シャルロッテは、大好きだったお母さんを亡くしてから、ずっと家族に愛されようと頑張っていました。頑張っていれば、いつか笑いかけてもらえると信じて……。でも、そんな日はこなかった。寒い冬の日、風邪をこじらせて寝込んでいたシャルロッテは、そのまま死んでしまったんです。そして私は気づくと、そんなシャルロッテの中にいました」
「彼女が亡くなったのは、どうしてわかったの?もしかしたら、君の中で眠っている可能性も……」
「うまくは言えないけど……ろうそくの火みたいに、シャルロッテの命が消えた記憶が残っているんです」
憑依したばかりの茜は、自身の現状に困惑した。
高熱に支配された身体はつらかったが、元の世界での最期に比べるとずいぶん楽だったという。
冷たい床に横たわったまま、茜はシャルロッテの記憶を受け入れた。
そして彼女の努力を無駄にしないため、シャルロッテとして生きていくことを誓った。
幸い、シャルロッテには持病はなく、茜が憑依してから体調は少しずつ回復した。
その後は、シャルロッテの記憶に頼りながら家事をこなし、虐待に耐える日々だったそうだ。
「大人になって、あの家を出ることを目標に頑張ろうと思いました。でも……記憶で知るのと経験するのは違って……」
「……いいえ、よく頑張りましたね」
茜……いや、シャルロッテの目を見て、ロエナが微笑む。
シャルロッテはふにゃりと笑い、恥ずかしそうにうつむいた。